太陽光発電に挑戦し始めた - 濵田総一郎パスポート社長③

月刊 「関西師友」 6月

会社をあげて被災地を支援
その翌年(平成23年)3月11日、東日本をマグニチュード9という歴史上最大の大震災が襲った。濵田さんはこれまで経験したことのない激しい揺れの中、本店2階にあるワイン館で、1本何万円もする輸入ワインを並べているワインラックが倒れないよう必死で支えていた。
テレビをつけてみると、前代未聞の大惨事になっていた。電話で38の店舗の被害状況を調べながら、自社の復旧作業もさることながら、被災者が生命をつなぐことができる緊急支援をしなければと思い立った。日頃掲げている「良知経営」の本領が今こそ発揮されなければならないと覚悟を決めた。
そこで早くも2日後の13日には、カップ麺、水、レトルト食品、毛布、紙おむつを満載した4トントラックを送りだした。さらに何とか確保した米を満載した10トントラックが17日本社を出発し、18日には餅、麺類、牛乳、バナナを積んだ10トントラックを送り出した。その後も支援は続き、総額は895万円に上った。
支援は4月以降も続き、各店舗でお客さまから寄せられた義援金もあわせ、1千231万9785円(平成23年11月1日現在)に上った。
トラックで支援物資を運ぶだけではなく、社員5名が入れ替わり立ち替わり被災地に入り、炊き出しをし、瓦礫の撤去を手伝った。その報告会が本社で開かれ、被災地支援に行ってきた者は異口同音に語った。
「生活物資を支援されて、被災者も助かったのでしょうが、みんなに感謝されて誰よりも私自身が励まされました」
すると「次は私を派遣してください」という申し込みが殺到した。
7月からは毎月12月まで、フェアトレード団体(発展途上国の原料や製品を適正な価格で継続的に購入することを通じ、立場の弱い発展途上国の生産者の自立を目指す運動)のネパリ・バザーロと一緒に、石巻市や陸前高田市の被災者約60名を東鳴子温泉に招待し、避難生活の疲れをいやしてもらった。
するとある参加者は涙をこぼして喜んだ。
「涙には辛くて流す涙もありますが、うれし泣きの涙もあるんですね。私は震災に出遭ってみて、人々はこんなにやさしいのかと知り、うれし涙を流しました」
被災者も社員もともに手を取り合って、気落ちせずにがんばりましょうと励ましあう姿を見て、濵田さんは「わが社にもようやく良知経営が根づき始めました」と相好を崩して喜んだ。
「私は被災地の支援が会社経営にプラスかどうかと考える以上に、人間としてどうあるべきかという判断がもっと大切だと思いました。わが社はどこまで支援に耐えうるかシビアに判断しながらも、最大限身を切ろうと支援を続けました。その結果、命懸けで支援した私どもが逆に多大な精神的恩恵をいただいたように思います」
 パスポートの真剣な対応にお客さまも共感していただいたので、レジの横に置いた義捐金箱もいっぱいになり、ありがたいことにお店の売り上げも伸び、平成23年(2011)3月末(創業19期目)は年商242億5千万円に達した。

