日別アーカイブ: 2023年3月17日

北澤さん

沈黙の響き (その145)

「沈黙の響き(その145)」

南溟の孤島の牢獄に西郷どんを訪ねて

 神渡良平

 

 221日朝、私の携帯電話が鳴り響きました! 鹿児島市から約500キロ南、与論島の先は沖縄という南溟の孤島沖永良部島(おきのえらぶじま)からの電話でした。電話の主は、西郷隆盛が閉じ込められていた牢獄を11人の仲間と共に訪ねている北澤修さんです。

「いやーもう最高! この地に立って見なければ感じられないものを感じて、興奮しています」

 北澤さんは建築業を営みながら、年に何回か、仲間を誘って歴史の現場を訪ねるツアー「哲露」を催しています。昨日から沖永良部島を訪ねており、和泊(わどまり)町の海岸ばたにある木組格子の牢獄の中に入っている西郷どんと一緒に坐禅をしてきたというのです。

 

「せっかくの機会ですから、持ってきた黒糖焼酎で、西郷どんと一献酌み交わしてきました!」

 北澤さんに嬉しそうにそう言われて、私は西郷どんに一献差し上げることを忘れていたことに気づきました。私は2回ほど牢獄に訪ねていますが、焼酎を酌み交わすことは思いもしませんでした。西郷どんは北澤さん一行に、

「こげん遠か島までよう来やったなあ! 狭か獄じゃっどん、くつろいでくいやんせ」

 と大歓迎されたそうです。

 

「いやあ、最高の歓迎を受けました。西郷どんは無聊(ぶりょう)を慰められて大喜びでした。これで西郷どんがぐっと身近になりました」

 北澤さん一行はいい体験をされました。ところがその後、地元の西郷南洲記念館の宗淳館長が「西郷どんは下戸じゃったど」と教えてくださったので、焼酎を酌み交わした話にはオチがつき、みんなで大爆笑しました。

 

獄中の瘦せ衰えた西郷どん

 私が初めて沖永良部島の牢獄に西郷どんを訪ねたとき、西郷どんはげっそり痩せて骨皮筋衛門になっていました。私は上野の西郷どんのような、相撲取りのように太った西郷どんが入牢していたと思っていたので、げっそりと痩せた西郷どんを見てびっくりしました。

 

 格子組みの牢だから蚊や蠅も飛来するし、強風の日はしぶきで濡れたに違いありません。過酷な入牢生活で西郷どんはすっかり体力を消耗しました。薩摩藩士で牢獄の監視人だった土持正照が機転を利かして座敷牢に移したので、西郷どんは一命を取り留めたのでした。一行が泊ったコチンダホテルは土持正照の屋敷跡で、敷地には西郷どんが愛でた南洲ソテツが緑の葉を茂らせていました。

 

 生き生きとした子どもたちに目を覚まされました!

 今回の旅の参加者に石田篤則さんがいました。石田さんはベビーふとんで世界有数のシェアを持つ会社を経営しています。こんな感想文を寄せていただきました。

「今回の旅で本当に心から元気をいただきました。一番心に響いたのは、国頭小学校の子供たちでした。私は昨年末から気分が沈んでしまい、元気が出ず、社員たちから逆に励まされているような状況でした。理由は同じ業界の友達たちが廃業したり、友達の奥さんがガンで亡くなったりしたことが重なったためです。

 

そんな中、沖永良部島に着き、みんなでレンタカーを借りて、国頭(くにがみ)小学校の校庭にある日本一のガジュマルを見に行きました。さすが日本一で、すごい生命力を感じました。15分ほど鑑賞したころ、授業が終わり、チャイムが鳴りました。それと同時に校舎から低学年の子どもたちが走り出てきました。子どもたちは私たちを見るなり、すごく大きな声で、『こんにちは~』と挨拶をしてくれました。

 

私はその一瞬で一気に元気になりました。『生きるってこれだ!』と感じました。小学生のたった一言の挨拶で、54歳の自分がこんなに元気になれるなんてすごいことだなと思いました。たった一言の挨拶で人を元気にできるんですね。私もこんな人間になりたいと思いました。もし国頭小学校に行くタイミングが10分ずれていたら、子どもたちに会うこともできなかったでしょう」

その他の観光スポットにも訪ねました。島の北西に、紺碧の東シナ海に面した田皆(たみな)岬という51メートルもの断崖絶壁があります。その断崖からはるか下、透明に澄み切った岩場に、白い波が打ち寄せていました。

