中村天風「幸せを呼び込む」思考 神渡 良平著 講談社+α新書 - 七 宇宙霊のエネルギーとは

桑原健輔さんの抜粋の第5回目です。

中村天風「幸せを呼び込む」思考     神渡 良平著

落暉
落暉

 

七 宇宙霊のエネルギーとは

   
 「およそ、人間の心のなかの思い方、考え方というもの、いわゆる『思念力』というものは、それはそれはすごい魔力のような力をもっているということを知っていなければ駄目だよ。魔力のような力をもって、もっともっと幸福に、もっともっと恵まれた人生にいきられるように生まれてきていながら、まだ意に満たない人生に生きている人が随分いるんじゃないかしら。だからそれを忘れないようにしなければ駄目だぜ。

 人間の地獄をつくり、極楽をつくるのも心だ。心は、我々に悲劇と喜劇を感じさせる秘密の玉手箱だ」(『ほんとうの心の力』中村天風著 PHP研究所)

 

 二人の魂が触れ合う詩

  中村天風が抱いた実存的な疑問ーー意味の探求ーーは、実は人類がこの地上に現れたときから、洋の東西を問わず、、抱き続けている根源的な疑問である。

 人生には生きるだけの価値があるかと問い、懊悩の果てに答えを見出した魂は、欣喜雀躍してその人生に取り掛かり、比類なき人生を達成する。だから個々人の人生が内容あるものになっていくためには、この根源的問いは常に繰り返されるもののようだ。

 この人生の根本命題について、天風は模索した。そしてとうとう宇宙霊のエネルギーを自分の中に流入させ、自分の力を百倍にも千倍にもする方法をつかみ取って「天馬空を行く」状態に至ったのだ。

  このことを、口にくわえた絵筆で描いた詩画によって、多くの人に生きる勇気を与えている星野富弘さんの人生で考えてみよう。

 東京・浅草から東武伊勢崎線の特急電車に乗って一時間五十分、相老でわたらせ渓谷鉄道に乗り換えて四十五分すると神戸という駅に着く。そこから乗り合いバスに乗って十分も行くと、右手に渡良瀬川を堰き止めて造ったダム湖である草木湖が見えてくる。目指す富弘美術館は、その畔に建っている。

 富弘美術館にはその四、五年前にも一度来たことがある。当時は東村社会福祉会館を改造した美術館だったが、それでも多くの婦人たちが観に来ていて、その頭越しに作品を観て回った記憶がある。そのとき特に印象に残ったのは、淡い色彩で描かれたガクアジサイのスケッチに添えられた一篇の詩だった。

 頸椎を損傷したため首から下が麻痺し、闘病生活を余儀なくされていた星野さんを、いつも見舞っていた若い女性(のちにこの昌子さんと結婚することになるのだが)が示してくれる細やかな気づかいを詠んでいるのだが、二人の魂が触れ合うさまが窓越しの柔らかい光に照らされて浮かび上がってくるようだ。

 

   
  結婚ゆび輪は いらないと いった

朝、顔を洗うとき

私の顔を きずつけないように

体を持ち上げるとき

私が痛くないように

結婚ゆび輪はいらないと いった

 

  今、レースのカーテンをつきぬけてくる

  朝陽の中で

私の許に来たあなたが

洗面器から冷たい水をすくっている

その十本の指先から

金よりも 銀よりも

美しい雫が 落ちている

 

  こうしたやさしい気遣いをされる昌子さんもすごいが、それに気づいた星野さんもすごいなあと、しばらくこの詩の前にたたずんでいた。

 

 大自然の精妙さに魅せられて

  美術館に入ると、ロビーの白い壁面いっぱいに星野さんの文章が書かれていた。自然の草花を描いてみると、新しい発見ばかりだったという星野さんの驚きが伝わってくる。

「花をみていると、その色、その形の美しさに驚かされることばかりだった。花は一つとして余分なものがなく、足らないものもないような気がした。

 ちょうど良いところに花がつき、ほどよいところに葉があり、葉と花に似合った太さの茎があった。

 葉は花の色を助け、花は葉の色と形をそこなわずに咲いていて、一枚の花とはいえ広大な自然の風景をみる思いだった。

 

 私は絵に関しての知識はないけれど、この自然の花をそのまま写してゆけば、良い絵が描けると思った」

  それは星野ワールドへのゲートを飾るにふさわしい言葉だ。

 反り返った百合の花びら。その上にちりばめられたごま塩のような斑点。折れ曲がった葉っぱ。虫に食われた跡。秋になって黄変しつつある葉・・・。

 星野さんは神の最高傑作に示されている見事な配慮を画紙に写し取り、私たちに大自然の精妙さを再発見させてくれる。私たちも星野さんと一緒になってその美しさに陶酔する。

 星野さんが描いた花に、緑の葉っぱの奥で揺れている白い「ニセアカシア」がある。その絵に、天風が死の病にのた打ち回りながら発したのと同じような言葉が添えられている。

 体操部の指導中、マット運動で頭から落ち、頸椎を折って全身が麻痺し、動けなくなったときの懊悩の言葉だ。

 

