月別アーカイブ: 2022年10月

ローソク

沈黙の響き (その125)

「沈黙の響き(125)」

キリスト教に惹かれていく澤田美喜さん

神渡良平

 

◇隣の部屋が漏れてきた声

今回はエリザベス・サンダース・ホームの澤田美喜園長がキリスト教の信仰を持つに至った経緯を見てみましょう。美喜さんは御茶ノ水にある女子師範附属幼稚園(現在のお茶の水女子大学を構成した学校)から小学校に進んだとき、兄妹が次々にハシカにかかり、寝込んでしまいました。ハシカにかかるとみんな大磯の別荘に隔離され、治るまで1、2週間静養しなければなりません。3番目の兄がハシカにかかったあと美喜さんもかかってしまい、別荘に隔離されました。

 

美喜さんが寝ていると、美喜さんに付き添って別荘に来ている、赤十字出身の看護婦の川手さんが隣の部屋で、小さな声で何か朗読しているのが聞こえてきました。

「敵を愛し……憎む者に親切にせよ。のろう者を祝福し、はずかしめる者のために祈れ」

 

(えっ、憎む者に親切にし、のろう者を祝福する?)

聞いたこともない考えです。そんなことが現実問題としてできるわけがありません。でも、天使のようにやさしい川手さんが、ひとこと、ひとこと確かめるように朗読しています。美喜さんは思わず耳をそばだてて聞き入りました。

「あなたの頬を打つ者には他の頬をも向けてやり、あなたの上着を奪い取る者には下着をも拒むな……。あなたに求める者には与えてやり、あなたの持ち物を奪おうとする者からは取り戻そうとするな……」

 まだ小学生の美喜さんには川手さんの声が天国から聞こえてくるような感じがしました。川手さんの朗読は静かに続いています。

「自分を愛するものを愛したからとて、どれほどの手柄になろうか……。罪人でさえ、自分を愛してくれる者を愛している……」

 

(それは確かにそうだわ……)

美喜さんはその教えに不思議な力でぐいぐいと惹かれました。あのやさしいお姉さんがさとしていると思うと、とても素直にうなずけます。

 

それが美喜さんの耳に入った仏教以外の宗教の初めての教えでした。実は美喜さんは母親が送ってくれた仇討ちの絵本を読み終えたばかりだったので、余計心に響いたのです。

その本では、親の仇を何年もつけ狙い、とうとう積年の恨みを果たしたということが、天晴れでいさぎよいと称賛されていました。でも、仇討ちという美名のもと恨みを抱き続けるというのは、おどろおどろ過ぎるなと思いました。

 

◇ヤソを毛嫌いした祖母

隣の部屋から漏れてくる川手さんの声が、

「悪しき者に手向かうな。あなたの頬を打つ者には他の頬をも向けてやり、あなたの上着を奪い取る者には下着をも拒むな」

と告げているのを聞くと、そちらのほうがはるかにすばらしいなと思いました。美喜さんはベッドの中で、川手さんは何の本を読んでいるのだろうと考え、もっと知りたいと思いました。

 

翌朝、美喜さんは川手さんに訊いてみると、川手さんはびっくりして思わず両手で口を覆い、言を左右にして話してくれません。川手さんは岩崎家が土佐以来、熱心な真言宗の門徒で、キリスト教はヤソと呼んで毛嫌いしていると知っていたので、何の本だったか、口をつぐんで言いませんでした。明治30年代後半の話です。

でも、川手さんはクリスチャンだったので、うすうすキリスト教の本らしいと推察しました。

 

美喜さんはハシカが治って東京に戻ると、日曜学校に通っている友達から新約聖書を手に入れました。英国公使をしていた伯父の加藤高明さん(後の総理大臣)からイギリス土産にいただいたきれいなハンドバックと取り換えてもらったのです。

むさぼるように読んでみると、川手さんが読んでいたのは「ルカによる福音書」だとわかりました。イエスは実に平明な言葉で語りかけておられました。

 

「何を食べようか、何を飲もうかと、自分の命のことで思いわずらい、何を着ようかと自分のからだのことで思いわずらうな。命は食物にまさり、からだは着物にまさるではないか。

 空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取り入れることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていてくださる……」

 

