桑原健輔さんの抜粋の第4回目です。
中村天風「幸せを呼び込む」思考 神渡 良平著 講談社+α新書
六 宇宙の創造主と人間
「心というものは、霊魂という気の働きを行なうための存在であり、心が思ったり考えたりすることによって霊魂の活動が表現される。そして心の行なう思考は、すべて個人の命の原動力となっている霊魂を通じて、その霊の本源たる”宇宙霊”に通じている。しかもこの”宇宙霊”は一切の万物を創造するエネルギーの本源である。この絶対関係を真剣に考えると、思考は人生を創るということに断然結論される」(『運命を拓く』中村天風著 講談社)
自分を信じよ!
「思考が人生を創る!」とは、何という高らかな宣言だろう。
このことは誰しも漠然と感じてはいるが、なぜか深くは詮索しなかった。しかし、天風はさらに突っ込んで考え、人間の思考は一切の万物を創造するエネルギーの本源である宇宙霊と直結しているから創造力があるのだと思い至っている。
この考えに至ったとき、天風は手が舞い、足が踊り出すのをどうにもできなかった。天風の身体を歓喜が走り、次々と笑いがこみ上げてくるのだ。
だから天風は前節に続けて、さらにこう書いた。これは哲人と呼ばれるに至った天風のもっとも重要なメッセージだ。
「この絶対関係を揺るぎないものにすれば、宇宙エネルギーの受入量が多くなり、人間は期せずして生命の強さを自由に獲得することができる。これはただ単に肉体の生きる力のみではない。このような理解が深くなれば、思考作用の運用方法が、どれだけすばらしいものであるかがわかると同時に、宇宙霊の創造作用と人間の思考作用とが決して別々のものでなく、むしろ本質的に一つのものであるということが必ず明らかになってくる」
人間はひ弱な一被造物なのではなく、天地の創造者と一つになることによって、それぞれがますます唯一絶対の存在になるというのだ。特に最後の一節、
「宇宙霊の創造作用と人間の思考作用とが決して別々のものでなく、むしろ本質的に一つのものである」
は大変な発見であり、確信である。奇跡とも思えるような天風の数々の所業は、この確信と宇宙霊との一体化から生み出されたものである。宇宙霊との一体化はまず確信から始まる。確信あるところに変革向上が始まるのだ。
進行ガン、余命六ヶ月の宣告
さて天風は特別に傑出した人だったから、そうした確信をつかんだのではない。それは天風自身が繰り返し言っていることで、目覚めさえすれば誰でもその確信をつかめるのだ。 そこで私は卑近な人のケースを述べることで、私たちの理解のよすがにしようと思う。
平成十四(二〇〇二)年初冬、仙台市に住むイベントプロデューサー村上恵三さんは、微熱が続き、気分もすぐれなかった 。風邪かなと思い、薬を買ってきて飲んだが、一向によくならない。
そのうち倦怠感にさいなまれるようになった。身体がだるく、何もしたくない。早乙女貢の『会津士魂』を友人のプロデューサーと共同で舞台化し、会津若松市、八戸市、三沢市、むつ市、京都市などで公演して成功させるなどして、精力的に動き回っていた村上さんは、自分が倦怠感にさいなまれるなどとは思いもしなかった。
「あなた、喉の右側が心持ち腫れていない? 病院に行って診てもらったほうがよくない?」奥様に言われて、村上さんは喉の腫れに気がついた。これは嫌な兆しだ。
年が明け、早速病院で診てもらうと、精密検査の必要があるという。一瞬どきっとした。実は十年前立て続けに、父を食道ガンで、母を子宮頸ガンで亡くしていたから、ひょっとするとと思ったのだ。
五月、精密検査の結果、右側甲状腺に進行性のガンが発見された。余命は六ヶ月、緊急手術の必要ありと診断された。その瞬間、顔から血の気が引き、真っ青になった。
小説によくガン告知のシーンが描写され、主人公の顔面から血の気が引き、蒼白になったなどと書いてあるが、まったくそのとおりだ。
手術に同意を求められて、村上さんは即刻断った。というのは抗ガン剤投与によって正常細胞まで叩かれ、苦しんだ親を見ていたので、もし自分がガンを宣告されたら抗ガン剤治療は行わず、民間療法を試みようと思っていたからだ。
