日別アーカイブ: 2022年1月15日

果奈子さん(左)と明紀子さん 

沈黙の響き (その84)

「沈黙の響き(その84)」

新潟に障がい者支援の花が咲いた!

 

 

 普通の親なら生まれてくる子どもは五体満足であってほしいと祈るものです。しかしもし何らかの障害を持って生まれてきたら……涙が枯れ果てるほどに嘆くでしょうが、やがて気持ちが落ち着いたら立ち直って、普通の子と同じような境遇で育てたいと思うでしょう。

愛するわが子をどこか辺鄙な土地の障がい者入所施設に隔離するのではなく、自分が住んでいる町で、一人前の人間として生活をエンジョイしてもらいたいと願います。

 それが福祉の先進国デンマークで始まった「ノーマライゼーション」(障がい者に普通の人と同じように社会参加してもらうために支援する)や「インクルージョン」(包摂的な共生社会をつくる)という考え方で、現在それがスウェーデンなど北欧諸国で見事に実現しています。

 

≪ノーマライゼーションから、さらに包摂的な共生社会の実現に向けて≫

そのノーマライゼーション、そしてさらに進んでインクルージョンに、新潟県の雪深い魚沼地方の十日町市で取り組んでいる人がいます。毎年数メートルを超す豪雪地帯として知られている十日町市で、屋根に降り積もった雪をボイラーで加熱した不凍液で融かす北越融雪㈱を経営している樋口功さんです。

 仕事の鬼として知られていた樋口さんは屋根融雪の事業に没頭していましたが、3女が重度の障害児だったことから、その子を守り育てるために社会福祉事業に取り組まざるを得なくなりました。こうして平成14年(2002)6月、NPO法人支援センターあんしんが誕生しました。

 目的はただ一つ、障がい者をどこから隔離して手厚く保護するのではなく、仕事を作って就労させ、自分で働いて自立できるような社会的な仕組みをつくり上げることでした。

障がい者でもできる仕事として活路を開いてくれたのが、トイレットペーパー作りでした。ところがその事業がようやく軌道に乗った平成16年(20041023日、突如震度六強の中越地震に襲われ、ワークセンターあんしんの建物も甚大な被害を被って、半壊してしまいました。

 お先真っ暗。事業が継続できないとため息をついていると、その窮状が全国紙で報道され、全国から義援金が届けられて何とか再開できました。

「苦難に耐えれば、必ず活路が開かれる」

 と昔から言われるとおり、それは永遠の真理でした。青息吐息だったトイレットペーパー事業に全国から注文がくるようになって事業は息を吹き返し、長年の念願だったグループホーム第1号も開所できました。

障がい者にできる仕事は何でもやって自立するという樋口さんの積極性が効果を上げ、あんしんはトイレットペーパー事業、クリーニング事業、給食センター、清掃事業、営農事業などと手を広げ、グループホームは何と13棟にまで増えました。

あんしんの二つの就労支援事業所で働く障がい者は現在80名を超え、最重度の障がい者たちの生活を支える通所支援事業所や、グループホームで共同生活をしている人たちを含めると総勢160名となり、それを支える職員や支援スタッフは約140名、総事業費は4億円を超すまでになりました。

 国は医療や福祉事業の増大する財政負担に対応するため、障がい者福祉においても民間の知恵を活用しようと福祉法の改制を行い、平成18年(2006)に「障害者自立支援法」を施行し、さらに平成30年(2018)、障害者総合支援法を改定して、福祉事業のいっそうの進展をはかっています。

 その意味でも、樋口さんたちあんしんグループがつくり上げたシステムは、どこの地方自治体、社会福祉法人、それに民間業者も大いに参考になると思われます。

 

≪アッコのお陰で私は幸せになった!≫

 私は何回か十日町市のあんしんに通っているうち、なぜこのグループはこんなに明るいのかなと不思議に思っていました。あんしんの仕組みづくりに樋口功さんという機関車は欠かせない存在ですが、あんしんのあり方の部分で、奥さまの春代さんや娘さんの果奈子(かなこ)さんや世史子(よしこ)さんたちが大きく担っておられるということに気づきました。

