中村天風「幸せを呼び込む」思考 神渡 良平著 講談社+α新書 - 十二 外に頼らず、自分を信じる

桑原健輔さんの抜粋の第11回目です。

中村天風『幸せを呼び込む」思考        神渡 良平著  講談社+α新書

ダンプ村で
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十二 外に頼らず、自分を信じる

 

「人は万物の霊長として、宇宙霊のもつ無限の力と結び得る奇しき働きをもつものを、我が心の奥に保有す。

かるがゆえに、かりにも真人たらんには、いたずらに他に力を求むるなかれである。

人の心の奥には、潜在勢力という驚くべき絶大なる力が、常に人の一切を建設せんと、その潜在意識の中に待ち構えているがゆえに、いかなる場合においても心を虚に、気を平にして、一意専心この力の躍動を促進せざるべからず」

(『運命を拓く』中村天風著 講談社)

  宇宙の仕組みを知ろう

 天風の箴言には、はっと気づかされることが多い。

 ここでは天風は、人の心の奥には潜在勢力という驚くべき絶大なる力が与えられているから、それを活用することを工夫すべきであって、いたずらに他に力を求めてはいけないと警告を発している。

 外に力を求めるというのは、一流大学大学院卒であるとか、上場企業で働いているとかいう肩書きに頼るということも入る。そういう外物に頼っていると、いつしかそれが手枷足枷となり、重荷となる。また周囲の人々は本人の外の権威に頼っているという心の状態を目ざとく見抜くから、内心では「鼻持ちならない奴だな」と思う。

 天風はそれよりも自分を信ずべきだという。

 では、なにゆえ自分を信じるのか。

 現実は、部活ではレギュラ-に選ばれなかったし、志望校にも合格しなかったし、恋人にも愛想をつかされ逃げられてしまったし、課長からは怒鳴られてばかりいる駄目な自分なのに、自分の何を信じろというのか。

 そう、そういう現実を見ると、夢も希望もない。けれども天風はそれを承知の上で、自分を信じるんだと励ます。その理由は、人間は万物の霊長として、宇宙霊の持つ無限の力と結び得る奇しき働きを持っているからだという。するとすぐ、

「おれは神とか仏とか信じないんだ」

という拒否反応が返ってくる。拒否反応ほど強いものではなくても、言っていることの意味がわからず、「フ-ン、そんなものかな?」と軽く受け流してしまう。

 しかし、天風は神仏があるとかないとか、信仰とか何とか言っているのではない。幸せを実現できる宇宙の仕組みを語っている。講演では、よく扇風機と電気の例を用いて説明した。

「扇風機だけじゃ回らないだろ。プラグをコンセントに刺し込んだら、初めて回るだろ。おれはそのことを言ってんだ。扇風機は電源とつながらなかったら回らないように、人間も宇宙霊とつながり、そこから活力を吹き込まれなかったら、ただの木偶の坊になっちまうんだ」

 事実、天風は神仏をただありがたがって、ひたすら手を合わせて拝んでおれば、ご利益があるという生き方を極端に嫌った。

 

 

 王陽明も自分自身を信じた

 実はこの「自分を信じる」というのは、古来人間をつき詰めて考えてきた人々はみな至りついていた。たとえば徳川幕府唯一の大学である昌平坂学問所で儒官を務め、幕末の青年武士たちを奮起させた『言志四録』の著者・佐藤一斎はこう書いている。

「士はまさに己にあるものを恃むべし。動天驚地極大の事業も、またすべて一己より締造す」(およそ偉丈夫たる者は自分自身にあるものを頼むべきである。天を動かし、地を驚かすような大事業も、すべて自分一個から作りだされるものである)

 これは壮士が粋がって大言壮語している言葉ではない。何をなすにしても泥中の橋頭堡である自分を信じ、自分を頼みにしなければ始まらない。人を当てにするのではなく、自分を頼みにする人は、事業の遂行を通して自分自身が練り鍛えられ、それがまた事業の進展に結びついてゆく。

 明の王陽明もまた言明している。

「天下ことごとく信じて多しとなさず。一人これを信ずるのみにして少なしとなさず」

(世の人々がこぞって私をほめたたえたとしても、多いとは思わない。逆に、たった一人しか支持してくれなかったとしても、少ないとは思わない)

 これだけの気概があったからこそ、権力をほしいままにしていた 劉瑾に逆らい、貴州竜場に流されても、意気消沈することなく、ついに陽明学を確立するに至ったのだ。

 あるとき、人が王陽明に問うた。

「鳥も通わないこんな辺鄙な田舎に流されて、寂しくはありませんか?」   
 

 それに対して、王陽明は平然と構え、こう答えている。

「なんの、なんの。今は人も訪ねて来ない寂れた陋屋かもしれないが、やがて門前市をなすように人が訪ねてくるだろう」

 己に頼むところがあったら、世間や上司の評価ごときで人は動じるものではない。四苦八苦しながらもついに事業を成し遂げる人は、自分に在るものを信じているのである。

 

 

