日別アーカイブ: 2021年10月8日

田園を散策し、楽想を練るベートーヴェン

沈黙の響き (その70)

「沈黙の響き(その70)」

ベートーヴェンを突き動かした霊感

 

 

 

以前の章の「ベートーヴェンの失意と奮起」で、ベートーヴェンは32歳のとき、難聴に悩んで前途を絶望し、ハイリゲンシュタットから弟カールとヨハンに遺書を書き送ったと書きました。ベートーヴェンは遺書を書き進うちに、何も達成しないままこのまま死ぬわけにはいかない、芸術のために再度挑戦しようと思い直したのでした。今回はその続きを書きます。

 

 ベートーヴェンはその後、いろいろ耳の治療を試みますが、なかなか効果が上がらず、人と話をするときはポケットから会話帳を取り出して筆談せざるを得なくなりました。音楽家にとって耳をやられるという苦境に陥って、人生の悲哀を感じさせられたベートーヴェンでした。

 

数々の名曲を書き表して名声を博したベートーヴェンでしたが、もう一つ、人生は思うようにいかないものだと痛感させられた出来事が起きました。

ベートーヴェンはその生涯を通して、家庭の幸福や両親の愛情に恵まれない人の一人でした。少年時代は大酒飲みの父親に悩まされ、青年から壮年にかけて、よき結婚を望んでいたものの、それを得ることができませんでした。

 

 結婚して温かい家庭を持ちたいという願望は40歳ごろにはいっそう強くなりましたが、とうとう達成できず、寂しい独身生活を送らなければなりませんでした。そんな彼に突然恵まれたのが、弟が遺していった少年カール(父親と同名)でした。もちろんカールには生母はありましたが、自堕落で養育できなかったので、ベートーヴェンが代わって養育することになりました。

 

 最初の間はこのカールによってベートーヴェンの父性愛が満たされたようにみえましたが子育ては簡単なようで簡単ではありませんでした。厳しすぎるベートーヴェンにカールはなかなかなついてくれず、学校の成績も悪く、何度も転校を余儀なくされました。

 

そしてとうとう落ちこぼれてしまい、こともあろうにベートーヴェンがもっとも嫌っている軍人になりたいと言いだしたのです。ベートーヴェンは激怒し、断固として反対したので、カールはピストルで自殺未遂をしました。肝がつぶれるほどに驚いたベートーヴェンは、最終的には軍人になることを許したので、カールの素行は改まりました。

カールはところを得たように生き生きとなり、上官や同僚の覚えもよく、軍人として立派に役目を果たすようになりました。

 

そんなこんなで、カールには散々手こずりましたが、カールのお陰でベートーヴェンは人間の機微を教えられ、厳格で気難しい性癖が少し是正されたようです。人生、何がプラスになるのか、私たちには皆目予想もつきませんね。

 

≪感動させられるものは上から来る≫

人生の晩年に入った18245月、54歳のとき、ウィーンでミサ・ソレムニス(荘厳ミサ)と第九交響曲を中心としたコンサートを指揮しました。そのときには耳はほとんど聞こえなくなっていました。それでもピアニッシモはすっかり体を縮めてタクトを振り、フォルテでは腕を振り上げ、体全体で指揮するさまは往年のころそのままでした。

 

 演奏が終わると万雷の拍手が起こりました。でもつんぼのベートーヴェンにはその拍手が全然聞こえません。見るに見かねた歌手が彼の手を取って聴衆の方に向けてあげたので、割れんばかりの拍手をしている聴衆の反応が目に入り、演奏の大成功を知ることができました。

 

そんな仕草に聴衆は、ベートーヴェンはもうすっかり聴力が損なわれているのに、それでも指揮棒を振るったと知ってますます感激し、大拍手を送りました。

 

 それから4か月後、ベートーヴェンはロンドンから訪ねてきたスタンプと一緒に、ウィーンの森の東南に広がるバーデンを散策したとき、インスピレーションについてこう語っています。

 

「魂を感動せしめるものは上から来なければなりません。そうでなければ、それは単なる音楽で、精神のない肉体のようなものです。そうではありませんか。精神のない肉体とは何でしょうか? 塵か土塊(つちくれ)でしかありません。

精神はこの俗界から上昇しなければなりません。神の火花(註・人間のこと)はその俗界のなかにある期間束縛されているのです。

 

 そして農夫が貴重な種を託する田畑のように、彼は種を開花せしめ、多くの実を結ばせるのです。こうして豊かにされた精神は、そこから自分が流れ出ている根源に向かって昇っていこうと努力します。

 なぜならば、ただ確固不抜の努力と授けられた諸々の力をもってのみ、被造物は無限なる自然の創造者と維持者とを敬うことができるからです」

 

そう語ったのは亡くなる2年半前のことです。ベートーヴェンは私たち人間を「ある期間、俗界に束縛されている存在」と捉え、「自分の根源に向かって、俗界から上昇しなければならない存在」と思っていたのです。とても真面目な人間だったベートーヴェンの真骨頂だといえましょう。

 

≪音楽は啓示だ!≫

 ベートーヴェンはいつも自然の中で霊感を得ていました。心が落ち着く好きな場所は、ウィーン郊外のデープリング、ハイリゲンシュタット、ヘッツェンドリフ、それにバーデンやテプリッツなどでした。

抜けたようにどこまでも広がる青空、青々と茂った森、天高く屹立した山々、愛らしい音を立てて流れるせせらぎ、そこで田畑を耕して平和に暮らしている農夫の姿などが豊かな楽想を与えてくれました。また耳をつんざくような雷鳴が響くなか、激しい土砂降りを突いて、びしょ濡れになって何時間も歩きまわって楽想を得ていました。

 

彼のスケッチを読むと、そうしたことがふんだんに書かれています。それらインスピレーションの源である“根源”について、前述のスタンプにこうも語っています。

「自然が創り出したものに囲まれて、私はしばしば幾時間も座っています。そこでは尊厳なる太陽は、人間が作ったきたならしい屋根に被いかくされてはおらず、大空が気高い屋根です。

 

 夕方は赤く染まった夕焼けの空を、驚きの目を持って見上げています。私の魂は無限の彼方にある天空に向かってゆれ動いていきます。あらゆる被造物が生まれて流れ出、新しい被造物がそこから永遠に生まれてくる“根源”に向きあっているのです」

 

 ベートーヴェンの音楽に感激し、彼をゲーテに紹介したベッティーナ・フォン・アルニムに、

「音楽はあらゆる知恵、あらゆる哲学よりいっそう高度な“啓示”です」

と書き送り、1827326日、57歳でこの世を去りました。今の時代からすると早過ぎる死でしたが、ベートーヴェンはあらゆる創造の源である“根源”なるものについて、私たちに貴重なことを語ってくれたのでした。(続く)

田園を散策し、楽想を練るベートーヴェン

写真=田園を散策し、楽想を練るベートーヴェン