神奈川県横浜市のY.Kさんより(2018.1.6)

『許されて生きる』読後感

 今年の1冊目は、神渡 良平先生の『許されて生きる』でした。この本で始まるとは……と衝撃を受けました。
 一燈園の創設者西田天香の生涯。無所得無一物に生き、世界平和は先ずは自分から謝罪することだと、その背中で生き方を示された大人物です。
 大きな災害も戦争も果ては些細な誤解ですら自分の歩みの足りなさだと謝罪なさいます。
 他者の魂を拝み、お光によって許されて生きている。いつでも死ねるという覚悟をもって、生涯一托鉢者として生き抜きます。
「人は絹衣を纏い絹の夜具で寝た途端に謙虚さを忘れる……」
 その通りだと思いました。
 また進んで貧乏くじを引く姿勢。運がいいだのラッキーなどとVサインする、自分が大バカ者だと気付きました。
 曹洞宗開祖道元に並ぶ覚醒は聴く人の心を揺さぶり、その闇の中の一燈のような生き方は見ている者の心まで温めたとあります。
 誠の「一隅を照らす」とはこのこと。誠の「利他」とはこういうことかと、一文字一文字が輝いて目に飛び込んで参りました。
 比べるべくもありませんが、自分のための衣服を買い、自分の舌を喜ばせる為に食べ、自分の寝起きの為に家を持つ私のちっぽけさに身の縮む思いです。
 せめてそんな程度の生き方に「恥」を感じよう。
 所有物とは、他者の為に使うことが出来るものをただ自分の為だけに使った単なる証拠品なのだと感じます。
 天香さんは、ヨハネ・パウロ二世を始め世界中の宗教者指導者に愛され、大きなうねりを起こしました。その一つの証でもある宮崎県にあるサンメッセ日南に3月に行けることにもなりました。
 ここには日本の神道、仏教、キリスト教などの教団が協力してつくった「地球感謝の鐘」があります。
 あらゆる宗教の壁を取り、心一つに世界平和を願い、天香さんの生き方の片鱗だけでも見習って、今年も誰かの励みになるような生き方をしたいものだとつくづく思っております。
 宮崎で大海原に向かって立つ巨大なモニュメントを眺め、心を洗って来たいと思います。


ウラジオストクのM.S.さんから届いたメール(2018.12.19)

神渡先生へ

 暖冬とはいえ、やはり寒いウラジオストクよりM.S.でございます。
 先日、日本より届いた「許されて生きる」を拝読させていただきました。
仕事と個人的関心から満州関連にかかわることも増えており、またウラジオストクに住んでいると日本国内とは違って深く、多方面に感じることがあり、感想が短くなりませんでした。
 ロシア語に翻訳して仲間に見せてあげたいくらい素晴らしい本で、日本の書籍が手に入らないウラジオストクで繰り返し読まさせていただきます。
 とりあえず1回目拝読した感想を添付させていただきます。
 先生が死ぬまでに書きたいとおっしゃられていたように、そんな思いが詰まった本でした。ありがとうございます!
 
 
(以下、感想)

許されて生きるを拝読しまして

小職は大学時代を妙心寺近くの京都で過ごし、教会に通わせて頂いたりもし、また20代は韓国人の上司のもとで4-5年、その後は上海、今ウラジオストクで4年過ごし、仕事として沿海州および満州エリアの日本人居留民史にかかわっているので、深く感じるところが多々ございました。

まず驚いたのが5ページにあった坂村真民さんの「鈍い刀が光る」の詩です。この詩は神渡先生の「自分の花を咲かせよう」から1つだけピックアップして哲学や文化を学習するロシア人グループにロシア語翻訳して披露しとても感動してもらった詩であったからです。このグループは1950年くらいから世界中に展開しているので少なくともモスクワの会員は知っています。小職がロシア語にし読んだ(モスクワの先生の誕生日プレゼント)唯一の詩でしたので、個人的にびっくりしました。

また50ページあたりから天香さんや倉田百三さんにトルストイ「我宗教」が大きく影響を与えたというのも初めて知り、全編において残虐行為を働いたとされるロシア人とロシアですが、多分に日本や日本人と近い価値観を有する部分もあることを再認識しました(残虐行為に従事したロシア人はロシア人のごく一部でその質の悪い犯罪者みたいなのが極東、サハリンに向けられたというのが実態のようです。今もその残党の雰囲気は軍人ではなく警察に感じます)早速哲学の先生に、トルストイが天香さん、武者小路実篤などを感化したことを聞いてみると、トルストイの人生自体が道の探求であったので、そのような探求者には影響を与えたかもしれないとのことでした。ただ日本の宗教者や文学者が感化を受けたのはロシア人の先生も知らないようでした。1930年のトルスタヤ女史と天香さんの出会い、京都での講演もロシア人に伝えたいと思いました。

1914年の第一次大戦後の国際連盟が上からの平和組織で、それとは違う視点で利他の心で個人の生活から争いをなくし下から平和を積み上げていくという天香さんの考えと実践は現代にも通じると感じました。

