日別アーカイブ: 2022年10月28日

ローソク

沈黙の響き (その125)

「沈黙の響き(125)」

キリスト教に惹かれていく澤田美喜さん

神渡良平

 

◇隣の部屋が漏れてきた声

今回はエリザベス・サンダース・ホームの澤田美喜園長がキリスト教の信仰を持つに至った経緯を見てみましょう。美喜さんは御茶ノ水にある女子師範附属幼稚園(現在のお茶の水女子大学を構成した学校)から小学校に進んだとき、兄妹が次々にハシカにかかり、寝込んでしまいました。ハシカにかかるとみんな大磯の別荘に隔離され、治るまで1、2週間静養しなければなりません。3番目の兄がハシカにかかったあと美喜さんもかかってしまい、別荘に隔離されました。

 

美喜さんが寝ていると、美喜さんに付き添って別荘に来ている、赤十字出身の看護婦の川手さんが隣の部屋で、小さな声で何か朗読しているのが聞こえてきました。

「敵を愛し……憎む者に親切にせよ。のろう者を祝福し、はずかしめる者のために祈れ」

 

(えっ、憎む者に親切にし、のろう者を祝福する?)

聞いたこともない考えです。そんなことが現実問題としてできるわけがありません。でも、天使のようにやさしい川手さんが、ひとこと、ひとこと確かめるように朗読しています。美喜さんは思わず耳をそばだてて聞き入りました。

「あなたの頬を打つ者には他の頬をも向けてやり、あなたの上着を奪い取る者には下着をも拒むな……。あなたに求める者には与えてやり、あなたの持ち物を奪おうとする者からは取り戻そうとするな……」

 まだ小学生の美喜さんには川手さんの声が天国から聞こえてくるような感じがしました。川手さんの朗読は静かに続いています。

「自分を愛するものを愛したからとて、どれほどの手柄になろうか……。罪人でさえ、自分を愛してくれる者を愛している……」

 

(それは確かにそうだわ……)

美喜さんはその教えに不思議な力でぐいぐいと惹かれました。あのやさしいお姉さんがさとしていると思うと、とても素直にうなずけます。

 

それが美喜さんの耳に入った仏教以外の宗教の初めての教えでした。実は美喜さんは母親が送ってくれた仇討ちの絵本を読み終えたばかりだったので、余計心に響いたのです。

その本では、親の仇を何年もつけ狙い、とうとう積年の恨みを果たしたということが、天晴れでいさぎよいと称賛されていました。でも、仇討ちという美名のもと恨みを抱き続けるというのは、おどろおどろ過ぎるなと思いました。

 

◇ヤソを毛嫌いした祖母

隣の部屋から漏れてくる川手さんの声が、

「悪しき者に手向かうな。あなたの頬を打つ者には他の頬をも向けてやり、あなたの上着を奪い取る者には下着をも拒むな」

と告げているのを聞くと、そちらのほうがはるかにすばらしいなと思いました。美喜さんはベッドの中で、川手さんは何の本を読んでいるのだろうと考え、もっと知りたいと思いました。

 

翌朝、美喜さんは川手さんに訊いてみると、川手さんはびっくりして思わず両手で口を覆い、言を左右にして話してくれません。川手さんは岩崎家が土佐以来、熱心な真言宗の門徒で、キリスト教はヤソと呼んで毛嫌いしていると知っていたので、何の本だったか、口をつぐんで言いませんでした。明治30年代後半の話です。

でも、川手さんはクリスチャンだったので、うすうすキリスト教の本らしいと推察しました。

 

美喜さんはハシカが治って東京に戻ると、日曜学校に通っている友達から新約聖書を手に入れました。英国公使をしていた伯父の加藤高明さん(後の総理大臣)からイギリス土産にいただいたきれいなハンドバックと取り換えてもらったのです。

むさぼるように読んでみると、川手さんが読んでいたのは「ルカによる福音書」だとわかりました。イエスは実に平明な言葉で語りかけておられました。

 

「何を食べようか、何を飲もうかと、自分の命のことで思いわずらい、何を着ようかと自分のからだのことで思いわずらうな。命は食物にまさり、からだは着物にまさるではないか。

 空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取り入れることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていてくださる……」

 

「山上の垂訓」と呼ばれる一節です。身に沁みるように、イエスの教えが入ってきます。小躍りしていると、キリスト教を毛嫌いしている祖母の喜勢(きせ)に聖書を発見されてしまいました。

 

「何です、美喜。ヤソの本など読んでいて。一つなぐられたら、ふたつなぐり返してやるんです。三つなぐられたら、六つなぐり返すんです。相手にあなどられてはいけません。ヤソは軟弱過ぎます」

 と、取り上げられてしまいました。おばあさんは絶対です。従わざるを得ません。それでも美喜さんは聖書を読みたくてたまりません。そこで今度は別な友達に、京都の舞妓さんからもらった半襟(はんえり)を聖書と取り換えてもらって、隠れて読みふけりました。

 

◇現世を積極的に変えていこうとする姿勢

 そこにはさらに衝撃的なイエスの言葉が記されていました。

「みこころが天に行われるように、地にも行われますように……」

イエスは現世を天国に変えようという積極的な姿勢を持ち、「御国を来たらせたまえ」と祈り、行動していたのです。それに比べたら仏教は現世を苦海だといって諦め、来世に希望を託しているだけのように見えました。

 

ところがまた祖母の喜勢に気づかれてしまい、今度はさめざめと泣いて折檻されました。

「お前がヤソになると、ご先祖様のお墓はいったいどうなるの。私の墓もおじいさんの墓も草ぼうぼうになってしまいます。ヤソになることは断じて許しません」

 

喜勢は孫がお茶の水の女学校に通っていたのではヤソの悪影響は排除できないと中退させ、一流の学者を家庭教師にして教育しました。国語・漢文は関根正直博士、日本画は野口小恵先生、習字は代々加賀藩の祐筆だった西田単山先生、油絵は石川寅次先生といった具合です。それはそれで素晴らしかったものの、一度感じたキリスト教への関心は消えません。よく「三つ子の魂、百まで」と言われますが、美喜さんはキリストの教えに惹かれ、とうとう洗礼を受け、よって立つ巌(いわお)としました。

ローソク

写真=世の光