友人たちが心配してさまざまな療法を紹介してくれ、ガンが克服できたという本もたくさん送ってくれた。それぞれ成功例を記してある。村上さんはこれはと思うものを試してみた。たとえば漢方薬で毒素を吸い取る治療や、経絡に電気を通し、自然治癒力を高めるというプラズマ療法などである。
しかしそれが自分に合っているのかどうか、不安がつきまとった。
そんな気持ちの迷いを読み取ってか、どんどん体重が減っていく。一〇キロ近くも落ちて六〇キロになり、げっそり痩せてしまった。その間も甲状腺ガンは確実に進行しているようだ。(これはもう観念しなければいけないな。あるいは助からないかもしれない)
と感じた村上さんは遺書をしたため、覚悟を決めた。
安保徹教授の励まし
ところが、弱り目に祟り目、である。献身的に看病してくれた奥様がヘルニアで倒れ、寝込んでしまったのだ。立つこともできず、トイレにも這って行くようなことになってしまった。もちろん炊事洗濯などできないので、病人が病人を看護しなければいけない事態に陥ってしまった。万事休す、である。
そんな状態で苦しんでいるころ、平成十五(二〇〇三)年六月、新潟大学大学院歯学部総合研究所の安保徹教授が仙台市に来ることを知った。免疫学の世界的権威の安保教授は右喉が大きく腫れている村上さんを診察し、慰めるように言った。
「村上さん、大変だったね。働き過ぎだよ。全部抱え込んでしまっているもの」
そう聞いた途端、村上さんを支えていたものが外れ、目頭が熱くなった。冷静な診断をする医者の言葉とは思えないような温かみのある言葉だった。教授に慰められ、癒やされた思いでいた村上さんに、安保教授はさらに語りかけた。
「病気はね、その人の生き方の無理を教えるために発病しているんだよ。もうこれ以上は持ちません、何とかしてくださいって。だから本人がそれに気づいて生き方を変えたら、自然に退縮するものだよ。大丈夫必ず治るから」
そう言い、次のことを厳命した。
「次の三つはしちゃいけない。一つ目は手術。二つ目は抗ガン剤。三つ目は放射線だ」
安保教授のこの言葉は支えになった。ピンポイント爆撃のように的確に見えるこれらの治療は、生体の生命そのものも攻撃するから非常に危険なのだ。
これで村上さんの迷いが吹っ切れた。
(私に合った民間療法が必ずあるはずだ。迷わずに探そう!)
村上さんのガン関係の書物の読書と模索は続いた。
何が起ころうとも感謝して受ける
友人が送ってくれた本の中に、ジャーナリストの池田弘志さんが書いた『ガンもカゼと同じに治るーー「引き受け気功」誰でもできる内気功・外気功』があった。引き受け気功師の藤谷康允先生について書いたものだ。
その中で、藤谷先生が、「引き受け気功」の「引き受け」の原理をこう説明しているのが妙に納得できた。
「この宇宙には『たらいの法則』といわれるものがあります。水は自分のほうに引き寄せようとすると逃げていき、押しやると自分のほうに返ってきます。
これは人生の哲理でもあるんです。いやなものはあっち行けと言って押し出すと、必ず自分のほうに返ってきます。欲しいものを求めてこっちへ引き寄せようとすると、逆に逃げていってしまいます。つまり、悪いものは私が全部引き受けますとやれば、全部避けて通るんです。宇宙の仕組みがそうなっているんです、
ガンについても同じことが言えます。ガンを嫌って切り捨てるのではなく、『ありがとうございます』と感謝し、全部引き受ければ治るんです」
藤谷先生はこの原理を活用して、ガン患者だけでなく、重症の筋無力症患者や脳挫傷のため全身が麻痺していた患者を数多く治しているという。村上さんはさっそく遠隔治療を依頼し、東京での講演会に出向いた。
はじめて聴いた藤谷先生の講演はこの上もなく洒脱で、底抜けに明るく、面白かった。聴衆を初めから最後まで笑い転げさせ、聴く者を飽きさせないのだ。
「命のことをくよくよ悩んでもしかたがありません。誰でも死ぬまでは生きているんですから!」
聴衆がまたどっと笑う。みんなを笑わせることで、知らない間に眉間の皺を取り、肩から力を抜き、リラックスさせようという配慮なのだ。