「山上の垂訓」と呼ばれる一節です。身に沁みるように、イエスの教えが入ってきます。小躍りしていると、キリスト教を毛嫌いしている祖母の喜勢(きせ)に聖書を発見されてしまいました。

 

「何です、美喜。ヤソの本など読んでいて。一つなぐられたら、ふたつなぐり返してやるんです。三つなぐられたら、六つなぐり返すんです。相手にあなどられてはいけません。ヤソは軟弱過ぎます」

 と、取り上げられてしまいました。おばあさんは絶対です。従わざるを得ません。それでも美喜さんは聖書を読みたくてたまりません。そこで今度は別な友達に、京都の舞妓さんからもらった半襟(はんえり)を聖書と取り換えてもらって、隠れて読みふけりました。

 

◇現世を積極的に変えていこうとする姿勢

 そこにはさらに衝撃的なイエスの言葉が記されていました。

「みこころが天に行われるように、地にも行われますように……」

イエスは現世を天国に変えようという積極的な姿勢を持ち、「御国を来たらせたまえ」と祈り、行動していたのです。それに比べたら仏教は現世を苦海だといって諦め、来世に希望を託しているだけのように見えました。

 

ところがまた祖母の喜勢に気づかれてしまい、今度はさめざめと泣いて折檻されました。

「お前がヤソになると、ご先祖様のお墓はいったいどうなるの。私の墓もおじいさんの墓も草ぼうぼうになってしまいます。ヤソになることは断じて許しません」

 

喜勢は孫がお茶の水の女学校に通っていたのではヤソの悪影響は排除できないと中退させ、一流の学者を家庭教師にして教育しました。国語・漢文は関根正直博士、日本画は野口小恵先生、習字は代々加賀藩の祐筆だった西田単山先生、油絵は石川寅次先生といった具合です。それはそれで素晴らしかったものの、一度感じたキリスト教への関心は消えません。よく「三つ子の魂、百まで」と言われますが、美喜さんはキリストの教えに惹かれ、とうとう洗礼を受け、よって立つ巌(いわお)としました。

ローソク

写真=世の光


沈黙の響き (その124)

「沈黙の響き(その124)」

臓器を提供して人の悲しみを救った父親からの手紙

神渡良平

 

 日本臓器移植ネットワークは脳死と判定された6歳未満の女児の両親が、臓器提供を受けなければ生きていけない人たちがいることを知って、女児の臓器提供し、同じような立場で苦しんでいる人たちを救った父親の手紙を公開しました。

 そこには「Aちゃん、ありったけの愛を天国から注いでくれるとうれしいな」という気持ちが書かれていました。子を持つ親の気持ちを吐露したこの手紙は、多くの人の心を打ち、どんどん拡散しているようです。

この手紙はエリザベス・サンダース・ホームの澤田美喜園長が戦争孤児を育てるホームを開設した気持ちを伝えてくれると思ったので、今回はその手紙を紹介します。

 

◇辛くて、寂しくて、最後は落ちている石ころにもお願いしたんだよ

〈Aちゃんが体調を崩してから、お父さん、お母さんは辛くて、辛くて、毎日毎日神さまに無事回復させてくださいとお願いしていました。神社に行ってお願いし、山に行けば山に、川に行けば川に、海に行けば海にというふうに、目に見えるものすべてにお願いしました。最後には落ちている石ころにもお願いしたんだよ。

 

 でもね、どうしても、Aちゃんとお父さんを入れ替えることはできないんだって。もうAちゃんは長くは生きられず、もう目を覚ますことはないんだって……。

 お父さんとお母さんは辛くて辛くて、寂しくて寂しくて、泣いてばかりいたんだよ。

 

 そんなときお医者さんから、Aちゃんが臓器を提供すれば、健康な臓器なしには生きていけない人たちの希望になれることを聞いたよ。今のお父さんやお母さんみたいに、涙にくれて生きる希望を失っている人たちを助けることができるんだって。

 

 どうだろう? Aちゃんは臓器提供をすることをどう思う? いやかな?