「その絶景を見たとき、私の小賢しい悩みなど吹き飛ばされてしまいました。断崖を吹き上げてくる風に頬を打たれながら、私は心を洗濯されていました。よーし、もう大丈夫だ、明日から頑張るぞと、大変な気力が湧いてきました」

 

真夜中の牢獄で西郷どんと一緒に瞑想

 そして西郷どんが閉じ込められていた牢獄。

「夜中の12時に北澤さんたちと吹きさらしの牢獄に行き、風の強い中3時間いろいろ考えました。牢獄はひどい環境で、とても耐えられそうにありません。西郷どんはこの状況で島の子どもたちに感化を与えたんです。その感化が校風として残っているというのもすごい! 昼間会った小学生たちを思い出し、西郷どんの感化が生きていると思いました。

 

一緒に旅した仲間たちと腹蔵なく話し合い、旅はいっそう盛り上がりました。仲間には本当に感謝しかありません」

石田さんにとって活力をいただいた旅になりました。

 

 敬天愛人の思想を育んだ風土

 同じ旅で、廣濱裕基さんはこんな発見をしました。廣濱さんは愛知県蒲郡市でデジタルマーケティングの会社を経営しています。

「獄中で瞑想する西郷どんの坐像を見て、自由の効かないこんな場所で1年6ヶ月間! しかし誰を恨む事なくひたすら自分を掘り下げていった……強靭な精神力や忍耐力がなければできることではありません。西郷どんは『言志四録』を何度も読み返し、掘り下げていったに違いありません。『言志四録』にはやはりそれだけの力があります。

自分たちが島を発った日は、奇しくも西郷どんが許されて鹿児島に向けて出港した日と同じで、何か因縁めいたものを感じました。

 

 自分は若いころ、碌でもない喧嘩や遊びをし、人に悪態をつき、暴力や圧力には屈せず、人に逆らって生きていました。ところがある人に出会い、その懐に飛び込んでみると、自分が小さいことを痛感し、変なプライドなど要らないと目覚めました。そして進むべき道をしっかりと指し示してもらったので、現在の自分があります。そんなことから、出会いは決定的に大切だと実感しています。

 

次の日はフェリーで島から鹿児島に行きました。壮大な海が広がっており、全身で浴びる潮風が気持ちよく、波頭の先に薩摩富士と呼ばれる開聞岳が聳えていました。薩摩には熱い男達がたくさんいて、強い日本を夢見た男達が育った風土でした。

 

その中で特にこれだ! と感じたものは郷中教育です。郷中教育には先生というような特別な存在はなく、先輩が後輩を、学問だけでなく、武術、心の鍛錬に関しても細かく指導していたようです。薩摩は西郷どんがたどり着いた『敬天愛人』という思想を感じさせる風土でした。

 

やはり現地を訪ねて良かった! それに共に同じ時間を過ごせた仲間があり、俺は時間に殺されていないと感じた旅でした」

 廣濱さんは昨年10月、『言志四録』を書き残した幕末最大の儒学者佐藤一斎が生まれた岐阜県岩村町を訪ねる旅にも参加しました。

 

自己を確立する追体験の旅

北澤さんが主宰している「哲露」は、歴史が回天した現場に立ち、学びと実践を深めて自分の人生に資しようとする集まりです。これまで「特攻に学ぶ知覧の旅」「松陰先生を学ぶ下田の旅」「水戸学を知る旅」などを実施してきました。

「追体験すると、途端に歴史は客観的なものからわが事になります。学問にはチカラがある。頭の中だけの知識は現実を変革するチカラにはならない」

 水戸学を学びに安見隆雄先生を訪ねたとき、水戸学ならではの指摘を受け、心にズシンと響きました。歴史を尋ねての旅を企画する北澤さんは熱い思いを語ります。

「これからも現地を訪ね、その風土を味わい、先人が見た山河、吹かれた風を実感できる場に立つ旅を企画します。縁ある仲間と共に、日本という国の一分子として、より良いバトンを次に繋げていくつもりです」

北澤さん

牢獄

断崖

ガジュマル

ガジュマルの幹 

 写真=・沖永良部島の牢獄で、西郷どんの坐像と一献酌み交わした豪傑北澤修さん ・旅に参加した仲間たち ・東シナ海に面した断崖絶壁の田皆岬 ・日本一のガジュマルとそのたくましい幹

北澤修=090-3045-0587  osamu@e-kitazawa.com