「沈黙の響き(その126)」
人生は生きるに値する! と訴えかける絵を描きたい
神渡良平
いま私はこの「沈黙の響き」の連載で、エリザベス・サンダース・ホームで戦争孤児たちを育てた澤田美喜さんのことを書いています。母と子の物語は人間の永遠のテーマですが、それについて考えさせられるメールを拝見しました。今週はそれをみなさんに公開して、課題を深めていこうと思います。
◇瀬戸山家の納骨式
10月24日、東京都世田谷区奥沢にある浄土宗の名刹淨真寺で、横浜志帥会の会長をされている瀬戸山秀樹さんの奥さま雅代さんの13回忌を記念して、新しく建てられたお墓の納骨式が行われました。
30年前、私が横浜志帥会という勉強会を始めたとき、最初のころから熱心に参加されていたのが瀬戸山秀樹、雅代さん夫妻でした。毎月の例会に雅代さんは息子の大貴君を連れて参加され、私たちが勉強している間、大貴君は部屋の隅でお絵かきなどをしていました。その後、雅代さんは癌を患い、7年間の闘病の末に亡くなりました。納骨式には従弟の濵田総一郎ご夫妻や親戚一同が集まり、私も参席しました。
お墓に奥さまの遺骨を納める前、大貴君が母上の骨壺から、一つひとつの遺骨を手のひらに乗せて語りかけ、泣いていた姿がとても印象的でした。そばで見ていて、息子にとって母親の存在はかくも大きいのかと、胸が締めつけられる思いでした。
その夜、西八王子の自宅に帰った大貴君から、父親の秀樹さんにメールが届きました。それを読ませていただいたのですが、前日の納骨式で母親を偲んで涙を流す大貴君を見ていただけに、そのメールは心を打ちました。秀樹さんと大貴君の許可を得て、みなさんとシェアしたいと思います。
◇大貴君から父親へのメール
〈父さんも納骨式でお疲れ様でした。とてもいい納骨式でしたね。ぼくは西八王子に越してきてから高尾山が近くなったため、天気がよいときは高尾山に登ります。そこには人の手が加えられていない美しい自然があり、どうしてこんなに美しいのだろうと味わいながら登っていると、白い大きな鳥の死骸を見つけました。
その死骸を見詰めていると不思議なことに気がつきました。木は朽ち死骸は腐るものですが、そこには生の営みがあったから美しいのではないかと思ったのです。
ぼくは母さんの7年にも及ぶ長い闘病生活に付き合い、ゆっくりと朽ちて行くさまを見たからなのか、多くのことを引きずるようになりました。朝起きるとき溜め息を吐くように、「今日もどうせ生きるのだ……」とつぶやくようになっていたのです。
ところが宇宙が営んでいる美しさに気がついたとき、母さんはその美しさに吸収されただけなのだと思いました。するとぼくも美しい朝に目覚めたことに気がつき、感謝して起きることができるようになったのです。
昨日、瀬戸山家のお墓に母さんの骨を納骨する前、骨壺からいくつかの骨を取り出しました。そのとき骨がすれ合う音が海の砂や貝の音に似ているなと感じ、改めて母さんは宇宙の営みに還っていっただけなのだと思いました。
父さんが母さんの骨を分骨して持ち帰るといいよと言ってくれましたが、持ち帰るのはやめました。というのは持ち帰って何をすべきなのかよくわからなかったのと、母さんがよく言っていたヘルマン・ヘッセの次の言葉がよぎったからです。
ぼくはなぜだか友人から悩みを相談されることがよくあります。ある友人が泣きながら、「なぜこんなにも生き辛いのだろう……」と訴えたことがありました。そのときどんな言葉をかけようかなと迷いました。今の時代は若者が大切なことを忘れてしまう時代です。次の文章は母さんが残してくれたヘルマン・ヘッセのもので、ぼくが一番好きなもので、そこに回答がひそんでいるように思います。
人間の文化は動物的な本能を精神的なものに純化することによって、また恥を知ることによって、あるいは想像力によって、より高いものになっていく。
すべての生の讃美者たちも、やはり死なざるを得ないのだが、人生は生きるに値するというのが、あらゆる芸術の最終的な内容であり、慰めである。
愛は憎しみより高く、理解は怒りより高く、平和は戦争より気高いのだ。
ヘルマン・ヘッセは高らかに「人生は生きるに値するというのが、あらゆる芸術の最終的な内容であり、慰めである」と歌っていますが、ぼくも友達に同じ言葉を言ってやりたいと思いました。ぼくの作品がどれだけ人の目に止まり、評価されるか、わかりませんが、ぼくはこの世界の美しさと、その中で生きる喜びを伝えるために描いていこうと思っています〉
大貴君は京都芸術大学を卒業し、いま絵を描いていますが、絵に「人生は生きるに値する」という思いを表現しようとしていたのです。絵描きは自分の絵が評価され、売れるとは限らないので、“清貧に甘んじる覚悟”をしなければ、なかなかできることではありません。秀樹さんは大貴君からのメールにその覚悟を読み取り、いたく感じ入りました。
◇父親からの返事
秀樹さんは大貴君が、雅代さんが聞いていた録音テープや読書内容を聞いたりしているので、母親の価値観が明らかに息子の感性を育んでいると感じ、うれしく思いました。そこで感じたままを返信しました。
〈メールをありがとう。君には教えられることばかりだ。深く考えていることにとても感動した。君の目を見ていると、白隠禅師のこんな詩を思い出すよ。
君、看よ、双眼の色
語らざれば
憂いなきに似たり
白隠禅師は、「見てごらん、あの澄んだ眼の色を。何も語らなければわからないが、深い苦悩や苦しみを超えると、人はあんなに澄んだ美しい目の色になるのだ。苦悩が人間を立派に美しくする」と言おうとしているのだと思う。
大貴はその若さゆえに、また志があるがゆえに、自己実現に苦しんでいる。今まさにその道中にあると思う。私や母さんは今の君と同じように、いかに生きるか、何を成すかで苦しみ悩んだ時期があった。君はその上を行っており、既に親父を超えている。
大丈夫。必ず道は開ける。頑張れ〉
人生は父と子、母と子の伴奏によって形成されるものです。形ができ上るまでの奮闘が続きます。それが成功するよう、ただただ祈るばかりです。
写真=➀雅代さんと大貴ちゃん ②大貴君 ③瀬戸山家の3人 ④大貴君が新しいお墓のために描いた草花の絵