 お父さん、お母さんは悩んだ末、Aちゃんの臓器を困っている人に提供することに決めました。もしいやだったらゴメンね。

 

 お父さんもお母さんも、臓器を必要としている患者さんがたくさんいて、その患者さんを見守る人たちがどんなにか辛く苦しい思いをされているか知っています。もしその人たちにAちゃんが役に立てるなら、それは素晴らしいことだと思ったんだよ。

 

 人の命を救う、そして心を救うってすごく難しいことで、お父さんもできるかどうか、わからない。だけど、それはとても素晴らしく、尊いことだよ。

 もしAちゃんが人を救うことができ、その周りの皆さんの希望になれるとしたら、そんなに素晴らしいことはないと思ったの。こんなに誇らしいことはない、Aちゃんが生きた証じゃないかって思ったの。

 

◇ありったけの愛を天国から注いでね

 今のお父さんやお母さんみたいに苦しんでいる人が、一人でも笑顔になってくれれば、どんなに素晴らしいだろう。そしてその笑顔はお父さんやお母さんの生きる勇気になるんだよ。

いつも周りのみんなを笑顔にしてくれたAちゃんだから、きっとまた世界の笑顔を増やしてくれるよね。

 

 命はつなぐものだよ。お父さんやお母さんが命をAちゃんにつないだように、Aちゃんも困っている人に命をつないでくれるかな? お父さんやお母さんがAちゃんにそうしたように、Aちゃんも、Aちゃんがつないだその命に、ありったけの愛を天国から注いでくれるとうれしいな。

お父さんより〉

 

 そしてお母さんからの詩が添えられていました。

 

〈お母さんを

 もう一度

 抱きしめて

 そして

 笑顔を見せて

                                 お母さんより〉

 Aちゃん、天国からみなさんにありったけの愛を注いでくださいね。

写真=いたいけな子どもの笑顔


2022年11月の予定

日時 演題 会場 主催団体 連絡先担当者

11月5日(土)
20:00~21:30

 

Zoom対談:
木南一志新宮運送社長

   

岡村ひとみ
TEL 080-9343-1188

11月13日(日)
14:00~

 

愛の祈りの文学――三浦綾子の世界

佐倉市うすい公民館 佐倉素行会

TEL 043-460-1833

11月14日(月)
20:00~21:30

 

光の雫Zoom講演「愛の祈りの文学――三浦綾子の世界」

   

岡村ひとみ
TEL 080-9343-1188


ワンドロップ・プロジェクトの12月22日のイベント『新・地球にそっくりな不思議な地球』のご案内

2022年12月22日に開催されます、ワンドロップ・プロジェクト主催の12月22日のイベント、音楽活劇『新・地球にそっくりな不思議な地球』のご案内です。

※ 神渡先生は、ベストセラーとなった『宇宙の響き ー 中村天風の世界』他にも、中村天風先生のことを書かれたご著書がいくつもあり、ワンドロップ・プロジェクトも中村天風先生と大変縁が深いことなどから、この度、神渡先生のご厚意により、特別に、ワンドロップ・プロジェクトのイベントの紹介を掲載させていただいております。

ワンドロップ・プロジェクトでは、毎年、冬至に合わせてイベントが開催されていますが、今年は、音楽活劇『新・地球にそっくりな不思議な地球』となります。

昨年も大好評を博した演劇天風朗誦劇場も手掛けたプロの脚本・演出による本格的な、歌や演奏などの音楽満載の舞台を楽しむことで、地球環境のことを本気で考えたり、他人に対し尊厳をもって向き合えるようになれたり、これからの人生において何かが変わるかもしれません・・・

舞台内容は、ワンドロップ・プロジェクトの発起人、清水浦安さんが、友人と二人で銀座のカフェにいた時に、突然、セント・ジャーメインという男性が現れて、意識レベルで、地球にそっくりな不思議な地球に連れていかれて見てきた時のことを描いた、2014年に『あなたはどちらを選びますか 地球にそっくりな不思議な地球』として書籍にもなった実話を、昨今の情勢を加味し、今回は新たに大天使ミカエル様も登場するようになったりと、今だからこそ改めて観て感じていただきたい内容になっております。

然環境の悪化や犯罪、戦争などが起こるこの地球に暮らす主人公が、ある日ひょんなことから「地球にそっくりな不思議な地球」に旅することになる。

 その地球は「お金」が存在しない地球だった。その地球の人々は、自分のできることで自然や人に喜ばれることを一生懸命考え、それを仕事としていた。食べ物は、自然の植物が分けてくれ、それをレストランで調理してもらってもお金がかからない。住む家は、みんなで協力して建てる・・・ 人々はお互いに思いやりをもって、心豊かに、幸せを感じ、暮らしていた。

