日別アーカイブ: 2021年11月19日

祈りは結晶化する!

沈黙の響き (その76)

「沈黙の響き(その76)」

モアイの修復に日本が貢献

 

≪多田野弘タダノ会長がイースター島のモアイ像の修復を申し出る ≫

昭和63年(1988)、日本のあるテレビ局が世界7不思議の一つと言われているイースター島のモアイ像の特集を組んで放映しました。

イースター島は南米チリの西方約3千8百キロ沖合の南太平洋に位置しており、日本からは赤道を超えて太平洋を南下して約1万5千キロ離れている絶海の孤島です。

 

 この島は1722年、オランダ人堤督ヤコブ・ロッへフェーンが西欧人として初めてこの島に上陸しましたが、その日がちょうどキリスト教のイースター(復活祭)だったため、その島をイースター島と名づけました。島には12世紀から15世紀ごろ建造されたらしい巨大な石像が何体も立っていました。

 

 この島は全土に大きな椰子(やし)の木が生い茂っている緑豊かな平和な土地でした。ところが乱開発が進み、家や舟の建材を得るために樹木が伐採され、森林が急速に減少し、土地がやせていきました。加えて長年にわたる部族間抗争によって人口減少が続き、1万人もの人々が住んでいた島が、1774年にイギリス人探検家ジェームズ・クックが上陸したときにはわずか6百人に減少していました。さらに昭和35年(1960)にチリを襲った大地震によって、遺されたモアイも倒壊してしまいました。

 

テレビ映像は28年間倒壊したままになっている無惨なモアイ像を映しだし、世界の文化財の修復こそ平和に貢献する日本の役割ではないかと訴えました。

その特集番組を観て、高松市に本社を置くクレーンメーカー()タダノの多田野弘(ただのひろし)会長が振るい立ち、ぜひわが社で修復を引き受けたいと申し出ました。多田野会長は何か社会に貢献できることはないかと探していたのです。

多田野会長の熱意に呼応して、奈良国立文化財研究所、および飛鳥建設が協力して、モアイ修復委員会が結成されました。この申し出にチリ政府は大感激し、チリ大学イースター島博物館がさまざまな情報を提供して準備が始まりました。

 

こうして平成2年(1990)から約3年間かけて、5百年から8百年もの間、潮風にさらされてもろくなった、10トン以上もある大きなモアイ像をクレーンで吊り上げて、アフという台座(祭壇)に安置しました。こうして倒壊していたモアイ像15体は完全に修復され、イースター島はユネスコ世界遺産に「ラパヌイ国立公園」として登録されました。ラパ・ヌイとはポリネシア語で「大きな島」という意味で、島に住む人々は現在も自分たちの島をラパ・ヌイと呼んでいます。

 

≪日本にモアイ像の復刻が特別に許可された!≫

 平成6年(1994)1月、西田多戈止さんはさっそく㈱タダノの本社を訪ね、多田野会長に会いました。

「モアイを日南海岸に移築することは可能でしょうか。私どもが日南海岸に持っている和郷牧場跡地を再開発することになったので、ここに天香さんが説いている光明祈願『不二の光明によりて新生し許されて活きん』を体現した祈りの場をつくろうとしているのです」

 と、牧場跡地で得たインスピレーションを語りました。

 

「太陽からのメッセージを受けて、地球に許される生き方に気づく場所にすべく、そこにモアイ像を設置したらどうかと考えました」

 するとそのプロジェクトに、今度は多田野会長が驚きました。

「お陰さまでイースター島のモアイは無事修復され、世界遺産に登録される運びとなりました。イースター島の長老会は日本の修復チームに大変感謝し、お礼にモアイ像を日本で復刻することを許可してくださったのです。世界で初めて復刻が許可されたので、信じられないような思いです。

 

しかし、一体5メートルを超す巨大なモアイ像を7体も設置する場所は、相当広い面積を必要とするので、通常の場所ではとても無理です。でも、西田当番がお申し出のように、日南海岸の牧場跡地だったら最適です」

そこで構想は一気にまとまり、プロジェクトが動き出しました。飛島建設の石工の左野勝司さんが凝灰岩(火山灰が固まってできた柔らかい石)を刻んで復刻しました。平成8年(1996)年4月、地球の平和を願って、太平洋をはるかに見晴らす日南海岸の景勝地に開設された「サンメッセ日南」にモアイ像7体が設置され、マスコミがこぞって報道しました。

 

≪諸宗教団体が祈りの運動に呼応≫

一方、西田当番は諸宗教に、サンメッセ日南に「地球感謝の鐘」を設置しようと呼びかけました。一燈園はかねてから宗教の壁を超えた超教派活動を熱心に行っていたので、各宗教団体が賛同して参加を申し込んできました。

 

山田恵諦(えたい)天台座主(ざす)は「地球よありがとう。地球よごめんなさい」というメッセージを送ってきました。立正佼成会の庭野日敬(にっきょう)開祖は「かけがえのない地球に住む縁に感謝」と表現されました。カトリック東京大司教区の白柳誠一枢機卿は「主よ、揺れ動く地の裂け目をなおしてください」とメッセージを送り、大本山池上本門寺の田中日淳(にちじゅん)貫主(かんしゅ)は「大地の恵みを合掌で頂き、いたみは感謝の涙で清めます」という言葉をくださいました。

 

海外からはフランシスコ会修道会のマクシミリアン・ミッツィー神父が聖フランシスコの詩「太陽讃歌」から一句選んで送ってきました。チベットのダライ・ラマも「手遅れになる前に行動しなくては」というメッセージを送りました。こうして16教団から提言の言葉をいただき、17教団からは建設資金も提供されました。

 

春分の日と秋分の日には、真東の海の向こうから昇った太陽が、7体のモアイ像の背後から射してサンメッセ日南の中央の「太陽の階段」を駆け上り、頂上に設置されている「地球感謝の鐘」の真ん中に差し込むという素晴らしい施設ができあがりました。

 

幸いなことにサンメッセ日南は令和2年(2020)4月13日に24周年を迎えました。この年の3月11日には入場者数が4百万人に達し、一燈園のメッセージが少しは伝わったような気がします」

 

沈黙の響きに心耳を澄まし、かそけき内なる声に耳を傾けると、そこから大きな気づきがやってきます。物事の背後にはこうした善意の祈りがあり、日南海岸に立つモアイ像も建立にかかわった人々の祈りが結晶化したものでした。

冒頭に引用した安岡先生と同じように大変な炯眼(けいがん)の持ち主で、特に学校の教師たちに支持者が多く、「実践人の家」という自己啓発の会を主宰した森信三元神戸大学教授は名著『修身教授録』(致知出版社)で、私たち人間のことをこう述べておられます。

 

「われわれ一人びとりの生命は、絶大なる宇宙生命の極微の一分身といってよい。したがって自己をかくあらしめる大宇宙意志によって課せられた、この地上的使命を果たすところに、人生の新意義はある」

 この人間観は宗教が説く普遍的な叡智に通じており、それを目指す私たちを“持続可能な”人間にしてくれています。沈黙の響きに耳を澄まし、内なる声を聴きとる努力を重ねたとき、私たちは私たちの社会をかけがえのないものにすることができるように思います。(続く)

祈りは結晶化する!

写真=祈りは結晶化する!