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左半身麻痺が西尾さんの心を開いてくれました

「関西師友」8月号~9月号

左半身麻痺が西尾さんの心を開いてくれました

神渡良平

 

 

予想もつかない私たちの人生

「人生、何が起きるかわからない! とよく言いますが、それは私の実感です。順風満帆、さあいよいよこれからだと意気込んでいるとき、暗転して急転直下し、人生設計がぶち壊しになってしまうことがあります。私は文字通りそれを経験しました。

 その渦中にあるときは落ち込んで、死んでしまったほうがましだと思います。でもそれを乗り越えてみると、それらの出来事は私たちを(つぶ)すために起きているのではなく、逃げ出すことができない、ニッチもサッチもいいかない状況に追い込んで、人生の大切な哲理に目覚めさせるために起きていると確信します」

 と語るのは、大阪で大手監査法人に勤務している西(にし)()(ゆき)(まさ)さんです。西尾さんがそう言うのは、平成十五年(二〇〇三)五月の夜、熱めの風呂に入って疲れを癒しているとき、頭の血管がはじけ飛び、そのまま気を失ってしまったことを指します。

「パパはお風呂から上がるのが遅いわね。どうしたのかしら」

と心配して見に来た奥さんが異変に気づき、あわてて風呂から引っ張り上げ、救急車を呼んで病院に搬送しました。早期発見のお陰で一命は取り留めたものの、脳内出血によって左半身に重篤(じゅうとく)な麻痺が残りました。四十一歳、子どもはまだ一歳でした。病院のベッドの上で意識が回復した西尾さんは、左半身麻痺したことを知り、落ち込みました。

「これからいよいよという時に脳内出血で倒れ、寝たきりになるとは! 何とついていないんだ。いつ私が悪いことをしたというのか? まじめにコツコツやってきたというのに、この仕打ちは何なのだ!」

 現実が受け入れられず、もがき苦しみました。

 

米国勤務の四年間

 その直前の平成九年(一九九七)六月、西尾さんは勤務先の監査法人が当時提携していた米国アーサーアンダーセンのインディアナポリス事務所に派遣されました。インディアナポリスは米国北西部インディアナ州の州都で、一時はデトロイトに匹敵するほどに自動車産業が栄え、インディ五〇〇に象徴されるスポーツツーリズムが盛んな都市です。

四本の州間高速道路が通過する交通の要衝であることから、運輸、流通業が発達し、加えて生物工学や生命科学、ヘルスケア産業が伸び、日本企業の進出も目覚ましいものがあります。そのため日系企業クライアントと日本の親会社の監査チームとの情報伝達が激増し、西尾さんが派遣されて四年間従事していました。

その間、西尾さんは米国の公認会計士の資格も取って帰国しました。米国駐在を経て帰国し、前途満帆だっただけに、左半身麻痺によって、歩行すらままならない現実に落ち込みました。

西尾さんはすっかり悲観し、リハビリしようという気にもならず、お座なりにやっていました。ところが上司がとても気を遣ってくれ、二年間の休職扱いにし、回復し次第復帰するよう励ましてくれました。これでリハビリに励みがつきました。

「このままじゃいけない。何とかしなきゃ」

と、リハビリに気持ちが入るようになりました。

 

 杖となった真民詩「タンポポ魂」

 そんな西尾さんを励ましてくれたのが、坂村真民さんの詩「タンポポ魂」でした。これを最初読んだとき、まるで私のことを言っているようだ、ここで挫けちゃいけないと思ったそうです。暗唱して自分を励ましました。

 

 踏みにじられても

 食いちぎられても

 死にもしない

 枯れもしない

 その根強さ

 そしてつねに

 太陽に向かって咲く

 その明るさ

 わたしはそれを

 わたしの魂とする

 

 西尾さんはリハビリの頃を述懐してこう言います。

「毎日一キロの歩行訓練を自分に課し、病院内を杖歩行でぐるぐる歩きました。タンポポは踏まれても枯れもせず、(けな)()に咲いています。その姿を戦友のように感じました」

 

 リハビリに傾けた努力

そのうち、病院の廊下を歩くだけではもの足りなくなり、外を歩くことにしました。まず挑戦したのが阪急宝塚駅の近くの遊歩道「花の道」です。そこを往復しました。それができるようになると、今度は甲子園大学まで往復二キロ、西尾さんにとっては約二時間のコースを歩きました。この道には勾配のきつい坂があるので歩きがいがありました。それができるようになると、その先一キロほどのところにある(えん)(ぺい)()まで歩きました。ここは自宅からは往復五キロで、西尾さんの足では五時間もかかります。毎日曜日の定番のチャレンジコースとなりました。

「できなかったことができるようになる達成感は言いようのないものがありました。一つひとつできるようになっていくので、嬉しくてたまりません。歩行訓練に拍車がかかりました。

今度は宝塚市郊外の中山寺(なかやまでら)から山奥に二キロ程登ったところにある奥ノ院に詣でることにしました。週末は多くの人が拝観登山をしているところです。ところが調べてみると、表参道は所どころに大きな段差があり、杖をついて歩いている私には無理なことがわかりました」

しかし、もともとアウトドア派の西尾さんは諦めきれず、グーグルマップで自衛隊の演習道路を見つけました。ジープや装甲車が走行する砂利道なので、段差はありません。そこで勇躍挑戦しましたが、砂利道で歩きづらく、何度もすべって転びました。転ぶと起き上がるのが大変です。それでも十回、二十回と登山参拝を続けているうちに、砂利道がまったく苦にならなくなりました。

次に目指したのが、武田尾廃線跡の五キロあるハイキングコースです。ここは廃線跡なので所どころに枕木や敷石が残っており、トンネルが六つもありますが、眺望は最高にすばらしいコースです。普通の人なら二時間かかりますが、西尾さんは六、七時間かけて歩き切りました。

そうした日々の鍛錬の成果がどこに現れたかというと、自力で通勤しようと思い立ったのです。平成一七年(二〇〇九)春から始まった週一回の通勤は、それまで奥様が車を運転して送ってくださっていましたが、それを歩こうというのです。

自宅のある宝塚から阪急電車と地下鉄()(どう)(すじ)線を乗り継いで本町に出て、本社六階の自分の机まで歩くと、普通の人なら四十分で行けますが、西尾さんは二時間かかりました。汗だくだくになって、自分の机にたどり着いたとき、思わず「ヤッター!」と雄叫びを上げました。実際には声は上げませんでしたが、大変な達成感でした。格段の進歩です。次は週三日出勤できるよう、歩行訓練に拍車がかかりました。

 

 ダメージは歩行能力だけではなかった!

