『中村天風人間学』(PHP研究所) 2014年8月発表予定

『中村天風人間学』 一部抜粋

8月、『中村天風人間学』がPHP研究所から出版されます。その中にこういう文章を書きました。ご笑覧ください。

『中村天風人間学』 一部抜粋 (PHP研究所) 8月発表予定

一 光に包まれた夫の美しい最期

――さわやかなロサンゼルスから愛と感謝を込めて

 

 

「およそ宇宙の神霊は、人間の感謝と歓喜という感情で、その通路を開かれると同時に、人の生命の上にほとばしり出ようと待ち構えている。だから平素出来るだけ何事に対しても、感謝と歓喜の感情をより多く持てば、宇宙霊の与えたまう最高のものを受けとることができる。かるがゆえに、どんなことがあっても、私は喜びだ、感謝だ、笑いだ、雀踊(こおど)りだと、勇ましく、溌剌(はつらつ)と、人生の一切に邁進しよう」(『運命を拓く 天風瞑想録』)

 

 

ロサンゼルスからのメッセージ

「このマリアさまの写真は、サンフランシスコの南に位置するサンタ・クララにある『Our lady of Peace』(「平安の聖母」)と呼ばれているマリア像の写真です。このマリアさまの愛に包まれながら逝った主人の美しい死を思い出したので、フェイスブックにアップしました。

思い出多いこのマリアさまには、昭和六十一年(一九八六)、私のスピリチュアル・マスターだった故ドローレス・ハンド先生につれて行っていただいたのが、最初でした。そして平成元年(一九八九)年八月三十日、主人が亡くなる前々日、主人と一緒に行ったのが、このサンタ・クララのマリアさまでした」

 平成二十六年(二〇一四)四月二十六日、フェイスブックに、ロサンゼルスに住んでいる鯉沼(こいぬま)(いく)()さんからメッセージが送られてきた。サンタ・クララにある聖母マリアの大きな像の写真が添えてある。聖母マリア像は湿気の少ないカリフォルニア特有の紺碧の空を背景に、両手を広げて立っている。

「私がカリフォルニア州の北部にある聖なる山シャスタ山で行われたマスター・ドローレスのセミナーから帰ってちょうど三日後の八月三十日の朝、主人は突然サンタ・クララにある、この聖母マリアに連れていって欲しいと言い出しました。実はそのとき主人は末期ガンを患っていましたが、抗がん剤や痛み止めを使わず、庭のバラの手入れや瞑想三昧をして過しており、もう二か月以上も外出していなかったのです」

 ご主人の康和(やすかず)さんは、米国三菱商事ニューヨーク本社に勤務して、商業衛星の輸入などを手がけていた国際的なビジネスマンだ。日米、ヨーロッパ、南北アメリカを股にかけて、忙しい毎日を過ごしていた。その後、サンフランシスコのパルアルト支店長として、シリコンバレーのコンピュータ・ビジネスに参入していた。ところが、スタンフォード大学附属病院で膵臓(すいぞう)ガンが発見されたので、休暇を取って治療していた。

「私はお医者さまから余命二週間と言われていたので、主人から聖母マリアのところに連れていってほしいと頼まれたとき、

『主人は車に乗れるほど、元気になったのだ。よくなって来てる!』

と思い、小躍りしました。私たちが住んでいた家からマリアさままで、車で四十分ほどかかります。主人の腰が痛くならないかしらと懸念しながらも、クッションを持って、いっしょに出かけました」

サンタ・クララの聖母マリア像は六、七メートルもある巨大な像で、フリーウエイ一〇一号線に向って両手を広げ、慈愛に満ちた表情で立っている。

「あの日も雲一つなく晴れわたった紺碧の空でした。主人は一人でゆっくり階段を登っていき、大きなマリア像の足下にたどり着きました。

このマリアさまにはこんなエピソードがあります。一九八五年頃、ドローレス先生はマリアさまから、『サンタ・クララのマリア像の周りの波動をクレンジングしてください』というメッセージを受け取られたそうです。それで一週間、毎朝日の出前に、小一時間ほど運転してマリア像まで行き、マリア像の周りに人々が残していった悲しみや苦しみの想念を取り除き、元の愛と光の波動に戻されたそうです。当時のことをよく知っている友人が、そう語ってくれました。ドローレス先生は謙虚な方なので,ご自分では何もおっしゃいませんでした。

