中村天風「幸せを呼び込む」思考 神渡 良平著 講談社+α新書 - 一 「ありがとう」という魔法の言葉

桑原健輔さんの抜粋の第1回目です。

中村天風「幸せを呼び込む」思考     神渡 良平著  講談社+α新書

 

天風さんが修業されたヒマラヤの写真
天風さんが修業されたヒマラヤの写真

一 「ありがとう」という魔法の言葉

 

  「感謝と歓喜の感情は、宇宙霊に正しい力を呼びかける、最高にして純なる合図ともいえる。

 否、それは、我々の運命や、健康や、成功などを建設し、または成就してくれる、造物主の力の流れを、命の中に導き入れる”筧”のようなものである。だからこそ、何事にも感謝せよ、歓喜せよというのである」(『運命を拓く』中村天風著 講談社)

 

 自分を活かす肝腎な知識はゼロ

  言葉というもの、もっと言えば、言葉を発する以前の、私たちの頭の中で考えていることが、私たちの人生にどれほど大きな影響を与えているか、私たちはまだそのことに気づいていないようである。中村天風自身が、

「私は『言葉』というものがそんなに重大な影響を持っているものとは少しも知らなかった」と述懐しているように、昔は平気の平左で悪口雑言も使っていたようだ。だからこそ肺結核という疫病神を自ら招いてしまい、生死の境をさまようことになってしまったのだ。

 しかし、絶体絶命の状況に追い込まれ、何とか生きようともがいたので、ついにヨーガの導師カリアッパ師に出会い、その許で修行して、言葉の持つ重大な影響に目覚めた。その目覚めのくだりを『運命を拓く』(講談社)に書いているので、それに準拠して述べよう。

 

 ある朝、カリアッパ師と天風が問答している声が聞こえてきた。

「わしが毎朝お前に今日の調子はどうだいと聞くと、必ずお前はあんまり具合は良かぁありませんと言うなあ。そう答えて楽しいかい」

 すると天風は情けない声で答えた。

「いや楽しくはありません。こういう病を持っていますから、朝快い気持ちで目覚めたことはありません。今朝も微熱があり、体全体がけだるく、頭が重たいんです」

 するとカリアッパ師のつぶやくような声が聞こえた。

「そういうことを言って、お前は気持ちが良いか。どうなんだ」

 今朝グルはやけに突っかかるように、同じことを訊いてくる。

「気持ちは良かぁありませんが、事実がそうですから」

 と再び答えると、

「そうかねえ、お前は相当アメリカやヨーロッパで学問をしてきた人間だと聞いていたが、自分を活かす一番肝腎な知識はゼロだな」

 という答えが返ってきた。これは聞き捨てならない。カリアッパ師の真意を探らなければいけない。そこで、「それはどういう意味ですか」と訊いた。するとカリアッパ師は天風をギラリと睨んで答えた。

「お前は自分が使っている言葉によって、自分の気持ちが駄目にされたり、あるいは鼓舞されたりするということが全然わかっていないと言ってるんだ」

 

 潜在意識を通して人生を左右する

  それには反論する何ものもなかった。カリアッパ師は嚙んで含めるよう言った。

「我々人間だけが造物主によって便利な言葉を与えられている。その言葉が積極的に表現されたときと消極的に表現されたときとでは、人々の意識が受ける影響には非常に大きな差があるのだ。

 先ほどのように、今日は頭が重たいとか、熱があるとか言っているときは、気分はよくないだろう。今日は嬉しい、楽しい、ありがたいという言葉を言ったときには、何ともいえない快さを感じるだろう。何がそう感じさせているのか、お前はわかるか?」

 お互い白刃で斬り結んでいるような真剣さがあった。長い沈黙の果てに、グルは口を開いた。その口元を天風は食い入るように見つめた。

「お前の顕在意識がそう感じているんだ。それが直ちに潜在意識に伝わって、自律神経が影響される。つまりお前の健康状態は、お前のしゃべっている言葉の良し悪しに影響されているんだ」

 言われていることはわかる。でも確かめておきたいことがある。天風は素朴な疑問をぶっつけた。

「しかし、本当に具合が悪いときでも、具合が悪いと言っちゃいけないんですか?」

 そう訊くと、カリアッパ師の眼光はさらに鋭くなった。

「じゃあ訊くがな、具合が悪いとき、具合が悪いと言って治るか?」

「治りゃしませんが、やはり痛いときは痛いと言いたいのが人情でしょ」

 対話は核心部分に入りつつある。カリアッパ師は居住まいを正した。

「痛いとき痛いと言うのがいけないんじゃないんだ。痛いときは痛い、痒いときは痒いと言うのは当たり前のことだ。それは言ってもいい。だが重要なのは、そう言った後のことだ」