 主人公は、自分の住む地球では欠かせないお金のことや、絶えることのない人々の争いなどについて話すが、その地球の人々は、初めて聞くことばかりで驚いてしまう・・・」

以下、清水浦安著『LILA’S Gospel 太陽の福音書』より

私は、東京銀座のとあるレストランで友人とコーヒーを飲みながら、一なる作業をしていた。
私は、友人の額に、白いまばゆい光を観た。
その刹那、私を呼ぶ男性の声が聞こえた。
その男性の声は、私の内なる声として私に語りかけてきた。

 「良きものを見せてあげよう! 私に付いて来なさい。」

私に語りかけてきたこの男性は、ジャーメインと名乗る方で、ヨーロッパを担当している光の大使との事だった・・・

イベントの詳細ページ

2022年12月22日(木)
新宿文化センター 大ホール

 A.昼公演 13:00~(12:00開場) 約2時間

昼公演終演後 プレミアム アフター トークショー 大天使長ミカエルからの問いかけ
 天使談義テーマ 「今まであなたは何を一番大切に考えてきましたか?」

B.夜公演 18:00~(17:00開場) 約2時間

劇場チケット 各回5,000円 全席自由
*未就学児はご入場いただけません。

 お正月もゆっくり見られます!ライブ配信
12/22の夜公演を18:00からライブ配信 3,000円
2023年1月10日までご視聴いただけます


ワンドロップ・プロジェクト

ワンドロップ・プロジェクトは、地球環境が悪くなってきている今、本気でこの状況を変えるべく、人々の心を人間本来の神性な尊い心に戻そう、思い出そう、といった活動をしているNPO団体です。

◎ 清水浦安

清水浦安写真

NPO法人ワンドロップ・プロジェクト発起人。Alpha Omega生命科学総合研究所 所長。1991年、自己の内より導きの霊人の声が聞こえるようになる。この頃より内なる神を通し、宇宙万物の理、神人としての人間の在り方などの教えや様々な叡智を霊人中村天風先生や天照太御神御杖代倭姫命等、多くの神霊や霊人より得るようになる。2014年ワンドロップ・プロジェクトを立ち上げる。作曲家宮川昭夫氏に「生命交響曲 霊魂の歓びの歌」の作曲を依頼し、愛宕なみと共に第四楽章の歌詞を作詞。その歌を歌うワンドロップ聖歌隊を結成。その歌は、日本各地で十カ所、アメリカ、トルコでも聖歌隊が結成され歌われている。「自神(ワンドロップ)に目覚め、自神(ワンドロップ)を心の中心に定め、自神(ワンドロップ)を持って生きていくこと、生ける神は我が内に在り」とする「内なる神と共に生きる―神性復古運動」を提唱している。著書に『LILA’S Gospel―太陽の福音書』、『この日が来るのを待っていた―初めて地球人になる日』、『人類への警告 一二三神示 火の簡・水の簡』、『真説般若波羅蜜多心経 一切衆生悉有内在仏』などがある。

ワンドロップ・プロジェクトの公式サイト

One Drop Land のサイト (ワンドロップ・プロジェクトのオンラインサロン 詳細はこちら

今回の舞台では、劇中、地球にそっくりな不思議な地球で、中村天風先生の講演会もあります!
どうぞふるってご参加ください!


令和4年度第26回言志祭チラシ

「第26回言志祭~佐藤一斎まつり~」のご案内

10月29日に「第26回言志祭~佐藤一斎まつり~」が開催されます。

佐藤一斎生誕250年を記念して、第26回の「言志祭」が故郷の岐阜県岩村町で開かれます。佐藤一斎は幕末最大の儒学者で、江戸幕府唯一の大学、昌平坂学問所の儒官をやっていました。現在の大学総長に当たります。

彼が書き残した4冊の言志四録がベストセラーになり、日本文化の根幹を示しました。講演では、佐藤一斎が言志四録で指摘したことを意味するようなエピソードを紹介し、改めて日本文化の淵源を明らかにします。

令和4年度第26回言志祭チラシ


ペーボ博士と檀上和尚

沈黙の響き (その123)

「沈黙の響き(その123)」

今年のノーベル医学・生理学賞を受賞したペーボ博士は

檀上宗謙住職のお弟子さん

神渡良平

 

