病気はその人に軌道修正させるための天の計らいだ

病気はその人に軌道修正させるための天の計らいだ

 

 人は(すべか)らく自ら省察(せいさつ)すべし。「天何の故に我が身を生み出し、我れをして果たして何の用にか(きょう)せしむる。我れ(すで)に天の物なれば、必ず天の(やく)あり。天の役(つつし)まざれば、天の(とがめ)必ず至らん」と。省察してここに到れば、則ち我が身の(いやし)くも生く()からざるを知らむ。(『(げん)()(ろく)』第十条)

(人間は自分というものを真剣に考える必要がある。「天はなぜ自分をこの世に生みだし、何の用をさせようとされるのだろうか。私はすでに天の物であるからには、必ず天から課せられた役目があるはずだ。その天の役目をつつしんで果さなければ、必ず天罰を受けるはずだ」と。このように反省し考察すると、人はただうかうかとこの世に生きているだけではすまされないことがわかる)

 

私を呼ぶ声

「遠くから私を呼ぶ声が聴こえる。とても懐かしい声。子供の頃に聴いていたやさしい父の声だ。

父が『こっちに来い。戻って来い』と叫んでいる。私はこの時、父の声よりも、もっと懐かしさを感じる場所にいた。平和で安らぎに満ちた場所。私はずっとここにいたいと感じている。

でも、父の声が、私をその場所から引き戻そうとする。

だんだん私を呼ぶ声の数が増えてくる。母の懐かしい声も聴こえてきた。遠いところから聴こえてきた《その声》は、次第に耳元で叫ばれていると感じられるほどに大きくなってきた」

これは『私に帰る旅』(角川学芸出版)のプロローグ「私を呼ぶ声」の書き出し部分である。著者の岡部明美さんは出産直後、(のう)腫瘍(しゅよう)水頭(すいとう)(しょう)のために意識不明になり、緊急手術が行われた。手術後、昏睡(こんすい)状態のまま自室に戻った岡部さんを、夫や両親、義父母は意識を呼び覚まそうとして懸命に呼びかけた。遠いところからかすかに声が聞こえてくる。うすらぼんやり聞いているだけで、まだよくわからない。

(のど)が苦しい。からだが痛い。『もうやめて!』と私は言いたいのに、声にならない。肉体の苦痛に耐え切れなくなり、私はだんだん意識が戻りはじめる。目を薄く開けて見た。ベッドの周りには夫、両親、義母、義父、見知らぬお医者さんと看護婦さんが見えた。みんな心配そうな顔をして、私を(のぞ)き込んでいる。

 私は、両手両足をひもでベッドにくくりつけられていた。からだ中からたくさんの管が出ている。喉からも頭からも管が出ていた」

岡部さんはようやく意識が回復した。助かったのだ。平成三年(一九九一)四月二十七日のことだった。岡部さんはこの大手術の十日前、帝王切開で長男を生んだ。ところが、出産直後から頭に激痛が走り、喜びも束の間、大変な頭痛に襲われた。医師は帝王切開のために打った麻酔の副作用じゃないかと診断し、頭痛薬を処方した。でも痛みは増すばかりで、まっすぐ歩けない。四日目には産婦人科病棟から、息子が保育器に入っている小児科病棟まで歩いていくこともできなくなった。これはどうもおかしいとなり、再検査の結果脳腫瘍が発見され、水頭症を発症しており、緊急手術した。

水頭症とは脳腫瘍などで(ずい)液の流れが障害されると、髄液が脳室や脳のくも膜下腔に異常に滞留し、頭部がはれ上がって、激痛が襲うものである。

緊急に脳の開頭手術が行われ、腫瘍が二つ摘出された。また髄液除去のために左右の側頭に穴が開けられ、チューブが取り付けられた。こうして手術は終わったものの、意識がもどらない。昏睡状態の岡部さんの内面では、前述のようなことが起きていたのだ。

 

自問自答する日々

意識が戻った岡部さんにとって何よりもショックだったのは、お腹の中で新しい生命が育っているとき、同時進行的に自分の頭の中で自分を滅ぼす腫瘍が一緒に育っていたことだ。《創造と破壊》が同時進行的に進んでいたとはどういうことだ。経済的自立と自己実現を目指し、前と上だけを見て、ひたすら走り続けてきた二十代から三十代。出産して、ようやく平安な日々が始まると思った矢先、自分の内面と向き合わされた。

(私はなぜ、こんな病気になったのだろう。なぜ、こんな目に遭わなきゃいけないの?