 ところが職場復帰してみると、新たな問題が発生しました。西尾さんが損なわれていたのは、運動機能だけではなく、一部の記憶力もダメージを受けていたのです。そのため通常の業務ができないので、クライアントに迷惑がかからないように翻訳業務に回されました。しかし、そこでもケアレスミスが起きました。使い物にならないと解雇されても仕方がない状態でした。

 ことわざに「天は自ら助くる者を助く」とありますが、上司は西尾さんが社会復帰を目指して懸命に努力していることを知っていました。だからここで見捨てるには忍びない、彼のひたむきな努力に応えようと、「焦ることはない。一歩一歩進んで行こう」と励ましてくれました。

 西尾さんは涙が出るほど嬉しく、その期待に応えようとがんばり通しました。幸いなことに運動能力の回復と共に、記憶力も徐々に回復し、信頼に足る仕事ができるようになりました。

「もしあの時点で解雇され、生活保護を受けるようになっていたら、私は気力が削がれ、落ち込んだでしょう。会社はよくぞ辛抱強く回復を待ってくれたと感謝しています」

 周囲のそういう温かい姿勢が西尾さんに新たな変化をもたらしました。

 

人間学に目覚めた会社の読書会

 西尾さんにリハビリ以外に興味を持つものが出てきたのです。会社で行われていた人間学の勉強会です。

「会社では月刊『()()』という人間学の雑誌を使って、毎月『人間力のための読書会』という読書会が催されていました。その月の『致知』に載っている記事を巡って、それぞれが意見を述べ合うのです。談論風発し、活発に意見が交わされました。以前だったらそんなものにあまり興味はなかったのですが、みんなが人生にひたむきに対処しようとしている姿勢に心打たれ、参加するようになりました。

 その席でしばしばみんなの口に出るのが、森(のぶ)(ぞう)の『修身教授録』(致知出版社)です。どんな本だろうと思って入手し読んでみました。すると自分の心に響く文章が多いのです」

 そう言うと、西尾さんは次のような箇所を示しました。

「人間の真の強さというものは、人生のどん底から起き上がってくるところに、初めて得られるものです。人間もどん底から起き上がった人でなければ、真に偉大な人とは言えないでしょう」

 まったくその通りでした。いま自分が立たされている立場が勝負所と言えます。読み進んでいると、こんな文章にも出くわしました。

「いやしくもわが身の上に起こる出来事は、そのすべてが、この私にとって絶対必要であると共に、またこの私にとっては、最善なはずだというわけです」

 ナニナニ、脳内出血で右半身麻痺したことは、自分にとっては絶対(・・)必要(・・)()最善(・・)なん(・・)()と? そこまで言うのか! と驚きました。だからいっそうのめり込んで読み進みました。するとこうも書いてありました。

「表面がマイナスであれば、裏面には必ずプラスがついているはずです」

 森先生の言葉は砂漠で水に飢え、さまよい苦しんでいる旅人のように、西尾さんの心に沁み込んでいきました。『修身教授録』は自分の道を照らしてガイドしてくれていました。自分は心のケアが必要な精神状態だったのだと気づきました。

 

 安岡先生の『経世瑣言』

 そんな頃、名古屋をはじめ、各地で読書会を開いておられる塚本(よし)(あき)さんにご縁をいただきました。塚本さんは東洋思想家安岡正篤(まさひろ)先生に師事しておられたので、安岡先生の本をいろいろ推薦してくれました。そこにもまた重要なアドバイスがあり、たとえば「()(しん)を含む」という哲理が述べてありました。

「それではどうして精神を雑駁(ざっぱく)にしないか、分裂させないか、沈滞させないかというと、無数に古人の(おし)えもありますが、私はこういう三つのことを心がけております。第一、心中常に喜神を含むこと。(しん)とは深く根本的に指して言った心のことで、どんなに苦しいことに逢っても心のどこか奥の方に喜びを持つということです。実例で言えば、人から(そし)られる、あられもないことを言われると、(いきどお)るのが人情であるが、たとえ憤っても、その心の何處(どこ)か奥に、イヤこういうことも実は自分を反省し磨錬する所縁になる、そこで自分が出来て行くのだ、結構結構と思うのです。人の毀誉(きよ)褒貶(ほうへん)なども、虚心(きょしん)坦懐(たんかい)に接すれば、案外面白いことで、これ喜神です」(『経世(けいせい)()(げん)()()出版社)

この文章で西尾さんは「言葉の威力」に目覚めました。その興奮をこう語りました。

「安岡先生は心の中にいつも喜びを抱いて事に臨むと、その人の運勢は上昇気流に乗って昇っていくと説いておられました。なるほど、なるほどと思って読みました。以来、『喜神を含む』を私のモットーとしました。

こういう言葉を知らなかったら、暗い夜道を提灯なしで歩くようなものです。そう思っていると、幕末の儒学者佐藤一斎が『(げん)()()(ろく)』で、『一燈を()げて暗夜を行く。暗夜を憂うることなかれ。ただ一燈を頼め』と述べておられることを知りました。『周りのことを愚痴(ぐち)てもしようがない。道を切り開いていくのは、結局は自分なんだ。自分をこそ信頼して、切磋(せっさ)(たく)()して励め』というのです。そう指摘され、開いた口が(ふさ)がりませんでした。すべては自分の責任なのだと覚悟ができました。ようやく人生の戸口に立った思いがしました」

 

 さらに難度の高い歩行訓練に挑戦

 平成二十六年(二〇一四)七月二十一日、日本百名山の一つ、滋賀県の伊吹山の登山に挑戦しました。標高一三七七メートルながら八合目までバスで登れ、そこから四十分で登れるので、西尾さんは三時間かければ楽勝だと計算しました。

 ところが登ってみると、行く手を阻んだのは大きな岩の段差でした。もちろん鎖や手すりはなく、すべって危険です。他の登山客の助けを借りて、何とか前進しました。予想よりもハードなコースだったので、四時間かけてやっと頂上にたどり着いたときは、疲労困憊していました。

 登りに予想外の時間がかかってしまったので、帰りのバスに間に合わなくなり、それに間に合うために、登りの西遊歩道とは違う、最短の中央遊歩道を下りました。ところがそこでも予想外の段差が続き、前に進めなくて立往生してしまいました。幸い下山客に助けられて、ようやく八合目の駐車場に降りてきましたが、すでに最終のバスは発車した後でした。

 途方に暮れていると、乗用車で来ていた別な登山客が麓のJR関ケ原駅まで送ってくれました。要所要所でいい人に巡り合い、助けられ、みんなのお陰で達成できた登山でした。こうした歩行訓練の努力が実って、とうとう週三日出勤できるまでに漕ぎつけました。

「真民先生に『つみかさね』という詩があります。何事も一歩一歩の積み重ねによって成就するんですね。私も『努力は裏切らない!』と実感します。

 

一球一球のつみかさね

一打一打のつみかさね

一歩一歩のつみかさね

一坐一坐のつみかさね

一作一作のつみかさね

一念一念のつみかさね

 

つみかさねの上に咲く花

つみかさねの果てに熟する実

それは美しく尊く

真の光を放つ

 

 真民先生は一歩一歩、こつこつ積み上げていくことの大切さを教えてくださり、私の杖になってくださいました」

 真民さんに「幸せの帽子」という示唆に富んだ詩があります。多くの人が同感される詩です。

 

すべての人が幸せを求めている

しかし幸せというものは

そうやすやすとやってくるものではない

時には不幸という帽子をかぶって

やってくる

だからみんな逃げてしまうが

実はそれが幸せの

正体だったりするのだ

わたしは小さい時から

不幸の帽子を

いくつもかぶらせられたが

今から思えばそれがみんな

ありがたい幸せの帽子であった

それゆえ神仏のなさることを

決して怨んだりしてはならぬ

 

