日別アーカイブ: 2021年5月29日

街頭で歌を披露するハーケンスの写真

沈黙の響き (その51)

「沈黙の響き(その51)」

「ユー・レイズ・ミー・アップ」が心を振るわせた!

 

≪「まさか!」という坂≫

 思いもしなったことが起きるのが人生です。令和元年(2019)の春ごろから、私は胸に息苦しさを覚え、体調がおかしいと感じていました。自宅から最寄りの駅まで、昇り下りのある坂道を歩いて20分かかりますが、それまでは歩くことは全然苦にならず、ノンストップですたすた歩いていました。

ところが歩くことがだんだん苦痛になり、荒い息をハーハー、ゼーゼーと吐いて、2度休み、3度休みするようになりました。その度に呼吸を整えないと歩けなくなったのです。

「随分体力が落ちたなあ。もっと体力をつけなきゃ」

 そう思った私は、それまで5、6年通ってきたフィットネスジムに通う頻度を上げ、週に4回は通って、ウォーキング、レッグプレス、背筋、腹筋、25キロのバーベルを担いでスクワットなどをして、体力をつけようと努力しました。

ところが息苦しさは一向に改善されないので、とうとう東邦大学医療センター佐倉病院で診察を受けました。すると心筋梗塞(こうそく)や狭心症の疑いがあると診断され、急遽検査入院しました。

 

≪心筋梗塞と狭窄症を起こしていた心臓≫

診断結果は、心臓の冠動脈の右冠動脈が壊死して心筋梗塞を起こしており、残り2本の左冠動脈前下行枝と左冠動脈回施枝も高度狭窄(きょうさく)をきたして心臓肥大になり、左室収縮機能は41パーセントまで低下しているというのです。

危ないところでしたね。即刻胸を開いてバイパス手術を施す以外にありません。このままフィットネスジムで筋トレを続けていれば、突然倒れて救急車で搬送される途中、突然死してもおかしくありませんでしたよ」

 いやはや、私は真逆のことをやっていたようです。

心臓冠動脈の手術についてはセカンドオピニオンを取り、より経験豊富な、新東京病院の副院長を務めておられる中尾達也心臓血管外科部長に執刀してもらうことにしました。両脚の膝下から30センチメートルの静脈を切り取り、次に胸を30センチメートルほど切り、心臓を保護している肋骨を切り開けて心臓を露出させ、狭窄している冠動脈を、脚から切り取った血管に取り代える手術は8時間かかりました。

人間は死に直面するとフラッシュバックが起き、自分の人生を走馬燈のように見せられるそうですが、私にもそれが起きました。フラッシュバックは私の心を引き締め、人生の最終章に臨もうとする覚悟を新たにしてくれました。

 

≪どこからともなく聴こえてきた「ユー・レイズ・ミー・アップ」≫

手術が終わって集中治療室に移された私は、今は夜なのか昼なのか定かにわからないまま、夢うつつの中で空中をさ迷っていました。2日経ってようやく意識がもどって一般の病室に移されたとき、どこからともなく「ユー・レイズ・ミー・アップ」(You Raise Me Up=君がぼくに力をくれたんだ)の渋い歌声が聴こえてきました。オランダの初老のオペラ歌手マーティン・ハーケンスのテノールです。人生の裏も表も知り尽くした老境の人が渋い声で歌いかけます。

 

♪とても気が滅入って/苦境に遭って心が折れそうになるとき/静けさの中でぼくはじっと待っている/君がここに来て座ってくれるのを/君はぼくに勇気をくれるんだ/だから山頂にだって立てるんだ/君はぼくの背中を押してくれる/この荒波を越えるようにと

 ぼくは強くなれるよ/君の支えがある限り/君はぼくを励ましてくれる/ぼくが思っている以上にね

 

歌唱はサビに入り、愛する人の励ましを得て限りない力を与えられ、道が開けていったと、魂の叫びがほとばしり出ます。

 

