日別アーカイブ: 2022年5月21日

エリザベス・サンダース・ホーム正門

沈黙の響き (その102)

「沈黙の響き(その102)」

黒い十字架を背負わされたアガサ

神渡良平

 

 

 ウクライナではロシア軍の戦闘が続いており、連日、都市の破壊や市民の凌辱、殺戮、窃盗が続いています。これが現代に起きていることかと唖然としますが、テレビやSNSは連日悲惨なニュースを伝えています。

ロシア軍は無防備なウクライナ国民を強姦・殺戮・略奪して、日頃の鬱憤を晴らしていますが、ロシアの蛮行は何として阻止しなければなりません。

 

 戦争の被害は戦闘による直接的な死傷や破壊もあげられますが、戦後も多数の混血孤児が生まれ、悲惨な人生を歩まされます。そのことを強く訴えているのは、神奈川県大磯町にある戦争混血孤児院のエリザベス・サンダース・ホームの故澤田美喜園長が書き残した『黒い十字架のアガサ』(毎日新聞社。昭和421967〉年刊)です。混血孤児院が開設してから20年後、今から55年前に書かれたものですが、戦争の傷跡を生々しく伝えてくれています。

 

 エリザベス・サンダース・ホームはもともと三菱財閥の創始者岩崎弥太郎の別邸でした。財閥解体をもくろんだGHQ(連合国総司令部)は岩崎家に税金の支払いのため物納を余儀なくし、所有は国に移管していました。澤田さんはその別邸を使わせてもらおうと思いましたが、大蔵省(現財務省)は400万円で買い取る以外にないと突っぱねました。

 

エリザベス・サンダースという日本在住の英国夫人が老人施設でひっそりとなくなりました。彼女は生涯働いて得た170ドル(約62000円)を日本聖公会に献金し、その活動に生かしてほしいと遺言しました。聖公会は貴重な献金を澤田さんが始めようとしている混血孤児の養育資金として提供することにしました。

 

そうした助力によって大磯の別邸を買い戻すことができたとき、澤田さんはその孤児院の名称を迷うことなく、老婦人の名前を冠して、エリザベス・サンダース・ホームと名づけました。

 

澤田園長は『黒い十字架のアガサ』の冒頭をこう書きだしています。

「思えばアガサは戦争の犠牲をその小さい肩に背負って生まれてきた。世のすべての子どもたちは両親やそのまわりの人たちから、あふれるほどの祝福を受けて生まれてくるものなのに……。

彼女は、他の戦争混血児がそうであるように、その母親からさえ喜ばれずに、この世に生を享けたのである。この子自身にはなんの罪もないというのに……」

 アガサとは強姦された日本の娘さんが生み落とした黒い女の子の名前です。

 

 長い戦争が終わった昭和201945)年の夏、和歌山湾のある半農半漁の魚村に米軍の上陸用舟艇が入港しました。その舟艇に目をギラギラさせた黒人兵が乗っており、悲劇はその夜起きました。ある娘さんが所用で家を出て野中の夜道を歩いていたとき、ある黒人兵に襲われ犯されたのです。

 

 これほど悲しい事件はありません。その娘さんは涙を拭ってその凌辱事件を忘れようと努めました。そして愛する人と結婚し、1010日後、喜びの主産の日を迎えました。ところが生まれてきた子の肌の色はまっ黒だったのです! その娘さんは愕然とし、夫は罵声と嘲笑を残して、家を飛び出してしまいました。

 

狭い漁村のことなので噂はすぐに広まり、若い母親と混血の女の子は後ろ指を指され、生きていくことは容易ではありませんでした。若い母親は家を出ていった夫の子も身籠っていて出産しましたが、産後の肥立ちが悪くて亡くなってしまいました。

アガサと名づけられた黒い赤ん坊は施設に預けられ、あちこちの施設をたらい回しにされた挙句、6歳のとき秋田の施設から、神奈川県大磯のエリザベス・サンダース・ホームに引き取られてきました。

 

かわいそうにアガサは生まれてからの暗い生活をそのまま刻み込まれたような陰鬱な表情をしており、いつも大人を警戒し、誰にもなつきませんでした。小学校に上がったものの、何にも関心を示さず、知能指数は62、成績も最劣等でした。

 

澤田さんはアガサが絵を描くのが好きなのに着目し、絵画で彼女の能力を引き出そうとしました。でも描くのは三角の目をした魔女ばかり、しかもハートに矢が突き刺さっている不気味な絵を描くのです。そんな絵で世間への敵意をむき出しにしていました。澤田園長や保母さんたちが注いだ愛情はアガサの固い殻をなかなか溶かすことができず苦しみました。

 

アガサは中学生になるころ、同じホームの、白人と日本人の合いの子である男の子に恋をしました。そして夜中にホームを抜け出して、林の中で恋の火遊びをするようになりました。相手の男の子はエルビス・プレスリー張りの容貌だったので、少女たちの間で奪い合いとなり、ホームの中は喧嘩騒ぎがやまず、混乱しました。アガサの万引きは常習となり窃盗を犯すようになって、とうとう警察沙汰になって少年院に回されました。

 

それでも品行は収まらず、毎夜抜け出してはアバンチュールを楽しみ、とうとう身を持ち崩してしまいました。ひとりの子どもをまっとうに育て上げることは大変なことでした。

 

『黒い十字架のアガサ』はその他に、産みの母親と同じ轍(わだち)を踏んで苦しむメリーのことや、恋の巡礼者となってしまったクリストファー、錠前開けに異常な関心を示し、とうとう裏街道に落ちて人生を誤ってしまったガービーなどを描き、人生とは何かと突き詰めていました。

 

この種の本は慈善事業としての社会福祉事業を描き、表面を撫でさするだけのきれいごとに終始することが多いのですが、澤田さんのこの本は違いました。親身になって人生を立て直そうとする保母と混血孤児たちの奮闘が描かれていました。

 

戦争被害というものは直接的な被害に留まりません。戦後に残された混血孤児たちが過酷な十字架を背負って歩まされる現実があり、その傷は20年も30年も続くのです。澤田さんは、「私はこの混血孤児の孤児院を運営して、戦争の後始末をしているのです」と語っています。

 

今回もロシアが侵攻先のウクライナで非道な強姦を行っていることが伝えられていますが、強姦の後には混血児が出生し、悲劇は何十年も続きます。それを考えると、ウクライナにおけるロシアの蛮行は一刻も早く止めさせなければなりません。

エリザベス・サンダース・ホーム正門

澤田美喜と子どもたち

写真=澤田さんとエリザベス・サンダース・ホームの子どもたち