どうしてまたこの世に呼び戻されたのだろう。人は死んだらどうなるの?

人はいつか必ず死ななければならない。だとしたら、何のために生まれてくるの?

この病気は()(ごう)()(とく)で、因果応報で、天罰なんだろうか?)

 病気の原因探しをし、罪悪感のかたまりになった。自分を責め、言いようのない怒りやいら立ちを感じ、生還できるのだろうかと不安にさいなまされた。

 必死にプラス思考しようと思っても、どうにもならない。不安や恐怖の方が大きくて、プラス思考なんてまるで歯が立たず、落ち込んだ。

 考えてみると、長女である岡部さんは子どもの頃から、いさかいの絶えない父母の間に立って、いつもなだめ役を果たしていた。いつも問題を起こす弟の面倒を見ていて、自分がしっかりしなきゃ、家族が崩壊してしまうと、世話を焼いていた。いつ頃からか、人生を楽しみ、今を味わうことを忘れ去っていた。

社会に出て仕事を始めてからの十数年、全力疾走で駆け抜けるような生活をしてきた。市場調査してクライアントにプレゼンテーションする。頭の中には、次にしなければいけないことや、達成すべき目標があった。目標を達成してほめられると、自分が必要とされていると錯覚し、もっと仕事にのめり込んだ。泣きたくなるときでも泣けなかった。強がってばかりいて、自分が壊れそうなときも、歯を食いしばって、涙をこらえていた。

「私は大丈夫。こんなことは何でもない。平気、平気」

心の不安や動揺をねじ伏せて、自分を保つことは得意中の得意だ。自分にいつもプレッシャーをかけていて、そのプレッシャーから逃れるために、一時しのぎのストレス解消に逃げ込んだ。でもそれは本当にやりたいことではなく、一時しのぎのストレス解消に過ぎなかったから、心の底から楽しめなかった。

仕事は次から次にやってきて、それをこなすうちにポストも上がり、現場から離れて取締役として経営に携わるようになり、とうとうナンバー2になったものの、いつしかワーカホリックになっていた。

岡部さんはビジネス戦士たちと自分を重ね合わせていた。

(ビジネス社会は戦場だ。みんな傷ついた戦士たちで、心にいっぱい傷を負って、その生傷からどくどくと血が()きだしているというのに、何の手当てもせず、日々戦場に向っている。泣きたい夜もあるはずなのに……。

 ビジネス戦士たちはいつの間にか季節の草花や夜空の星をゆっくり眺めることをしなくなった。そんな余裕などない。時計、カレンダー、ノルマ、目標の数値、業績……、数字がすべて、結果がすべて。いつも数字によって、頭もからだも自動的に動いている!

私もついこの間まで乗っていた電車は、暴走していた! 私の中でいつの間にか脳腫瘍が大きくなっていたのは当然だ。心の深い部分では行き詰まり、そんな生き方から脱出しなければとあがいていた。にっちもさっちも行かなくなっていたのだ)

考えてみると、好きな読書もしなくなっていた。仕事に役に立つかどうかでしか本を選ばなくなっていた。そしていつしか、自分から純粋な動機や無垢(むく)な心、まっすぐな眼差しが失われていた。

(これじゃあ、病気になってもおかしくない。自分で病気をつくりだしていたんだ!)

岡部さんは妊娠して八か月目に産休をもらったとき、驚くべき変化がやってきたことを思いだした。

 

からだのリズムが感じとれるようになった!

