中村天風「幸せを呼び込む」思考 神渡 良平著 講談社+α新書 - 四 宇宙霊は鋭敏な耳をもっている! 

桑原健輔さんの抜粋の第3回目です。今回から一週間ごとに発表することになりました。

中村天風「幸せを呼び込む」思考     神渡 良平著  講談社+α新書

ヒマラヤの朝焼けの写真
ヒマラヤの朝焼け

 

四 宇宙霊は鋭敏な耳をもっている! 

 

  「我々がたった一人でいるときでも我々の背後には万物の造り主、万物の親である、宇宙霊という限りなき叡智を持ったものが控えている。

 そして、またその宇宙霊が、感覚鋭い耳を持っているのだ。

 いいか! 鋭敏な耳を持っているのだ。宇宙霊は!

 だからいやしくも人を傷つける言葉、勇気を挫くような言葉、あるいは人を失望させるような言葉、憎しみ、悲しみ、嫉みの言葉を遠慮なくいっている人間は、悪魔の加勢をしているようなものだ!」(『運命を拓く』中村天風著 講談社)

                                                               

 否定的な言葉は運命を破壊する  

「天風さんが言っていることは実にわかりやすい!」

とは誰しも述べる感想だが、ここでも天風は宇宙の仕組みを述べながら、

「宇宙霊は鋭い耳を持っている。だから運勢を悪くするような言辞は慎まなければいけないんだ」

と説く。私たちが子供の頃は、「お天道さまが見てござる。だから悪いことはしちゃいけない」とよく言われたものだ。これが四国に行くと、「お大師さまが見てござる。だから悪いことはしちゃいけない」となる。お大師さまとは空海弘法大師のことである。あれは効き目があった。この伝で、天風は「宇宙霊は鋭い耳をもっている」と説いたのだ。

 私は若い頃、よく人を批評・批判していた。自我の確立ができていればこそ、他人を批評・批判できるのだから、批評・批判は一向にかまわないと思っていた。

 しかし、宇宙はバイブレーションで形成されている。こちらが相手を批判的に見ていると、たとえ言葉に出さなくても、それは微妙に相手に伝わっていく。当然、相手も自分を敬遠するようになり、その分世界は狭くなり、運勢は下降することになるーーということに気づかせてくれた。

 天風の指摘は、さらに鋭く続く。

「そういう人間は、哲学的にいえば、自他の運命を破壊していることを、平気でしゃべっている。だから何遍もいうように、人々の心に勇気を与える言葉、喜びを与える言葉、何とも言えず、人生を朗らかに感じるような言葉を、お互いに話し合うようにしよう」

 ということは、私は自他の運命を破壊しているようなことを平気でしゃべっていたのだ。 考えてみれば、人を批判している自分の深層心理には、私は彼のレベルではない、彼以上の何者かであると言外に言おうとしている不遜なものがある。自分も認められたい! という叫びの裏っ返しである場合が多い。

 孔子もこう言って諫めている。

「人の己を知らざるを患えず。人を知らざるを患う」(『論語』)

(他人が自分の存在を認めてくれないことを嘆くことはない。それよりも自分が相手を評価できていないことを憂うべきである)

 天風は人として一番大切な点を指摘したのだ。

 

 祝福すれば苦しみから解放される

 これについて私はこういう貴重な経験をした。私が高校生のときのことだ。初恋の人が去っていき、私はショックで眠れない夜が続いた。ところが友達から、彼女に新しいボーイフレンドができたようだと聞かされた。私は言下に否定し、

「そんなことはあり得ない。ぼくと別れて後悔しているはずだ」

と答えた。ところが数日経たないうちに偶然、二人が公園でいっしょに楽しそうに語り合っているところに行きあわせた。二人を見た瞬間、私の身体は凍り付き、表情は引きつってしまい、二人をまともに見ることができず、その場から逃げるように立ち去ってしまった。

 それからの私はいっそう悩み、ウジウジと思い続けた。

(ぼくのほうが、彼より彼女を愛している。絶対にそうだ!)

 その思いは日々強くなっていくばかりで、切なくて苦しかった。

 ところがそんなある日、ラジオから倍賞千恵子が歌う「忘れな草をあなたに」(作詞・木下龍太郎、作曲・江口浩司)が流れて来た。

 

  別れても 別れても 心の奥に

  いつまでも いつまでも

  憶えておいて ほしいから

  しあわせ祈る ことばにかえて

  忘れな草を あなたに あなたに

 

 その瞬間、私は大変なショックを受けた。

(この歌を作った人は失恋して悲しみの淵に沈んでいても、片思いで身を焼き焦がすのではなく、潔く身を引いて、相手の人の幸せを祈っている!

 それなのにお前は何だ。ぼくのほうが彼女を愛しているなどと、いつまでもウジウジ悩んでいる。なぜ二人を祝福してやらないんだ。ぼくは今はもう何とも思っていないよ、二人の恋が実って、どうか幸せを手にしてほしいって、言ってあげるべきだよ)

 そう思ったとたん、ポロポロ涙がこぼれた。その涙と共に、私の独りよがりで偏屈な片思いが押し流されていった。その後に訪れたのは快晴の青い空だった。ようやく二人を心から祝福できる心境に変わることができたのだ。

 この出来事を通して知ったのは、誰かを祝福すると、逆に自分の傷ついた感情が癒やされ、苦しみから解放されるということだった。それはちょうど、穴の中から手が抜けなくなったとき、握っている手を解いたらすんなり抜けることと同じだった。自分が譲れば問題は解消するのに、自分の否定的な感情に固執していると、相手も傷つけ、自分もいっそう傷ついてしまうという貴重な体験だった。

 

 建設のエネルギーは肯定的波動 

 大学に入って『聖書』を読むようになった私は、人が生きる上で「争っている者と和解に至る」ことはきわめて重要な知恵であることを知った。「ルカによる福音書」第六章二十七節 以下によるとイエスはこう説いていた。 

「敵を愛し、憎むものに親切にしなさい。

 呪う者を祝福し、辱める者のために親切にしなさい。

 あなたの頬を打つ者には他の頬をも向けてやり、

 あなたの上着を奪い取ろうとする者に下着をも与えなさい。

 そうすれば、受ける報いは大きく、あなたがたはいと高き者の子となるであろう」

 イエスは悲しみの極みにあっても譲る者は、「いと高き者の子」すなわち神の子と讃えられるようになり、心に平安がもたらされると言うのだ。

 まさにそのとおりだった。これは一見きっれいごとのように見えるが、これほど実際的な知恵はない。さまざまなトラブルの中で、相手に譲り、さらに相手を祝福することが、自分が汚辱にまみれていくのを避ける方法なのだ。

 一日が終わったとき、部屋の明かりを消し、星明かりを導き入れ、キャンドルの火を点す。そして心に染み入ってくるような静かな音楽を流し、平和の瞑想に入る。すると次第に世俗的なさざ波が消えてゆき、心が温かくなり、至高至福の感情に包まれていく。

 天風が言うように、建設のエネルギーは肯定的な波動を伴っているから、私たちは心身ともに蘇生していき、積極的で、肯定的で、前向きな姿勢に変わっていくのだ。