 おそらく西尾さんも脳内出血で倒れ、左半身不随になったとき、こんな不幸はないと嘆かれたのではないでしょうか。確かに思いがけない災難でした。しかし、それは西尾さんが新たな価値観に目覚める「門」でした。

 西尾さんは森信三先生がよく言われる「逆境は恩寵的試練なり」を口にします。

「私たち人間には気づかないところで神の導きがなされています。だからあれこれ悩まず、受けて立つことです。そこからいっそう強くなって、一回りも二回りも人間が大きくなるんです」

 そう思えるようになって、生きることが楽になったと言います。西尾さんは人生を(わた)る秘訣をつかんだようです。

西尾さんの話を伺っていて、人生は無駄なことはないとつくづく感じます。別な言葉で言えば、人間はどんな状況からでも立ちなおってくるタフなものを持っている、いやもっと言えば、私たちに与えられているいのち自体が、状況に立ち向かい、それを乗り越えていく力を賦与されているように思えます。だから天地万物一切を創造された神仏の深謀遠慮に驚嘆します。それゆえに人生はすばらしい、人間万歳! と叫ばずにはおれません。

 

 円覚寺派の横田南嶺管長との歓談

 西尾さんは横田南嶺(なんれい)(えん)(かく)()管長の『禅の生き方に学ぶ名僧の知恵』(致知出版社)にいつも励まされていたので、一度お会いしてみたいと思っていました。北鎌倉の名刹(めいさつ)円覚寺は、文永の役、弘安の役で日本を襲った元寇(げんこう)の犠牲者たちを祀るために、北条時宗(ときむね)が明から()(がく)()(げん)老師を招いて建立した禅寺で、臨済宗円覚寺派の総本山です。

 横田管長の著書には、人の世には悲しみは尽きないけれども、せめてその悲しみを分かち合っていこうとされる姿勢があふれていて、西尾さんはいつも感銘を受けていました。そのあこがれの老師に、畏友であり、師とも仰いでいる塚本さんが引き合わせてくださるというので、平成二十八年(二〇一六)十一月三日文化の日、北鎌倉の円覚寺を訪ねました。

 横田管長は参道まで出迎えに出られ、円覚寺境内の奥まったところにある正伝庵で、二人と小一時間ほど歓談されました。西尾さんが不自由な体をものともせず、週三回通勤するまでに回復した努力を知って、驚嘆されました。しかもリハビリの日々を支えてくれたのが真民先生の詩だったと知って、よりいっそう感銘を受けられました。

 実は横田管長は拙著『自分の花を咲かせよう 祈りの詩人
坂村真民の風光』(PHP研究所)に「序にかえて」を寄せ、真民詩は『()(ごん)(きょう)』のいう天に輝く帝網(たいもう)(じゅ)のようにきらめいていると述べておられます。『華厳経』は宇宙を大きな網の目としてとらえ、網の結び目にそれぞれきれいな珠がついていて、一つの珠が光ると、その光は近くの珠に映り、その光はさらに別な珠に映りして、光は幾重にも折り重なって、全宇宙がきらきら輝いているというのです。

横田管長は説法にしばしば真民さんの詩を引用され、仏法をわかりやすく説かれています。西尾さんも真民さんのファンだと知って喜ばれました。

横田管長は帰りも参道にまで下りる石段を西尾さんに寄り添って一歩一歩下りてゆかれました。西尾さんは石段を降りながら、真民さんの「たんぽぽ魂」の詩を唱していました。円覚寺の()(さつ)は紅葉一色に染められ、二人を祝福するかのように、さわやかな風が吹き渡っていました。

(了)


「-第7回 養心の会・日向- 祈りの詩人 坂村真民の風光」のお知らせ

今年も、養心の会日向(ひむか)の主宰者鈴木睦代さんが講演会とコンサートを企画されました。毎年私と歌手のAikaさんを呼んでくださり、「心を養う会」を催されています。今年の私の演題は「祈りの詩人 坂村真民の風光」です。「自分の花を咲かせよう」と訴えられる坂村真民さんの世界を語ろうと思います。そしてAikaさんの歌声で存分に癒されてください。

養心の会
養心の会

PDFはこちらです。


地涌の菩薩たち 夢工房だいあんの根底に流れるもの

夢工房だいあん株式会社 創立二十周年記念講演

地涌の菩薩たち 夢工房だいあんの根底に流れるもの

作家 神渡良平

 

 

 S子ちゃんを通して大宇宙の叡智に目覚めた辻光文さん

  

今から年ほど前のことでした。茨城県にお住いの読者から、待望の二番目の女の子が誕生したとのメールが入りました。ところがその子に障害があることが判明し、天にも昇るような喜びが一転し、暗闇の底に突き落とされてしまったというのです。その子が眼を合わせてくれないのでコミュニケーションが取れず、どうしてこんなことになったのか悔やんでいて、悲しみの底に沈んでいるというメールでした。何とも深刻なメールに戸惑い、私はその方に軽々な返事は差し上げられないと、迷っておりました。

ちょうどそのころ、私は夢工房だいあん株式会社の光田(とし)(あき)代表から大阪府高槻(たかつき)市にお住いの教育者辻(こう)(ぶん)先生を紹介されました。辻先生は罪を犯した子どもたちの更生施設である阿武山(あぶやま)学園で、問題児たちと起居を共にして更生を手伝っておられました。その事績を知れば知るほど、「こどもたちのいのちを育む」ということがどういうことなのか、ただただ頭が下がりました。

辻先生は秋田の東昌院(とうしょういん)という臨済宗のお寺の子です。子どものころ、

「やーい、やい。葬式坊主、クソ坊主。お前の家は葬式で儲けているんじゃないか!」

とけなされていたこともあって、寺院仏教というものに疑問を抱いていました。長じて京都の臨済学院専門学校(後の花園大学)に進み、仏教を修めましたが、僧侶にはならず、在家仏教徒として人々のお役に立ちたいと、罪を犯した子どもたちを更生する仕事に就きました。

しかしながら辻先生は人間としても頭抜けた力量の持ち主だったので、臨済学院専門学校時代の恩師・柴山全慶(ぜんけい)南禅寺管長が息子さんを南禅寺で修行させてほしいと、父の住職に依頼に来られたそうです。でも辻さんは在家仏教徒として人々のお役に立ちたいと、お寺を継ぎませんでした。

ところで阿武山学園は夫婦の元に、問題をかかえた子ども十人ぐらいを預け、親子の関係を築いて子どもたちを更生させ、社会復帰させようという新しい試みの更生施設です。

ある年、辻先生の家庭に非常に問題の多いSという女の子が入ってきました。その子がいると他の子も影響されて問題を起こし、いっそう悪くなるので、ほとほと困ってしまいました。もちろんS子にも立ち直ってほしいとは思うものの、心の中では受け入れられないでいました。