 

「沈黙の響き」はこのところ、エリザベス・サンダース・ホームの澤田美喜園長を採り上げて連載してきましたが、ここにビッグサプライズ・ニュースが届きました。今年のノーベル医学・生理学賞はスウェーデンのスバンテ・ペーボ博士に授与されることに決まったというニュースです。ペーボ博士は「沈黙の響き」(その87)で紹介した檀上宗謙(だんじょう・そうけん)西光禅寺住職に師事するお弟子さんでもあります。そこで今回はこのニュースに切り替えます。

 

スバンテ・ペーボ博士は絶滅した人類ネアンデルタール人のゲノム(遺伝情報)をその化石に含まれるDNAから解読し、古代のDNAを最先端のゲノム解析技術で読み解く新たな学問分野を開拓し、人類の進化史を書き替えた研究者です。

ペーボ博士はドイツの研究機関マックス・プランク進化人類学研究所教授で、現代人が免疫や新型コロナウイルスの重症化リスクなどに関わる遺伝子を、ネアンデルタール人から受け継いでいることも明らかにしました。そのため人類の免疫システムの新たな感染症への反応を調べることに大いに役立つと思われます。

古人類学の研究がノーベル医学・生理学賞を受賞するのは極めて異例ですが、ペーボ博士の研究成果は、新型コロナの重症化リスクの解明に関わることから、今年はペーボ博士に授与されることに決まったわけです。

 

◇檀上和尚と20年の交流

ところでペーボ博士は大の日本好きでもあります。かねがね坐禅に興味を持っていたペーボ博士は、25年ほど前、広島県福山市の神勝寺国際禅道場に坐禅に来られたとき、副住職だった檀上和尚出会って意気投合しました。檀上和尚が同県三次市の西光禅寺に移ると、檀上和尚のもとで坐禅をするようになりました。

平成25年(2013)年には西光禅寺に3か月滞在し、文藝春秋社から出版する予定の著書『ネアンデルタール人は私たちと交配した』を執筆していました。ペーボ博士は沖縄科学技術大学院大学の客員教授も務めており、先月上旬にも3日間、西光禅寺に滞在していました。

檀上和尚は先回のコラムでも伝えたように、英語が達者なこともあって、アメリカやオランダで毎年坐禅のリトリートを開催しており、東西の懸け橋になっています。今回のペーボ博士のノーベル賞受賞を通して、精神文化の交流点になっておられことがいっそうはっきりしました。

「ペーボ博士のノーベル賞の受賞が決まって、飛び上がるくらいうれしかった」

と、壇上和尚は参禅する人たちと相好を崩して喜びました。

「ペーボ博士は令和2年(2020)、日本科学技術国際賞(ジャパン・プライズ)を受賞し、授賞式には恥ずかしながら私も招待されました。日本科学技術国際賞とは、科学技術において、独創的・飛躍的な成果を挙げ、科学技術の進歩に大きく寄与し、人類の平和と繁栄に著しく貢献した人物に対して贈られるノーベル賞級の賞です。

これは松下幸之助氏が私財約30億円を提供し、昭和60年(1985)、天皇陛下隣席の下、第1回の授与式が行われました。ペーボ博士はこの栄えある賞を3年前に贈られており、今回のノーベル賞受賞も早くから取りざたされていました」

スウェーデンで生れ育ち、ドイツで研究生活を続け、世界を股にかけて講演旅行するペーボ博士ですが、心は日本に居つかれたようです。

「ペーボ博士にとって西光禅寺は自分の心を休める場であり、自分を見つめる場でもあります。坐禅によって心のケアをし、研究への集中力をますます高めていただきたいと思っています。

ペーボ博士は精進料理が好きなので、これからも私の昔ながらの手料理を食べ、ご一緒に緑茶を飲んで、くつろいでいただきたいと願っております。いつも物静かなペーボ博士は、優しい心でどんな方々にも接せられ、研究内容についての質問も丁寧に話されます。何よりも毎朝の祈りの時間には般若心経を唱え、深い祈りの生活をされています」

 私たちの「沈黙の響き」欄もこうして檀上和尚やペーボ博士にご縁をいただいてとても感謝です。この秋、最大の朗報でした。今度は檀上和尚とペーボ博士を囲んで乾杯しましょう。

