日別アーカイブ: 2021年7月24日

龍安寺の石庭が語るもの

沈黙の響き (その59)

「沈黙の響き(その59)」

共時性(シンクロニシティ)が語るもの

 

 

 世の中には不思議なことがあるものです。同じような内容のことが同時発生的に起こることを共時性(シンクロニシティ)と言いますがそれが起きたのです。シンクロニシティとはスイスの心理学者カール・G・ユングが説いた理論で、因果関係のない2つの出来事が、偶然とは思えないかたちで同時に起きることを言います。

 

 例えば、しばらく会っていない友人のことを考えていたら、偶然その人から電話がかかってきて驚いたりします。そうした「偶然の一致」では片づけられないことをシンクロニシティと呼びます。

 

 ユングは人類の深層心理が個人の壁を越えて結びつく概念を「集合的無意識」と呼び、シンクロニシティも「集合的無意識」が引き起こす現象だといいます。私は柏木満美(まみ)さんから寄せられた投稿を読んでみて、シンクロニシティが起きたと思いました。そこで前回に続いて2週連続取り上げることになってしまいますが、柏木さんの投稿をアップします。

 

≪井上洋治神父、横田南嶺管長、そして若松英輔さん……≫

「前回の『沈黙の響き』(その58)に井上洋治カトリック神父が書かれた詩が紹介されていたので、あれ? と思い当たることがありました。井上神父は文芸評論家で詩人でもある若松英輔(えいすけ)さんが師として仰いでおられる方だったように思いました。

 

若松さんのことを初めて知ったのは、3、4年前、北鎌倉の円覚寺の夏期講座で、でした。そのとき、鈴木大拙(だいせつ)の禅について講義されましたが、当時の私には、若松さんの話も大拙の思想も難しすぎて、あまりよくわかりませんでした。

 

ところがその翌年、NHKラジオで若松さんが担当されている『詩と出会う 詩と生きる』という番組を聴き、大いに発奮しました。ラジオから聞こえてくる若松さんの言葉はあまりに美しく、詩的で、内容が深く広いものでした。しかも僭越ではありますが、言葉に関する捉え方が、私が感じていることにとても近いので、興奮しました。そしてその年の暮れ、偶然に見つけた若松さんの公開講座に何度か参加しました」

 

 若松さんは『小林秀雄 美しい花』(文春文庫)や『悲しみに秘儀』(文春文庫)、あるいは『魂にふれる』(トランスビュー)などを出版されている新進気鋭の文芸評論家で、スピリチュアリティ(霊性)にも深い関心をお持ちです。柏木さんの投稿は続きます。

 

「若松さんはラジオで井上神父には多大な影響を受けたと話しておられました。その井上神父が詩もお書きになっていたとは全く知らなかったので、井上神父の詩を読んでみたいと思って検索していると、またまたビックリ! 

 

井上神父はキリスト教信者でありながら、法然(ほうねん)や一遍(いっぺん)を慕っておられるというのです。そしてさらに、坂村真民さんともご縁があったそうです! もう、ビックリしまくりました。でも、深く納得しました。

 

真民さん、一遍上人、井上神父、若松英輔さん、神渡先生、横田南嶺老師などが、私の中で繋がりました! この繋がりにいる自分も大したものだと思えてきました」

 

前号でもお伝えしましたが、井上神父はキリスト教を日本の精神文化に根づかせようと腐心された神父です。法然や一遍、あるいは芭蕉や良寛、近くは宮沢賢治などが希求したものが、実はイエスが指向しておられたものとまったく重なり合うと説かれました。それは出色の日本文化論といえます。柏木さんがびっくりしたのもわかります。

 

井上神父はその代表的著作ともいえる『法然――イエスの面影をしのばせる人』(筑摩書房)の「あとがき」にこう書いておられます。

「どこまでも続いている一筋の海岸線。

一陣の風で、海岸の白い一粒の砂が右から左へと動く。

そしてそのあと、海岸は再び以前と全く同じ深い静寂へとかえっていく――」

詩人の感性が溢れている文章で、井上神父が言葉をつむぐように書き綴られた息吹きが伝わってきます。

 

『日本とイエスの顔』(日本キリスト教団出版局)は井上神父の後世に残る記念碑的業績ですが、それを補完して余りあるのが、井上神父の精神史的自叙伝『余白の旅――思索のあと』(日本キリスト教団出版局)です。小野寺功清泉女子大学名誉教授は、日本カトリシズムの新生面を切り開いた井上神学を理解するためには、この書を読むのが近道だと推奨しています。

 

 ≪龍安寺の石庭が教えてくれた余白の大切さ≫

井上神父はローマのシスティーナ礼拝堂の壁面いっぱいにミケランジェロが壮大に描いた傑作「最後の審判」を観たとき、その素晴らしさに圧倒されながらも、心の奥のどこかに、どうしてもなじめないものを感じたそうです。ある意味で「窒息するような重苦しさ」だったようです。

 

 フランスの修道院での修行を断念して帰国し、もっと日本文化を理解しようと、京都や奈良を訪ねました。京都の龍安寺(りょうあんじ)も二度、三度と訪れ、くすんだ色の古びた油土塀を背景に、大海原を連想させる白砂の庭に大小さまざまな石が無造作に置かれている石庭を眺めながら、思索にふけりました。

 

 なぜこの石庭は日本人には圧倒的な迫力をもって迫ってくるのだろうか――

長年の疑問が解けないまま、龍安寺の山門を出て仁和寺(にんなじ)の方にぶらぶら歩いていると、はっと気がつきました。

 

「そうだ。システィーナ礼拝堂の壁画には“余白”というものがない。壁面いっぱいに余白もなく描かれている聖画に美を認めることはあったとしても、私は息苦しさを感じて親しむことができなかった。龍安寺の石庭の魅力は“余白”にあったのだ――」

 

 井上神父の思索はそこから生きとし生けるものが持っている「余白」へと広がっていき、芭蕉や一遍はこの余白の力のことを「風」と呼んだのではないか、日本文化の重要な点は、すべてを語りつくさず、余白を残すことにあるのだと思いました。

 

不思議なことに古代ギリシャ語やラテン語では「風」のことをプネウマと言います。プネウマにはもっと多様な意味が込められており、息吹き、大いなるものの息、さらには聖霊なども意味します。

 

 聖書には「イエスは聖霊(プネウマ)に導かれて荒野に行った」と書かれています。ただ単に風に吹かれて荒野に行ったというのではなく、ラテン語の原文では「プネウマに導かれて」行ったというのです。だからプネウマの訳をさらに一歩進めて「神の愛の息吹き」ともするようになりました。

 

こうして井上神父は神の愛の発現の仕方はプネウマにあると感じ、カトリック内での刷新運動を「風(プネウマ)の家」と名づけました。「風の家」運動は三十五年間コツコツと続けられた結果、とうとう日本カトリック教会の新生面を切り拓くにいたったのです。(続き)

龍安寺の石庭が語るもの
龍安寺の石庭が語るもの

写真=龍安寺の石庭が語るもの