ところがS子が脳腫瘍(しゅよう)になり、即刻手術することになりました。辻先生は、「S子ちゃんのいのちさえ助かったらもうそれで十分です。いい子になってほしいとか願いません。いのちだけは助けてください」と一生懸命祈りました。幸い手術は成功し、療養生活に入りました。辻先生の無条件の愛に触れてS子は随分と変わり、ひねくれが無くなっていきました。

このことで一番教えられたのは辻先生自身でした。あれこれ言う前に、その子を全面的に受け入れ、その子の魂に手を合わせて拝むということが一番大切だと知ったのです。そのことを次の詩でこう表現しました。

 



「いのちはつながりだ」と

平易に言った人がいます

それはすべてのものの切れ目のない

つなぎ目のない東洋の空の世界で した

障がい者も、健常者も、子供も、老人も

病む人も、あなたも、私も、

区別はできても

切り離しては存在し得ない

いのちそのものです

それは、虫も、動物も

山も、川も、海も

雨も、風も、空も、太陽も

宇宙の塵の果てまでつながる

いのちなのです

(ごう)(しょ)よりこのかた

重々無尽(じゅうじゅうむじん)に織りなす命の流れとして

その中に私がいるのです

すべては生きている

というより、生かされて

今ここにいるいのちです

その私からの出発です

すべてはみな生かされている

そのいのちの自覚の中に

宇宙続きの

唯一、人間の感動があり

愛が感じられるのです

本当はみんな愛の中にあるのです

生きているだけではいけませんか

 

 

以来、辻先生に預けられた子どもたちは見事に立ち直り、自分の足で立てるようになりました。だから辻先生は大阪府の更生教育に携わる教師たちの研修で、主導的役割を果たすようになったのです。

私は『苦しみとの向き合い方 言志四録の人間学』(PHP研究所)に、この辻先生がつかまれた世界を書きました。そして障害を持つ子を授かって苦しんでおられたご婦人にメールを送りました。

「ぜひともあなたに読んでほしいことを『苦しみとの向き合い方』に書きました。どうかご笑覧ください」

するとしばらくして、メールが返ってきました。

「辻先生がS子ちゃんの例を通して、『生きているだけではいけませんか』とおっしゃっていることが私の心を突き刺しました。自分の娘を愛することができなくて悩み、何でこういうことになったのと思っていた自分が、今は恥ずかしくてなりません。ようやく我が子のいのちに手を合わせて拝み、『生きているだけでいいんだ』と愛することができるようになりました」

ありがたいことに、八ヶ岳に別荘を持っている方が、「そのご家族でしばらく私の別荘をお使いになってください」と言ってくださったので、一
緒に八ヶ岳に行き、そのご家族と一緒に楽しい時間を過ごした次第です。

 

事業家としての決意

 

(しん)()な生き方を模索していた光田代表は、辻さんの私欲のない生き方に共感し、辻さんを呼んで夢工房だいあんで、社員や地域の方々に講演をしていただきました。それが大きな反響を呼びました。光田代表はこの価値観を見失わないで、夢工房だいあんを地域の人々に必要とされる地域密着型の会社に育てて行こうと決意しました。

辻先生は「共に生きる」をモットーとされています。子どもたちに上から目線でああしろ、こうしろと指導するのではなく、「共に生きよう」という姿勢を持たれています。その姿勢が子どもたちをほっとさせ、子どもたちの本来の持ち味がどんどん開花していきました。

その辻先生の生き方を書いたのが、拙著『共に生きる』という小冊子です。光田代表は社訓ともした『共に生きる』という考え方を皆さんに知ってもらいたいと思って、三千部作って、関係者に配りました。三千部というとダンボール箱で三十箱あり、四畳半一部屋を占拠するほどの(かさ)になります。

この小冊子は光田代表の強い思いを汲み取って、PHP研究所の協力で出版されました。しかし、会社の金で出版したのではなく、ご自分の年金を担保にして、銀行から借りて出版されたものです。辻先生の生き方を紹介することによって、夢工房だいあんは単なる金儲けのための会社ではないということをみなさんに示そうとされたものでした。

 

祈りの詩人坂村真民さん

 

今年(平成二十九年)六月、私はPHP研究所から坂村真民さんについての評伝『自分の花を咲かせよう 祈りの詩人 坂村真民の風光』を出版しました。

坂村真民と言ってもご存じでない方もあるかもしれないので、真民さんの一番よく知られている詩「念ずれば花ひらく」を紹介しましょう。

 

 

念ずれば

花ひらく

 

苦しいとき

母がいつも口にしていた

このことばを

わたしもいつのころからか

となえるようになった

そうして

そのたび 

わたしの花が

ふしぎと

ひとつひとつ

ひらいていった

 

 

この詩を紹介したら、「ああ、読んだことがある」とおっしゃる方もあるかと思います。この詩の元にあるのは、「疑えば花ひらかず、心身清浄なれば、花ひらいて仏見たてまつる」という仏典の一文です。真民さんは仏教思想家の(あけ)(がらす)(はや)さんが何かの仏典からこれを引用していたのを読んで、母がいつも口にしていた「念ずれば花ひらく」という言葉はこれに関係しているかもしれないと思いました。暁烏さんは、

 

十億の人に十億の母あらむもわが母にまさる母ありなむや

 

という短歌を詠んでおられるように、母に対する思いがとても強い思想家です。真民さんは暁烏さんに会い、出典を尋ねましたが、覚えていないとのことでした。そこで真民さんはこの言葉の出典を突き止めようと、仏典に当たりました。すべての仏典が納められている『大蔵経』百巻を借り出し、つぶさに読みました。ところが一回目は見つけられませんでした。もう一度当たりましたが駄目でした。三回目は手で一字k一字押さえながら読みましたが、それでも見つかりません。

あまりに根を詰めて探したので目が悪くなり、サングラスをかけて光を遮断しなくてはいけなくなりました。とうとう失明寸前になり、高校を休職し、部屋にカーテンを引いて薄暗くして寝ていました。

「ここまでしても見つからなかった!」

絶望の淵で「エリ・エリ・レマ・サバクタニ!」と叫びました。イエスが十字架につけられ、いのちが絶えるとき、「我が神、我が神よ、どうしてわたしを見捨てるのですか」と叫んだそうですが、真民さんはその言葉を発したのです。それほど絶望されました。ところがふと『華厳経(けごんきょう)』の解説部分にあるのではと(ひらめ)き、あわてて探してみると、見つかりました。

「ついに、深海で真珠を見つけたぞ!」

と狂喜し、そうして生まれたのがこの詩です。

 

真民さんの一番短い詩が与えるインパクト

 

真民さんは命がけの詩人だったということを示すもう一つのエピソードがあります。真民さんは病弱な方で、内臓疾患になり、医者はガンだと診断しました。しかし東洋医療家の利根白泉さんは、「ガンではない。必ず治る」と診断し、漢方で治療しました。しかし症状ははかばかしくありません。

そのころ真民さんのもう一人の導き手だった杉村(しゅん)(たい)()の夢枕に、観音さまが立たれました。霊感の強い春苔尼は、真民さんが生きるか死ぬかの危機に陥っていると直感し、観音像を描き写して、「この観音様を拝んで助けてもらいなさい」と書き送りました。周りの人々は真剣でしたが、真民さんは諦めていました。そこで白泉さんは真民さんを叱りました。