その後、このマリアさまは、『奇蹟が起こるマリアさま』として、お参りする人がどんどん増え、いつもたくさんのお花が供えられるようになりました。人々が自然に良い波動を感じられたのでしょう。

主人はこのマリア像の足元にぬかずき、身体を二つに折って、すべてに身を委ねるようにひれ伏しました。学生時代、植芝(うえしば)(もり)(へい)先生について合気道で鍛えた体は、すっかり瘠せて小さくなっていました。

長い間ひれ伏したままでいる主人の後ろ姿から、後光が射しているかのように、淡いピンクのオーラが出ていました。私が目をつぶっても開いても、何をしても、ピンクのオーラは消えませんでした。

すべてに身を委ねるようなひれ伏し方に、私は胸が熱くなり、主人をそっとしておこうと、その場から離れ、近くのベンチに座って瞑想を始めました。でも、私はどうやらいつの間にかぐっすりと眠ってしまったようです。

目を開けて時計を見ると、四十分も経っていました。その間、主人はマリアさまの足元にひれ伏し続けていたのです。主人がちらっと動いたのを見計らって、私は側に駆けよりました。主人は至福感に満たされ、その顔は輝いていました。

『ぼくは聖母マリアのピンクの光のエネルギーの中に、身を委ねさせてもらったよ。そのやさしいピンクの光の中に、ぼくの魂を見たんだ! 神さまはぼくの魂だったんだよ。 その温かい光の中でやすらぎ、平安な気持ちにさせていただいた。本当にありがたい。 ここまで連れてきてくれて、ありがとう!』

主人は涙に濡れた手で私の手を取り、細い腕で私を抱きしめてくれました。気が遠くなるほどの幸福感が伝わってきました。愛と感謝の気持ちが主人の体全体からあふれ、私の心を包んだので、私は涙でむせんでしまいました。

主人が私にも至福の気持ちを分けてくれたのだと感じ、主人の無条件の愛が嬉しくて、涙が止まらなかったのです」

私は鯉沼夫妻がかくも美しい絆で結ばれていたのかと感動して、メッセージを読みすすんだ。残念ながら私は康和さんにはお目にかかれなかったが、征代さんを通して多くの学びを得、啓発されていた。

 

闘病生活はカルマを解消するためにある

「ふと見あげると、二羽のハトが飛んできて、マリアさまの手のひらに止まりました」

 と、鯉沼さんは書き進んでいた。

「平和そのものの光景が、いまだに目に焼き付いています。きっとこの時、主人の魂は、弱くなった肉体という衣を脱ぎ捨ててこの世を離れ、高次の世界に戻っていこうと決心したのだと思います。

末期がんであるにもかかわらず、瞑想によって次々と過去世のカルマを解消していき、痛みまでも克服し、愛と光に包まれて、至福の中で笑みを浮かべ、歓喜の表情で高次の世界に戻っていったのです。主人は口癖のように言っていました。

『肉体は滅びても、魂は不滅で、存続するんだよ。死も生も本当はないんだよ。闘病生活はカルマの解消のためにあるんだ。ぼくは早くカルマを解消し、新しい肉体に着替えて地上に戻り、人々を救済するために働きたい』

ドローレス先生が、ヤスは今世で七回分の生涯を過ごしたほど、学んで帰っていきましたよと言われた言葉がとても印象的でした。サンタ・クララのマリアさまの写真を見ていて、急に二十五年前の八月三十日のことが思い出されたので、みなさんとシェアしました。

もうすぐ五月です。カトリックでは、五月はマリアさまの月といわれています。みなさまにマリアさまの愛が届きますように。さわやかなロサンゼルスより、無限なる愛と感謝と祝福を込めて」

死は悲しい別離ではなかった。康和さんは光に包まれて最期を迎え、天に帰っていったのだ。

 

人間は光の存在だ

文中、征代さんはシャスタ山で行われたドローレス先生のセミナーに参加したと書いていた。実はあの集まりは康和さんが参加する予定だったが、体調が思わしくなく参加できなかったので、自分の代りに征代に参加してほしいと頼んだのだ。

会場のシャスタ山は古くからネイティブ・アメリカンが瞑想に使っていた聖地で、パワー・スポットとして知られているところだ。現在も多くのスピリチュアルなグループがセミナーを行っている。

小柄な妖精のようなドローレス先生は集会をリードして言った。

「あなたは神が与えてくださった光であり、愛であり、永遠の炎のような存在です。あなたは神のエッセンスです。神はあなたの中におられます。いや、あなたは神そのものなのです。

