日別アーカイブ: 2021年10月23日

全国各地でモデル授業を行った芦田惠之助先生

沈黙の響き (その72)

「沈黙の響き(その72)」

森信三先生を世に紹介した芦田恵之助先生

 

 

≪『修身教授録』同志同行社版の序文≫

令和3年(2021)3月、拙著『人を育てる道――伝説の教師
徳永康起の生き方』が致知出版社から上梓されました。それに先立ち、私は日ごろお世話になっている方々に、徳永先生の信条だった「教え子みな吾が師なり」と扉書きして送りました。

それに雑誌『致知』4月号が全ページ大の出版予告を出してくれていたので注文が相次ぎ、半月余りで5百冊もの本に扉書きして送りました。そうした中に元小学校・中学校の教師の田村晃(あきら)先生があり、昭和14年(193912月、同志同行社から出版された『修身教授録』(全5巻)に同社の芦田伸三社長の父・芦田惠之助(えのすけ)先生が寄せておられる序文を送ってくださいました。芦田先生とは今でいう綴り方運動の元祖みたいな人で、子どもたちに作文を書かせて、その能力を引き出しておられました。

 

この序文は残念ながら平成元年(1989)3月に発行された竹井出版(現致知出版社)の初版には掲載されていなかったので、私は初めて拝見しました。芦田先生の序文はとても核心をついており、ぐいぐい引き込まれました。

芦田先生が読まれた斯道会(しどうかい)発行のガリ版刷りの『修身教授録』とZ、昭和12年(1937)ごろ、森先生が大阪の天王寺師範学校の本科で人間学を講義Zされ、それを生徒たちが筆録筆記したものに筆を入れてでき上ったものです。これをご自分が主宰されていた月例勉強会である斯道会で、出席者で読み、討論するためにごく少部数ガリ版印刷されました。

 

≪同志の教師たちの所依経にしたい!≫

その一部を森先生が芦田先生に送ったところ、芦田先生は瞠目し、ぜひともこれを自分たちの機関誌『同志同行』に連載して全国の教師たちに知らしめ、さらに連載完了の暁には同社から出版して同志の教師たちの所依経(しょえきょう)としたいと申し出られました。所依経とは拠りどころとなるお経のことです。

芦田先生とはわが国の国語教育の第一人者で、多年にわたって全国的に教壇行脚を続け、教師たちにモデル授業を披露されており、教師の間で絶大な支持を得ておられました。教師たちにモデル授業をし、乞われれば飛び入り授業もされ、実際どういうふうに子どもたちに対しておられるかを示しておられました。

 

 ≪芦田先生が子どもたちに接する様子≫

 芦田先生は輝やいたお顔で絶えずニコニコしておられ、そのニコニコ顔が教室の雰囲気をつくっていました。このニコニコ顔に接して子どもたちは緊張感が取れ、何でも自由に先生と交流できたようです。

それに芦田先生は子どもたちの回答を聞くとき、ゆっくりと「そうなのね」と相槌を打たれました。まるで親身なおじいさんのような言いっぷりです。「そうです」という権威めいた言い方や「よろしい」という返答とも違って、いかにも「いたわり深い、底の底まで抱擁しつくしている心持ちのあらわれ」という感じがほとばしり出ているようです。だから自然に子どもの心を解きほぐし、親しみを感じさせ、安心を覚えさせました。

これは見学している教師たちが口をそろえて述べる感想です。だからモデル授業をやってほしいと、全国から引っ張りダコでした。その芦田先生が森先生に出会い、そのご著書を読んで、ぞっこん惚れ込まれました。

 

≪森先生を師として仰いだ芦田先生≫

森先生は京都帝国大学大学院卒の突出した秀才でしたが、まだ京都や大阪周辺でしか知られていませんでした。だから全国的に有名な芦田先生がぞっこん惚れ込んで紹介されたので、森先生に着目する人が全国的に一気に増えました。同志同行社版の序文に芦田先生はこう書いておられます。

 

「ここに私が年来遺憾としていましたことは、我ら同志間の所依経とすべきもののないことです。所依経と仰ぐ典籍を持たないことは、実に淋しいことです。それとともに行も進みません。

 私はたまたま森先生の『修身教授録』を拝して、これこそ私が年来求め来たりしものだと思いました。朝夕に読誦景仰(どくしょうけいぎょう)すべき書であると思いました。幸いにその刊行を私にお許しくださいました。この上は、私の一生をこの書の流布につとめて、同志と共に、教育革正の行にいそしもうと存じます。

 

 私はここまで書いてきて、安んじて死ぬることができるように思います。天下の同志は、必ず今後の私の行動に熱烈なる支持を与えてくれるに違いありません。同時にわが小学教育者、ことに若き教育者の群れが、幾多救われていくことだろうと信じます。

 

 したがって次代を形成する小学生の幾十百万が救われることを想望するとき、私は嬉しくてたまりません。『正しからざる教育は悲惨だ』と年来唱えてきた私は、ここまで書いて、涙にペンの先が見えなくなりました」(※歴史仮名づかいは現代仮名づかいに、旧漢字は常用漢字に改めました)

芦田先生が『修身教授録』を自分たちの所依経としたいという熱烈たる思いが行間から伝わってきます。この出版によって芦田先生が長年かけてつちかってこられた全国の同志同行の教師たちに森先生の『修身教授録』が知れ渡っていきました。(続く)

全国各地でモデル授業を行った芦田惠之助先生

写真=全国各地でモデル授業を行った芦田惠之助先生