日別アーカイブ: 2021年10月30日

どこへでも気軽に出かけた森信三先生

沈黙の響き (その73)

「沈黙の響き(その73)」

森信三先生の魅力

 

 

≪斯道会のガリ版刷りの序文に寄せられた炯眼≫

ところで芦田先生が読まれた斯道会(しどうかい)版に、発行した斯道会の序文が載っています。おそらく天王寺師範での教え子で、教師になった山本正雄会長が書かれたものと推測されます。山本会長は長らく森先生の訓育を受け、思想的に深く共鳴されていたので、『修身教授録』の本質は何であるかを見事に活写されています。そこでその前半部分を引用します。

 

「友邦満州国建国の礎石として、昨春四月、遠く新京なる建国大学教授の任に赴かれた吾らの恩師森信三先生が我が国教育界の一隅に残された偉大なる業績は、それが本質的であるだけに、いまだ十分に世人の知るところとならぬが、この複雑繁多なる現代の時代と世相の下にあっては、容易にその比を見い出しがたき種類のものと思われる。しこうしてその趣きの一端は、まずこの一連の記録を通してもうかがい知られることであろう。

 

よくよく教育の真諦は師弟一心一体、熱烈なる求道の一路を歩むところにみられるが、しかも師の深大なる自證の光が、一転化他の慈光となって、深く弟子の心魂に徹するとき、そは必ずや何らかの形態にまで結実しきたらずんばやまないものである。

かくして古来、時の古今、洋の東西を問わず、いやしくも真教の行わるるところ、そこには期せずしてその記録の伝わり存するものがあるのである」

 

そう説いて、筆者は孔子における論語、キリストにおける聖書、さらには二宮尊徳の夜話などを挙げ、いずれの人の真実の言葉が子弟を感動させ、景仰の念が極まり、ついにその言動を記録するに至ったといいます。

そして後代の人々はこれらの文書を愛誦し、その偉大なる精神は時代を超えて脈々と貫通し、教学として定着するようになりました。序文はさらに続きます。

 

「今この書は先生が数奇なる運命の下に、その類稀(たぐいまれ)なる聡叡(そうえい)の資を内に包んで、十有余年の長歳月を、一師範教師として歩まれた、いわば先生下学(かがく)の歩みの忠実なる記録ともいうべきであって、なるほどその外見からはあくまでも平明懇切、志業の念いまだ発せざる年少学生を相手に、じゅんじゅん説いて倦まざるの趣きを髣髴(ほうふつ)せしめるが、しかもその根柢に至っては、まさに哲学者としての先生の深奥なる世界観、人生観に基づくものと言わざるを得ない。

したがってこの書は真の意味における『国民教育者の道』であると共に、また実に現代の新たなる形態における『人となる道』というべきであろう」

 

森先生は芦田先生が同志同行社から出版させてほしいという懇請を快く承諾し、渡満準備をしている最中の多忙のときでしたが、丹念克明に補訂の筆を加え、一段と精彩を増した原稿に仕上げて、芦田先生に手渡されました。

 

≪下学雑話の魅力≫

この『修身教授録』の各講の最後に、しばしば「下学(かがく)雑話」というコラムが挿入されています。「下学」とは、身近で容易なことから学んで、だんだんに高度で深い道理に通じることを意味します。これは孔子が、

「下学シテ上達ス、我ヲ知ル者ハ、其レ天カ」(論語・憲問篇)

と言われていたことに準じた森先生の、身近なことをおろそかにしない学問の姿勢を指すものです。例えば第二十四講の最後に挿入された「下学雑話」にはこう書かれています。

 

「人間下坐(げざ)の経験なきものは、未だ試験済みの人間とは言うを得ず。只の三年でも下坐の生活に耐え得し人ならば、ほぼ安心して事を委(まか)せ得べし」

人生を送る上での貴重な箴言(しんげん)ともいうべき言葉です。

 

再び序文に戻ると、この書によって啓発された方々は一歩進んで、森先生が上達の歩みとして達せられた『恩の形而上学(けいじじょうがく)』(致知出版社)その他の思想的高峰に向かって登攀(とうはん)の一歩を踏み出されることを切望してやまないと述べています。実践人のグループは、読書が読書で終わることなく、「思想的高峰に向かって登攀」であると捉え、お互いの精神的成長を励まし合っています。ありがたい集団です。(続き)

どこへでも気軽に出かけた森信三先生

写真=どこへでも気軽に出かけた森信三先生