低血圧で朝に弱いはずなのに、鳥の鳴き声で目が覚め、朝日が見たくて早起きするようになった。それに夕暮れ時の空の美しさといったらなかった。空の色が次第にあかね色から(ぐん)(じょう)色に変わり、そして漆黒(しっこく)に変っていく。この微妙な夕空の色彩の変化は夜の闇の序章みたいで、いつ見ても飽きず、感動的な美しさだった。

「私にようやく訪れたこの人生の休み時間は《今を感じる心》と《過去を振り返る心》の余裕をもたらしてくれた。こんなふうに何かを待ちわびて時を過ごす感覚というのは久しくなかった」と、岡部さんは『私に帰る旅』書いている。

「子供の頃には待ち遠しいことがいっぱいあった。遠足、夏休み、お祭り、お正月、家族旅行……。大きな行事だけでなく、今日はクワガタ捕り、明日はメダカすくい、あさっては(いかだ)作りといった小さな予定にいたるまで、好きなことや、やりたいことで頭がいっぱいだった。

私は夏生まれのせいだろうか、子供の頃の記憶には夏の風景が多い。電線に連なる赤トンボの群れ。ウニやサザエを採って遊んだ海。筏下りを楽しんだ川遊び。天の川を見ながらの山のキャンプ。(せみ)時雨(しぐれ)を聴きながら、木陰に()るしたハンモックで昼寝した時の心地よさ。蚊帳(かや)の外で弟たちと騒ぎながら寝た真夏の夜の眠りの楽しさ……。

からだがそれぞれの夏を記憶している。子供の頃の夏休みは、永遠に近い感覚があった。だから《去りゆく夏》は、いつも少しだけ(さび)しかった。《去りゆく春》も《去りゆく冬》も全然淋しくなんかならないのに、夏の終わりは、もう二度とは戻らない大切なものを失くした時の感覚に似ていて、私はいつも少しだけ物悲しかった」

岡部さんに感覚が戻りはじめた。女性の身体は自然そのものだ。月経の周期は月の満ち欠けに呼応し、人の誕生や死もまた潮の満ち引きに関連している。陣痛の痛みの周期も体内時計によって正確にくり返されている。胎児は母親の胎内にいる三十八週で、生命の進化の過程三十八億年を全部体現しているらしい。

妊娠してお腹の中で新しい命が育ちはじめたとき、その子は「人生の休み時間」という贈り物をもってやってきた。休めるということがこんなにもうれしいと感じるとは驚きだった。

岡部さんは、胎教にいいからと友達が送ってくれた「波の音とイルカの鳴き声」のテープを好んで聴いた。寄せては返す波の音は悠久な時間を感じさせ、自分が大いなるものにやさしく護られているような安心感を覚える。満ちてくる波をイメージして息を吸い、引いていく波で息を吐いた。波は宇宙の呼吸のようだった。

お腹の中でケリを入れてくる赤ちゃんのリアリティは格別におもしろかった。お腹の中の小さないのちが、岡部さんに自分のいのちを再発見させてくれ、宇宙に満ちみちている大自然のいのちに目を向けさせてくれた。日だまりの暖かさや夕焼け雲のきらめきに見入る心の余裕を与えてくれたのも、お腹の中の子どもだった。

(ああ、私は生き物としての感覚を長年忘れていた。さまざまな知識や観念に邪魔されて、いつのまにか頭でっかちになっていた! 私は、本当は立ち止まりたかったんだわ。階段には踊り場があって息を整えられるように、人生にも踊り場が必要なんだ)

臨月を迎え、出産の時がきた。陣痛の波はまるで満ち潮と引き潮のように交互にやってくる。次第に陣痛は激しくなり、間隔も五分置き、二分置きになった。もうすぐ産まれる。力みながら、赤ちゃん、がんばれ! と声を掛けた。

ところが急に身辺があわただしくなった。医師や看護師が胎児の心音を見るモニターを見て、何やら相談している。胎児の心音が途絶えはじめ、体内切迫仮死に陥っているらしい。急いで取り出さないと、死産になってしまう。自然分娩は急遽(きゅうきょ)帝王切開に切り替えられ、ストレッチャーで分娩室から手術室に移された。岡部さんはお腹の子どもが生きて生まれてほしいと、手を合わせて必死に祈った。

オギャー、オギャーと大きな泣き声が聞こえた。

「おめでとうございます。かわいい男のお子さんですよ」

岡部さんは天にも昇るような気持ちだ。大きな坂を乗り越えた満足感でいっぱいだ。しかし赤ちゃんは二千百グラムの未熟児。まだ危険な状態なので、急いで小児科の保育器に移された。

 

 もう一人の自分がいた!

