日別アーカイブ: 2021年11月26日

かっこちゃん先生に抱きついて喜びを表す子どもたち

沈黙の響き (その77)

「沈黙の響き(その77)」

山元加津子さんと特別支援学校の子どもたち

 

 

 12世紀、イタリアで育ったアッシジのフランチェスコは小鳥たちと無邪気に遊びたわむれたそうです。小鳥たちはすっかり警戒心を解いてフランチェスコの周りを飛び回りましたが、天真爛漫さを回復させる心は現代社会がもう一度取り戻さなければいけないものです。そのことを私たちに気づかせてくれる事例をたくさんお持ちの人が日本におられます。

 

長年、石川県の特別支援学校に勤務していて、7年前に退職された山元加津子(かつこ)先生はみんなから「かっこちゃん」と呼ばれて慕われています。そこで私も僭越ながら「かっこちゃん」と呼びます。かっこちゃんはもう60数歳ですが、今でも少女のような心持ちの人なので、誰もが裃を脱いで無邪気になってしまいます。

 かっこちゃん先生が担当する障害児たちが奇跡的な回復と成長を見せるので、保護者たちは愛の働きかけが持っている不思議な力に目覚めていきました。

 

≪目も見えず、動くこともできないちいちゃん≫

かっこちゃん先生が教員になって初めて担任した女の子は柵が付いたベッドに寝かされていました。目が見えず、手足も動かず、何も考えていないと思われていました。同じ部屋の子どもたちは胃に穴を開けてチューブで栄養を入れて生きていました。両親とは何年も会っていません。というのは、重い障害児が生まれると、その施設の園長でもある医師は親御さんにやんわりと言いました。

 

「この子は施設の子どもとして、わたしたちが大切に育てます。だからあなたがたはこの子にかかずらわずに、ご自分の人生を歩みだしてください」

 ちょっと首をかしげたくなるアドバイスです。かっこちゃん先生も園長先生から言い渡されました。

「あなたが明日から担当する女の子は無脳症です。つまり大脳半球は委縮してまったくありません。その結果、神経管欠損症を発症していて反応しないんです。大脳が機能していないから何をやっても無駄です」

 

 そう言われても、かっこちゃん先生にとってはちいちゃんは初めて担任する子どもだったので、とりわけかわいかった。お母さんはかわいい赤ちゃんが泣いたら抱き上げて揺らし、小守り歌を歌って、大好きだよと頬ずりするものです。かっこちゃん先生もそうしたくなりました。

 

 赤ちゃんは何もしないで置いておくと背骨は曲がらなくなり、手足は硬直し、骨ももろくなり骨折しやすくなります。それで看護師さんも怖いので触れないようにし、トイレとご飯の世話以外は一切しませんでした。

 

 でも、かっこちゃん先生は病室には誰も来ないし、見つからないからいいだろうと思い、ちいちゃんを抱き上げて抱っこして体をゆすり、歌を歌って、大好きだよと話しかけていました。そんな毎日が続いたある日、看護師さんが「大変なことがわかりました!」とかっこちゃん先生を呼び止めました。かっこちゃん先生は間違ってちいちゃんの骨でも折ったのではないかとドキッとしました。

 

「そうではなくて、大変なことがわかったんです。ちいちゃんがいる病室はどの子も寝たきりで動けず、胃瘻(いろう)カテーテルで栄養補給をしているので、とても静かなんです。ところが山元先生の足音が聞こえてくると、ちいちゃんが手足をバタバタ動かすんです。他の人の足音では決してバタバタしません。まさかと思ったけれども間違いありません。あの子は山元先生と他の人の足音を聞き分け、先生の足音だと喜んでいるんです」

 

 山元先生はちいちゃんが自分のことを特別な人と思って待っていてくれるんだと思ったら、胸がいっぱいになり、涙が止まりませんでした。

 

≪「大好き!」は魔法の言葉≫

 山元先生がちいちゃんに「大好きだよ、かわいいね」と語りかけると、にこっと笑います。「今日はもう帰るね」というと泣きます。ちいちゃんがなぜそうした言葉の意味がわかるのか、わかりませんでした。

 

手遊びで、「一本橋、こーちょこちょ」とくすぐる遊びをしました。最初は何の反応もありませんでしたが、続けているとある日、「階段上って、こーちょこちょ」とくすぐると、声を挙げて「わー」と笑いました。

 

 山元先生は嬉しくなって園長先生のところに飛んでいき、「ちいちゃんは全部わかっています。こうやったら笑いました」と報告すると、現下に「そんなことはあり得ません。あの子は大脳がないんだから、ただの機械的反射に過ぎないでしょう」と否定されました。

 

 翌日もまたちいちゃんと「一本橋、こーちょこちょ」をやって遊びました。そして「一本橋、こーちょこちょ。階段上って」とやって、そこで止めてみました。するとちいちゃんが「あれっ、そろそろくすぐってくれるはずじゃないの?」と怪訝(けげん)そうに首をかしげます。これはくすぐっていないから反射的反応ではありません。次にくすぐってくれるはずだと“予測”する力があることを示しています。こうしてちいちゃんの隠れていた潜在能力に気がついていきました。

 

 あるとき、子ギツネとお母さんギツネの絵本を読み聞かせしていて、

「子ギツネはお母さん、お母さーんと泣きました」

 と読むと、ちいちゃんの目に涙が溜まりました。山元先生は、ちいちゃんはお母さんに長いこと会っていないから、母の愛情はわからないはずだし、キツネとか冬とかも知らないはずなので、物語がわかるはずがないと不思議に思いました。

 

 ところが翌日、「お母さんが心配でたまらない子ギツネは、お母さーん、お母さーんと泣きました」という部分を読んだら、またちいちゃんはポロポロ涙をこぼしました。山元先生は胸がいっぱいになって、ちいちゃんをぎゅっと抱きしめ、「大丈夫、わたしがいるよ」と慰めました。

 

 山元先生はそれまで、人は教育によっていろいろなことを学ぶのだと思っていました。でもそれだったらちいちゃんは何も知らないはずだから、そこで涙をこぼさないはずです。だから人間は生まれる前から全部わかっていると思うしかありません。どんなに障害が重くても、どの子もわたしたちと同じように深い思いを持っているとしか思えません。

 

 たとえ脳に重たい損傷があったとしても、体を起こし、揺らし、大好きだよと語りかけ、音楽を聴かせたりすると、脳幹を刺激して活発になるのです。山元先生はこうした経験から、医師や看護師に、「子どもたちはみんなわかっていて、回復する力があります」と説いても、「かっこちゃんマジック」とか、「ミラクルかっこちゃん」などと茶化されて、なかなかわかってもらえませんでした。(続く)

かっこちゃん先生に抱きついて喜びを表す子どもたち

写真=かっこちゃん先生に抱きついて喜びを表す子どもたち