日別アーカイブ: 2021年7月18日

アンテロープ・キャニオン

沈黙の響き (その58)

「沈黙の響き(その58)」

詩「雨の中で」

 

「沈黙の響き」(その57)で紹介した西澤利之さんの投稿に反応して、横浜市の柏木満美さんから投稿があったので掲載します。詩人のみずみずしい感性が呼応したようです。

 

「西澤さんの投稿を拝読いたしました。西澤さんのものの見方、物事の捉え方の深さと、それをわかりやすい言葉で伝えてくださるお力に感動します。円覚寺の横田南嶺管長はとても辻説法に熱心で、それを現代風にアレンジしてユーチューブでライブ配信されており、私も自宅で拝聴して、いつも心を高められています。

 

≪私も帝網珠の珠の一つでありたい≫

横田管長や西澤さんがおっしゃるように、華厳経に書かれているという帝網珠(たいもうじゅ)のそれぞれの珠(たま)は大きさも光り方もさまざまで、そうであるからこそ互いに照らし合ったとき、全体が銀河のような輝きを見せるんだろうなと思いました。

 

 同じものを見ても感じ方は人さまざまです。同じ文章を読んでも、感じ取るところが違うのは、世界をより大きく、より美しく輝かせるための宇宙全体の仕組みだからなんですね。だから自分の感じ方を大切にし、自分の特徴を活かせばいいのだと納得しました。

 

 神渡先生が『沈黙の響き』で紹介される人々や出来事は、それぞれの場所でさまざまに輝いている光の珠なのだと思います。先生が一つひとつに焦点を当てて、輝かせてくださるから、私もその美しさに気づくことができています。

 

そして私もまた光を発することができると勇気づけられます。私はこれまで折に触れて詩を書いてきました。そのいくつかを投稿します。この投稿もそれに反応したものです。

 

   朝

青い朝が/静かに始まる

日の出の時刻は5:33

登場を待たれるお日さま/誕生を待たれる赤ちゃん

人は目覚めを待たれている

青い静かな朝は/街の人々の/目覚めをじっと待っている

花々の/安心してひらくのを/待っている

 

もーいいかーい/まーだだよー

もーいいかーい/もーいいよ!

 

 また、私の感性に訴えるものを、こういう詩に表現しました。

葉っぱの水滴

   雨の中で

雨の中の散策/歩くほどに/雨が/心を潤して/ココロに染み込んで/ふかふかになってゆく/艶々(つやつや)になってゆく

雨の中の散策によってしか/感じ取れない/命の息吹き
森中の木々から放たれている/清らな氣にすっぽり包まれてみる
ああ/わたしが生き返る

 

神渡先生が引用された安岡先生の文章を読むと、心が鎮められると同時に、私の内なる魂に何か大きな力が注入されてくるのを感じます。深淵にして無限なるエネルギーが届けられたように感じます。

 

詩の根柢にあるものはやはり純真なる生活、敬虔にして自由なる人格、無限への憧憬(しょうけい)であり、驚かんとする心なんですね。それに『宇宙の神秘の扉を開く鍵は、あなたの中に内蔵されている!』という安岡先生のメッセージは、私にとって“天啓”のようなメッセージです。私もいささか詩を書くので、とても励まされました。

 

安岡先生がおっしゃるように、生命のある処、到る処に韻律があるので、共鳴を高め、直観の光を遠くし、思索を深めて、私の感性によって言語文字に再表現しようと思います。

『人間の内面には神秘的な産霊(うぶすな)があり、それが働きだすと、今までのよそよそしかった事物に思わぬ親密や実感を覚える』ことも同感です。私もこの情緒の海を大切にします」

 

≪日本文化との橋渡しを試みた井上洋治神父≫

私は柏木さんの詩を読んで、7年前にお亡くなりになった井上洋治カトリック神父の詩「初冬のささやき」を連想したので、それを付け加えるます。そこに同じようなやさしいまなざしが感じられるからです。

  

黄色くなったいちょうの葉が/青く澄んだ初冬の空から

さらさらと/かすかな音をたてて舞い降りてくる

きっと風がでたんだろう/さよなら、さよなら

まるでそう言っているみたいだ

 

 泥によごれた/哀しそうな一枚を/そっとひろいあげて

 両の手で愛(いつく)しんでいたら/何かその哀しみの奥に

きらりとひかる美しいものをみたような気がした

 

井上神父はカトリックの中でも一番厳格だといわれているフランスのカルメル修道会で7年半修行されました。でも、厳格な父性原理が強すぎる西欧カトリックに違和感を拭い去ることができず、苦しみました。イエスが説いておられた神は、すべてを受け入れる母性原理がもっと濃かったのではないかと考えました。そしてイエスの福音を日本の精神的土壌に開花させることに腐心されました。

 

模索の末に、井上神父はカトリック内部に「風(プネウマ)の家」を設立し、福音と日本文化の橋渡しを試みました。プネウマとはキリスト教神学では聖霊とか霊性に当たりますが、日本語としては息吹きとか風とかに近い感じです。現在「風の家」運動は日本文化との橋渡しとして、カトリックの中にしっかりと根付いています。(続く)

アンテロープ・キャニオン

写真=神秘な洞窟アンティロープ・キャニオン