 そんなある日、看護師が「今日はいいお天気ですよ。久しぶりのきれいな青空です」と言って、窓を開けてくれた。

その瞬間、風が頬をなでた! 何とさわやかな風だろう。白いカーテンが揺れ、それに光が当たって、縞々(しましま)になっている。窓の外に広がっている青空には白い雲がゆうゆうと流れている。五月の青葉が目にまばゆい。どこにもかしこにも、いのちが芽吹いていて、木々も草花もわが世の春を(おう)()している。それらを眺めていると、無性に涙が出た。

(ああ、私はここにこうして生きている! もう自分を責めるのは止めよう。人生を恨むことも。あの雲と同じように、ゆうゆうとしていれば、きっとうまくゆく――)

 そう思うと、心がふわっと軽くなった。心の中に風が流れたようだった。そこへ看護師さんが不思議なことを言った。

「あのね、とっても不思議なことがあったの。開頭手術をする前、私があなたの頭を剃ったの。すると麻酔をかけられて意識がないはずのあなたが、目を閉じたまま、看護師さん、私の髪の毛、全部無くなっちゃうの? 悲しいなあと言ったのよ」

「えっ、それ、どういうこと。だって私は麻酔が()めるまで、髪を全部()られたことは知らなかったはずなのに?」

 岡部さんは幽体離脱とか超常現象とか臨死体験、神秘体験などにはあまり関心を持たず、ビジネスの世界で、ひたすら上だけを見て走り続けてきた。ところがそんな神秘体験をしたのだ。

 何もかもわかっていた「もう一人の自分」がいるらしい! そう言えば、スイスの心理学者、C・G・ユングも、集合無意識という概念について語っているし、仏教でも、「人間の無意識は忘れてしまった魂への入り口だ」と説いている。それに幕末の儒学者佐藤一斎も、名著『(げん)()(ろく)』(()()出版社)に心と体の関係をこう書いている。

「吾が性は即ち天なり。()(かく)は則ち天を(ぞう)するの室なり。精気の物と為るや、(てん)()(しつ)(ぐう)せしめ、(ゆう)(こん)の変を為すや。天此の室より離れしむ。死の後は即ち生の前、生の前は即ち死の後にして、(しか)して吾が性の性たる所以(ゆえん)の者は、(つね)に死生の(ほか)に在り。吾れ何ぞ()れを(おそ)れむ」

(我が本性は天が与えたものであり、この身体は天の与えた本性をしまっておく室である。精気が(かたま)って形あるものとなるや、天はこの室に寄寓し、魂が遊離すると、天はこの室より離れる。死ねば生まれ、生まれると死ぬものであって、本性の本性たる所以のものは、つねに死生の外にあるのだから、私は死を少しも畏れない)

これも霊界のことを語っているのではないか。今の自分はまだ気づいていない《大きな世界》があるのではないかと思った。

 

 そのままの明美でいい!

 頭を剃っていたので、岡部さんはネットを被っていた。それを外す日がとうとうやってきた。見舞いに来たご主人が丸坊主の妻を静かな目で見つめながら語りかけた。

「明美、死ぬなよ。あの子がお前の忘れ形見になるのは嫌だからな。生きているだけでいい。側にいてくれるだけでいい……」

 岡部さんは唖然とした!