鐘紡の社員食堂の箇所を通じ感じたのは、日本の誇れるところは食べ物に感謝し、誰でも普通に掃除できるということでした。ロシアの小学校では、給食の時間でも10分くらいで掻っ込むような感じで、生産者や自然、生き物に言及することはありません。一緒に行った元小学校校長もおっしゃっていましたが、日本の学校では

給食を通じて農業や命を教えるらしいのです。また掃除は学校から会社まで、自宅以外は掃除専門員がそれを行います。子供たちも基本的に掃除をしません。小職は全く人に言えるような掃除好きでもありませんが、一般の日本人として掃除させられ育っているので、今思うとこれはとてもいい教育だと思いました。この2点は少なくともロシアが学ぶといい点ですし、ロシアの小学校先生もそれは認めています。

174ページに鐘紡の女工は文明病にかかっていない田舎娘という記載がありましたが、今でいうと北朝鮮の一般庶民からはこの部分があるような感じがし、日本人が学べる点があると個人的に思っています。

184ページの「そんなに丁寧に扱ってもらえたら、ごみ箱もうれしいでしょうね」というところですが、物にも魂が宿るような話はルンペンでなくても、大量消費の現代こそ重要な考えだなと思いました。小職も自分の生活を顧みた次第です。

217ページのカリフォルニアでの講演で「日本人にもいい人もあれば、よからぬ人もあります。・・・罪を分かち合うことです」の部分からは、加害者となった日本と被害者の旧満州、朝鮮半島、加害者となったロシアと被害者の日本の間のわだかまりを解いていくうえでも必要だと改めて感じました。100年前に天香さんがおっしゃったことですが、今こそ必要かなと思います。国家は無責任に利害を主張しあいますが、それに一般人はまどわされることなく、天香さんのようにどの国の人に対しても懺悔して下座に生きるような対応をし合えば、いい種が広がっていく気がします。日本国も戦後、日本に命、力をささげた国民を護ることはなかったので、やはり国家間のことには惑わされないようにしたいとおもいます。

294ページにある「人間は金儲けのために働かなくても、他のもために捧げて奉仕してゆけば、求めなくても必要なものは与えられる。そしてそこから世の中のあらゆる問題が解消し争いのないは平和な生活が得られる」「自分の至らないところを徹底的にお詫びし、すべてを捨てきる無所有の生活」これは現在の小職ではまったく実践できておりませんが、1つの指針として非常に感銘をうけました。

244ページの「月の光が水面で反射し・・・」の光、夜空、月、地平線の部分が、光(自分を超えた大自然、宇宙)のような存在を感じられる記述で、心が洗われました。宇宙のような視点から、人間の生活も常に眺めることができればいいだろうなと思い、そういう視点をもって小職も生きていければと思いました。

406ページの方角を示す北極星の部分は、本当におっしゃる通りだとおもいました。ロシア人が日本を尊敬するのも、他のアジア人が尊敬するのも、欧米人が尊敬するのも、日本が高貴だからだと思います。パラダイムシフトが起きている今こそ、目には見えない、でも外国が評価するこのような日本、日本人の部分を日本人として認識し、伝え、各人の生活で意識していければなぁと思います。

PS:

今回のご著書を読むのに補足的に役立った知識は、満州の事情と、満人、シナ人の使い分けの事情でした。

若い人の中には、ちょっとこの部分がわかりにくく、読みにくくなってしまうかもと思われました。

また「懺悔」の意味やなぜ「無所有」かなどは、一燈園さんのHPでわかりやすく説明されてあり、読むための助けになりました。
https://www.ittoen.or.jp


愛媛県大洲市のパン屋まことやさんから届いたメール(2018.3.25)

愛媛県大洲市のパン屋まことやさんから届いたメール

元気な頃の次家誠さん

 

ご連絡、ありがとうございました。神渡先生のお心遣いに心から御礼申しあげます。両親が守ってきた小さなパン屋まことやと「念ずれば花ひらく碑」の守役を受け継ぎ、ありがたいことに、ひとつ苦しみを越えるたびに、人生を支えていただけるご縁が生まれました。与えていただいた人生に感謝しております。

ところで父が重度の頸椎損傷で寝たきりになり、病院で伏していた時、坂村真民先生夫妻がお見舞いに来られ、「大宇宙大和楽」「活力」と書かれた2枚の色紙を父の枕元に置いて行かれました。そこには、神渡先生が紹介されていた天風先生の魂の言葉そのものが書かれていました。

私の父は現状や残された命、あるいは体の機能について、決して満足する人ではありません。仕事や病を含め、今よりも良くなるためにどうしたらよいか、そのために何が必要かと、いつも考え、努力していました。父は格言や四字熟語よりも、具体的な回復へ向かう教科書が必要だったのです。

