日別アーカイブ: 2021年4月17日

シイタケ菌を植える作業

沈黙の響き (その45)

「沈黙の響き(その45)」

森の中でシイタケ菌を植え、神磯の鳥居で神に合う

 

≪那須塩原の森の中の別荘≫

コロナ禍の自粛が続いてうんざりしていたところ、那須塩原に素敵な別荘を持つ人から、

150本のホダ木にシイタケ菌を植えて別荘の松林で養生し、秋に収穫する予定だけど、そのアクティビティに参加しませんか?」

という誘いがありました。その別荘・銀の森俱楽部は5000坪もある広大な松林に囲まれており、シイタケ菌を植えた夜はみんなでバーべキュー・パーティを楽しむ計画だといいます。

 

私は以前、その銀の森俱楽部で地元の中小企業家同友会の経営者たちの研修会を開いていたこともあってよく知っているので、すぐさま参加を申し出ました。このコロナ禍で開放感を味わいたいと思っているのは私一人ではあるまいと思い、横浜で開いている勉強会・横浜志帥会(しすいかい)の面々に声を掛けました。

 

「別荘といっても立派な別荘ではなく、夜は雑魚寝なんですが……」

 と弁解すると、雑魚寝? それがまたいい、学生時代を思い出すなあとの返事で、すぐさま15名の方々が応募してきました。寝室が広ければ、もっと声を掛けたかったのですが。

 

≪森の中でシイタケを栽培≫

 私たちにシイタケ菌の植えつけを指導してくれた御園孝さんは、いつもは植木屋を経営しており、作業をしながらシイタケ栽培を実地に教えてくれました。コナラやクヌギのホダ木にドリルで穴を開け、シイタケ菌やナメコ、ヒラタケの菌を沁み込ませたコマを木槌で打ち込みます。

キノコは種類によって栽培用のホダ木が違います。シイタケにはコナラやクヌギなど、ドングリがなる木が適しており、ナメコやヒラタケはサクラの木が適しています。私たちの場合も違う種類のホダ木が数種類用意されていました。

 

コマを打ち込んだホダ木は松林に運んで横に伏せて積み上げて寝かせ、菌が活着するように仮伏せします。ホダ木は保湿のため孤(こも)を被せ、2、3か月して、コマの周りが白くなって菌糸が広がっていることが確認して、風通しがよくて直射日光が当たらない場所にホダ木を組んで立てかけます。

 

これを本伏せといい、雨が多いとその年の秋から、普通は1、2年でキノコが生えてきて収穫できます。収穫は春と秋、年に2回行い、5年間は収穫できます。収穫は手でむしり取ります。ナイフやハサミを使うと、そこから雑菌が入ってその後取れなくなる可能性があるので、むしり取ります。

 

≪里山を活用する≫

 御園さんは大自然の植栽のことにはとても詳しく、近代化の波が里山の自然にも悪影響を及ぼしていることを、いろいろ例を挙げて話してくれました。

 人間はもともと山で獲物を採り、自然の恵みのクリやアケビを山で採取して生活していました。そのうち定住するようになり、食べられる作物を住居の周りで栽培して収穫して食べるようになりました。それでも獲物は山で採っていたので、集落の周りの森無しでは生活できませんでした。

 

 燃料用の薪も山で採っていましたが、その後、薪よりも使い勝ってのいい炭が出てきたので、森の木は炭用に大量に使うようになりました。森の木はもちろんキノコ栽培のホダ木としても活用されました。

 森の木の落葉はかき集めて、落ち葉堆肥にしました。堆肥場を箱型に組んで作り、そこの稲のワラや落ち葉を入れ、水を撒いて踏み込みます。すると堆肥は発熱して温床となるので、春夏用の野菜の種を撒きました。温床は温かいので発芽が早く、春夏の野菜の栽培には重宝なのです。ところがこれも電気の熱で育てた苗に代わってしまいました。

 

 落ち葉かきをするのに林床の篠竹は邪魔だから下草刈りをしました。林床は明るくなり、きれいになると、春はカタクリの花が咲き乱れます。落ち葉堆肥は肥料として畑に入れたので、全部循環して畑の地味は増していました。

 近代化の波はこの循環を断ち切りました。薪や炭は便利なガスや電気に取って代わられ、キノコ栽培も原木栽培はされなくなり、天候に左右されない、室内の菌床栽培が主流になってしまいました。その結果、里山の木は伐る必要がなくなり、肥料も化学肥料に取って代わられた結果、落ち葉は必要なくなり、里山は荒れてしまいました。

 

 それでも新しい兆候が出てきたと、御園さんは喜びます。

「最近は、荒廃した里山を憂いて整備する里山クラブができて、手入れするようになりました。それでも森の木を伐ってホダ木にしてキノコ栽培に活用するところまでは行っていません。里山を生活の場として活用するようになったら、精神面も含めて、人間は大助かりになるはずです」

 

 御園さんは「精神面も含めて」と言いましたが、森の中の開放感は人間をホッとさせて余りあるものがあります。仲間たちに「シイタケ菌を植えに行かない?」と誘いかけたとき、みんながその企画に飛びついてきたのは、森の中の開放感を知っていたからでしょう。

 

 夜、庭で行ったバーベキュー・パーティは格別でした。焼き上がった牛肉や鶏肉、それにホタテ貝の味と香りに舌鼓を打ち、仲間との会話は森の中に吸い込まれていきました。それに焚き火の炎は、私たちが獣を追って狩猟して生活した頃を思い出させてくれました。焚き火は私たちを太古の昔に誘う何かを持っているようです。

 

≪この世のものとは思えないほど神々しい雰囲気に包まれた神磯の鳥居≫

明けて44日、私たちは東京への帰路、茨城県の大洗(おおあらい)海岸にある神磯(かみいそ)の鳥居を訪ねました。というのは、茨城の宇宙航空研究開発機構(JAXA ジャクサ)に勤めている私の友人が神磯の鳥居に詣でてきたと告げ、フェイスブックに写真をアップしているのを見ました。いつもは宇宙ロケットを飛ばして時代の最先端を行っている一方、磯の岩の上に祀られている神社に詣でているというので、そのコントラストの大きさに驚きました。

 

彼がアップした、荒波に洗われている神磯の鳥居を見て、私たち日本人は縄文の昔から、極めて素朴に、果てしなく広がる大海原に自然に手を合わせて拝んできたんだと思いました。そこで帰路、立ち寄ったのですが、詣でたのは正解でした。

荒波に洗われている神磯の鳥居を見たとき、何か神々しいものを感じ、思わず手を合わせました。そこには私たちを“大本のもの”に引き合わせる何かがありました。

 

目下、私は(仮)『沈黙の響き――内なる声を聴く』と題して本を書いていますが、そこにはまさに「沈黙の響き」――根源なるものに導いてくれるものがありました。「沈黙の響き」に触れるとき、私たちは最早ブレなくなり、一途に天命を全うしようと努力するようになるような気がします。(続く)

シイタケ菌を植える作業

大洗海岸の神磯の鳥居

神磯の鳥居を背景に

写真=➀シイタケ菌を植える作業 ➁大洗海岸の神磯の鳥居 ③神磯の鳥居を背景に