中村天風「幸せを呼び込む」思考 神渡 良平著 講談社+α新書 - 八 日野原重明さんの生き方

桑原健輔さんの抜粋の第9回目です。

中村天風『幸せを呼び込む」思考        神渡 良平著  講談社+α新書

 

サランコットの朝焼け
サランコットの朝焼け

八 日野原重明さんの生き方

 

 「私が、諸君に心の持ち方を常に積極的にしろというのも、この言葉と相対関係があるからなのである。何気なく出てくる言葉というものはあるものではない。どんな人の言葉ですら、その言葉になる前には、観念が言葉を創るのだから。

 真剣に考えよう! 実際人間が日々便利に使っている言葉ほど、実在意識の態度を決定するうえに、直接に強烈な感化力をもつものはない。感化力というよりむしろ暗示力といおう。

 このことを完全に理解し、かつこれを応用して活きる人は、もはや立派に人生哲学の第1原則を会得した人だといえる」(『運命を拓く』中村天風著 講談社)

 

 人生を勝利に導く最良の武器

  中村天風は言葉の威力を実によく知っている人だ。暗示力を駆使して、自分をその気にさせる達人だ。だから東郷平八郎や山本五十六を初め、多くの政財界のリ-ダ-や軍人たちが日参し、学びを乞うている。

 そこで天風の言説にもう少し耳を傾けてみよう。前述の文章の続きである。

「何故か!

 それは人生というものは、言葉で哲学化され、科学化されているからである。すなわち言葉は人生を左右する力があるからである。

 この自覚こそ、人生を勝利に導く最良の武器である。われらはこの尊い人生の武器を巧みに運用し応用して、自己の運命や健康を守る戦いに颯爽として、輝かしい希望に満ちた旗を翻しつつ、勇敢に人生の難路を押し進んで行かねばならない。

 そしてこの目的を実現するには、常に言葉に慎重な注意を払い、いかなるときにも、積極的以外の言葉を使わぬように心がけることである。そうすると、それが人生哲学の第1原則である暗示の法則を立派に応用したことになり、期せずして健康も運命も完全になる」

 つまり天風は、どういう考え方をするかで、その人の人生が決まるというのだ。

 そこでこの哲学を、97歳でなお現役であり続けている、東京・築地にある聖路加国際病院の日野原重明名誉院長の例で吟味してみよう。

 日野原重明さんが59歳(昭和45{1970}年)のときのことである。福岡で開かれる内科学会に出席するため、羽田発福岡行きの日本航空機・よど号に乗った。

 ところがこれが赤軍派によってハイジャックされ、日航機は平壌行きを命ぜられた。赤軍派は平壌経由でキュ-バに渡り、革命実践を学ぼうと考えていたのだ。

 しかし日航機の機長は機転をきかし、平壌だと偽って韓国の金浦空港に着陸した。それを知って激怒した赤軍派は日本刀を振りかざして威嚇し、平壌行きを強要した。日本政府の粘り強い交渉によって、人質としてとられていた乗客百名のかわりに、新たに山村新治郎運輸政務次官が人質となって、平壌に行くことになった。

 日野原さんたちは解放され、タラップを降りて金浦空港の大地を踏んだとき、

「ああ、無事に地球に帰ることができた!」

 と感じ、開放感でホッとした。この経験が日野原さんの生き方を変えた。

 それまでの日野原さんはもっと有名な医師になり、いろいろな仕事に挑戦してみたいと思っていたが、それよりも、これからは自分中心ではなく、人のためになるよな生き方をしたいと強く思うようになった。

 

 

 「人生はサッカ-のようなものだ」

 日野原さんは老害が組織を硬直化させてしまうと憂い、聖路加国際病院に65歳定年制度を導入して、自分も65歳になると院長をさっさと退職してしまった。しかしその力量を惜しむ声は強く、推されて、聖路加看護大学の学長に就任した。そして日本では看護大学に初めて大学院研究科博士後期課程を設置するなどして、大学の評価を高めていった。 それからしばらくして聖路加国際病院を拡張する1200億円の一大プロジェクトが立ち上げられると、これを成功させるためにもう一度院長へ復帰して欲しいと懇請された。

 しかし自分で敷いた定年制を破るわけにもいかない。そこで無給で働くことにし、80歳で再び院長職に就き、97歳の今も(平成21年4月現在)名誉院長として現役で活躍している。

 日野原さんのポジティブ・シンキングは有名だが、もう一つ、

「人生はエンドレスな闘いが続くマラソンのようなものではなく、前半戦、後半戦がはっきり分かれているサッカ-のようなものだ」

 という持論がある。サッカ-はハ-フタイムに休憩を取り、前半戦の戦いを検討して戦術を練り直し、修正して後半戦に臨む。だからたとえ前半戦で負けていても、逆転勝利に持ち込むことができる。

 日野原さんのポジティブ・シンキングは、実はこの人生=サッカ-論に支えられている。 人生もサッカ-と同じで、手痛い打撃を受けても軌道修正して、後半の戦いで必ず生かせるというのだ。