 心を運用する秘訣は虚心坦懐

 さて再び天風に戻るが、冒頭に引用した文章で天風は「虚」という言葉を使っている。これは注目に値することだ。

 天風は奇しき宇宙霊の力が自分の中に流入するためには、自分が虚でなければならないという。天風は相手の気を利用して投げる合気道の創始者植芝盛平が一目も二目も置いており、武道の達人でもあり、極意を極めていたから、自分自身の用い方を「虚」と表現したに違いない。

 私は以前、『宇宙の響き――中村天風の世界』(致知出版社)を執筆しているとき、天風が自分の後を継いでくれる者としてもっとも期待していた藤平光一さんを訪ねた。天風が自分の後継者にしたいと思うほどに見込んでいた人物を知りたかったのと、藤平さんは気をどう体得されているのか知りたくて、訪ねていった。

 藤平さんは慶應義塾大学の学生のころ、健康な体を得たいと思って合気道を始め、植芝盛平門下では並ぶ者がいないほど強い選手になった。そして合気道普及のために渡米し、最強のプロレスラ-を小柄な藤平さんがなぎ倒したことから、合気道が俄然注目を集め、発祥元の日本以外ではアメリカをもっとも盛んな国に仕上げている。そういう功績もあって、最高段位の十段を贈られている。

 その藤平さんが私の前で技を披露してくれた。空手は力で相手を粉砕するわけだから、男性的でたくましいものを感じさせるが、合気道はそれとはまったく逆で、むしろ女性的なものを感じさせ、相手の力を利用して相手を転がしてしまう。

 そのとき、藤平さんは、「自分の心の姿勢を虚にすれば誰にでもできる」と説いた。

ぶつかって力でねじ伏せるのではなく、自分を虚にして、相手の力を利用して倒すのだという。

 古来、「虚心坦懐」という。心を虚しくして受け入れれば、さっぱりした、わだかまりのない気持ちになるという。まさしくそうだ。「心を虚しくして受け入れれば」、新しい展開が始まるのだ。

 

 

 自分を信じられないのは憐れ

  さて先に引用したことを、天風は『真理のひびき』(講談社)では別な角度から述べているので引用し、検討してみよう。

「およそ人間何が憐れだといって、自己を信じることができないほど憐れなものはない。そういう人は、努力さえすれば出世成功のできる人生を、あたらただ何年かその生命をこの世に活かしていたというだけで、結局は平々凡々でその生涯を終わるという愚かな終末で決算してしまう。

 要約すれば、こうした人生は、人の生命の力の向上に対する自信欠如の結果から招かれるもので、曰く自業自得というべきである」

 それにしても、自分に対して自信を持たず、風のように成り行き任せで、寝ているのか、覚めているのか、はたまた夢を見ているのか、酔っ払っているのか、わからないような人生を過ごしている人が何と多いことか! これはそういう人間に対する天風の強烈な批判であり、覚醒をうながした言葉である。

 天風にとって、自分を見限って、何をなすこともない人生を送っている人を見ることほど、残念なことはなかった。それぞれの貴重な人生を浪費しているからである。

「自分を信じる」ことほど、自明なことはない。何をいまさら……と、誰しもが思う。

 しかし、この言葉ほど含蓄が深いものはない。私たちが認識しているよりも、十倍も二十倍も深いところで、天風は捉えているようだ。

 

 

 心は宇宙霊とつながるパイプ

  私は『運命を拓く』(講談社)の中で、天風が次のように断言しているのを読んだとき、そうであるに違いないと思い、

「私のような人間でも、何かできるんだ。まだ遅いことはないんだ」

 と小躍りするような喜びを感じた。天風は断言していた。

「人間は誰でも、大した経験や学問をしなくても、完全な人間生活、いわゆる心身を統一できる人間であれば、男でも、女でも、誰でもひとかどの成功ができるようになっているのである」

 学歴も何もない私でも、心身統一さえできれば、ひとかどの成功を収められる。受け手である人間の側に、「清く、尊く、強く、正しい積極的な心」さえあれば、宇宙霊のエネルギ-が流入し、我ならぬ我が出現するというのだ。

「心身を統一し、人間本来の面目に即した活き方、どんなときも、『清く、尊く、強く、正しい積極的な心』であれば、万物創造の力ある神韻縹渺たる気と、計り知れない幽玄微妙な働きを持つ霊智が、量多く人間の生命の中に送り込まれてくるからである」

 これらは本書の欠野アズ沙さんの例を紹介した項「成功の条件は精神を集中させることだ」(30ペ-ジ)の冒頭にも引用しているが、本当に人を励ましてくれる言葉だ。

 この文章に接したころから、私は宇宙霊というものを意識するようになった。もちろん私の務めで十分な努力は怠らないけれども、私の大本の存在である宇宙霊の意向に添った自分でありえているかどうか、チェックするようになった。宇宙霊の地上における具体的展開としての自分なんだと意識するようにもなった。

 そうすると、ちっぽけな私に宇宙霊の力が注ぎ込まれるように感じた。

 天風は、心というものは宇宙霊と人間とをつなぐパイプであって、その結び目が堅固であればあるほど、そのパイプを通して宇宙霊のエネルギ-が流入してくると説いていた。私が実感したのは、まさしくそれだった。

 以来、私の人生は好転し、歯車がかみ合い始め、人生の本格的な軌道に乗ったようだと感じるようになった。