  何のために

生きて いるのだろう

何を喜びとしたら

よいのだろう

これから どうなるのだろう

 

 星野さんは蹉跌の中で、虚空に向かって根源的な問いを発した。

(人の世話にならなければ生きてゆけない自分なのに・・・、
それでも生きる意味があるのだろうか・・・)

 懊悩の末に、いつ死んでもいいやと食べない日が何日も続いた。ところが喉が渇き、お腹が空くと、体が食べ物を摂ってくれと、矢のような催促をする。星野さん自身は生きることを放棄しようとしているのに、体は生きることを求めてあがいていた。

(私のいのちって何なのだ? 私の体はまだ死にたくないとあがいている。

でもこの先、何が望めるというんだ。生きていても苦しいだけじゃないか!)

そう思うと、死に損なったことが悔やまれた。

(あのとき、いっそのこと、死ねばよかったんだ・・・)

 後悔から臍を嚙んだ。

  そんなある日、担当の医師が星野さんの点滴を見て、
「長かった点滴も、今日で終わりだね」
とつぶやいた。そう言われて星野さんは無性に嬉しかった。そこで星野さんはバルーンカテーテルから落ちる点滴を一滴一滴数えて、もう少しだ,もう少しだ! と励ました。そして最後の一滴がたらたらっと垂れて、ピタッと止まると、

(わーっ、終わったぁ)

と小躍りした。体の状態は何一つ変わっていないのに、嬉しくてたまらなかった。

そのとき、星野さんはふと気がついたことがあった。

(人間というのはどんなときでも幸せを感じられるんだなあ。こんな小さなことにも喜べるんだったら、この先どういうことが起きるかわからないぞ。体は動かなくなったけれども、何か楽しく生活できるようになるのではないか)

  まだ絵画という楽しみには出合っていなかかったが、人生に希望がみえだしたのだ。

 ある日のこと、お母さんがそっと枕元に白いニセアカシアの花房を生けてくれた。

 窓から入り込んでくるそよ風に,白い花房が無心に揺れている。

 それを見つめているうちに、無性に涙がこぼれた。

 力むことなく、ただ無心に咲いている花・・・。

 星野さんは絵筆を取って写生を始めた。そしていつしかのめり込み、時間が経つのも忘れていた。星野さんに転機が訪れつつあった。

 

  悩めば悩むほど感性は磨かれる

  ところが草花を描くことは、単なる手遊びでも暇潰しでもなかった。それどころか、描きながら大変なことに気づかされていった。リハビリが続くある日描いた「すかしゆり」に、星野さんはこんな言葉を添えている。

 

  ブラインド のすき間からさし込む

  朝の光の中で

  二つめのつぼみが六つに割れた

  静かに反り返ってゆく花びらの

  神秘な光景を見ていたら

  この花を描いてやろう などと

  思っていたことを

  高慢に感じた

  「花に描かせてもらおう」

  と思った

 

 人は何かが欠ければ、それを補うように何かが成長して行く。それは大自然の摂理だ。

 悩めば悩むほど、感性が磨かれていく。星野さんの場合もそうだった。苦しんだことは無駄ではなかった。

 それは写生によって証明されていった。

 大自然の神秘に触れ、ハッと 気づかされ、目から鱗が落ちて、少しずつ成長していった。そして星野さんの作品を観て感動する私たちにも人間的成長が与えられた。

 はなしょうぶの絵に添えられた次の詩も私たちをハッとさせる。

 

黒い土に 根を張り

どぶ水を吸って

なぜ きれいに咲けるのだろう

私は

大ぜいの人の 愛の中にいて

なぜ みにくいことばかり

考えるのだろう

 

  それは独り星野さんだけのつぶやきではない。私たちもまた同じつぶやきを口にする。だから星野さんの詩画を観て共感し、汚れなき大自然の美しさは私たちをそういう内省に導いていく。ここに星野さんの作品が、人々の口から口へと伝えられていく理由があるのではなかろうか。

 

 誰かのために使えてこそいのち 

 星野さんは再び生きる力を得た。生きる目標を持った人間ほど溌剌としている者はない。それを教えてくれたお母さんに星野さんは感謝でいっぱいだった。だからある日、母子草を描いてこう書き添えた。

 

母の押す 寝台車で

病院の裏庭へ行くと

コンクリートの固まりに

  よりかかる ように

母子草が 咲いていた

私も花のように

空を見ていたら

まぶしくて涙が出てしまった

母に泣いているんだと思われそうで

はずかしかった

 