 長女の果奈子さんは知的障がいを持った妹の明紀子(あきこ=愛称アッコ)さんのことをこう語ります。

「昔は今に比べると、障害のある人に理解が無かった時代でした。妹と一緒に買い物に行くとジロジロ見られるので、気持ちが落ち込むことがたくさんありました。今思えば、身体の大きな小学生がよだれを垂らし、欲しいものがあると床に寝そべって発狂したようにおねだりするので、そんな視線が集まるのも無理なかったと思います。

 そんな小学生のころ私が、一番勇気が必要としたのは、友達を家に招くときでした。とにかく引っ込み思案で心配性だった私は、こんなに変わった妹がいたら、友達をやめられちゃうのではないかと、今考えればそんなちいさなことをいつも心配していました」

 障がい者を妹に持ったことで、果奈子さんも白い目で見られ、人知れずつらいことがありました。ところが大学で福祉を学んでいたころ、突然大変なことに気が付きました。

「いまこんなに幸せを感じているのは、アッコがいたからではないか!」

 それまでは妹がむずかると、うとましく感じることもありましたが、まったく罰当たりなことでした。そこに気づいて180度変わりました。妹はうとましい存在ではないどころか、“福の神”だったのです。

 

≪私たちはあなたを誰よりも大切に思っているよ!≫

それに果奈子さんは社会福祉を専攻した学生時代、長野県中野市にある、北信圏域障害者総合支援センターに現場研修に行ったとき、こんな体験をしました。同じダウン症の子でも、支援するのがとても難しい子と、みんなにかわいがられる子がいるのです。そのときは何となく不思議に感じ、その子の性格によって愛される子と疎まれる子があり、仕方が無いことだろうなと思っていました。

 ところがあるとき、こんなお母さんと知り合いました。ダウン症のFくんのお母さんはとっても明るくて、Fくんの存在を認め、愛情たっぷりに育てていました。

「あなたがかわいくてたまらないの。あなたがいるから私はとっても幸せなんだよ」

と、頬をすりつけて言うのです。Fくんはみんなの人気者でした。

一方、ダウン症の0くんとSちゃんは対応がとても難しい子でした。怒ると物を投げるし、職員に暴力を振います。私はこういう手のかかる子だから家族に愛されていないのかなぁと思いました。事実、0くんとSちゃんは家族から存在を疎ましがられ、表に出せない恥ずかしい存在として扱われていたのです。

そんな経験から果奈子さんは、障がいが重いとか軽いとかに関係なく、周りから自然と愛情をもらってかわいがられる人と、この人は接するのが大変だと思わせてしまう人ができのではないかと思いました。

「家族から存在を認められず、愛情をもらうことができなかった人は、人から上手に愛情をもらうことが苦手な人が多いようでした。誰よりも人に関わってもらいたくて、お腹が痛いとか、体調が悪いと泣き叫んで注目してもらったり、暴言や人の嫌がることや、ときには犯罪めいたことをしてまで、人と関わってもらおうとする屈折した人もいました。幸いなことに私の妹アッコはみんなから愛されてきたので、とても天真爛漫でした」

 果奈子さんは大学を卒業したら、父母を手伝って、十日町市で障がい者を支援するNPOを立ち上げることにしていたので、そこが自ずからどういう施設であるべきか、大原則が見えてきました。その施設は障がい者を心から受け入れ、

「私たちはあなたを誰よりも大切に思っているよ!」

と伝えられる場所にしようと強く思いました。そしてあんしんが稼働してから二十年が経ち、確実に成果が見えてきました。

「誰よりも辛く寂しく苦労してきたのは、彼ら障がい者たちなのですから! そういう方々が少しずつ自由で屈託なくなっていく様子を見ると、飛びあがるほどにうれしいのです。それがあんしんを営んでいる私たちの何よりの醍醐味です」

 こうしてあんしんはノーマライゼーションを果たし、インクルーシブな共生社会を形成しつつあります。

 私は樋口会長が取り組んでこられたあんしんの歴史と、そのスピリット形成に多大な役割を果たされた奥さまや果奈子さん、世史子さんたちの努力の2つの側面から、支援センターあんしんのことを本にすべく書いています。出版された暁、それを読んでいただければ、読者はあんしん形成の過程に創造の喜びがあったことを実感していただけるのではと思っています。

果奈子さん(左)と明紀子さん 

作業所の製作風景 

トイレットペーパー

写真=NPO法人支援センターあんしんの要となって働く果奈子さん(左)と明紀子さん