中村天風「幸せを呼び込む」思考 神渡 良平著 講談社+α新書 - 十五 『歎異抄』との出会い

桑原健輔さんの抜粋の第15回目です。

中村天風「幸せを呼び込む」思考     神渡 良平著  講談社+α新書

天の川
天の川

 

十五 『歎異抄』との出会い 

 

  「眼前の草、そして樹、青く澄んだ空、流れ行く白い雲、また落ちる滝の水、どれを見ても、人間の力で作られたものは何一つない。

 陽が西に落ちれば夜になり、夜が明ければ朝が来る。春から夏、夏が去れば秋、やがて寒い冬が来る。この整然たる秩序、一糸乱れぬ自然の状態を想い、またその自然の法則を考えたときに、その気の持つ働き、全智全能のあらわれは、人間の知識などでは、到底計り知れない広大無辺なものである、と気がついたのである」(『運命を拓く』中村天風著 講談社)

 

 私を救ってくれた親鸞 

 生き馬の目を抜くほどに激しい産業社会で、東京、横浜、立川などに六つの支社を展開する(株)日本パートナー会計事務所を率い、私生活では親鸞と『歎異抄』を心の支えとしている経営者がいる。JR御茶ノ水駅前に聳える高層ビルの十七階にオフィスを構え、百二十名の社員を率いている安徳陽一副社長だ。実業と親鸞とは一見つながらないように見えるけれども、自分の人生に生きる意味合いを見出し、深く得心することがなければ、実業に邁進することはできない。その意味で安徳さんが『歎異抄』から何を学んだのかはとても興味深い。

 とは言え、安徳さんは若いころから『歎異抄』一辺倒だったわけではない。

「いや私も若い頃は普通のサラリーマンと同じように,成功哲学を読んで実践し、顧問先の企業でもプラス思考の重要さを説いていたもんです」

 しかしながら、ものの見方、考え方としてプラス思考は重要ではあるものの、資金繰りに苦しみ、あるいは失意の底にあり、行き詰って立ち往生している経営者に、プラス思考を説いても通用しない。中小零細企業経営者の多くは人生のぎりぎりの所に立たされ、プラス思考以前の、生きることの意味を問うていた。安徳さんもまた成功哲学だけではもの足りず、道を求めていた。

「私に『歎異抄』を読むよう勧めてくれたのは高校三年生のときの先生でした。妙に惹かれるものはありましたが、若い私にわかるはずもありません。再度『歎異抄』に関心を持ったのは、二十九歳のとき、中村久子さんの自叙伝『こころの手足』(春秋社)を読んだときでした。中村さんは両手両足を失って苛酷な人生を歩まされたものの、ついに安心立命の境地に至った人ですが、私は自叙伝を読んで涙が出てどうしようもありませんでした。その中村さんが『歎異抄』を心の支えとしていたと知って驚きました。そこで再度『歎異抄』を読み出しました」

 安徳さんは長い間、父親との間に葛藤があった。労働運動に挺身し、家に帰ってこない父を軽蔑し、憎んでいた。

 ところが、『歎異抄』を読み進んでいるうち、軽蔑していたはずの父親のことから、親鸞が言わんとすることがわかってきたのだ。

(ーー父も自分の力で何とかしようと努力したに違いない。ところが長続きせず、行き詰まってしまい、自分ではどうにもならなくなったのだ。父は非力な人間の哀しさを示していたのかもしれない。

 まだ若かった私には、自堕落な父としか映らなかったが、そうではなく、あの姿は努力しても努力しても蟻地獄に吸い込まれていく人間の哀しさを表していたのだ。

 自分はあの父のようにはなりたくないと思って、必死でがんばってきて今があるが、父は反面教師として自分を救ってくれていたのではないか!)

 そう思ったとき、それまでの恨みが一気に消えてしまった。そして『歎異抄』の原文が自分の中に染み込んできて、その核心ともいわれる「弥陀の本願」の意味がわかってきたのだ。

(阿弥陀如来はそんなどうしようもない人間に慈悲の眼差しを投げかけ、何とかまともな人間にしようと努力してくださっている。衆生一切を救わなければ成仏しないと「本願」を立ててくださっているというのは、そういうことではないのか!)

