日別アーカイブ: 2022年9月17日

澤田美喜3

沈黙の響き (その119)

「沈黙の響き(その119)」

立ち直ろうとするМくんを支え励ました澤田美喜さん

神渡良平

 

 

 戦後、アメリカ兵(GI)と日本の女性との間に混血児が生まれて巷にあふれたころ、捨てられた混血児を見捨ててはおけず、澤田美喜さんは大磯のエリザベス・サンダース・ホームで養育し始めました。その努力によって多くの子どもたちがすくすく育ち、社会に旅立っていきました。また、アメリカ兵の養子として、米国に旅立っていった混血児たちも大勢ありました。それは美談としてマスコミに取り上げられ、テレビで特集番組が組まれて報道されました。それは戦後の荒廃した世相に咲いた一輪の花だったと言えます。

 

 ところがその反面、とても手を焼く子どもたちもあり、いったいこの子たちには人間らしい感情はあるのかと疑わざるを得ないことも多々ありました。美喜さんはこの子たちを何とか正しい道に引き戻す手立てはないものかと思い悩み、苦しみました。これでもかこれでもかと、次から次へと心を痛めさせられることが続き、どんなに悲しんだかしれません。

 

 聖ステパノ学園中学校を卒業後、すっかり悪ガキになってしまった少年たちが週末の夜、集団でホームを荒らしに来たこともありました。教員室や家庭の鍵を壊し、窓ガラスを破って侵入し、食料品や電気釜などを盗むのです。あるときはホームの子どもたちがひよこのときから大事に育てていたニワトリを絞め殺して焼き鳥にして食べてしまうなど、どう見ても意地悪としか思えないことをしてうそぶいていました。

 

 彼らの行動はだんだんエスカレートして、深夜、子どもたちの宿舎にカンシャク玉を投げ込み、女を連れて教室にもぐり込んでシンナーを吸い、桃色遊戯に沈溺しました。乱暴狼藉は大磯の町にも及び、コソ泥をくり返しました。美喜さんたちはほとほと困ってしまい、お詫びしてまわりました。

 

 美喜さんや保母さんたちは深夜、彼らを追っかけて、ホームの周りの山坂を駆けまわったことが何十回となくありました。もし自分の死期が早まるとしたら、このときの無理が原因だろうと思ったほどでした。捨て鉢な悪ガキたちはいつも他人の迷惑を考えず、自分さえよければいいと行動しており、何につけてもひがんで、

「どうせ俺たちは……」

と愚痴っていたのです。

 

◇М少年がくり返す非行

 その中にМという少年がいました。Мくんはどの悪行にも加わっているワルでした。憎々しげな口をきき、大物ぶっていましたが、どこかにまだ純情さが残っており、それが美喜さんに彼はまだ引き戻せるのではないと思わせました。

その彼が聖ステファノ学園中学校を卒業して初めてもらった給料で、美喜さんに心臓の薬を買ってきてくれたのです。美喜さんは小躍りして喜びましたが、彼にたびたび迷惑をこうむっていた他の教師たちは、

「な~に、またまたびっくりするようなことをしでかすから、驚いて心臓が破裂しないように皮肉をこめて買ってきただけですよ」

 と、彼のプレゼントをまじめに受け取ろうとはしませんでした。

 

たとえその通りであるとしても、美喜さんはそうは思いたくありませんでした。英国の友人が美喜さんにこう言ったことがありました。

「敵を敵として取り扱ったならば、その敵はいつまでも敵です」

 美喜さんその考えに深く共感し、Мくんに立ち直る機会を与えようと努力しました。そして壊れかけていた関係が修復されるたびに、忍耐してよかったと感謝したのでした。

 

 Мくんは不思議な少年でした。耳をふさぎたくなるような毒舌を吐き、ふてぶてしい態度を示す一方では、カラス、豚、犬など、死にそうになっていた動物を生き返らせて、見事に飼いならす特技を持っていました。彼に助けられた鳥や動物がなついて、彼について歩くのを見たら、Мくんは根っこには善良なものを持っているはずだと思わざるを得ませんでした。

 

◇立ち直ろうとするМくんの健気な意志

 そうしている間に、Мくんが悪い仲間から少しずつ遠ざかり始めました。

何と、恋をしたのです。そのころから、

「どうせぼくなんか……」

という捨て鉢なセリフを吐かなくなりました。それどころか、美喜さんはМくんから殊勝な気持ちを打ち分けられたのです。

「ぼくはあの子を逃したら、もう二度とああした子にはめぐり逢えないと思う。だから何としてもこの恋は実らせたいんだ……」

 

 その真剣な態度には、かつて持っていた自暴自棄の色はなく、瞳からシンナーで濁った光は消えていました。彼女の両親はまだ彼らの恋に気づいていませんでした。もし娘が不良少年と付き合っていると知ったら、両親は必ず拒絶するに違いありません。美喜さんは、

(何とかしてこの恋を実らせてあげたい。きっと立ち直るきっかけになる!)

 ある日Мくんに訊いてみました。

「ママがその子の親御さんにお会いして、あなたの本気度を話そうか?」

 Мくんはしばらく黙っていましたが、やがてコクリとうなずきました。それしか彼女の両親を説得する方法はないと思ったのです。

 

 そこで美喜さんはご両親に長い手紙を書きました。Мくんが生後8か月でエリザベス・サンダース・ホームにやってきてから今日に至るまでのことを包み隠さず書きました。そしてМくんは娘さんの愛情で救われ、立ち直ってきたこと、自分も彼の母として今後も見守っていくので、どうぞ2人の付き合いを認めてほしいと訴えました。

 その結果、美喜さんとМくんの誠意は先方に伝わり、2人の交際を認めてもらいました。

 

◇愛情ほど自立を支えるものはない

 娘さんとの付き合いが深くなるにつれ、娘さんの愛情は悪友の誘いの陰に隠れていた彼の善良さを引き出し、自立できるまでになりました。そして2人は、彼が幼児洗礼を受けたホームのチャペルで結婚式を挙げ、新生活をスタートしました。Мくんは美喜さんにお礼の手紙にこう書いています。

「ぼくは長い間、いつ彼女の親に見つかるかとビクビクした生活をしていたんです。でも今は晴れてみんなに祝福され、明るい日を送っています」

子どもも授かったМくんの生まれ変わったような目の色に、美喜さんは救われた思いがしました。

 

あの古武士のような謹厳実直な運転手兼秘書の鯛茂(たいしげる)さんに、

「昼はカミナリ、夜はマリア」

と評された美喜さんです。「ママちゃまは怖かった!」と一様に言う在園者たちが、それでもなおなぜママちゃまを慕うのか――私はつらつら考えました。

ここで採り上げたМくんのように、自分の立ち直りを助けてくれたと感じた青年たちは、美喜さんを“生涯の育ての親”と慕いました。彼らはママちゃまが自分に注いでくれた愛は掛け値なしに本物だったと感じています。

 

もちろん、人間の世界でのことです。すべてが良い実を結ぶことはあり得ません。ママちゃまはえこひいきが多かったと否定的に捉える人もたくさんいます。それも事実でしょうが、美喜さんの援助で立ち直った青年があることも事実です。私は善意が実った事例を評価したいと思います。

澤田美喜3

 

写真=ありし日の澤田美喜さん