中村天風「幸せを呼び込む」思考 神渡 良平著 講談社+α新書 - 三 宇宙エネルギーを活用する

桑原健輔さんの抜粋の第2回目です。

中村天風「幸せを呼び込む」思考     神渡 良平著  講談社+α新書 

 

天風さんが修業されたヒマラヤの写真
天風さんが修業されたヒマラヤの写真

三 宇宙エネルギーを活用する 

 

  「『我、いずこよりきたり、いずこに行かんとす。何のためにこの現象世界に人間として、生まれ来しや』

 考えて、考えて、考えつくまで半年かかった。しかし考えていくうちにだんだん魂の夜明けがきた。そしてようやく、宇宙の根本主体の持っている働きの方から人間を考えてみようという考え方が出てきたのである。

 人間それ自身の存在だけを考えると、いかにも哀れな、不幸なものに感ずることもあるが、宇宙の根本主体の持つ幽玄微妙な働きと、人間の生命との関係を考えると、これは大変な見当違いから生み出された間違いだと気付いたのである」(『運命を拓く』中村天風著 講談社)

                                                               

  天風の懊悩と悟り 

 肺結核という不治の病にかかり、病気治療のために行った欧米で万策尽き果て、もう日本で死のうと思い定め、マルセイユから船に乗った天風は、カイロでカリアッパと名乗るヨーガの行者に出会った。その詳しい経緯は拙著『宇宙の響きーー中村天風の世界』(致知出版社)で述べているのでここでは繰り返さないが、瀕死の状態にあった天風は直感した。(この人はおれがまだ知らないものを知っている! ひょっとするとおれの病を治せるかもしれない!)

 そこで天風はそのままカリアッパ師について行き、ヒマラヤの第三の高峰カンチエンジュンガの山懐ゴルゲ村にあるアシュラム(道場)で修行した。

 修行のかたわら、人生の根本命題について、天風の自問が続いた。

 ーー秩序と均衡のとれた宇宙の根本主体の働きによって支配されたこの現象界に生み出されたものの中で、一番優れた存在である人間が、この世の中に苦しみにきたと思うのが間違いではないか。 

 人間はこの世にぜいたくをしにきたのでもないし、病をわずらうためにきたのでもない。宇宙の根本主体が人間以外にはできないことをさせるために、人間をこの世に遣わしたのではないか。

 人間は他の生物にない力を与えられているから、万物の霊長であるに違いない。

 その模索の末に、ついに思い至った。

「宇宙は今なお生成化育しており、宇宙の根本主体の人間にたいする願いは、進化と向上に寄与することではないか!」

 そう思うと、歓喜が押し寄せ、体が震えた。

「人間はそれ自身、この宇宙の創造を司る造物主と称する宇宙根本主体である宇宙霊と自由に結合し得る資格をもっている! と同時に、造物主と共同活動を行う一切の力が与えられているのだ!」

 つまり人間が与えられた人生を最高に生きるためには、宇宙霊のエネルギーを自分の中に流入させ、自分の力を百倍にも千倍にもする必要があるのだ。

 それを確信したとき、天風は「天馬空を行く」がごとき状態になった。

 もはや怖れるものは何もない。すべては心に思い描いたように成就していくのだ。

 これが天風の悟りの核心部分である。

 

 ラズロの「情報の場としての宇宙」 

 ところで、天風の宇宙観、世界観を今日の科学的宇宙観や世界観の動向から考えると、極めておもしろいことに気づく。

 龍村仁監督が映画『地球交響曲(ガイアシンホニー)(第五番)』で取り上げた哲学者にして物理学者、そしてまた音楽家でもあるアーヴィン・ラズロは、四十年以上にわたる研究成果を通して、