ペーボ博士と檀上和尚

ペーボ博士著書

西光禅寺でのペーボ博士

ぺーボ博士

瞑想するペーボ博士

写真=ペーボ博士と檀上和尚 ペーボ博士の著書『ネアンデルタール人は私たちと交配した』 抹茶を楽しむペーボ博士 仏壇の前で ⑤「日々の瞑想は欠かせません」とペーボ博士 


澤田美喜と子どもたち

沈黙の響き (その122)

「沈黙の響き(122)」

威勢のいい鯛を閉じ込めていた金魚鉢

神渡良平

 

◇直木賞作家の深田祐介さんの澤田美喜評

『炎熱商人』(文藝春秋)で直木賞を取った作家の深田祐介さんは、澤田廉三・美喜さんの千代田区一番町の鉄筋コンクリート4階建ての英国風大邸宅「サワダハウス」の隣に住んでいました。千代田区一番町というと皇居の北隣になる超一等地ですが、深田家は代々江戸城の大奥のご用向きを扱う商人だったので、そんな土地に住んでいたのです。

 

深田祐介さん自身は美喜さんよりも30歳も歳下ですが、隣なので近所づきあいがあり、しかも澤田家と深田家の女中同士の間に漏れ出てくる話に裏打ちされているので、より素顔の美喜さんを感じることができます。深田祐介さんの弁。

「奥さまはきわめて自由奔放ですが、旦那さまの廉三さんはものすごいジェントルマンでした。暁星小学校に通っていたぼくが歩いているのを見つけると、何十メートルも向こうで帽子を取って挨拶されたもんです」

 

 一番町界隈でも岩崎家というのは特別な存在で、それが深田さんの話っぷりからも感じられます。

「そりゃあ美喜さんはやっぱり三菱財閥の岩崎家のお嬢さまで、格上でした。それにまたとても傍若無人で、威張っていました」

 深田さん自身、日本航空に勤めており、ロンドン支店勤務時代に見聞したことを書いた『新西洋事情』が大宅壮一ノンフィクション賞を得ていますが、そうした交流が言葉の端々に現れています。

「美喜さんは(当時有名な赤星というゴルファーにも)『おい赤星、最近の調子はどうなの?』という調子で話しかけるし、同じ町内の端に住んでいらっしゃった哲学者の串田孫一先生にも『孫ちゃん、元気?』って調子です。推して知るべしです」

 

『GHQと戦った女沢田美喜』(新潮社)を書いた青木冨美子さんが深田さんに、

「威張っていて嫌な感じ? それともざっくばらんでおもしろい人?」

 と尋ねると、極めて率直な返事が返ってきました。

「それは後者、ざっくばらんでおもしろい人でした。美喜さんは隣組常会でいつも奔放な発言をするので、近隣のスター的存在だったのです」

 美喜さんは深窓の令嬢だったのではなく、隣近所の人たちから愛されていたのです。

 

◇美喜さんの熱心な信仰とそれに裏打ちされた実行力

美喜さんがエリザベス・サンダース・ホームを開設して混血孤児たちを養育し始めると、口さがない人たちはいろいろ取り沙汰しました。深田さんは美喜さんに対する噂が、

「何てもの好きな……日本を滅ぼした敵の子ですよ」

とか、

「パンパンが産んだ子を養育するとは何事だ。捨てておけ」

「ああ、あのコレクション好きがまた始まった。収集癖がこうじて、今度は混血の孤児たちを集め出したわよ」

などと、冷ややかな感じで語られていたと言います。しかし、孤児たちの養育を始めたことに対して深田さんは、

「でも、収集癖だけでは混血孤児の世話はできませんよ。美喜さんは非常に熱心なキリスト教徒でした。それに裏打ちされた熱い信仰があり、その発露としてあの社会福祉をされたはずです。それを見落すと美喜さんの社会福祉事業の真意を見落とすことになると思う」

 と、敬意を隠しません。

 

 深田祐介さんは美喜さんのことを「隣のオバサン」と表現して親近感を表します。それだけに、美喜さんをマスコミがあたかも“聖女”であるかのように書き立てると、

「それはちょっと違うんだよなあ」

と、疑問を投げかけます。

 