そのために長男の私は、父が必要としている本を探し、あらゆる本を読みました。そして書店でたまたま手にとった本が神渡先生の本でした。先生の本を読んだとき、人間と宇宙の原理や摂理について書かれているこんな本があるのかと、槍で身体の髄を貫かれたような、あるいは鉄槌で脳天を打たれたような衝撃を受けました。これは決して誇大な表現で言っているわけではありません。

真民先生は詩人ですから多くを語られません。父は真民先生の詩から、高い極みに上っていける目標をいただいていました。しかしさらに具体的な方法論が欲しかったのだと思います。だから神渡先生の言葉が真民先生の詩に加わったとき、魂の目覚めがやってきたのだと思います。

父は真民先生にお見舞いしていただいた日から、不遇なわが身を恨みに思うのではなく、“大いなる存在“に感謝する気持ちに変わっていきました。その“志の教科書”になったのが、神渡先生の『中村天風の言葉』や『宇宙の響き 中村天風の世界』(共に致知出版社)でした。

わずかに動きだした指でページをめくり、毎日神渡先生の本を読みふけりました。第1章「思考が人生を創る」は圧巻でした。その中に書かれていた天風先生の言葉、

「『怒らず、恐れず、悲しまず』を実行に移さないと、自分を宇宙本体から遠ざけることになるよ。宇宙本体のなかに生きていながら、宇宙本体から受ける力を十分に働かさないとことになる」

は身に染みたようでした。また同じ章の、

「心をしっかり持って、宇宙の本質と自分との関係を確固不動のものにすると、宇宙エネルギーの受入量が多くなり、運勢が好転していくのだ」

という天風先生の指摘も納得することしきりでした。

父は天風さんの「力の誦句」をいつも愛誦していました。

「私は力だ。力の結晶だ。何ものにも打ち克つ力の結晶だ。だから何ものにも負けないのだ。病にも、運命にも、否、あらゆるすべてのものに打ち克つ力だ。

そうだ! 強い、強い、力の結晶だ」

まったくその通りです。要は自分の信念が道を開いていくんですから。

リハビリを続けて2年――歩行器にすがり、病院の廊下の端から端まで歩行ができるようになっていました。父の驚くべき回復を見て、お世話になっていた大洲市立病院の整形外科の先生が、

「ここまで回復するとは! 何がどうなっているのか、医学的にはまったく説明がつかない」

と驚かれ、他の患者さんに父のケースを話して励ましておられました。それを聞いて、父と母の顔は涙でくしゃくしゃになっていました。

私は父の励ましになるような本を探して、随分本を読みました。お陰で私もいつしか同じような宇宙観を持つようになり、大宇宙のお力にお任せすれば必ずいいようになると思えるようになり、いつのまにか腹がどっしりすわっていました。今は不思議と迷いません。

私たちはこれまでつらいことがたくさんあり、家内といっしょに涙が涸れるほど泣きました。いろいろありましたが、今から思うと私たちを育てていただいていたんだと思います。あのこともこのことも、私や家内にとって必要なことだったんだと、わが身に言い聞かせております。

私に宇宙信仰を授けてくれた親の足跡に感謝し、これからも神渡先生の本は大切に読ませていただきます。神渡先生ありがとうございました。

「まことや」二代目 次家誠一 拝

(平成30年3月25日)


宮城県仙台市のS.Tさんからのお便り(2017.6.12)

2017.6.12

宮城県仙台市 S・Tより    

 昨日はCDをお送りいただき、ありがとうございました。また第23回武蔵嵐山志帥塾の案内をいただき、感謝です。幸いなことに、今年は他の行事が入っていないので、早速申込みしました。

 ところで新刊『自分の花を咲かせよう 祈りの詩人 坂村真民の風光』は私にとってとても考えさせられる内容だったので、ある友人に贈呈したところ、「悩んでいる時に、見透かされたように本が届いた。じっくり読んでみる」という返事が来ました。

 また孫3人がお世話になり、今は引退されている小学校の先生にも送ったところ、「読んでいる内に涙が出ました。時間を忘れて読みふけり、気がついたら朝方になっていました」とお礼の電話が入りました。お陰さまで、ご縁が深まってまいります。先生、ありがとうございました。


東京都のM.Kさんからのメール(2017.5)

 2017年5月

 東京都 M・Kより

 

先日、神渡先生の「人は何によって輝くのか」の講演を拝聴させて頂きました。また、昨夜最新刊『自分の花を咲かせよう 祈りの詩人 坂村真民の風光』も読了し、余韻残るの中でメールさせて頂きました。

 講演当日、おみ足悪い中、会場へ登場された時、勝手に父と重ねて著作群を読んできた自分に改めて気づき、講演中は何度も感動と反省が去来しました。

 私の父は40年程前の昭和51年、38歳のときに脳卒中で倒れ、半身不随となりました。当時私は小学2年生、妹と弟はまだ6歳と3歳でした。父はその後リハビリに励んだものの、社会復帰を果たせないまま転々とし、今はリタイヤ生活を送っています。

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