「あなたはほんとうに生きようとしているのですか。これほどみんなが助けようとしているのに、あなたは諦めてしまっている。自分で生きようとしなければ、助けることなんかできない!」

真民さんの病状は最後のところで持ち直し、快方に向かいました。ようやく峠を乗り越え、ほっとして部屋の窓を開けました。すると窓の外に桃の花が咲いていました。そのとき、一つの詩が生れました。真民さんのもっとも短い詩でありながら、もっとも力強い詩です。

 

 

病が

またひとつの世界を

ひらいてくれた

 

咲く

 

 

真民さんは普通の詩人のように修辞を凝らすのではなく、宇宙の(えい)()、人生の(ことわり)を詩で表現しました。

哲学者の森(のぶ)(ぞう)先生は真民さんを宮沢賢治と並び称されるような詩人として評価しています。ご承知のように宮沢賢治が織りなす「賢治ワールド」は『法華経』の精神によって生み出されたものです。一方、真民さんは『華厳経』からインスピレーションを得て、大宇宙から生かされている〝いのちの不思議さ〟を表現しました。

今年は真民さんの死後十年にあたり、ますます評価されていることから、PHP研究所は真民さんの評伝を出そうと企画し、私に白羽の矢が立ちました。私は真民さんとは二十年前からお付き合いがあり、その間さまざまな本で真民さんの詩を取り上げていたので快諾し、新たな取材をして、『自分の花を咲かせよう 祈りの詩人坂村真民の風光』を書き上げました。

 

拙著『下坐に生きる』が結んでくれた山下監督との縁

 

ところで私は今から二十年ほど前、私はマザー・テレサや真民さんのことを書いた『下坐(げざ)に生きる』(()()出版社)を出版しました。すると柔道家で東海大学教授の山下泰裕(やすひろ)さんが大部数買ってくださっていると聞きました。そこでぜひお会いしたいと電話し、東海大学体育学部をお訪ねしました。すると山下監督はこうおっしゃいました。

「私は加納(かのう)治五郎(じごろう)先生から教えていただいた柔道は心身共にを鍛える柔道です。だから技だけでなく、心を育てるということにも気を配っていますが、私自身涙無しには読めなかった『下坐に生きる』は絶好のテキストだと思います。そこでオリンピッ クの強化選手や大学や社会人の柔道部のコーチの合宿などで、みんなに配って読んでもらっています」

 この本に私は真民さんの「尊いのは足の裏である」という詩を紹介していました。それが山下監督の目に触れたのです。それが次の詩です。

 

 

尊いのは頭でなく手でなく

足の裏である

 

一生人に知られず

一生きたないところと接し

黙々としてその努めを果たしてゆく

 

足の裏が教えるもの

しんみんよ

足の裏的な仕事をし

足の裏的な人間になれ

 

頭から光が出る

まだまだだめ

顔から光が出る

まだまだいかん

足の裏から光が出る

そのような方こそ本当に偉い人である

 

 

 山下監督は現役時代二百三連勝し、ロスオリンピックでは金メダルに輝き、「世界最強の柔道家」と呼ばれていました。ところが番目のお子さんは障害児を授かりました。その子の子育てを巡ってさまざまなことがありました。外では世界最強の柔道家と言われるけれども、玄関を開けて一歩中に入ると、そんなものが全然通用しない世界がありました。それだけに、「尊いのは足の裏である」という詩は心に迫りました。山下監督は、「私をまともな人間にしてくれたのは、障害を抱えた息子でした。彼がいなかったら、私は鼻持ちならない男になっていたでしょう」と言い切ります。山下監督はその後、読売新聞の読書欄に「私が推薦するこの一冊」として『下坐に生きる』を紹介されたこともあって、この本は話題を呼び、ベストセラーになり、超ロングセラーになりました。

 

 リオ五輪柔道の成果は団結が招いた成果

 

私は真民さんの評伝を書くにあたって、前述の山下監督のように、真民さんの詩がその人の心の杖になっている例を挙げて、真民さんがどういう詩を書いておられるのかを書くことにしました。

 そこでリオデジャネイロオリンピックから帰ったばかり山下さんにインタビューしました。ロンドンオリンピックでは金メダルは一個も取れず、「日本柔道、崩壊!」と言われましたが、今回は金メダル三個、全部で二十一個のメダルを獲得したので、その理由は何ですかと尋ねました。

「それは一にも二にも井上康生(こうせい)君が監督となったからでしょう。井上君が監督に就任したとき、選手は大歓迎し、すぐさま心が一つになりました」

そして井上監督について語られました。

「井上選手はアテネオリンピックに向けての強化合宿のとき、パラリンピックの柔道選手には、大会用の柔道着が支給されないことを知り、彼らに青と白の柔道意をプレゼントしようと思い立ちました。井上選手は陽の当たらないところにも配慮する素晴らしい選手に育っていたのです。

アテネでは不運に泣き、金メダルは獲れませんでした。しかし翌年の国際柔道大会で優勝し、金メダルを獲得しました。その副賞として、トヨタの最高級車マジェンデを贈られました。ところが彼はそれを売って、折から全日本柔道連盟が行っていた新潟中越地震復興キャンペーンに寄付したのです。私はその申し出を聞いたとき、不覚にも涙をこぼしました。

そういう話は洩れ伝わるものです。だから井上君が男子監督に就任したとき、すぐさま監督と選手が一致団結でき、今回の結果を生み出したのです」

日本の柔道チームは国際大会の後、座席のゴミを拾っていると注目されていますが、そこに「下坐に生きる」姿勢が素直に表現されています。詩「尊いのは足の裏である」はこんなふうに柔道選手の間に生きているのです。

 

 横田円覚寺管長の高い評価

 

もう一人取り上げた人物が鎌倉の横田南嶺(なんれい)(えん)(がく)()管長でした。横田管長は高校生のとき、非常に悩んでいたときに真民詩に出逢い、感じるものがあったので、真民さんに手紙を出し、それから以来、手紙のやり取りが続きました。いろいろな方が真民さんのことを書いておられますが、この方のものが一番深くとらえていらっしゃるように思います。

真民さんは毎朝未明渾沌(こんとん)のひと時、家の近くを流れる重信(しげのぶ)川の河原に出て、真っ暗な中で、大地にひれ伏してお祈りをされます。そして朝の光が四国でもっとも高い山である(いし)(づち)山の頂からさーっと指してくると、それを胸いっぱい吸い込んで、自分のリズムを宇宙のリズムに持って行かれます。「初光への祈り」に朝の一刻のことが表現されています。

 

 

ウオーン

ウオーン

というような

太陽の息吹が

みなぎり湧いて

山の()から初光が

ウオーッと出る

それはまさに宇宙の出産だ

すがすがしい光の矢が

一直線に

わたしに射してくる

それを母の乳のように吸い込み

わたしは祈る

ああすべてが光に向かう

このひとときよ

大いなるいのちの泉よ

わたしの祈りを

遂げさせ給え

 

 

 

横田管長はこの詩を取りあげました。

「坐禅はある意味で、宇宙のいのちを呼吸して、それと一体になることです。何事にも動じない心はそこから生まれてきます。真民先生は坐禅と同じことを重信川の河原で実践しておられたのです」