 そういう自分を取り戻すため、幾重にも私たちを覆っているカルマを一つひとつ取り除いていくのです。こうして執着が取り払われると、神が自分の中におられることに気づくのです。いや、自分が光そのもの、神そのものであることに気づいてください」

 征代さんはそんな言われ方をしたのは初めてだったので、マスター・ドローレスの言葉が心の中に染みこんできた。そしてドローレス先生はこう話しかけられた。

「シャスタ山の頂上を二つの流れ星が通過したのをご覧になった? あれはヤスが肉体の衣を宇宙に返して帰天することにし、イクヨは地上に残ると同意した印だったのよ」

それから数日後、サンタ・クララの聖母マリアの足下にひれ伏して祈っていた康和さんが、恍惚(こうこつ)な表情をして、同じことを言ったのだ。

(まちがいない! 私たちは光なんだ。神さまが私たちに内在していらっしゃるのだ)

 征代さんは康和さんと宇宙意識を分かち合うことができて嬉しかった。

 

植芝盛平翁の悟り

鯉沼康和さんが早稲田大学時代、合気道を習っていた植芝先生は、大正十四年(一九二五)の春、大悟された。二代目道主の故植芝吉祥丸の『植芝盛平伝』(講談社)から、大悟の部分を要約しよう。なぜこれを紹介するかというと、ヒマラヤで天風先生が得た体験ときわめて似ているからである。

「植芝盛平は道場を出て、井戸端で流れる汗を拭いた。そして庭を横切り、柿の古木の所まで歩いてきたとき、突然全身がすくんで、その場から一歩も動けなくなった。大地がゆらゆら揺れ始め、天から無数の目もくらむばかりの金線がふり注いだ。続いて寂とした虚空に黄金の光が満ち始め、それが盛平の全身を包んだ。その黄金体は見る見るうちにふくらんで、宇宙全体まで広がっていった。

それと共に、盛平は心身ともに軽くなったと感じた。耳に小鳥や虫のかそけき鳴き声が流れ入り、木の葉のさやぎや風が吹く音まではっきり聞こえてきた。空にして有。いわゆる中有なる幽顕一如の境が判然としてきた。自然そのものの在りようが見えてきて、大宇宙に己れをまったく移入しえたと直覚した。

その直後、はっきりと悟った。宇宙の本質は愛である。愛は争わない。愛には敵がない。宇宙と調和できない人間の武道は、破壊の武道であって、真の武道ではない。武技を争そって勝ったり負けたりするのは、真の武ではない。勝つとは、己れの心の中の『争そう心』に打ち勝つことだ。

勝たずして勝つ。自他一如、神人一如、宇宙即ち我れ。そこでは己れ一個の勝ち負けははるかに超越していた。その体験から、盛平は武道ではあるものの、試合を行わない合気道なるものを開くにいたった」

 合気道は武道の中でも、特に《気》を大事にする武道である。康和さんは学生時代から気を敏感に察知する繊細な感覚を養っていたのだ。

 

 天風先生は生き方のお手本

 征代さんは長らくアメリカに住んでいて、マスター・ドローレスや他のスピリチュアル・マスターたちの話を聞いているので、天風先生の考え方がとても新鮮に響く。天使の微笑みを浮かべて、征代さんは絶賛した。

「通路が開かれると同時に、《感謝》と《歓喜》は人間の生命の上にほとばしり出ようと待ち構えていると、天風先生はおっしゃいますよね。何とすばらしく、力強い表現なんでしょう。自分の側にそういう気持ちを持つことなんですね。私も、どんなことがあっても、私は喜びだ、感謝だ、笑いだ、()(おど)りだと、はつらつと生きます。

 悲観して落ち込んでいたら、そういう運勢を呼び寄せてしまいますよね。『ほんとうの心の力』の次の言葉は私への励ましです。

『どんな場合にも心を明朗に、一切の苦しみをも微笑みに変えていくようにしてごらん。そうすると、悲しいこと、つらいことのほうから逃げていくから。

人の運命というものは、油断すると、常に本能と手を組んで歩こうとしているものなんだ。そして、消極的な出来事は絶えず、不用意な人々の周囲を徘徊(はいかい)してるんだよ。だから、運命の力をほどよく制御したかったならば、自己の本能の分別ない行動を正しく制御しなきゃならない。苦しいとか悩ましいとかいうのは、みんな本能の踊り子に自分の心がなっていたための結果だよ』

 天風先生は私の生き方のお手本です」

 征代さんの周りはいつも笑いがあふれている。それは何も不自由がなくて幸せでいられるからではなく、何があっても感謝して喜んでいるから、幸せが向こうからやってくるのだ。「呼び寄せの法則」というのがあるが、征代さんの生活を見ていると、幸せを呼び寄せていらっしゃるんだなと思わずにはおれない。

 

 何というシンクロニシティ(偶然の一致)!