 こういう考えを持っていれば、失敗を怖れず、果敢に戦うことができる。日野原さんの人生はそういう考えに支えられていたのだ。

 平成17(2005)年11月、日野原さんは天皇陛下から宮中正殿松の間で文化勲章をいただき、5名の受賞者を代表してお礼の言葉を申し上げた。その受章記者会見で、

「受賞者として、今の気持ちを語ってください」

 と問われ、日野原さんは満面の笑みを浮かべて、

「きわめてさわやかです。これからが本番です」

 と答えた。折から日野原さんの自叙伝を出版しようとしていた日本経済新聞の編集者がこの言葉に感銘を受け、書名を『人生、これからが本番』とした。

 まさに「人生はこれからが本番!すべての経験は生かされるし、遅すぎることはない」という捉え方は、「人生を勝利に導く最良の武器」なのだ。「思考が人生を創る」という言葉ほど、宇宙の仕組みを言い得ているものはない。

 

 

 笑う門には福来たる

 天風の講演会はいつも聴衆で溢れんばかりだった。話が具体的で、その日からでも実践できるからだ。私は講演会で天風哲学を語ることが多いが、話を聞いてくださった方々と懇談会で話をすると、天風ファンが多いことに驚く。みなさんが

「天風さんは自分で発見したことを語っているから、とても参考になります」

 と言われるのだ。

 天風哲学の内容を子細に検討してみると、極めて哲学的、形而上学的なものと、私たちの日常生活におけるヒントとなる、極めてわかりやすいものと二種類ある。別な表現をすると、日常的アドバイスに富んだ話も哲学的に考察され、宇宙の理法をしかり踏まえているから説得力があるのだ。

 前述の日野原さんの話も天風の話と重ね合わせて聞くと、いっそうわかりやすい。

 そのわかりやすい例の一つで、天風が笑いの効用について語っている内容を紹介しよう。 例によって、東京の下町のべらんめえ調である。

「悲しいことや辛いことがあったら、いつにも増して笑ってみろ。悲しいこと、辛いことのほうから逃げていくから。

 言うまでもなく、笑えば心持ちは何となくのびのびと朗らかになるもんだよ。試しにおかしくもなんともないときに、アハハって笑ってごらん。

 笑うにつれ腹が立ってくるとか、悲しくなってくるとか、辛くなってくることは、絶対ありゃあせん。これは実は大変な宇宙の哲理なんだぜ。宇宙の仕組みがそうなってんだ」

 いつしか聴衆は天風に飲み込まれ、悩みも悲しみも吹っ飛んでしまう。会場に笑いの渦が湧き起こる。

「この笑いの効用を応用すれば、すこぶるいい結果を人生に招くことができるんだ。ところがこのことに気づいてる人は意外と少ないんだなあ。もったいないったらありゃしない。

 考えてみればすぐわかるけど、そもそも笑いというものは生きとし生けるすべての動物のなかで、我々人間にだけ与えられている特殊な動作なんですぜ。他の動物は人間のように、笑って喜びを表現することはまったくない。

 こうした事実を考えると、笑いというものは人間のみに与えられた特権だってことがわかる。だからこれを応用せずに人生を過ごすてぇのは、あまりにも馬鹿げた話だ。そう思いやしませんか?」

 なるほど、そうだと、みんなうなずいている。ここだと思って、天風は畳み掛けるように話す。

「悲しいなあと思って泣くだろ。すると余計悲しくなる。腹が立った。こん畜生と思って、やい!なんて言って突っかかって行くと、よけい腹が立つ。

 反対に、わずかな喜びでも大げさに喜ぶと、わずかな喜びが大きな喜びに変わっちまうんだ。そうだろ、不思議なもんだね。確かに相乗効果ってのがあるんだね。

 わからなかったら、うちへ帰って鏡を見て笑ってごらん。おかしくも何ともなくてもいいから、誰もいないところで――人がいたら変な人だと思われるから――鏡に映して

ヘヘヘヘ、ウフフフと笑ってみるんだ。

 どんなお亀でもお多福でも、笑い顔は醜いもんじゃない。

 さあ、うちへかえってやってごらん。ウフフフ、エヘヘヘと人知れずやってごらん。

何となくおかしくなるから。笑うと心の中に愉快で爽やかなものが出て来るもんだ。

不思議だね、笑い顔には幸せを引きつける力があるんだ。昔から『笑う門には福来る』って言うだろう。あれは笑い顔は福を引き寄せるってことなんだ」

 天風は自己暗示によって信念を強化する方法を説いているが、この「笑いの効用」も一種の自己暗示の方法だと考えることができよう。

 最後にもう一つ、天風の言葉をつけ加えよう。「座右箴言」と呼ばれているものだ。

「私はもはや何事をも怖れまい。それはこの世界ならびに人生には、いつも完全ということの以外に、不完全というものもないよう宇宙真理が出来ているからである。否、この真理を正しく信念して努力するならば、必ずや何事といえども成就する。

 だから今日からはいかなることがあっても、また、いかなることに対しても、かりにも消極的な否定的な言動を夢にも口にするまい、また行うまい。そしていつも積極的で肯定的の態度を崩さぬよう努力しよう」(『運命を拓く』中村天風著 講談社)