 先ほど申し上げた辻光文さんも「宇宙は一ついのちのつながりです」とおっしゃっていましたが、真民さんも宇宙のいのちを味わって詩を書いていらっしゃったのです。そんなところから「南無(なむ)の祈り」のような、いのちを讃美する詩が生まれました。

 

 

生きがたき世を

生かしてくださる

南無の一声に

三千世界が開けゆき

喜びに満ちてとなえる

南無の一声に

この身輝くありがたさ

ああ

守らせ(たま)

導き給え

 

 

横田管長がさらに取り上げられたのは、次の「悟り」という詩です。悟りは仏教の大命題ですが、真民さんはごく平明なところに悟りがあるのではと言われます。

 

 

悟りとは

自分の花を

咲かせることだ

どんな小さい

花でもいい

誰のものでもない

独自の花を

咲かせるのだ

 

 

 円覚寺を預かる最高指導者である横田管長は、この詩をこう説明されました。

「人間はどうしても人と自分を見比べるものです。人と見比べて、私は評価されていないと思ったり、運がないと悩んだりしてしまいます。でも人と自分を比べて一喜一憂していたら、自分に与えられているものにいつまでたっても気づくことがありません。

そうではなく自分に与えられているものを信じて、それに磨きをかけていったならば、その人ならではのものが開花していきます。この詩は人生の生き方の非常に大切なところを衝いているような気がします」

横田管長は法話でよく真民さんの詩をとりあげ、その中に表現されている宇宙の真理、あるいは仏教の智慧を語っていらっしゃいます。

 

光田代表を救ってくれた真民さんの詩

 

私は光田代表と話ししていて、真民さんの詩が光田代表にも大きな転機をもたらしていたことを知りました。バブル崩壊のとき、光田代表は百八十億円の負債を抱えて、倒産寸前までおいつめられました。金策がどうにもならず、月末が迫ってくるのが恐ろしく、寝ていても朝が来ないでほしいと、不眠が続きました。とうとう自分の生命保険で従業員への支払いをしようと覚悟を決め、死に場所を探しました。そんなとき、友人の会社に大きな額が掛けてあるのに気づきました。

 

鳥は飛ばねばならぬ

人は生きねばならぬ

 

雄渾な字で書いてありま、それにしばらく見入ってしまいました。「これはどなたの書ですか?」と訊くと、「坂村真民という詩人の詩の冒頭です」とのことでした。さっそく書店で詩集を入手し、公園の脇に車を止めて読みました。全文はこうでした。

 

 

鳥は飛ばねばならぬ

人は生きねばならぬ

()(とう)の海を

飛びゆく鳥のように

混沌(こんとん)の世を生きねばならぬ

鳥は本能的に

暗黒を突破すれば

光明の島に着くことを知っている

そのように人も

一寸先は闇ではなく

光であることを知らねばならぬ

新しい年を迎えた日の朝

わたしに与えられた命題

鳥は飛ばねばならぬ

人は生きねばならぬ

 

 

 

 その言葉が光田代表にこだまのようにリフレインしました。

「鳥は暗黒を突破すれば、光明の島に着くことを知っている。一寸先は闇ではなく、光であることを知らねばならぬ」

 いつしか真民さんが語りかけておられるように感じました。

「生きることはあなたに与えられた使命です。生きて生きて生き抜いて、再度、再再度挑戦すれば、必ず道が開け新しい天地がやってきます。それを信じて、生きて生きて生き抜くのです。そうすればまた人さまのお役に立てる日がやってきます」

 光田社長は何も言えず、うつむいて聞いていました。

 

 三十八億年続いている〝いのち〟のバトンタッチ

 

自動車のフロントガラスの向こうには(あかね)色に染まった夕空が広がっていました。母の手を握って、夕焼けに見入っていた子どもの頃を思い出しました。母の手の温もりが伝わってきます。なつかしくて涙が頬を伝いました。夕焼けの最後の輝きが、光田代表の深い記憶を呼び覚ましました。

「母がいのちをバトンタッチして……私の中にいま生きている……。三十八億年もの永い間、いのちがバトンタッチされてきて、いま私が私の番になり、そのレースの先頭を走っている……。

私が挫けてここでいのちを断ってしまったら、三十八億年続いてきたいのちのバトンタッチが断ち切れてしまうことになる……それでいいのか? 負けるんじゃない! 戦うんだ。そして次の走者にバトンタッチするんだ!」

そう思ったら、ようやく負け犬根性が吹っ切れました。

「かあちゃん、ごめんな。おれはとんでもないことをしようとしていた。かあちゃんを悲しませるようなことはもうしない。もう一度、もう一度やりなおすよ」

そして新たな考えに気づきました。

「そうだ、いのち自体の中に〈生きようとする意志〉が組み込まれているのだ。生きて挑戦し続ければ、必ず壁を乗り越えることができのだ。念ずれば、花ひらく――真民さんが言う通り、念ずれば花が開くのだ」

 そう思ったら気が楽になり、生き延びる策を求めて奮闘しました。そんなある日、「社員や職人に呼びかけて、小口で十万円単位の株を集め、新会社を発足してみたらどうか」というインスピレーションを得て、本当の意味で「みんなの持ち株会社」を設立しました。そして会社の資材置場を利用して祭やバザーを行うなどして、地域社会に根差した会社になっていきました。

 光田代表はそれ以来機会あるごとに砥部(とべ)町の開花亭で開かれる(ほお)(あん)例会に出席し、真民さんから生きる力を頂きました。再起を果たした光田代表は、縦百七十センチメートル、横八十五センチメートルの大きな板に詩を刻み、会社のビルの壁面に、ガラスケースに入れて掲げました。これを見上げて、いつも自分を奮い立たせるためです。この看板は今では町の名物になりました。

 

 めぐり逢いの不思議に手を合わせよう

 

真民さんの詩にもう一つ大きな柱があります。「めぐりあいの不思議に手を合わせよう」
という思想です。

真民さんは四国の片田舎の高校の先生として生活をしながら詩を書いていましたが、なかなか評価されず、苦しい、辛い、寂しい生活を送っていました。そんなとき最初に真民さんを認めて大きく包んでくれたのが杉村(しゅん)(たい)()でした。詳しい経緯は拙著『自分の花を咲かせよう 祈りの詩人 坂村真民の風光』を参照していただきたいと思いますが、春苔尼にめぐり合い、真民さんの存在そのものが認められ、大きく包まれたとき、真民さんはすっかり自信を得ました。それが次の「めぐりあい」という詩に表れています。

 

 

人生は深い(えにし)

不思議な出会いだ

世尊の説かれた

輪廻(りんね)の不思議

その不思議が

今のわたしを生かしてゆく

大いなる一人の人とのめぐり逢いが

わたしをすっかり変えてしまった

暗いものが明るいものとなり

信じられなかったものが

信じられるようになり

何もかもがわたしに呼びかけ

わたしとつながりをもつ

親しい存在となった

 

 

 

 真民さんは家族を連れて別府にいる春苔尼に会いに行きました。そのときの詩「(うぐいす)」に、満面の喜びがあふれています。自信は人をまったく屈託のない自由な人間にします。

