日別アーカイブ: 2021年7月9日

大空に舞う鳥

沈黙の響き (その57)

「沈黙の響き(その57)」

人間が持つ底知れない可能性

 

北鎌倉にある臨済宗円覚寺派の横田南嶺管長が、先日ラジオ放送で「沈黙の響き」を採り上げられ、華厳経(けごんきょう)の帝網珠(たいもうじゅ)の例を参考に述べられました。さすがに現代の仏教界を代表する老師が諄々(じゅんじゅん)と語りかけるラジオ法話なので波紋が広がり、私のところにも問い合わせが相次いでいます。

 

そうしたメールの一つに、オーストラリア・ブリスベンに在住されている西澤利明さんからのものがありました。円覚寺の横田管長が前述のラジオ法話で私の最新刊『人を育てる道――伝説の教師徳永康起(やすき)の生き方』(致知出版社)を採り上げて語っておられるのをいち早く見つけ、そのURLWebページの場所を示すアドレス〔住所〕)を送ってくださったのも西澤さんでした。

 

西澤さんは日本で育ったのちオーストラリアに渡り、向こうでオーストラリア人の奥さまと結婚され、オーストラリア・クイーズランド州政府観光局日本部長として仕事をされていました。異文化の中に身を置き、現代文明を巨視的に見ているというスタンスを持っておられるので、その視点にはいつも啓発されます。以下、西澤さんの投稿を掲載します。

 

≪セキレイの母鳥が見せてくれた宇宙の本質≫

「神渡さんがLINEグループ『沈黙の響き』で連載を始められたとき、この題名にすべての思想的な結論が結晶化されていると感じました。

 

神渡さんが毎週投稿されている『沈黙の響き』や、それに対する読者のコメントを拝見していて、人間の本質が何であるかということに気づかされます。誰もが持っている仏性や神性が、それぞれの縁や出会いを通して現象化することを実態的に教えてくれるからです。

 

 先回紹介されたセキレイの母鳥が見せた母性本能を例にして、生きとし生ける“いのち”にあまねく備わっている愛こそは宇宙の本質ではないかととらえられた見解に私も同感しています。神渡さんが紹介されている方々はまさに一隅を照らしておられる方々で、照隅行の先達の方々だといえます」

 

≪人間は底知れない可能性を秘めた存在≫

私は「沈黙の響き」を通して、人間は「沈黙の響き」をたたえている深遠な淵にたたずんでいると説いています。その響きに呼応するようになれば、小さな自意識から解放され、物事の本質がよりはっきり見えるようになり、的確な手を打てるようになると説いています。音楽家で言えば、妙なる天上の音楽を奏でるようになるのと同じように、です。

 

そのためにいろいろな例を引き、私たち人間が持っている無限の可能性を説いていますが、それに多くの読者が呼応して、どんどん意見を投稿してくださるので、相乗効果が起きて、ますます充実した連載になっています。横田管長がいまLINEの「沈黙の響き」がおもしろいと言われたのは、そういう理由からです。

 

西澤さんもまた「沈黙の響き」は啓発的だと感想を述べ、ご自分でも何回か投稿され、それにまた読者が反応してご自分の意見を述べられるという展開がありました。

 

≪華厳経が示している叡智≫

 西澤さんは華厳経が説いている叡智についても言及しました。オーストラリアというキリスト教世界で生活していると、改めて仏教が持つ叡智に驚かされることがあるのでしょう。

「横田円覚寺管長が述べておられた華厳教に『事事法界』という世界観があります。一言で言えば人間の関係は相即相入だというのです。相即相入とは、世界が多様であればあるほど、異質なもの同士、互を形成している考えや文化や宗教を自分のこととして受容することが欠かせないということです。

 

世界には無数の縁起の糸が縦横に網のように巡らされていて――これは今でいう“ネットワーク”ということでしょうが、そのネットワークの一つである人間は、かけがえの無い美しい宝石であり、その宝石が互いを照らしあう関係こそが本来の人の在り方だと思っています」