太陽光発電への挑戦
濵田さんは業務スーパーによって地歩を築いたわけだが、平成21年(2009)から再生可能なクリーンエネルギーである太陽光発電の京セラ製ソーラーパネルの販売にも携わり、現在2店舗を経営している。これまで一般住宅や学校、店舗、公共施設などの屋根にソーラーパネルを設置してきた。
その経験を元に濵田さんが根気よく推進してきたのが、鹿児島県いちき串木野市にある西薩中核工業団地の各工場の屋根に2千キロワットのソーラーを設置し、団地ぐるみで発電・売電しようというメガソーラーパネル計画だ。
すでに合同会社設立に向けて準備会が発足し、今年(平成24年)4月から着工に入る予定だ。2千キロワットとは一般家庭500戸分の消費電力に相当するが、7月から九州電力に売電を始めるという。経済産業省の外郭団体である新エネルギー導入推進協議会の補助金によるスマートコミュニティ構築事業のフィージビリティ・スタディ(採算可能性調査)も進行中だ。
計画によると、さらに市内の事業所や公共施設、学校、一般家庭にもソーラーパネルを設置し、その規模は850~900キロワットになる予定で、初年度の第1期計画だけで約12億円になるという。
ただ現在は売電のために2千キロワットしか送電できないので、第2期計画以降の工業団地空地へのメガソーラー増設分については新しい送電網が必要になる。その建設費をどこが担当するのか、投資を意志決定するために必要な電力買い取り価格や、電力会社の送電網に接続する設備のコスト負担について、政府の早急な決定が待たれている。
海外からは「日本の全量買取制度は骨抜きの法律だ」と厳しく批判されている。というのはメガソーラーや大型風力発電などを設置しても、電力会社の送電網につなぐ接続コストが大きいので、事業者負担ではまかなえないのが現実だ。
欧米ではそのコスト負担を電力会社や国や地方自治体が負担するようにし、電力会社は事業者が発電する電力を無条件に全量、固定価格で買い取るようにしている。
ところが昨年成立した日本の法律では、「電力会社は買い取りを拒否できる」という一文が従来のまま残っており、系統連携の接続コストを誰が負担するかは盛り込まれていない。政府がこれを決めないかぎり、全量固定買取制度が今年7月から施行されても、事業者は事業を進めることはできない。これでは骨抜きの全量買取制度だと悪口を言われても仕方がない。
地元の中小企業を巻き込んで、この事業を推進してきた濵田さんは、事業の歴史的意味を熱っぽく語った。
「福島原発事故以来、原発に代わる電気生産の必要性が叫ばれ、太陽光発電に関しては約50のメガソーラー計画が進められています。でもどれも具体化するのに難航しています。
 また他の計画は大企業中心のメガソーラー計画ですが、いちき串木野市の計画は地元の中小企業主導の計画です。クリーンエネルギーによって町を魅力的にし、若者を呼び戻して、高齢化によって疲弊しつつある町を活性化しようというのです。
いちき串木野市のような人口が3万人から5万人の地方都市は全国に約200あります。いちき串木野市のモデルが成功すれば、他の地方都市もそれにならって、町を活性化できるはずです。その意味でもいちき串木野市を日本一の環境モデル都市にしたいのです」
 耳を傾ける人をその気にさせ、ぐいぐい引っ張っていく濵田さんのエネルギーは、太陽光発電というモデル事業でも大いに発揮されつつあるようだ。

 明日の活力を与えられる深夜の読書
 濵田さんは一日の仕事が終わった深夜の会社で、安岡先生が亀井正夫住友電工会長(当時)に贈ったという「六中観」をしみじみと見つめながら、物思いに耽るという。

 忙中閑有り
 苦中楽有り
 死中活有り
 壺中天有り
 意中人有り
 腹中書有り

安岡先生はこれを『新憂楽志』(明徳出版社)でこう解説しておられる。
「忙中閑有り。ただの閑は退屈でしかない。真の閑は忙中である。ただの忙は価値がない。文字通り心を亡うばかりである。忙中閑有って始めて生きる。
 苦中楽有り。苦をただ苦しむのは動物的である。いかなる苦にも楽がある。病臥して熱の落ちた時、寝あいた夜半に枕頭のスタンドをひねって、心静かに書を読んだ楽は忘れられない」
読み進むうちに背筋がすっくと伸び、清々しい感慨に包まれる。至福のときだ。安岡先生はさらにこう述べている。
「死中活有り。窮すれば通ずということがある。死地に入って意外に活路が開けるものである。うろたえるからいけない。それのみならず、そもそも永生は死すればこそである。全身全霊を打ち込んでこそ、何ものかを永遠に残すこと、すなわち永生が実現するのである。のらくらとわけのわからぬ五十年七十年を送って何の生ぞや」
 こんな言葉に活を入れられて、仕事に向かう活力を与えられる。悩んでいても、心が慰められ、「壺中天有り」(世俗の世界に引き回されることなく、独自の別天地に生きること)と、気持ちが切り替わって、新たな発想が生まれたりする。安岡教学はどこまでも生きた学問なのである。

 故土光敏夫会長の付託に応えるべく
「私は若いころ、青年会議所に入って活動していました。昭和58年(1983)、日本青年会議所は当時臨時行政推進審議会の会長を務めておられた土光敏夫元経団連会長を講師として招きました。「財界総理」とも呼ばれた、もう86歳になる土光会長は切々たる口調でこう語りかけられました。
『私はこの国の行く末が心配なので、こうして老骨に鞭打って、最後の奉公だと思ってがんばっている。私はこの日本を少しでもいい国にして君たちにタスキを渡したい。君たちも私の意を汲んで、もっといい日本にして、あとから来る子供や孫にタスキを渡してほしい。どうかこの命のタスキを受け取ってくれ』
 大上段に構えて話をするのではなく、語りかけるような口調だった。しかし土光会長の憂国の情は圧倒的存在感をもって迫ってきました。民族の命を継承させるというのはこういうことか! 私は大変突き動かされ、流れる涙を拭うことができませんでした。それ以来私は、未熟ではありますが、故土光会長の付託に応えるべく、身を挺してがんばっています」
 濵田さんは多くの先哲に導かれて、有意義な人生を歩めることを感謝する。パスポートで倦まず弛まず良知経営をすることがご恩返しになると思う。だから会社経営が楽しくてしかたがない。
(了)