 

 

先生とお話している間中

鶯が鳴いていた

それは

天妙の楽かと思われた

朝の光が

広い庭の一葉一葉に照っていた

それは

()(がん)の国かと思われた

先生を中心にして

わたしたち親子五人

温かい御飯をいただいた

ああ それは

その聖家族の絵を思わせた(後略)

 

 

自分を全面的に認めてくれ、そのままでいいと言ってくれる人に出会うと、人は深い安堵感を持つものです。その世界に光田代表は惹きつけられ、「出会いの不思議さ」に共感しました。だから光田代表はこう力説されます。

「人生の一番大切なもの、それは人智を超えた不思議な出会いです。出逢いは人間のああしよう、こうしようという愚かな知恵を越え、もっと大きなところで展開されているようです。愚かな私も出会いの不思議さに手を合わせ、大切に生きていこうと思うようになりました。

そこで施行している現場には必ず『めぐりあいのふしぎにてをあわせよう』という真民さんの色紙を掲げるようにしました。

施主に対して、仕事をさせていただける場を与えていただきありがとうございますという感謝の気持ちを表しました。一緒に仕事をする、電気工事業者、内装業者、屋根屋など、そのときしか出会わない方々に対しても、『一緒に仕事をすることができてありがとうございます』という気持ちを表現するためです。

一敗地にまみれて、夢工房だいあんは再生しました。辻光文さんの『共に生きる』とか、真民さんの『出逢いの不思議に手を合わせよう』は、私が一番言いたかったことを見事に代弁してくれていました。会社がみなさんに喜ばれ、二十周年を祝うことができたのも、この理念のお陰です」

 

仕事は私たちを裏切らない

 

真民さんの詩にもうひとつ、「鈍刀を磨く」という詩があります。これはまさしく仕事とはこういうものではないかと教えてくれている詩です。

  

 

鈍刀をいくら磨いても

無駄なことだというが

何もそんなことばに

耳を貸す必要はない

せっせと磨くのだ

刀は光らないかも知れないが

磨く本人が変わってくる

つまり刀がすまぬすまぬと言いながら

磨く本人を光るものにしてくれるのだ

そこが甚深微妙の世界だ

だからせっせと磨くのだ

 

 

私は仕事とはそういうものだと思います。無駄なことだと言われるかもしれないが、その仕事の中に自分の誠意のすべてを込めて努力したとき、たとえ儲けは少ないとしても、しっかり見ている人がいて、あの人は本気だ、あの人は信頼できると、必ず次の仕事に結びついていくものだと思います。

仕事は手を抜いたり、そこそこに仕上げてしまおうとせずに、自分の誠心誠意のずべてを込めて取り組んだら、いつしかその人自身が光り輝くのではないでしょうか。夢工房だいあんは小なりといえども、この会社に満ちている活気はそれに由来するものだと思います。

 

「生死の境をさ迷ったお陰で、執着から逃れられました」

 

実は私は三十八歳のときに(のう)梗塞(こうそく)で倒れました。救急車で病院にかつぎこまれ、三日間人事不省に陥り、向こうの世界に行っていました。でも(えん)()大王から「まだ来るのは早い」と()飛ばされ、気がついたらベッドに寝ていました。「人に会うのが楽しい。仕事が面白い」と朝から晩まで走り回っていたのに、それが突然中断され、寝たきりになってしまったので、ショックでした。

担当の先生から、「これからリハビリに励みましょう。字が書け、歩けるようになって、社会復帰まで漕ぎつけましょう」と励まされ、第二の人生が始まりました。しかし稼げないから間もなく会社をクビになりました。養っている家族がいるのに、月々の収入がなくなる恐怖は言うに言えないものがありました。食べていけないのです。絶体絶命の淵に追いつめられました。

でもそれがよかった。

それがなかったら、私はほいほいの人生を生きていたに違いありません。脳梗塞で倒れ寝たきりになったことは、私を真剣にする、天の配慮だったように思います。

そのころ私を励ましてくれたのは、歴代宰相の師といわれた安岡(やすおか)正篤(まさひろ)という漢学者の本でした。安岡先生は人の上に立つ人々の姿勢として、こう説いておられました。

「どんな人でも一隅を照らすだけの力量を与えられてこの世に生まれてきます。自分が生きているその場所で、せめて一隅を照らそうと取り組んだら、どんな人でも一隅を照らせるようになっています。

でも最初は多くを望むのではなく、自分の持ち場で一隅を照らそうと努力するんです。それができるようになり、評価されて、今度はより多くの人とより広い範囲で仕事をするようになります。そこでも一隅を照らせるようになると、また引き上げられて、さらに広い範囲でより多くの人と仕事をするようになります。しかしながら、すべては足元の一歩から始まるんです」

それが私の励ましとなりました。闘病生活の中で書き綴った最初の本『安岡正篤の世界』(同文舘出版)がベストセラーになり、講演に呼ばれるようになりました。講演は年に百回を下らないし、毎年海外からも講演に呼ばれるようになりました。食べることができなかった当時を考えると、自分でもとても信じられません。

でも、一命を取り留めたこと以上に、感謝することがあります。それは生きるか死ぬかという大病を患って目から(うろこ)が落ちてみると、世の中には有名無名を問わず、すごい人々がおられるということでした。

それまで私は上を上をと、上ばかり見ており、人を押しのけてでも評価されたいと思っていました。でもああいうことがあって目から鱗が落ちたとき、自分の周囲に何とすごい人がいらっしゃることか、驚きました。

『法華経』に「地涌(ぢゆ)の菩薩」という言葉があります。菩薩は天から雲に乗っておごそかに降りて来られるのではなく、地から涌き出すように現れてこられるというのです。世の中にはそういう地涌の菩薩のような方がたくさんいらっしゃいます。安岡先生も「有名無力、無名有力」の話をするとき、しばしば言及しておられます。

「若い頃は誰しもが、ひとかどの人物になろうとして、一生懸命努力するものです。その努力のお陰で有名になって、大きな会社を経営するようになります。ところが時には、みんなにかしずかれるうちに、いつしか錯覚して、自分がさも偉いもののように思ってしまい、ソファーにふんぞり返って、有名ではあるけれども、内容のない人間になり下がってしまうものです。

ところが世の中には無名だけれども、知ってみれば頭が下がるような生き方をされている、有力な方々がいらっしゃいます。私も無名でも内容のある人間になりたいものです」

世の中の健全さは、無名有力な方々によって支えられています。私はそういう方々のことを書いているうちに、気がついたら六十冊にもなっていました。私は地涌の菩薩や無名有力な生き方こそが大切だと思います。

 

夢工房だいあんは「人間は捨てたものではない」という証

 

光田社長はバブル崩壊のときに大変な思いをされました。もしあのことがなかったならば人の痛みを理解することもなく、おそらく他の成功者と同じように左うちわで生活されていたでしょう。でもあのとき大変な境遇に陥ったから、目から鱗が落ちて、辻光文さんのことを評価し、あるいは真民さんに共感できるようになりました。そしてそういう出会いを得るたびに、創立理念は強く固くなっていきました。