「それはどういうことですか?」

「お前は、今日は頭が痛いとか、どうも熱があるますとか言っている言葉の後に、たとえ言葉に出さなくても心の中で、何とも言えない嫌な気分だなどと思っているだろう。つけ加えなくてもよいことをしょっちゅつけ加えている。

 そして体によくない状態が現れてくると、今度はそれを元にして、もっと悪くなりはしないか、死にやしないかと過大にくよくよ悩んでいる。わしはそれがいけないと言っているのだ」

「でもそうは言っても、普通の人間はたいていそうでしょう」

 天風がそうぼやくと、カリアッパ師は一喝した。

 

  魂の夜明けがやってきた

わしは普通の人間のことを言っているんじゃない! わしのアシュラムに来て、毎日修行し、真理を探究していること自体が、普通の人間じゃないことを示しているんだ!

 まだお前は自分が普通の人間だと思っているのか! 普通の人間はお前のように覚醒を求めて格闘するようなことはしちゃいない。残念ながらあまり意味のない世事にせわしく動き回り、語っている言葉をやたらと汚し、自分や他人の運勢を悪くしている。

 真理を探究している人間がそういうように嘆くことは非常に恥ずかしいことで、自分を侮辱していることになる!

 お前はもう少し賢明だと思ったが、そんな風じゃ、あんまり賢明じゃないな・・・」

 そう言われたとき、天風は心底恥ずかしいと思った。

 そこから言葉に対する追究が始まった。寝ても覚めてもそのことを考え続けた。そしてとうとう大悟に至り、すべてがはっきり見えるようになった。

「私はいろいろ学問して普通の人よりも知識があるもんだから、人生に関する理屈をぺらぺらしゃべっているだけで、言っているそばから自分の言っている理屈に自分が苦しめられていたんだ。それがわかってくると、自分ながらあんまり利口じゃないなあと思ったよ」

 『聖書』でも屁理屈をべらべらしゃべるだけの軽い人間を、騒がしい鐃鈸(宗教儀式に使う二枚一組の円盤状の銅製打楽器。シンバルに似ている)にたとえてているが、天風は自分がその類いの人間でしかなかったことに気がついた。

 かくして天風に「魂の夜明け」がやってきた。

 それからの天風は天馬空を行くような状態になった。それはまさに言葉の威力に目覚めたからだった。言葉はそれほど私たちの人生を左右するのだ。

 

 愛と許しの念波を送る

  その言葉の重みを知っている人がいる。ハワイ州立病院精神科の元カウンセラーで、知的障害者ハワイ協会事務局長を務めるイハレアカラ・ヒューレン博士である。ヒューレン博士は千年の昔からハワイに伝わる伝統的な心理療法であるセルフアイデンティティ・ホ・オポノポノを広めるため、セミナーを開き、普及に努めてきた。

 そんなことからヒューレン博士はハワイにある犯罪を犯した精神障害者を収容する施設の立て直しを依頼され、五年間、心理カウンセラーとして勤めることとなった。

 この施設は犯罪を犯したが責任能力がないと診断されて無罪になった人々を収容し、精神病の治療をして社会復帰させる目的で造られていたが、事実は精神病院を兼ねた刑務所だ。いくつもある出入り口は鍵を開けて出入りするようになっており、所々に監視カメラが設置され、厳重に警戒されている。週に一、二度は大きな騒ぎが起きており、施設内に入ったら、職員でも常に壁を背にしていなければ危険なほどだった。

 そのため、収容者が暴れないように大量の薬を投与し、手錠と足枷でベッドにしばり付ける処置がとられていた。施設の関係者は誰一人として、収容者を早く治療して退院させようとは考えていなかった。

 施設内ではどんな植物も枯れてしまい、風紀は極めて荒んでいた。職員は長続きせず、無断欠勤のあげく退職していった。施設の運営者は職員の定着率が悪いので悩んでいた。そんな状態だったから、施設は崩壊の危機に瀕していた。

 ヒューレン博士は着任すると、自分のオフィスで収容されている人々のカルテを見ながら、一人ひとりの名前をあげて、こう言い続けた。

(私の中の何が、あなたに罪を犯させてしまったのですか。ごめんなさい。許してください。許してくれてありがとうございます。あなたを心から愛しています)