 

そう述べながら、では私は今日何をするかという視点を見失わないのが西澤さんです。

「日本では一隅を照らす生き方がとても大切にされていますが、それぞれがその持ち場で一隅を照らす生き方をしたとき、帝網珠の一つひとつの珠(たま)が光り出すのだと思います。その結果として、世の中が良くなっていきます。いま多くの方々が『沈黙の響き』の連載に共鳴し、感動されているのは、時代の霊性が目覚めてきた証拠だといえるのではないでしょうか」

だからオーストラリア社会でも一定の影響力を持っておられるのでしょう。

 

≪量子物理学が明らかにした新しい宇宙観≫

 西澤さんは現代物理学、つまり量子物理学の動向についても見解を述べました。

「量子物理学は物質化現象を、波動性と粒子性を持つ一元の量子として捉えているように、最先端の物理学者は見えないもの――波動と、見えるもの――粒子は不二一元の関係だということに気がついているように思います。いま時代は大きく動いており、価値観の大転換が起こりつつあります。

 

 同じことが芸術家にもいえます。同じ波動の響きが人を惹きつけるように、音楽はまさに“沈黙の響き”の現象化だといえます。音楽家は楽器を通して、沈黙の響きのハーモニーを演出しているのです。“沈黙の響き”に耳を傾ける音楽家ほど、深い共感を勝ちとる音楽を創造します。

 

文学では、例えば芭蕉の句『古池や蛙(かわず)飛び込む水の音』を例に考察してみると、蛙が古池に飛び込んで音の響きを起こしたことで、その音がいっそう静けさを感じさせると、芭蕉は詠みました。お見事というしかありません。

 

仏教では“沈黙の響き”とはそれ以上分けることができない、不二一元の世界から湧きだす響きのことを指します。キリスト教ではこれを“愛”と呼び、イスラム教では“慈愛”と呼んでいます。

 

宗教や思想はこうした存在の実相を単に知的に解明したり、信仰によって盲信的に仰ぎ見る時代から、共鳴して共に生きる時代になってきたように思います」

 

≪“根源”からの響きに聴き入ると……≫

 西澤さんの意見はコロナ禍にかき乱されている現代の世相にも及びました。

「ニュースはコロナ禍のことを初め、外的なことばかりを採り上げていますが、本当は内的な精神性が外に現れているだけではないでしょうか。

 

社会の問題は人間の内面の問題だということに気がつかない限り外面を追うばかりで、社会問題は一向に解決しないように思います。

 

時代の霊性は地球規模で何かを私たちに教えようとしています。ところが当の私たちは右往左往しているばかりで、一向に問題の核心をつかんでいないようで仕方がありません。『沈黙の響き』に耳を澄まして聴き入ると、大切なメッセージが明らかになるように思うのは私のひとり合点でしょうか」

 

「沈黙の響き」に聴き入るということは、敢えて時流の外に立って根源的にものごとに迫ったほうが本当の姿が見えてくるということです。

 

≪後世への最大遺物≫

 西澤さんは6年前に行った腎臓ガンの手術のためか体調を崩し、病院で精密検査を受けました。その結果、問題はないという診断がなされてひと安心しましたが、健康に一抹の不安を覚えていることには変わりはありません。それだけに後に残していかなければならない現代社会の行く末を案じ、メールをこんな文章で締めくくっておられました。

 

「お互いに残された日々を思うような歳になってきました。後世に残す遺産はまさに愛と慈悲の実体験の証し以外の何物でもありません。そう思ってせめて一隅を照らそうと精進している毎日です」

 

 内村鑑三は私たちがどう生きたかが「後世への最大遺物だ」と言いました。そんな意味ある人生をまっとうしたいものです。(続く)

大空に舞う鳥

写真=大空に舞う鳥