あのバブル崩壊のとき、今では代表が命の恩人だと言われる人が、一憶三千万円ものお金を用意して、応援してくださったそうです。しかもその金の返済の目途が立っていないのに、さらに五千万円追加融資し、

「何とかこの窮地を乗り越えろ。良い勉強したと思うんだな」

と助けてくださいました。その後も、光田代表の自宅が差し押さえられ、競売になったときも、いったん入手してくださったようです。

社屋も差し押さえられて競売にかけられ、人手に渡ってしまいました。それを買い戻すとき、鍵山秀三郎イエローハット相談役やいろいろな方々が助けてくださいました。それぞれが、世の中は捨てたものではないというような行動をされたのです。それらの方々によって、会社を新生し、再出発することができました。

辻先生や真民さんが代弁してくださった「共に生きよう」や「出会いの不思議に手を合わせよう」という精神は、まさしく光田代表が追いつめられ、どうにもならない状況の中で、つかみ取ったものです。

今日はその新しいだいあんのニ十周年のお祝いの日です。夢工房だいあんは普通の会社ではなく、人々の善意の結晶であることを宣言する場になりました。夢工房だいあんが三十年目、四十年目に向けてますます繁栄し、「人間捨てたものではない」ということを表せる会社になっていくことをこころから願ってやみ
ません。

今日は二十周年のお祝いに呼んでいただき、誠にありがとうございました。


2017年10月の予定

日時 演題 会場 主催団体 連絡先担当者

10/15(日)
14:00~15:30

自分の花を咲かせよう

日向第一ホテル
天晴
日向市本町11-5
℡0982-52-8151

養心の会・日向

世話人
鈴木睦代
090-9563-4573

10/16(月)
18:00~21:00

中村天風「幸せを呼び込む」思考

崎陽軒本館6階
横浜市西区高島
2-13-12
℡045-441-8880

横浜志帥会

事務局
㈱パスポート 星
℡044-975-4800

10/21(土)
10:30~12:00

天香さんと私

一燈園
京都市山科区四ノ宮柳山町8
℡075-581-3136

一燈園

一燈園
℡075-581-3136

10/22(日)
11:00~12:30

自分の花を咲かせよう――祈りの詩人坂村真民の風光

国立女性教育会館
埼玉県比企郡嵐山町菅谷728
℡0493-62-6711

素行会

世話人
頼経健治
090-9015-9833


2017年9月の予定

日時 演題 会場 主催団体 連絡先担当者

9/10(日)
14:00~16:00

安岡正篤珠玉の言葉

佐倉市臼井公民館
佐倉市王子台1-6
℡043-461-6221

佐倉素行会

神渡
℡043-460-1833

9/14(木)
13:30~15:00

人は何によって輝くのか

ホテル メリージュ延岡
延岡市紺屋町1-4-28
℡0982-32-6106

商業界九州沖縄連合同友会

事務局
㈲ミシロゴルフ内
℡0985-22-5001

9/16(土)
10:00~11:30

詩人坂村真民と人生の知恵

丸和ビル2階
千代田区外神田2-2-19
℡03-5256-7500

日本経営道協会

日本経営道協会
℡03-5256-7500


9月2日(土曜日)の講演会のお知らせ

羽田美恵子さん主催の講演会が開催されることになりました。
以下に、詳細を記載いたします。

 

『第2回 真民詩の心を学ぶ会』        
作家 神渡良平氏

神渡先生は人はどう生きたら良いのかをテーマに執筆活動をされています。

詩人坂村真民さんについてのご本を出版されました。

祈りの詩人坂村真民の風光
「自分の花を咲かせよう」

そこで今回はこの出版記念の講演会です。
平成29年9月2日(土曜日)
9:30 開場
 10:00 ミニコンサート
     テラノホール合唱団 真民詩による曲
 10:15 神渡良平氏 講演
 11:45 フリートーク
     「皆さん一人ひとりにとっての真民さん」

□ 参加費:
 ・当日券 3000円
 ・前売券 2500円 / 講演会当日に振り込み票を
  前売り券として受付にご提示ください

□ 振込先:
 FBコメント欄にお記入後お振込くださいt
 ・ゆうちょ銀行から送金:
記号10920 番号19421711
名義ハネダミエコ
 ・他銀行から送金:
店番号〇九八(ゼロキュウハチ)
普通 口座番号1942171

詳しい情報はチラシの写真を拡大してご覧ください。

『自分の花を咲かせよう』
 
 この本の最終章はこう結ばれています。「真民さんは『生き方』を真摯に模索した人でした。そして行きついたのが 『独自の花を咲かせよう』ということでした(中略)私でなければできないような仕事を全うして、人々に『ありがとうございました。お陰さまで助かりました』と感謝されてこそ、生きた甲斐があると言えます」

真民さんの詩はお若い方の感性にピタリとはまります。

「二度とない人生」
「鳥は飛ばねばならぬ
人は生きねばならぬ」
「尊いのは頭ではなく、足の裏である 足の裏的人生を生きよう」

など何か一つの言葉を
子供さんにも受けとめて頂きたいと土曜日開催にしました。

どうぞご家族お揃いでお出かけください。

FB特別企画
親子参加の場合
親子(高校生以上)ペア
前売り4000円
小中学生お一人500円

第2回 真民詩の心を学ぶ会_1
第2回 真民詩の心を学ぶ会_1
第2回 真民詩の心を学ぶ会_2
第2回 真民詩の心を学ぶ会_2


宮城県仙台市のS.Tさんからのお便り(2017.6.12)

2017.6.12

宮城県仙台市 S・Tより    

 昨日はCDをお送りいただき、ありがとうございました。また第23回武蔵嵐山志帥塾の案内をいただき、感謝です。幸いなことに、今年は他の行事が入っていないので、早速申込みしました。

 ところで新刊『自分の花を咲かせよう 祈りの詩人 坂村真民の風光』は私にとってとても考えさせられる内容だったので、ある友人に贈呈したところ、「悩んでいる時に、見透かされたように本が届いた。じっくり読んでみる」という返事が来ました。

 また孫3人がお世話になり、今は引退されている小学校の先生にも送ったところ、「読んでいる内に涙が出ました。時間を忘れて読みふけり、気がついたら朝方になっていました」とお礼の電話が入りました。お陰さまで、ご縁が深まってまいります。先生、ありがとうございました。


東京都のM.Kさんからのメール(2017.5)

 2017年5月

 東京都 M・Kより

 

先日、神渡先生の「人は何によって輝くのか」の講演を拝聴させて頂きました。また、昨夜最新刊『自分の花を咲かせよう 祈りの詩人 坂村真民の風光』も読了し、余韻残るの中でメールさせて頂きました。

 講演当日、おみ足悪い中、会場へ登場された時、勝手に父と重ねて著作群を読んできた自分に改めて気づき、講演中は何度も感動と反省が去来しました。

 私の父は40年程前の昭和51年、38歳のときに脳卒中で倒れ、半身不随となりました。当時私は小学2年生、妹と弟はまだ6歳と3歳でした。父はその後リハビリに励んだものの、社会復帰を果たせないまま転々とし、今はリタイヤ生活を送っています。

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