 康和さんが永眠した十分後、カトリックの修道女で、聖心女子大学で教鞭をとっている鈴木秀子さんが電話を掛けてきた。受話器に出た征代さんは沈痛な声で応対した。

「実は主人が十分ほど前に、息を引き取りました。鈴木先生がルルドから持ってきてくださった大きなローソクをともして、いまお医者さまを待っているところです。

 でも、日本は真夜中の二時過ぎでしょう。どうしてこんな時間にお電話をくださったんですか。私は今お電話をいただいて、どんなにうれしいことか……」

 そう聞いて、鈴木さんは絶句した。

「何ですって! 私はたった今、サンフランシスコ空港に着いたところなんです」

 実は鈴木さんは米国出張があって、まずニューヨークで二週間過ごし、その後サンフランシスコにまわって滞在する予定で、飛行機の切符やホテルの予約もすませていた。ところが出発の二日前になって、どうしてもサンフランシスコを先にしたほうがいいという気がして、急遽予定を変えた。だから空港から電話して、康和さんがたった今亡くなったばかりだと聞いて唖然としたのだ。

 康和さんの葬式は仏式の社葬として執り行われた。しかし、康和さんの願いどおり、グレゴリアン・チャントも流され、シスター鈴木が会葬者の一人ひとりに、花を贈呈してくださった。康和さんらしく、いつの間にか神仏混交の葬式となった。

 

 鈴木さんは東京大学を卒業後、スタンフォード大学に留学していたとき、鯉沼さんとご縁ができ、しばしば家に遊びに行くなどして、家族ぐるみで付き合っていた。康和さんは会社に行く途中、鈴木さんのフラットに寄り、車に乗せて大学まで送ってくれた。道々、康和さんはこんな話をした。

「私は毎朝一時間ほど瞑想しています。瞑想しないと、毎日ただ忙しく、仕事のことだけで時間が過ぎていき、自分が人間であることを忘れてしまいます。忙しすぎると、心を滅ぼしてしまうというのは本当で、私は自分を滅ぼしたくないので、瞑想をしてかすかに抵抗しているんです」

 そして意味深いことを語った。

「人間は地位や名誉や富にしがみついてしまいます。でも、よく考えてみれば、それらはみんな人間の外にあるものですよね。人間の外にあるものは、実は人間の内にあるものの現われのはずです。人は目に見えるものだけにエネルギーを使いすぎると、外のものの源である、人間の内なるものを失っていくのではないでしょうか。

 根に水をやらずに、咲いた花だけをよしとすると、自然にその木全体が枯れていきます。それと同じで、人間の成長は一人ひとりが、内なるものを枯渇させないように、いつもみずみずしく保つことから始まるのではないでしょうか」

 後年、鈴木先生は『愛と癒しのコミュニオン』(文藝(ぶんげい)春秋(しゅんじゅう))にそのときの会話を書き、本質的なことを考えている方だなと感心したという。

 鈴木先生は同書で、「潜在意識こそが、人類と宇宙をつなぐ大きなパイプだ。瞑想に入り、潜在意識とのコンタクトを行うと、自分を超えた人類の知恵、大宇宙の知恵に通じ、本当の自分を得ることができる」というカール・ユングの見解を紹介しているが、康和さんも同じ意見だったのではなかろうか。

 

 征代さんはロサンゼルスのサンタ・モニカの海岸近くに、娘さんのご家族といっしょに住んでいる。そして海の向こうから、ミキシーやフェイスブックでいつもさわやかな風を送って来る。そういえば、イエスは群衆に向かって、こう語ったという。

「平和をつくり出す人たちは、幸いである。彼らは神の子と呼ばれるであろう」(「マタイによる福音書」第五章九節)

 ここにも神の子がいた。

 天に感謝!

 地に感謝!

 そして生きとし生けるものに、感謝!