「みなさんは笑っているけれども、『死ぬまでは生きている』というのは大変な真理なんです。くよくよ悩んでも、寿命はどうにもならないでしょ。だったら神さまに預けてしまいましょう。そして今をせいいっぱい生きるのです」
藤谷先生が新字の「気」を用いず、旧字の「氣」を使っているのは次のような意味からである。構えの「气」は水蒸気が立ち上るさまを表しており、その中に「米」と書いているのは、その形が示しているように、八方に広がっていくからである。
ところがこれを現在では簡略化して、止める意味の「メ」に変えてしまっている。これでは八方に広がっていく「氣」の意図しているものがそこなわれてしまうので、旧字のままで使っているという。これもなるほどと思わせる理由である。
藤谷先生はさらに気功の五原則である「①調身」、「②調息 」、「③調心」、「④調水」、「⑤調食」を細かく説明した。調息とは宇宙に偏満している陽の氣と陰の氣を自分の中で合体させ、宇宙のエネルギーを流入させることである。調水とは一日六リットルの水を飲んで、細胞間の一切の毒素を流し去ることである。
「さあ、今日から時間さえあれば、ごめんなさい、ありがとう、愛していると唱えましょう。何が起ころうとも感謝して受けるんです。すべては好転していきます。
これからはガンのことをガンちゃんと呼び、感謝しましょう。なぜならそれまでは正常細胞で、何不自由なくやっていたのに、わざわざガン細胞になり、あなたの生き方に警告を発してくれているんですから」
指摘されるとおりだった。ちっとも感謝していなかったのだ。
藤谷先生のすごさは、聴く者をすっかりその気にさせてしまうことだ。村上さんもすっかりその気になってしまった。講演会場を出るなり、奥様に電話した。
「すごい人に出会っちゃった! ぼくのガンは治るよ。そう確信した」
「ごめんなさい、ありがとう、愛しています」
それからの村上さんは、「ガンちゃん、ありがとう」と語りかけ、時間の許すかぎり、「ごめんなさい、ありがとう、愛している」と唱え続けた。
そして藤谷先生の講演会があると聞くと出かけ、笑い転げ、「ああ、そうだ。ああ、そうだ」と納得し、自分に刷り込んでいった。
「自分は宇宙そのもの、感謝と歓喜しかない。宇宙が健康であるように、私もまた健康になるんだ」と確信していたから、もはやどこにも迷いはなかった。
村上さんが手応えを感じ始めたのは、唱え続けてから三ヶ月が過ぎた頃だ。あれほど苦しんでいた倦怠感が消え、甲状腺の腫れが引いていった。体重も元に戻りだした。
自信を得た村上さんは、仙台の人々にも藤谷先生の話を聴いてもらおうと、講演会を企画した。昼夜二回の講演で、五千人ほどの人々が藤谷先生の話を聴き、考え方を変えていった。
村上さん自身がガンを克服した実例なので、藤谷先生の講演会では何度も証に立った。
村上さんが引き受け気功によって快癒したこと、それを指導された藤谷先生のパワーのすごさを証しすると、藤谷先生は話を引き継いで,こう述べた。
「私がすごいんじゃありません。私はただ村上さんの自然治癒力を高めるお手伝いをしただけです。実行したのは全部村上さんなんです」
能ある鷹は爪を隠すというが、藤谷先生はどこまでも謙虚な人だった。
インタビューの最後、村上さんがこうつけ加えた。新発見に子供が眼をキラキラさせて、「ねえ、ねえ、ママ、聞いて!」と話しているように顔が輝いている。
「使命って、『命を使う 』と書きますよね。命を使うということは、自分を捧げること、つまり献身することなんですよね。命は自分の目的のために使うのではなく、人のために使いなさいということなんですねぇ。
私はそのことに気が付きもせず、自分の命を自分の目的で使っていました。このことにようやく気づいたので、これからは人のために働きます」
そしてやり始めたのが、地球に愛と感謝を捧げるイベント「ありがとう地球」プロジェクトである。途中で倒れるかもしれないが、それも本望だ。倒れるまで頑張るだけだと思っているから、非常にサバサバしている。