「すべての存在はつながっている」

と結論した。その学説が展開されているのが『叡智の海・宇宙』(日本教文社)で、近年こんなに興奮して読んだ本はない。この中でラズロが展開する宇宙論は「情報体としての宇宙」で、天風が言っていることと極めて似通っている。宇宙は何も存在していない暗黒の空間なのではなく、過去何があったのか、一切の記憶を留めている情報の場(インフオメーション・フイールド)なのだというのだ。

 インドには個々人の数々あった前世の記録を全部留めている「アカシック・レコード」が存在しているが、何千年もの間、宗教家、神秘主義者、預言者などが扱ってきたこの不思議な文書も、この脈絡のなかで理解できるという。

 ラズロは、宇宙空間はまったくの無機的な真空なのではなく、情報がつまっているのだと説いているが、それを船舶の航跡を留めている海を例にとって述べている。私の解釈を含めて、要約するとこうだ。

「太平洋を大きな船舶が通ると、波の航跡ができる。近くにいる小型船は転覆しかねないほど大きな航跡で、それは海の中を何万カイリも伝わって、アメリカ大陸西海岸でもキャッチできる。海が静かなとき、飛行機から海面を見ると,何時間も前にその付近を通過した船舶の航跡を見ることができる。航跡という情報が薄まり、痕跡を留めないほどになっても、それは消えてなくなったのではなく、残っているのだ。

 この考え方は、ドイツのサミュエル・ハーネマン(一七五五~一八四三)によって紹介され、ヨーロッパ、インド、南米に広がっている代替医療の一種ホメオパシー(同毒療法)

の原理と相通じるものがある。

 ホメオパシーで用いる薬レメディは体にとっては毒素である物質を一〇〇の三〇乗倍にも希釈して作り、砂糖粒に染みこませて服用する。それによって身体の抵抗力を引き出し、逆に自然治癒力を高め,身体や精神を蘇生させて、生命力を復活させている。

 このレメディ(希釈液)には、有効成分の毒素はもはや一分子たりとも含まれていないのだが、それでも生体にショックを与え、抵抗力を引き出し、生命力を復活させているのは、『水は情報を記憶している』からだろうと考えざるを得ない」

 何とも面白い話である。「水は情報を記憶している」というのは、第十四章の「水からの伝言」でも取り上げている江本勝さんが、水の結晶写真を撮影して実証していることでもある。江本さんはこれによって世界中から注目を浴びるようになったが、その現象自体が、いま世の中が向かいつつある方向を指し示しているのではなかろうか。

 

 次なるパラダイム・シフトの到来

 ラズロの極めて啓発的な現代文明論を要約すると、次のようなものになる。

「近代西欧では長らく空間はさまざまな物質を入れる容器のようなものであり、無機質な空間であり、そこには意味は存在しないと考えられてきた。存在するものを細胞、分子、原子、素粒子として分解していったとき、あるいは逆に、生命体、惑星、恒星、銀河系、星雲、宇宙と研究していったとき、その過程にも結果にも意味的なものは存在せず、『感情を持たない宇宙』だと結論した。

 しかし太古の昔から人間は直感的に、世界には統一性と一元性があり、相互に深く結び合わさっていると知っていた。にもかかわらず、科学の発達によってーー実はその中に重大な見落としがあり、そのため人々に極めて誤った世界観を与えてしまったのだがーーその叡智が次第に崩されていき、心や意味が剥奪されて、意味も何もない宇宙空間に独りぼっちで放り出されてしまった。

 この展開は現在では最悪の状態にまで至っており、生態系の危機、モラルの低下、精神性の空洞化もそこに起因している。

『情報体としての宇宙』、あるいは『意味に満ちた宇宙』という見方は、世界観のコペルニクス的大転回であり、まさにパラダイム・シフト(根本的な理論の革新)を引き起こしている。

 二十世紀初頭、アインシュタインは光の奇妙な振る舞いをニュートン力学で説明できず、物理的な存在についての新しい概念として、相対性理論を発見した。これによってパラダイム・シフトが起き、ものの十年間ですっかり世界観は変わってしまった。