「ぼくは今でも美喜さんという隣のオバサンにはすごく親近感を持っています。でもマスコミが聖女みたいに書くのは間違っています。美喜さんは平気で、

『洗濯が間に合わないもんだから、いま主人の猿股はいているのよ』

なんて言うんです。隣でご主人が咳払いをしていました。あんなスケールがでかかったお嬢さんはいなかったなあ」

 そんな表現に美喜さんの実像が浮かび上がってくるようです。

 

◇人に謝ることができなかった人

 聖路加(ルカ)病院のチャプレン(施設付き聖職者)をしていて、美喜さんとも日常的な交流があった竹田真二司祭はこんな経験を語ります。竹田司祭は聖公会の聖職者でもあります。

 竹田司祭が美喜さんのあまりのわがままさに耐えきれなくなり、

「勝手にしなさい」

 と、怒鳴ったことがありました。それに対して美喜さんも負けておらず、

「ああ、いいですよ。勝手にさせてもらいます!」

 と、啖呵を切り、喧嘩別れをしたことが一度ならずありました。

 

 でもしばらくすると美喜さんのほうから竹田司祭に電話がかかってきて、

「築地においしいお寿司屋があるんですけど、出ていらっしゃいませんか?」

 と、誘うのです。それでやむなく竹田司祭が出掛けていき、いっしょに寿司をほおばっているうちに、いつのまにかうやむやになって元の鞘(さや)に納まってしまいます。美喜さんからはお詫びの一言が出たわけでもありません。

 美喜さんを知る人は、「人に謝ることができない人だった」と述懐します。複数の人が語っているところを見ると、これまた美喜さんの哀しい性(さが)だったようです。

 

母を家に閉じ込めておくのは、勢いのいい鯛を金魚鉢に入れておくようなもの

 美喜さんをいつも突き動かしていたのは、顔負けの行動力でした。美喜さんの長男の信一さんが母親の美喜さんのことを、

「母を家に閉じ込めておくのは、勢いのいい鯛を金魚鉢に入れておくようなものです」

 と評していますが、実に当を得た観察です。美喜さんはあり余るエネルギーを持て余していて、もっと社会に出て何かをしたかったのです。三菱財閥をつくり上げた祖父の岩崎彌太郎の事業欲が美喜さんの中で渦巻いていて、エリザベス・サンダース・ホームというアイデアで噴き出したと言えるようです。

 

長男の信一さんはじめ、長女の恵美子さんは「自分だけの母親」でいてほしかったようですが、金魚鉢で鯛は飼えません。家を飛び出して社会福祉に一生懸命になった母親に、寂しい思いもしたようです。恵美子さんは国連大使になった父親廉三(れんぞう)さんのお世話をニューヨークでしているうち、ある大手の宗教団体の活動にのめり込んでいきました。家庭的には必ずしも平穏だったわけではなかったようです。

 

 まわりの人にそう評価されていると知ってかどうか、美喜さんはジャーナリストの青木冨美子さんに自分をこう語っています。

「私の外となる心は、ドン・キホーテのごとく大見得を切りますが、内なる心は、夜子どもたちが寝静まって一日の戦いが終わると、くず折れるように、寝室の壁にかけられた十字架にひざまずいて祈ります。涙の中に祈り明かしたことが幾夜もありました」

 

 家族の賛成を必ずしも得られないまま乗り出した社会事業の困難さに、十字架の前で一人泣いている美喜さん――何とも痛ましい限りです。イエスはそんな美喜さんの哀しみを知っておられました。

澤田美喜と子どもたち

写真=昭和23年、ホームを始めたときの8人の子どもたちと美喜園長


イエスが被らされた茨の冠

沈黙の響き (その121)

「沈黙の響き(121)」

自分の中の激情と闘った澤田美喜さん

神渡良平

 

 前回の「沈黙の響き」(119)で、手に負えないワルだったM君が立ち直り、無事に結婚して、「ママちゃま(澤田美喜さん)のお陰で、ぼくは立ち直ることができた」と感謝していたことを書きました。そうすると美喜さんは誰でも受け入れてはぐくみ、聖母マリアのような慈しみにあふれた人だったかというと、必ずしもそうではなかったようです。

 

 美喜さんは外交官夫人としてイギリス大使館に勤めていたころ、3人の子どもたちの養育をしてもらっていた女性のしつけがとても厳しかったのを見て賛同していました。だからホームで子どもたちをしつけるとき、とても厳しいものがありました。