こうして歌手のミネハハさんや藤谷先生などを呼んで、仙台市や甲府市などでこれまで三回開いた。このイベントで日本列島を愛で包もうというのだ。
村上さんは命が助かっただけではなく、献身すべき対象も見つけたのだ。
実は村上さんは私の二十年来の友人である。私が川崎に住んでいた頃、近所に住んでいて、ひょんなきっかけで知り合い、家族ぐるみの付き合いをするようになった。彼が仙台に移り住んでからも、一年に一度くらいは会食し、旧交を温めてい
た。
その村上さんがガンにかかり、あまっさえ奥様も倒れ、窮地に陥っていると伝え聞いた。びっくりして電話し励ましたのだが、そのうちに音信が途絶えてしまった。だから、とうとう死んでしまったに違いないと思っていた。
ところが昨年(平成二十年)四月、村上さんから突然電話がかかってきた。
「え、村上恵三さん? 仙台の? てっきり死んじゃったと思ってた! この電話、まさか天国から掛けているんじゃないよね」
そんな会話で始まった電話で、村上さんはことの一部始終を語り、十二月六日に催す予定の「ありがとう地球イン仙台」の講演依頼をしてきた。彼がご恩返しの思いで取り組んでいるイベントであるからには、何を差し置いても駆けつけたい。
大会は六百名近くの人々を集め、大成功に終わった。
その夜ホテルで、この五年間、村上さんに起きた出来事の詳細を知って、私は心を打たれた。「雨降って地固まる」というが、村上さんは見事に転生したのである。
体は病んでも心までは悩ますまい
天風は「思考が人生を創る!」と断言した。
頭の中で思い描いていることが、実人生として展開していくのだと説いた。私たちが発している言葉はバイブレーション(波動)そのもので、森羅万象もバイブレーションから成り立っているから、強力な信念を伴った言葉は森羅万象に影響し、引き寄せ、形となって表れるのだという。
天風は三十一歳の頃、ヒマラヤで「言葉の威力」に目覚め、
「たとえ体は病んでいても、心まで悩ますまい」
と、体の状態と心の状態を切り離した。心は本来主体であり、体は従である。従である体の状態に引きずり回されるのではなく、瞑想によって心を強化していった。大自然には「プラーナ」と呼ばれる健康な気が充満している。そのプラーナを胸いっぱい吸い込んで、宇宙の健康なリズムを取り込んでいった。それによって心の持ち方が健康になるにつれて、体の状態に一喜一憂しなくなり、いつの間にか肺結核が完治していた。
「ありがとう地球」のプロジェクトに打ち込んだ村上さんがまさにこの心境だった。ガンであることすら忘れて没頭していたのだ。
「今は違う」とつけ加える
「言葉には威力がある! 単なる意思疎通の手段ではない。相手の鼓膜を振動させ、自分のメッセージが伝わる前に、自分の鼓膜を振動させ、自分の潜在意識に影響するのだ」
と説く天風の言葉を知った頃、私は脳梗塞の後遺症から右半身が麻痺し、歩行もままならない状態にあった。そういう体の状態はどうしても心の持ち方にも影響を与える。
「何でこんな羽目になるんだ。いつ俺が悪いことをしたというのだ」
と悲観的になっていた。それだけに、「死の病」として人々から怖れられていた肺結核を克服して、健康を取り戻した天風の体験は心に響いた。
とは言え、人間は一朝一夕でものの考え方が変わるものではなく、どうしても過去の癖を繰り返し、慨嘆したりするものだ。そんなとき弱気を追い出すにはどうしたらいいか。
天風はこうアドバイスしている。
「向こうから弾丸列車がやってくるとしよう。一メートル飛びのけば、列車にひかれずにすむのに、恐怖で体がすくんでしまって身動きできず、命を落としてしまう。そんなときどうしたらいいか。わずか一メートルでもいいから脇に飛びのけば、列車はごうごうと通り過ぎていき、かすり傷ひとつ負わないですむ。このコツが『・・・と昔はよく愚痴ったものだが、今は違う』とつけ加えることなんだ」
なるほど、それは言えると思った私は早速実行してみた。
するとどうだろう。それまでの悲観的な姿勢が消え、次第に建設的で前向きになり、社会復帰まで漕ぎ着けたのだ。だから「思考が人生を創る!」という天風の言葉は、私にとっても実感的言葉なのである。