 ホ・オポノポノではこうしたことを「 クリーニング」と呼んでいるが、それは愛と許しの念波を自分自身に送ることで、過去の悪い記憶を消し去っていく作業だ。こうして徐々に愛の波動が収容者を包んでいった。

 

 「すべては私の責任です!」とお詫びしよう

 最初の頃、ヒューレン博士は身長二メートル、体重百五十キロもある大男から、

「俺はお前を殺すことだってできるんだぞ」

と脅されたこともあったが、何ヶ月か経つうちに収容者が落ち着いてきて、薬の量を減らせるようになった。施設内の移動も手錠を外してできるようになった。

 荒れていた施設が変わっていくにつれて、植物も元気に育つようになった。その結果、それまで収容者が出所を認められるのに平均六年かかっていたが、平均二年で出所できるようになったのだ。

 ヒューレン博士は、私たちがついついやってしまっているけれども、とても重要なことについてこう指摘する。

「この世の中には、4種類の人がいます。エニバディ(anydody)、エブリバディ(everybody)、サムバディ(somebody)、ノーバディ(nobody) 4種類です。(中略)

 その仕事は誰でも(エニバディ)できるものでしたから、誰か(サムバディ )がやるだろうと思って誰も(ノーバディ)しませんでした。みんな(エブリバディ)誰かがやってくれるだろうと思っていたのです。

 誰でもできることを誰もやらなかった結果、みんなが人を責めるだけで終わってしまいました。

 このように、みんな自分の問題だと考えないで、そのままにしてしまっています。でもどこかで一〇〇パーセント自分の責任だと考える人がいなければ、問題は何ひとつ解決しないのです」(『みんなが幸せになるホ・オポノポノ』I・ヒューレン著 徳間書店)

 ヒューレン博士は収容者のことを一〇〇パーセント自分の責任だと考え、四つの言葉を言い続けていったので、施設の雰囲気が和んでいき、収容者は自責の念から解放されていった。

 こうして施設の改善の効果が着実に上がったので、セルフアイデンティティ・ホ・オポノポノの手法が注目されるようになり、日本でも知られるようになった。

 ヒューレン博士はテレビ・ラジオのインタビューや講演などでこう訴える。

「このことを早く多くの人たちに気づいてほしいのです。一人ひとりが気づかないと、そのグループもコミュ二ティも国も地球環境もすべて駄目になってしまいます。人を責めるところからは何も生まれないどころか、相手も自分も破滅してしまうのです」

 ホ・オポノポノの手法は個人を救うだけでなく、社会も国家も救うのだ。

 

 ホ・オポノポノの「四つの言葉

 このヒューレン博士が紹介しているヒーリング方法ホ・オポノポノに激しく共感したアーティストがいる。一九六〇年代、フォークソングで音楽に目覚め、慶應義塾大学の学生時代に「ザ・ニュー・フロンティアーズ」を結成し、一世を風靡した瀬戸龍介さんだ。

 瀬戸さんは七十年代、「ザ・ニュー・フロンティアーズ」を率いて渡米し、「イースト」と改名して音楽活動を続けた。そしてまったく無名のバンドがメジャー・レーベルのキャピトル・レコードと専属アーティスト契約を結び、日本人アーティストとしては初めて、全世界同時にアルバムを発売するまでになった。

 その後、平成八(一九九六)年帰国し、活動の場を日本に移して、かねての念願だった自分自身のレコード会社「ギャラクシーミュージック」を設立し、経営と音楽活動の両方を続けた。

 平成十九(二00七)年の初め、元「イースト」のメンバー森田玄さんが、

「すごいニュースがある!」

と興奮して、ヒューレン博士がハワイの施設で起こした奇跡のような出来事についてメールを寄こした。それを読んで瀬戸さんはホ・オポノポノの内容に驚き、大いに共感した。そうこうするうちに、ヒューレン博士の講演会がロサンゼルスで開かれることを聞きつけ、二人でロサンゼルスまで聴きにに行こうということになった。

 ところが生憎その日がお嬢さんの花世さんのコンサートの日と重なってしまったため、瀬戸さんは行かれなくなり、森田さんだけが聴きに行った。

 講演から帰ってきた森田さんに瀬戸さんが飛びつくように話を聞き、探し求めたものにやっと巡り会えたと、心の底から感動した。

 ホ・オポノポノのメッセージはとてもシンプルだった。

「ありがとう。ごめんなさい。許してね。愛しています」

ただそれだけを唱えると、さまざま なトラブルが、雲散霧消していくというのだ。

 そこで瀬戸さんもこの四つの言葉を自分自身にいってみた。するととても不思議な感覚になり、これで大丈夫という気がした。理由はまったくわからない。でも魂の奥底から安心し、何か温かいものを感じたのだ。ヒューレン博士は言う。

