日別アーカイブ: 2022年7月29日

祈りは結晶化する!

沈黙の響き (その112)

「沈黙の響き(その112)」

エリザベス・サンダース・ホームの開設に向けて

神渡良平

 

◇大磯の別荘を買い取ろうと奮闘

澤田美喜さんは、父の岩崎久彌(ひさや)を本郷の岩崎家茅町(かやちょう)本邸(現・東京都台東区池之端)に訪ね、大磯の岩崎家の別荘を使えないか話しました。イギリスのドクター・バナードス・ホームで孤児たちの世話をして以来、大磯の別荘にホームを開設したらどうだろうと、ずっと思い描いていたのです。

 

久彌さんはその考えに諸手を挙げて賛成してくれました。

「時が時ならば、私は美喜の計画に大磯の別邸をそっくりそのまま差し出して、全面的に協力するところだ。しかし、あの別邸は財閥解体をもくろむGHQによって財産税として物納させられ、今は日本国の所有になっているんだよ」

 

GHQから財閥は戦争遂行に加担したと糾弾され、公職追放と財閥解体が始まって事情が一変していました。それに3代目当主の久彌氏は51歳という若さで三菱合資会社の社長を退任し、社長を従弟の小彌太(こやた)氏に引き継いでいました。

 

GHQは久彌と小彌太ばかりでなく、彦彌太(久彌の長男)、隆彌(久彌の次男)、恒彌(久彌の3男)、忠雄(小彌太の婿養子)など、計11名を財閥家族に指定し、会社の役職から追放し、財産は没収しました。

 

生活費も持株会社整理委員会の承認を得なければ支出できないほどに厳しかった。久彌さんも数ある邸宅や別荘、岩手の小岩井農場、千葉県成田の末広農場を失い、資産のほとんどを財産税として物納して失いました。

岩崎邸にはGHQ(連合国軍総司令部)がジープで乗り付けて財産をごっそり没収し、有価証券はトラック3台で持ち去っていました。

「何もかも失ってしまった。土佐の郷里の土地と東京の墓地だけが残ったよ」

と、久彌さんはすっかり気落ちして嘆いていました。

 

 一度政府に物納した大磯の別荘は、財閥解体を進めているGHQトップに直接交渉するしかありません。泣く子も黙るGHQです。何をされても文句ひとつ言えません。父も夫も公職追放されている以上、美喜さんが交渉の前面に立たなければいけません。GHQは星条旗がひるがえるお濠端の第一生命ビルに傲然と陣取っています。

 

 外交官夫人として社交の表舞台に立ち、外国人とやり取りしてきた美喜さんは、アメリカ人との交渉は何ら臆するところがありません。普通なら立ちすくんでしまう星条旗がひるがえるGHQも美喜さんは臆するものはありませんでした。

 

◇「蛇のように賢く、鳩のように素直に」

 そんなとき、美喜さんがニューヨークで暮らしていたころ、親しくしていたニューヨーク聖公会のウイリアム・チェーズ司祭が、GHQの司令部付きの聖職者として来日していることがわかりました。

早速司令部を訪ねてチェーズ司祭に会い、孤児院開設の件でアドバイスを求めました。温和で思慮深いチェーズ司祭は米国側からの観点から美喜さんに知恵を授けました。2人の会話は3時間にも及びました。

 

 チェ―ズ司祭は聖書を引いて自分の意見を述べました。

「『マタイ福音書』第10章に、主イエスは弟子たちを地方に伝道に出すとき、蛇のように賢く、鳩のように素直でありなさいとアドバイスされたと書かれています。伝道者はもちろん鳩のように素直で柔和でなければいけませんが、任務はそれだけで達成できるものではなく、もうひとつ蛇のような賢さも持たなければいけないというのです」

 

 そして「蛇の賢さ」について、自分はこう解釈しているというのです。

「賢こさとは、分別があり、思慮深く、注意深くあれという意味です。勇猛果敢だけでは目的は達成できません。思慮深い行動が求められているのです。

 

 あなたが交渉しようとしている混血孤児たちを収容する施設は、もちろんつくらなければなりませんが、同時に混血孤児の問題は米軍の恥部をさらすことになってしまう非常にセンシティブな問題でもあります。

 

だから混血孤児という言葉は使わないで、戦争孤児を救うための社会福祉活動と表現したほうがいいでしょう。その方が司令部を刺激せず、了解してもらえるでしょう」

 

 チェーズ司祭の委細を尽くした話によって、GHQ上層部には混血孤児のことには触れたくない心理が強くあることがよく納得できました。そこで彼らの逆鱗に触れないようオブラートに包んで交渉することにしました。

祈りは結晶化する!

 写真=祈りの手はすべてを包み込む