「生きているだけでいいの?」

「そうだ。生きているだけでいいんだ」

 岡部さんの瞳から大粒の涙がこぼれ、頬を伝った。

 今まで自分がいるだけでいいと思ったことなどなかった。心のどこかで、自分は欠点が多く、頭も悪く、我も強く、ダメなところがいっぱいある人間だと思っていた。だから一つでも欠点を減らし、有用な人間になろうとがんばってきたのだ。

事実、ビジネス社会は、「君の替えなんかいくらでもいる。別に君でなければならない理由なんか一つもないんだ」という冷徹な世界だ。役に立たなければ解雇される。自分が有用な人間であることを示さなければ、即刻お払い箱になる。そのため、少々無理をしてでも実績を出そうとする。時には体を壊してでも……。

 ところがご主人は違った。手術前に医師から、「仮にいのちが助かったとしても、後遺症が残るかもしれません」と聞かされたとき、「たとえ妻が植物人間になるとしても、自分が一生面倒を見る」と心の中で決めたという。

 ご主人に無条件の愛を示されたとき、岡部さんの中でまた一つ、何かが変わった。大きな安堵感を得た。

(そう言えば、夫が言ってくれた「お前がいるだけでいい」という言葉は、私が子どもに対してが持っている心情と同じだ!)

部屋の壁や窓のサン、テーブルに赤ちゃんのおもちゃや靴やベビードレスを飾ると、それだけで部屋が明るくなる。相変わらず寝たきりだけど、よちよち歩く姿を想像するだけで楽しくなる。小さくて細かった手足がだんだんボンレスハムみたいになり、ほっぺたもぷっくりふくらんできた。この子を守ってやらなきゃと思ったら、生きる勇気がもりもり湧いてきた。

元気を回復しだした岡部さんは、回診にやってきた医師に笑いかけた。

「先生、私はあやうく(さけ)の産卵になるところでしたね」

「なに、それ、どういうこと? 鮭の産卵って?」

「だって鮭は卵を産んじゃうと死ぬじゃないですか。でも私は鮭みたいに死ぬわけにはいかない。子育てをしなきゃいけないから、死んでいる暇はないんです」

「おお、いいねえ。そのフレーズ、使わせてもらうよ。落ち込んでいる患者さんに言ってあげたら、気を取り戻すかな」

 病室にそんな笑いがこぼれるようになった。

 いよいよ歩く練習がはじまった。フラフラして重心が定まらない。手すりにつかまらないで十歩歩けるまでに、二三日かかった。自分で自分のことは何一つできない。母子はまだ離ればなれのままなので、つらくてしかたがない。

「私は一体何を学ぶためにこんな道を歩まされているんだろうか?」

 ため息が出た瞬間、これらのことは体験させられているのだというインスピレーションが来た。心の底から何かに気づくために、経験しなきゃならないんだ、と。

 岡部さんは、かつては自分の弱さを見せられなかった。人にSOSを出す方法もわからなくなっていた。

(どの人も多かれ少なかれ、私と同じような苦しみを持っている。とすると、私がここから脱却できたら、随分多くの方々がヒントにし、私みたいな危ない橋を渡らなくてもすむんじゃないかしら)

 死ぬかもしれない状況だったのに、こうして歩く練習をするまでに回復した。そう思った途端、涙がぽろぽろ流れた。彼女は変った。人さまの愛に心から感謝できるようになった。

二か月が過ぎて、無事退院に漕ぎつけた。病院の玄関を出ると、思わずスキップしてしまった。スキップって、まるでいのちのダンスだ。いのちが喜ぶと、自然とスキップが出るらしい。ご主人と顔を見合して思わず笑った。

 久々に家に帰ると、暮らしの匂いがした。赤ちゃんを抱いて縁側に座っていたら、赤ちゃんの甘い香りがした。この子を残して()かなくて本当によかった。岡部さんの中で何かが終わり、そして何かが始まった。

 

 自分の使命とは何か

 前述した佐藤一斎はこう説いている。

「人は(すべか)らく自ら省察(せいさつ)すべし。『天何の故に我が身を生み出し、我れをして果たして何の用にか(きょう)せしむる。我れ(すで)に天の物なれば、必ず天の(やく)あり。天の役(つつし)まざれば、天の(とがめ)必ず至らん』と。省察してここに到れば、則ち我が身の(いやし)くも生く()からざるを知らむ」(『言志録』)