「懐中電灯の光がさえぎられることなく、自分に届いている状態を想像してみてください。これが『大いなる意思』からの光が自分にそのまま届き、目の前の現実にもトラブルがない平安な状態です。

 ところがこの光と自分の間に手のひらをかざすと影ができますね。この手のひらに当たるものが私たちの記憶、できている影が目の前のトラブルに当たります。『大いなる意思』から届く光をさえぎっている手のひらがあるかぎり、いくら影をなくそうとしても影は消えてなくなりません。

 ところが『ごめんなさい』『許してね』『ありがとう』『愛してます』の四つの言葉で私の悪い記憶を消していくと、光をさえぎっている手のひらが消えて光りが届くようになり、トラブルも消えていくのです。『大いなる意思』からの光がそのまま受け取れるようになれば、自分が問題だと思った現実が解消していくのです。『愛しています』の言葉は前の三つの言葉『ごめんなさい』『許してね』『ありがとう』全部を含んでいるといえます」

 

 Ho’ opono  pono Song」の誕生

 平成十九(二〇〇七)年九月十八日、瀬戸さんは東富士五湖道路を御殿場に向かって愛車を走らせていた。雄大、かつ荘厳な富士山が右側の窓から見え、心の中で思わず合掌した。するとその瞬間、瀬戸さんの口をついてメロディが流れ出した。

 I’m sorry! please
forgive me! I thank you! And love you!

 素晴らしいメロディだった。富士山に祀られている木花之佐久夜毘売命から地球人類へのプレゼントのように思えた。瀬戸さんは自宅のスタジオに帰ると、さっそく楽譜に書きとめた。

 それから二ヶ月後の十一月、ヒューレン博士の来日講演が決まると、まず博士に聴いてもらいたかったので、レコーディングに入った。するとそこにスーザン・オズボーンが日本公演のために来日したのだ。

 渋谷で行われたスーザンのコンサートに出かけた瀬戸さんの家族は久しぶりの再会に抱き合って喜び合った。コンサートのあと、楽屋を訪ね、

「今、レコーディング中なんだけど、いっしょに歌ってほしい歌があるんだ」と、ホ・オポノポノポノ思想と歌のことを話すと、「もちろん!」と賛成してくれ、曲作りに参加してくれたのだ。

 スーザンは長野パラリンピックの閉会式で歌を歌ったり、「千の風になって」を英語の原詩で歌っていることでも知られている声量豊かな歌手である。こうしたヒーリング系の歌を歌わせたら、右に出る者はいない。

 瀬戸さんスーザンの関係は、その三年ほど前、スーザンが花世さんの渋谷でのライブに来てくれたことから始まっている。その後、瀬戸さんの青山の自宅でセッションをしたりする仲となった。

 瀬戸さんとスーザンと花世さんはそれぞれ別の日にレコーディングしたのだが、出来上がってみると、どんなに打ち合わせをしてもこれ以上の出来はないと思えるほど、息がぴったりあっていた。

 今や国民的詩人となった感がある相田みつをさんが、こういう詩を書いている。

 

あなたにめぐりあえて

ほんとうによかった

ひとりでもいい

こころから

そういってくれるひとがあれば

 

 三人の歌声はそんなメッセージを私たちに届けてくれた。瀬戸さんは思わず神様に、「ありがとうございました!」と手を合わせたのだった。

 瀬戸さんは出来上がったばかりのCDを持って、来日したヒューレン博士に会いに行った。博士は、「これぞホ・オポノポノの神髄だ!」と喜び、祝福してくれた。

 瀬戸さんはヒューレン博士の著書『みんなが幸せになるホ・オポノポノ』(徳間書房)に寄せた一文にこう書いている。

「いまの地球の人類にもっとも必要なことそのものであるホ・オポノポノ。一人でも多くの人たちが日々これを実践したら、あっという間に素晴らしい地球に変わること間違いなしだ。もちろん、戦争も、飢餓も、不平等も、温暖化も消えてなくなる」

 いま瀬戸さんのCD「Ho’ opono
pono Song
」は、インターネットで書籍やCDを販売しているアマゾンのニューエイジ部門で二位に入っている。

 