♪君はこんなぼくでも立ち上がらせてくれた/嵐が吹き荒れる荒海を乗り越えるようにと/君は頼りないぼくを励ましてくれた/だから山頂にも立つことができる

ぼくは強くなれる/君の支えがある限り/君は背中を押してくれる/ぼくが想像している以上にね

 

 私はその歌声に聴きながら、そうだ、そうなんだよ、私も愛してくれる人によって励まされ、再び立ち上がる力を得たんだと反芻していました。大きな手術に耐えて体力を使い果たし、静養していたときだっただけに、心にしみ入ってきたのです。

 

≪老境にさしかかった歌手マーティン・ハーケンスの渋い歌声≫

歌い手のマーティン・ハーケンスは、若いころオペラ歌手を目指しました。しかし念願を果たせず、食べるためにパン職人になりました。もちろんその間もレッスンを続け、挑戦し続けましたがチャンスは訪れず、挙句の果てはパン職人の仕事さえ失ってしまいました。やむなく路上ミュージシャンとなって街頭で歌い続け、人々からなにがしかのドーネーション(献金)をもらって生計を立てていました。

娘さんがそんな父親の窮状を見るに見かねて、本人には無断でテレビのオーディション番組に応募しました。するとハーケンスはその番組でどんどん勝ち抜き、あれよあれよという間に優勝してしまいました。優勝の副賞としてCDが発売され、とうとう念願のデビューを果たしたのです! 「ユー・レイズ・ミー・アップ」で描かれているような人生を経験し、辛酸を舐め尽くしたからこそ、人々の心に響くような歌を届けることができるようになったのです。このとき(2003年)、ハーケンスはすでに57歳になっていました。

 その後、ハーケンスはアムステルダムやパリ、ロンドン、ニューヨークのステージに立つようになり、日本でもコンサートをやりました。現在はもう66歳ですが、それでも元気に歌い続けています。

 

≪人生の応援歌「ユー・レイズ・ミー・アップ」≫

「ユー・レイズ・ミー・アップ」はアイルランドの歌手ダニエル・オドネルが作詞作曲して、2003年に歌いだした歌です。愛する人の励ましによって人生に立ち向かう勇気を得たと歌った歌は多くの人の共感を得て、いろいろな歌手がカバーしました。

その中でも大きかったのは2005年、世界的な音楽グループで、4輪の赤や黄色のバラの花のように華やかなアイルランドのケルティック・ウーマンが歌ったことで一気に世界中に広まり、世界で最も権威のある音楽チャート・米ビルボードで、何と81週連続して1位を占め続けました。

この歌を頭がはげかかった無名の初老の歌手マーティン・ハーケンスが渋いテノールで歌い出しました。華やかなケルティック・ウーマンとは対照的な、恋人を心の底から称えるハーケンスの表現は大向こうをうならせました。

翌年の2006年2月、フィギュアスケーターの荒川静香さんが第20回トリノオリンピックでこの曲をバックに氷上でパフォーマンスして、見事金メダルに輝いたことから、いっそう知られるようになりました。

 

人生は物事がうまく行っている局面だけではありません。どんなに頑張ってもうまくいかず、疲れ果て、うずくまってしまうときもあります。そんなとき、誰かが隣に座り、話を聴いてくれ、悲しみを分かちあってくれたら、どんなに気持ちが晴れ、もう一度挑戦しようという気持ちになるものです。

私の場合もそうでした。手術後の病床で静養していたときだったので、ハーケンスの実直なテノールはいっそう私の心の琴線に触れ、共感を呼び覚ましてくれたのです。PCやスマホで「ユー・レイズ・ミー・アップ」を検索すると、ハーケンスのユーチューブがご覧になれます。その歌声を聴きながら、どうぞあなたも勇気を得てください。(続く)

街頭で歌を披露するハーケンスの写真

写真=街頭で歌を披露するハーケンスの写真2枚