 しかし再び、さまざまな分野でいろいろな謎に直面するようになり、先に述べたような生態系の危機、モラルの低下、精神性の空洞化などが終末的様相を呈するようになり、科学は新たなパラダイム・シフトを迎えざるを得ない状況になっている。おそらく二十一世紀の世界は、この価値観の変化によって、これからの十年間ですっかり変わってしまうだろう。」

 この脈絡の中でラズロは「情報体としての宇宙」、あるいは「意味に満ちた宇宙」を唱えた。ラズロの提案は衝撃を以て迎えられたが、科学界は、情報の場にはどういうふうに情報が書き込まれ、それはどうやって読み出されるのかというメカニズムに答えるのにラズロはまだ成功したとはいえないと否定的である。

 とは言え、ケン・ウイルバーなどは熱烈に支持しており、私もパラダイム・シフトはこの方向で起きると見ている。

 科学は一つひとつ確認作業が必要だが、直感の世界ではそれらを飛び越えて、宇宙の本質をずばり把握する。それが、天風が語っている世界観である。

 

 精神は心の太陽である 

 人間は単なる物質ではない。霊性を与えられた物質であり、宇宙の第一原因であり根本原因でもある造物主と共鳴し、一体と成りうる存在である。この重大なことに気づくことは、コペルニクス的大発見である。

 プラグがコンセントにつながっていなければ、テレビはただの箱に過ぎないが、電気が流入すれば鮮明な映像を映し出してくれる魔法の箱に変わるのと同じことだ。それほど決定的なことが、「人間は天と合体できる存在である」ということに気づくことなのである。

 悟りは修行僧が難行苦行の末に辿りつく仏教者の専売特許なのではない。私たちの日常で起き得ることであり、これをつかむことによって、私たちは融通無碍の状態、天風がいう「天馬空を行く」状態になれるのだ。

 天風と同じ時代を生き、あの混迷した時代に、同じように国民の牽引役を果たした漢学者の安岡正篤は、人間における理想の役割についてこう述べている。

「太陽の光に浴さなければ物が育たないのと同じことで、人間の理想精神というものは心の太陽なのだ。理想に向かって情熱を湧かすということは、日に向かい、太陽を仰ぐと言うことだ。これがないと人間のあらゆる徳が発達せず、したがって才知芸能も発達しない」(『安岡正篤 一日一言』致知出版社)

 私もまた人間には理想に向かう性質が埋め込まれていることに驚嘆する。まるでひまわりには何があっても太陽に向かうという向日性を与えられているように、である。

 これがゆえに私は造物主に感謝したい。この性質が与えられているので、悲劇に遭遇したとき、一時は落胆し、悲しみにくれても、涙が乾いたとき、いつまでも悲しんではいられないと再起できるのだ。

 だから人間は素晴らしい。不死鳥のように甦る不屈の魂を与えられているのだ!

  ここで「悟り」について、安岡の面白い指摘を紹介しよう。

「大宇宙を貫く真理を体感することを悟りといい、これを暁りとも表記する。暁を迎えると、夜の闇が次第に消え、明るくなるにつれて物事の輪郭がだんだん明確になり、ついには明らかに見えるようになる。悟りもそれとまったく同じだ。昔の人がすごいのは、それを知っていたから、悟りを暁りとも書いたのだ」(『安岡正篤 一日一言』致知出版社)

 早朝ウオーキングしていると、この状態がよくわかる。そして確かに悟りとは物事の本質が次第に見えてくることに違いない。

 私は人間が単なる物質ではないことに感謝したい。心を澄ませて瞑想し、切磋琢磨して努力すれば、いっそうのスピリチュアリティ(霊性)を獲得して、神が顕現したのではないかといわれるまでになるのだ。

 そのために人生という時間を与えられ、今生の人生では地上に修行に送られてきていることに感謝したい。