月別アーカイブ: 2015年8月

D・K先生のお手紙

 8月10日、鳥取県道徳教育研究大会に呼ばれ、「下坐に生きる」と題して講演しました。140数名の小中学校の先生方が夏休みを押して駆けつけ、熱心に聴いてくださいました。その折、鳥取空港まで出迎えてくださり、車中いろいろ話をしたD・K先生がお手紙をくださいました。それを披露します。
 
 残暑お見舞い申し上げます。ご丁寧に残暑見舞いのお手紙をいただき、ありがとうございました。神渡先生からお手紙をいただけるとは思ってもいなかったので、感激しました。
 先日の道徳研究大会では貴重な講演を聴かせていただき、発奮しました。講演はもちろんですが、私にとっては車中の1時間も最大の学習の場でした。私が読書を始めるきっかけになった本の著者である神渡先生と出会え、話ができたことは、私の人生の中での大きな出来事でした。 
 もうすぐ夏休みが明け、子どもたちと学問に励むことができます。私が神渡先生に会って発奮したように、子どもたちの可能性のスイッチを押してやれる教師でありたいと思っています。今後も神渡先生の本から学ばせていただき、それを子どもたちに伝えたいと思います。
 車中、少し話しましたが、私の学級での教育活動のまとめをお送りします。昨年の研究大会で発表したものです。ご笑覧いただければ幸いです。心からの感謝を込めて。
 平成27年8月18日
 
 K先生の詳しいレポートを拝見し、毎朝論語を素読し、すくすく成長している子どもたちの様子が手に取るようにわかりました。ここにも地涌の菩薩様がいらっしゃいました。

辻光文さんのこと

『苦しみとの向き合い方 言志四録の人間学』に書いた辻光文さんのことが随分話題になっているようです。光文さんは車いすの生活になってしまわれましたが、高槻市に元気にお住まいになっています。辻光文さんを知って取材し、心を打たれたのは、光文さんが子どもたちの魂に手を合わせて祈るようになられたことでした。すると荒れていた子どもたちが穏やかになり、落ち着いてきたのです。そこで光文さんは気づきました。子どもたちにレッテルを貼って、みほとけの慈悲が届いていたのを遮っていたのは自分だったと! 以来、光文さんは人を教育しようとか、しつけようとかしなくなりました。それぞれの持ち味が存分に伸びるよう、後押しをされました。それで光文さんの学寮はおだやかな学寮として知られるようになりました。光文さんが阿武山学園をやめられて、高槻市にお住まいになると、子どもたちは折につけて「結婚しました」「子どもが生まれました」とお宅を訪ねてくるようになりました。光文さんは自宅を「えにし庵」と名付けて誰もが訪ねてこれるようにされました。「いのちは一つつながりでした。自分と他人を分けていたのは、私がまだまだ本当のいのちの実相に気づいていなかったからでした」とおっしゃる光文さんに私は「地涌の菩薩」を見た思いがしました。


2015年10月の予定

日時 演題 会場 主催団体 連絡先担当者

10/19(月)
18:30~21:00

中村天風「幸せを呼び込む」思考

横浜崎陽軒
6階2号室
横浜市西区高島
2-13-2
℡045-441-8880

横浜志帥会

横浜志帥会事務局
㈱パスポート
粟田
℡044-975-4800

10/21(水)
15:30~17:00

人は何によって輝くのか

ホテルメトロポリタン山形
山形市香住1-1-1
℡023-628-1111

山形県倫理法人会

山形県倫理法人会事務局
℡023-647-5582

10/24(土)
9:45~11:15

フィンドホーンについて
ゲスト寺山心一翁

アカデミー茗台
文京区春日2-9-5
℡03-3817-8306

照隅会

照隅会事務局

℡090-2755-5402


2015年9月の予定

日時 演題 会場 主催団体 連絡先担当者

9/5(土)
14:00~17:00

下坐に生きる

日向商工会議所
1F
日向駅徒歩1分
℡0982-52-5131

養心の会日向

鈴木
℡090-9563-4573

9/12(土)
10:00~11:00

輝く企業家になるために グランドヒル市ヶ谷
新宿区市谷本村町
4-1
℡03-3268-0111
日本経営道協会

日本経営道協会
℡03-5256-7500

9/13(日)
14:00~16:00

佐藤一斎『言志四録』を読む 佐倉市臼井公民館
佐倉市王子台1-6
℡ 043-461-6221
佐倉素行会

神渡
043-460-1833


読者からのメール 2015.7.30

人々の道案内の役目を果たしたいと思って筆を執っていたら、いつの間にか67歳になっていました。あと何年筆を執れるかわかりませんが、私のモットーとして受け継いだ芹沢光次良(こうじろう)先生の言葉「文学はもの言わぬ神に文字を与えることである」を肝に銘じ、頑張りたいと思います。
 先日も読者から身につまされるメールをいただきました。こんな真剣な生き方をされている方がいらっしゃるんですね。彼女と2人のお子さんの上に祝福があるよう祈っています。
(以前にご紹介したお母様です。)

以下、今回のメールです。

 神渡先生、こんばんは。『苦しみとの向き合い方 言志四録の人間学』に載った辻光文先生についての文章を読ませて頂きました。ただただ、涙が流れました……。人の為に、ここまでできる方がいらっしゃるということに驚き、感謝の気持ちでいっぱいになりました。光文先生の「生きているだけでいけませんか」の詩に、重度の障害を持つ次女を重ね、涙が止まりませんでした。健常者の長女を産み育てていた時は、少しでも人の役に立つ子に成って欲しいと願い、月刊「致知」の教育についてのページをいつも楽しみに、そして真剣に読んでいました。長女に対する期待と、そして親となった自分のさらなる成長を願って、精一杯頑張っていました。

でも、次女の障害がわかると、「少しでも人のお役に立ちたい」という私の価値観が揺らぎ始め、次女を否定しました。この子は生きていて何の価値があるのだろうか?

人の役に立つどころか、一生人のお世話になって生きて行かなければいけない子……。そんな子を育てることに価値があるのだろうか? 産まなきゃよかった……。この子さえいなければ……私は幸せだった……などと、思い悩みました。以前頑張っていた分だけ、次女を否定してしまったのです。次女を育てることについて、価値が全く見いだせませんでした。

以前の私は幸せの日々の中での、しょせんきれいごとにしか過ぎなかった……と滑稽にすら思えました。

先生は、私がどんなことを思い、何を求めていたかがお分かりになるのでしょうか?

私は光文先生の「生きているだけではいけませんか」の詩に合いたかったのだと思いました。詩の中で光文先生が問いかけておられたように、私は人の役に立っているという思いの中に、いつしか傲慢な思いがひそんでいたのです。生きていて人に迷惑をかけない人っていやしないのに、そのことを忘れていました。

第一子に健常児で健康な子どもを授かったことを、ごく当たり前のことだと思い、感謝していませんでした。でも光文先生に「生きていて、人に迷惑をかけない人ってありますか?」と問われてハッとしました。そのことに気づかせていただいて、感謝の気持ちでいっぱいです。

 これからは、もっともっと次女のいのちの輝きを見ていきます。

生きていることは素敵なことなのですね。それだけでいいのですね。

今は眠っている二人の娘にたくさん感謝したいと思います。先生、ありがとうございました。明日もニコニコ笑顔で過ごして行きたいと思います。おやすみなさい。

(2015.7.30 )