東京都 Y.O様からのお手紙 (2015.10.10)

 拝啓 お手紙ありがとうございました。それに同封していただいた、いろいろな方々からの不思議にやわらかいメールやお手紙もありがとうございました。何度も拝読いたしました。

 私は病気のため、27歳で死を前にしたとき、目に見えない、大きな存在に語りかけていただいたことがあります。その時の静かな感動がよみがえってまいりました。生きていては邪魔だとたらいまわしされた言葉の嵐の中で、その存在との語らいだけがたった一つ生きる力でした。その後、看護婦として働くようになり、いつの間にか、寝たきりの方々のお世話をするようになりました。

 老人病院、救急病院やホスピスでの夜勤は17時間労働で、過酷です。明け方4時ぐらいから、洗面、おむつ交換、体位交換など、忙しい時間が始まります。私の担当の中に、死体置場と呼ばれる部屋があります。何一つ声を発することができず、食と排泄だけの方々が入院されている部屋です。

 その日は早朝だというのに、私は昨夜からの疲れで、次にする仕事のことしか考えることができないほど、疲れ切っていました。死体置場と呼ばれている部屋に入ろうとした時、朝日が差してきました。かつて死に直面していた頃の私と同じように、生きている価値がないとさげすまされ、丸太棒のように寝たきりでいる方々にも等しく、朝日が当たりました。その瞬間、尊いいのちがこれらの方々にも宿っていると教えられました。

 私はそれまでこの人生がいいのでは、あるいはあの人生がいいのではと選り好みしながら、失敗してきたと思っていました。そんな私に比べ、この方々は与えられたいのちをそのまま受け入れ、精いっぱい生きていらっしゃると思われたのです。私は光の中で動けなくなり、涙をぽろぽろ流しながら手を合わせていました。

 私は重い小児麻痺の障害のある夫と結婚しました。ところが夫の家族からは、父親が借金を残して出奔したという引け目があるから結婚したと陰口されました。子どもを授かったとき、私は妊娠中毒症から重い慢性腎炎にかかってしまいました。ところがそれも病気を隠していたに違いないとそしられました。2年あまりハリ治療に通いましたが、針のむしろに坐っているように辛い毎日でした。そんなふうに否定され続けた毎日でしたから、その朝の光に照らされたとき、全部受け入れてくれる存在があると確信したのです。

 今日、同じ病気で苦しんでいる仲間から、ご著書『苦しみとの向き合い方 言志四録の人間学』を頂戴しました。帰りの電車の中で夢中になって拝読しました。途中でふと目を上げると、さわやかなやさしい風が吹きわたっていました。ここに今立っているのは自分の力ではない、貴いご意志のお陰だと心底思いました。これまでのいろいろな体験も、忘れがたい道のりも、貴い天のメッセージだと思えました。

 私は今からやろうとしていることが、あまりにも大きくのしかかり、つぶれそうになっていました。過去のことが許せず、自分の思いに狂っている時もありました。けれどもその道のりはみんなみな天のプレゼントだと思うことができました。これでスタートラインに立つことができる気がします。

 私の友人たちに、この『苦しみとの向き合い方』をプレゼントしたいと思います。お手数ですが、5冊お送りいただいてもよろしいでしょうか。心からの感謝を込めて。

 平成27年10月10日

東京都 Y.O