 それについて、美喜さんにホームが開設された初期からホームのメインテナンスを手伝い、子どもたちの養育も手伝った鯛茂(たいしげる)さんが興味深いことを語っています。

 

◇厳しい折檻

 鯛さんがホームに勤務し始めて間もないころ、美喜園長が子どもたちをあまりにも厳しく折檻(せっかん)するので驚きました。怒り狂う美喜さんをいくらなだめても逆効果しかありません。美喜さんに対する怒りが爆発しそうになったので、鯛さんは慌てて聖ステパノ礼拝堂に駆け込みました。鯛さんは内村鑑三のような実直な信仰者だとして、ホームの職員たちみんなに慕われていたので、余程のことだったのでしょう。この礼拝堂は南溟の孤島で戦死した美喜さんの3男ステパノ晃さんに因んで建てられた礼拝堂です。ステパノは晃さんの洗礼名です。

 

 深い信仰者である鯛さんは、

20分間祈ろう。祈って冷静になり、もう一度説得してみよう……。

20分経ってまだ折檻が続いていたら、体でもって阻止しよう)

と思いました。美喜さんは財閥家の令嬢で、家では50人もの使用人にかしずかれていて、人から折檻されたことがないので、折檻されたことがなく、折檻がどんなに辛いことかわからないのだと思いました。

その20分がどんなに長かったことか――。

 

鯛さんが祈り終わって現場に戻ってみると、驚いたことに美喜さんは嘘のように穏やかになっていました。先ほどまで体罰していた子どもたちにカステラとジュースを与え、抱きしめてさえいました。鯛さんはあっけに取られてしまいました。美喜さんは感情の起伏が激しくて、自分の激情を抑えることができなかったのだと思いました。

 

 そういうことがあって、美喜さんのことが少しずつわかってきました。

「美喜さんはわがままというより、幼児的だと言った方が当たっているかもしれない。人に謝ることができないから、礼拝堂で神さまに余計深く謝っているのだ……」

 

 鯛さんは美喜さんのことを、

「昼はカミナリ、夜はマリア」

 と、描写しました。いたずら盛りの子どもたちを抱えているホームを運営することは容易ではなく、美喜園長はしばしばかんしゃく玉を破裂させていました。美喜園長自身それを悔んで、夜は礼拝堂で
聖母マリアさまに独り懺悔していたのです。

古武士のように実直な鯛さんはその実情を理解すると、

(それだったら及ばずながら、どこまでも支えていこう)

 と決意しました。それが長く続いた理由でした。

 

◇美喜さんの駆け込み寺だった聖ステパノ礼拝堂

 美喜さんはこの聖ステパノ礼拝堂を自嘲気味に、

「私の駆け込み寺」

と呼んでいました。むつかしいことに出合ったとき、礼拝堂で胸を打ち叩いて、ロザリオを数珠のように繰りながら、道が開かれるよう祈っていたのです。

 

ロザリオはラテン語で「バラの冠」を意味します。イエスが処刑されるゴルゴダの丘に向かったとき被らされた「茨の冠」にちなんでいると言われます。10個ほどの珠が輪のようにつながり、十字架やメダイがついています。

ロザリオの祈りは、最初の一珠で「主の祈り」を唱え、そこから十個の珠をたぐりながら「アヴェ・マリアの祈り」を十回唱えます。そして結びに栄唱を唱え、ここまでで一連と呼びます。それを何回もくり返して祈ります。

 

“祈り”は美喜さんの力でした。自分の幼児性や激情を抑え、ホームの子どもたちや保母さんたちにやさしく当たるため、慈愛の力をいただくかけがえのない時間だったのです。

 

エリザベス・サンダース・ホームに併設された澤田美喜記念館には、美喜さんが長年にわたって収集した隠れキリシタンの遺品がたくさん収納されています。でも、それらは“単なる遺物”ではありません。美喜さんは礼拝堂で祈るとき、細川ガラシャ夫人がたぐったであろうロザリオを繰り、隠れキリシタンたちが仰いだ白磁のマリア観音にひたすら手を合わせたに違いありません。聖公会ではカトリックが行うように、ロザリオを繰りながら祈ることはありませんが、美喜さんは終生ロザリオを放しませんでした。

イエスが被らされた茨の冠

ロザリオ2

写真=イエスが被らされたというバラの冠とロザリオ