青い空がまぶしいので、涙が出てきたのは事実だろう。でも、青い空が輝いていたように、生きることに再び意味を見いだすことができて嬉しかったのだ。

星野さんの写生はメインである花にも訴える力があるが、同時に、付きものに過ぎない葉っぱの濃淡や病葉、虫食いに至るまで細かく再現されており、それがいっそうリ

アル感を高めている。颯爽と動き回っている者は伸び盛りの者に気を取られ、上昇志向である。ところがそうであるからこそ、ついつい見落としているものがある。星野さんの詩画はそこに気づかせてくれるのだ。

九年間続いた入院から退院し、自宅でのリハビリに移った星野さんが、昭和五十九年に描いた「秋の野の花」は、野菊にも似た白い清楚なよめなを写生しているというより、その花を世に送り出す陰で、虫に食われ黄変しながらも、必死に支え続けてきた葉っぱを描いている。そして空白にこういう詩がそっと添えられている。

 

 誰がほめようと

 誰が

 けなそうと

 どうでも

よいのです

 

   
  畑から帰って来た母が

  でき上った 私の

  絵を見て

  「へぇっ」と ひと声

  驚いて くれたら

  それで もう

  十分なのです

 

 星野さんの九年にわたる入院生活中、家に帰ったのはわずかに二回だけというお母さん。生きる意味を見いだせなくて、落ち込んでいた星野さんに、絵筆を口にくわえ、絵を描くことを教えたお母さん。このお母さんはよめなの絵をみたとき、「へぇっ」と驚かれたのではなかろうか。

 お母さんは星野さんを励まし、生きる力になってくれた。

 だからなずなを描いたとき、こう書き添えた。小さなこぶしのような実がたくさんついていたからだ。

                                                                               
  神様が たった一度だけ

  この腕を 動かして 下さるとしたら 

  母の肩を たたかせてもらおう

  風に揺れる

  ぺんぺん草の実を見ていたら

  そんな日が

  本当に来るような気がした

 

 天馬空を行くがごとく颯爽と生きた天風は、声を嗄らして説き続けた。

「人間はこの地上にぜいたくをしに来たのでもないし、病をわずらうために来たのでもない。その人以外にできないことをその人にさせるために、生まれてきているのだ」

 この天理に気づいたとき、人は真に用いれられるようになるのだ。

 星野さんもこの言葉を実感しているに違いない。

 星野さんは聖路加国際病院の日野原重明名誉院長との対談で、

「いのちというのは自分のものではなく、誰かのために使えてこそ本当のいのちではないでしょうか」

 と語っているが、それは天風が懊悩の末につかみとったものと同じだ。自分のためだけに生きているときは、本当の意味で自分のいのちを生かしてはいない。この天理に気づいたとき、人は真に用いられるようになるのだ。

 星野さんはいつも見舞いに来てくれていた昌子さんの影響もあって、入院中に洗礼を受けてキリスト教徒になった。しかしそれはただ単に昌子さんの愛にほだされたからではなく、人の世話にならなければ生きていけないような自分でも、神は等しく尊び大事に扱ってくださっていると気づいたからだった。すると、それまで自分の中にあった、人と比べて生きるという姿勢がなくなった。

 「ついつい人をうらやみ、人が幸せになると、自分を惨めに感じ、人が不幸になると、自分が幸せになったりするような世界から抜け出せました。自分は神さまに許されているのだから、人も許すべきだと思いました。そして気づいたんです。人を許せたとき、一番平安を得るのは自分なんだと」

 信仰を持つようになった星野さんは、これからは神の手、足のかわりとなって活動しようと決意した。星野さんの描く詩画にいっそう深みが増すようになったのはそれからである。

 古来、「天に棄物なし」という。人は想像もしなかったことに遭遇したとき、意気消沈し、生き悩んでしまうものだが、一見辛いと見える現実を乗り越えたとき、そこに新しい地平が広がり、その人にしか歌えない歌を歌うようになる。

 星野さんは痛みを知っている人だから、悲しみを味わっている人の心を汲むことができる。星野さんは痛みや悲しみを超えて勝利の歌を歌うから、失意の底にあった人をも勇気づけられる。全身麻痺という代価で描いた作品が人々を励ますようになったのだ。

 この節の冒頭に掲げた天風の言葉に返ろう。

「私はどこから来て、どこに行こうとしているのだろう。この世界に何のために生まれてきたのだろう・・・」

 誰しもがそう自問する。でも悩みながらも、自分が置かれている環境を乗り越えていったとき、「魂の夜明け」がやってきて、ようやく自分の人生の主人公になっている。気がついてみると、いつしか幸せの宇宙の方程式にのっとった生き方をしているのだ。

 それはまさに天風が言ったとおり、「宇宙の根本主体の持っている働きの方から人間を考えてみようという考え方」に合致している! だからこそ、そこで歌う歌は同じような境遇にある人々を励ますのだ。

 今、富弘美術館を訪ねる人は年間三十五万人、美術館がオープンして十七年間で五百万人以上が訪れ、心の深いところで癒やされていった。神さまは星野富弘という一人の人間の多端な人生行路を用い、何とすごいことをなさることか! 人生の妙味をそこに見るのは私だけだろうか。