(人間は自分というものを真剣に考える必要がある。「天はなぜ自分をこの世に生みだし、何の用をさせようとされるのだろうか。私はすでに天の物であるからには、必ず天から課せられた役目があるはずだ。その天の役目をつつしんで果さなければ、必ず天罰を受けるはずだ」と。このように反省し考察すると、人はただうかうかとこの世に生きているだけではすまされないことがわかる)

 人は誰でもなすべき使命を持って生まれているというのだ。岡部さんは辛い経験をして、ようやくそれに目覚めた。

「『言志録』が説いているように、私の持ち味でもって天と人々に奉仕しなければ、私の人生は何ら意味を持たないことになる。この辛い経験を通して目覚めたことを人々に伝えよう」

 そして筆を執った。平成八年(一九九六)六月、『気づきのノート もどっておいで私の元気』を善文社から出版した。そして自分を(しば)っているものから自分を解き放つ「気づきのセミナー」を開始した。体験に裏打ちされたセミナーは人々の共感を得て、口コミで広がっていった。

 

 また脳に影が……

 岡部さんは一年に一回MRI(磁気共鳴画像診断装置)を使って検査を受けた。一年目、二年目は異常なしと診断されたが、三年目、医師が画像を診てうなった。脳に影が出ているのだ。

「ちょっと気になる影が出ましたね。ごく小さな陰ですが……」

 岡部さんの頭の中は真っ白になった。

「手術しなければならないんでしょうか」

「現段階では、すぐに手術しなければならないということではありません。でも要観察です。ちょっと様子を見ましょう」

 岡部さんは病院からまっすぐに本屋に向かった。あれこれ探した末に手にした本は、有名な外科医バーニー・S・シーゲルが書いた『シーゲル博士の心の健康法』(新潮文庫)で、むさぼるように読んだ。衝撃的な本だった。そこで同じ著者の、世界的なベストセラーになった『奇跡的治癒とはなにか 外科医が学んだ生還者たちの難病克服の秘訣』(日本教文社)を買って読んだ。シーゲル博士は淡々と説いていた。

「病気は夜中に泥棒がどこかの家に忍び込むように、行きあたりばったりに人を襲うわけではない。あるタイプの人間が、人生のある時点で、ある種の病気にかかるんだ。何年もこうしたことを見ていると、ほとんど予言できるようにさえなる。鋭い医者にとっては、病気は心理学者にとってのロールシャッハテストのようなもの、いわば患者の自己表現のひとつなのだ」

 あるいはこうも説いた。

「病気と死は、敗北のしるしではない。真に生きることができない人こそ敗北者なのだ。生きること、それも愛情豊かな新しい人生を送ることを学ぶのが私たちの目標だ。病気はしばしばそれを教えてくれる」

 シーゲル博士の「病気は患者の自己表現」「病気は患者の潜在意識が創造したもの」「人間には自然治癒力が備わっている」「病気は自己変革への道」というメッセージはいちいち納得できた。

 岡部さんは自著『私の帰る道』に読後感をこう記している。

「これまで世間一般では、病気は悪いもの、忌まわしいもの、過去の人生の間違い、あるいは前世で行った悪行に対する《報い》《罰》といった非常にネガティブなイメージがあった。難病に関してはなおさらそうだ。ところがこの本を読んだことによって、私は『病から、もっと学べることがいっぱいあるのではないか?』『新しい世界に出合えるのではないかだろうか?』と思うようになった」

 シーゲル博士の本は岡部さんの人生の新しい扉を開けるための鍵となった。

 

 芳村思風先生の感性論哲学との出合い

 岡部さんは恒川(つねかわ)クリニックの院長で、東海ホリスティック医学振興会の会長も務めている恒川(ひろし)院長にも深く共感している。ホリスティック医学とは人間を丸ごと診る〝全人的医療〟のことで、身体性、精神性、霊性すべてに働きかけて、病を治そうとするものだ。従って現代西洋医学以外の代替療法にもオープンで、病を気づきの機会、自己変革、自己成長の道ととらえている。

 その恒川院長が人生の師として仰いでいる哲学者芳村(よしむら)()(ふう)先生の『人間の(かく)』(致知出版社)を「これはすごい本だから読んでみるといいよ」と紹介してくれた。