 第十四回武蔵嵐山志帥塾でのこと

 私は毎年十月、埼玉県の武蔵嵐山で開かれている武蔵嵐山志帥塾に参加している。昨年(平成二十年)十月十一日~十二日は第十四回だったが、約五百名の人たちが参加した。会場の国立女性教育会館には三百五十名しか泊まれないので、あふれてしまった百五十名は都内のホテルに宿泊して電車で通ってもらわなければならないほど盛況だった。

 この集いで今回私は「笑顔に開く天の花」と題して講演した。何があろうとも、人智を超えたところで行われる神の配慮を甘んじて受け入れ、そこでベストを尽くしていけば、道は必ず開けるというメッセージだ。笑顔は受け入れていることの象徴で、まさに天の花そのものである。

 講演の後半、私はヒューレン博士の話をし、和解をもたらすものは「ありがとう。ごめんなさい。許してね。愛しています」の言葉だと話し、CD[Ho’ opono
pono Song
]を聴いてもらった。

 私はかねがね、それぞれの宗教の役割は、持てる者と持たざる者、日の当たる者と日の当たらない者の間を取り持ち、和解させることにあると思っているが、そのエッセンスがホ・オポノポノである。この言葉でどれほど魂が和らぎ、癒やされていくかわからない。

 瀬戸さん、スーザン、そして花世さんの三人が交互に、「ありがとう。ごめんなさい。許してね。愛してます」と歌う歌声が聴衆一人ひとりの心にしみていった。歌の途中で目頭を押さえている人もいた。そして聴き終わったとき、万雷の拍手が湧き起こった。

 私は確かな手応えを感じて嬉しかった。

 

 心の汚れやモヤモヤが消え去る

 その聴衆の一人で、横浜から参加した名手志津加さんがこんな感想を述べている。

「今回初めてホ・オポノポノの歌を聴きました。歌声が心に静かに染みこんできて、いつしか幼子に返り、大いなるものに抱かれているような、ゆったりした気持ちになっていきました。そして『私は受け入れられ、許されている!』と感じ、涙がこぼれるのです。

 そのうちに『許してね』と言われると、『いえ、いえ、私の方こそ・・・。こんな至らない私を許してください』と答え、とても素直な気持ちになってきました。頬を伝う涙で心が洗われ、深く深く癒やされました。歌を聴いて涙を流したのは久しぶりのことでした」

 名手さんが、いっしょに武蔵嵐山志帥塾に参加した友達に、「あのCDを共同で購入するけど、あなたも買う?」と呼びかけると、みんな「私も」「私も」と返事して、あっという間に二十三枚頼まれたという。

「それに骨折して入院している友達や、落ち込んでいる友達、あるいは人生の岐路に立たされている友達などにも贈りました。今もっともこれを必要としているのではと思ったのです。すると電話がかかってきて、『泣けて泣けてならなかったわ。私が今この言葉をどんなに必要としていたか、よくわかったわね』と驚き、喜んでくれました。わかってくれる人に出会ったら、生きる勇気をいただきますよね。私も少しは人のお役に立てたようでとても嬉しかったです」

 また大阪府堺市に住む永富康修さんから次のようなメールが入った。

「先日、職場で社長の奥様が作業しながら、ある曲を聴いておられました。心に染み通る歌だったので、『何の曲で、誰が歌っているんですか?』と尋ねると、『友達から贈られたの』と言われ、CDは『Ho’ opono
pono Song
』、アーチストは瀬戸龍介さん、花世さん、そしてスーザン・オズボーンさんだと教えてくださいました。

 実は先生のホームページでこのCDのことを知り、申し込もうと思っていたところでした。それにヒューレンさんのことは雑誌で知っていたので、余計嬉しく思いました。

 このCDを聴いていると、心の汚れやモヤモヤが消え去っていくような気がして、思わず涙が出そうになりました。そこで数枚レコード店に申し込みました。お世話になった方々に贈ろうと思います」

 永富さんもこみ上げてくるものがあったようだ。

 この曲には確かに心の奥深い所に触れるものがある。だから聴いた人はみんな友人に贈ろうと思うのだ。本当にいいものをリリースしてもらったものである。

 冒頭に引用した天風の言葉のとおり、感謝と歓喜は造物主のエネルギーを自分の命へ導き入れる”筧”である。何があろうとも、感謝と歓喜で受け止め、健康で、前向きで、建設的な人生を築いていきたいものである。