 そんな紹介に興味を覚え、本を開いた。するとこういうメッセージが飛び込んできた。

「病気や人間関係のトラブルなど、人生の問題というのはすべて、自分が成長するために出てくる学びのチャンスです。問題や嫌なことから逃げてばかりいると、場所や状況や登場人物を変えて、何度も学び直しさせられます。逃げれば逃げるほど、もっと大きな問題が起きてきます。しかしちゃんと学んだら、もう同じような問題は起きなくなります」

 この洞察には()きつけられた。理性と感性の役割がこうも述べられていた。

「近代社会は理性には欠点などないかのように、過大な価値を置いてきました。しかし、理性に支配され、理性の奴隷になっている人は、自分と他人を比較して優劣をつけ、人と競争し、善悪・優劣・損得・勝ち負け・○か×かの物差しで評価し、人を責めるか自分を責めるかして、結局は自分も他人も不幸にしてしまう嫌いがあります。

自分のいのちからこみ上げてくる感性の欲求、興味、好奇心こそ、その人をもっともイキイキと輝かせるものです。意志が強いというのは、自分のいのちから湧いてくる欲求に従っているからです。感性から湧きだすものを実現しようとすると、そこには《自由と喜び》があります。創意工夫のアイデアがいろいろと湧いてきます。つまり《自由と喜び》があるかどうかによって、それが感性(いのち)から湧いてきた欲求なのか、理性(頭)で考えて作ったものかがわかります。感性が先で、理性は後、理性は手段であり、能力なのです」

 それは岡部さんが闘病生活を通して痛感していたことだったから、もっと知りたいと思って芳村先生が主催するセミナーに出席した。芳村先生は宇宙の仕組みを(しん)()述べた。

「宇宙は感性の海であり、あまねく偏在しているエネルギーであり、バイブレーション(波動)です。一方、感性はそれに呼応しあう共鳴装置であり、共振装置だから、自分を磨き高めていけば、出会うべき人に出会えるのです。自分の中からこみ上げてくるもの、ひらめくもの、ときめき、いのちの喜びは、自分が本当に求めているものに引き合わせてくれ、仕事や人生を創造し、牽引(けんいん)ていきます」

 そんな説明を聞いて、こ踊りしたいほど喜んだ。これまでの時代を支配してきた理性中心のものの見方考え方は終焉(しゅうえん)を迎え、新たに感性に依拠すべき時代に入ったと感じた。こうして二人はセミナーを共催するまでになった。岡部さんはふり返って言う。

「私は自分の感情やからだが発している《声なき声》を聴くべきだというリアルな体験をしたあと、感性論哲学に出合ってよかった。そうした体験無しに感性論哲学を学んだら、知的な理解で終わっていました。感性論哲学を理性でわかったつもりになるという愚を犯したはずです。あの経験があったから、芳村先生が説いていらっしゃることが()に落ちたのです」

 ()(がん)の哲学者森信三先生は、「人は会うべき人には必ず引き会わされる。それも一瞬早過ぎもせず、一瞬遅過ぎもせず、ベストなタイミングで」と(かっ)()する。岡部さんは脳腫瘍で死に直面した感性論哲学に出合ったので、自分の経験が整理され、人間性の理解により深い洞察を持つようになった。だから主宰するセミナーでより効果的なアドバイスができるようになった。

 世の中にはポジティブ・シンキングや成功哲学を説くセミナーはたくさんある。それはそれでそれなりの役割を果たしている。しかし、人間は感情の動物だ。合理的でないことにも引きづりまわされる悲しい存在だ。その事実を追さえていないと、ポジティブ・シンキングや成功哲学はただのきれいごとに終わってしまう。その点、岡部さんは地獄を経験し、感性論哲学で人間の本質に迫っているので、きれいごとだけの指導はしない。

人生経験に無駄なものは何一つない。すべてがより深い気づきにつながっており、それによってその人の持ち味が倍加され、より多くの人に貢献できるようになる。岡部さんが主宰するセミナーはいつも満員で、岡部さんはますます手応えを感じている。私はそこに神が人を用いられる方法を見るような気がしてならない。