 気がつくと四十一歳になっていた。厄年の頃になると、それまで外にむいていた目が内面の世界に向き始め、世の中の見方が変わってくるとは聞いていたが、それが安徳さんの身の上にも起きたのだ。

 読書会で指導を仰いでいる寺田一清「実践人の家」常務理事(当時)が、顔を合わせるたびに、

「『昭和の中江藤樹』と呼ばれ、実践哲学の最高権威として日本の哲学界をリードされた西晋一郎先生が、『親即恩。その有無厚薄を問わず』とおっしゃっています。父母の恩愛に目覚めると、すべてが解けていきます」

 と言われていたとおりだった。

 

 

 回心から本当の人生が始まる

 こうなると、『歎異抄』を読むのが楽しくなった。仕事から帰ると、貪るように読んだ。何度も何度も噛み締め味わっていると、いま生きていることそのものが、実に不思議なことであり、奇跡的なことだと思えるようになった。安徳さんは顔を輝かせて、気づいたことを説いた。 

「『歎異抄』に『回心ということ、ただひとたびあるべし』という文章がありますね。これがきっかけで、こう理解するようになりました。

 この世に生を授かることは第一回の誕生で、生きていることは当たり前のことで、死ぬことは例外的なことだと捉えています。ところが第二の誕生ともいえる回心をすると、人は誰でも死ぬべき存在なのに、生きているということは奇跡的なことで、実は生かされていると思えるようになります。もっと言うと、人が生きるということは人間業ではないということです。

 この回心から本当の人生が始まると言えます。人生をそう捉えられるようになると、自分を背後から見守ってくださっている大いなる存在があることに気づきます。人生には楽しいこと、びっくりすること、いやなこと、出合いたくないこと、いろいろありますが、そのどれもが自分の魂を成長させるために起きており、宇宙がそれを願っているといえます。

 私はそれまで悪いのはほとんど世の中や周りの人々だと思っていましたが、そうではありませんでした。自分もまた危ういものをいっぱい持っているのに、それを棚にあげて、人を批判していました。大いなる存在は、そんなレベルの私を何とか目覚めさせて、豊かな魂に成長させたいと願っておられたのでした」

 安徳さんは大変なものをつかんだのだ。その宇宙観、人間観が安徳さんに大きな安心感を与え、おだやかな雰囲気に包まれるようになった。

 

 

 顧客も励ます親鸞の教え

 実は安徳さんは税理士になりたくてなったのではなかった。七〇年安保反対闘争 で荒れ果てた大学ではほとんど勉強らしい勉強もできずに卒業した安徳さんは、とにかく食べるためにどこかに就職しなければならなかった。自分の性格を考えると人見知りしがちで、社交性に乏しく、営業向きではないと思った。そこで書類相手の税理士の仕事なら務まるかなと思って、税理士事務所に就職した。

 そんなこともあって、自分にはこの仕事は不向きなのじゃないかという思いがいつもあり、資格取得試験にもなかなか打ち込めずにいた。ところが『歎異抄』によって自分の人生がすっきり受け止められるようになると、難関の試験も次々にパスし、四十三歳で五科目すべてに合格した。二十六歳から挑戦したので、実に十七年かかったことになる。

 「不思議なもので、自分の人生に対する態度が決まり、税理士資格も取れると、俄然仕事も面白くなってきて、のめり込んでいきました」

 それにクライアントを訪ねても、話が税務関係の問題で終わらない。話は経営相談から、経営者自身や家庭のことに及んだ。安徳さんが『歎異抄』によって開眼させられたことを語ると、深く共感し、再び気力を持ち直してくれるのだ。

 あるいはクライアントの悩みを聞き、親鸞の言葉を借りて励ましているうちに,「何とかうちの二代目を一人前に育ててほしい」と頼まれるようにもなった。

「安徳さんの話を聞いていると、自分が自分であることを許され、こんな自分でも生きていていいのかなと思え、不思議な安心感が湧いてくるのです。安徳さんのような考えに立てば、うちの二代目も挫折することなく、しぶとく生きていけるんじゃないかと思えるんです」

 親鸞がつかみ、安徳さんが受け継いだものが人々を生かすようになったのだ。

 安徳さんは仕事柄、中村天風が書いたものもよく読む。というのは経営者には天風のものの見方、考え方に共鳴する人が多く、しばしば話題に上がるからだ。読んでみると、天風がつかんでいたものと親鸞がつかんでいたものが驚くほど似ているのだ。

 

 

  天風の悟りが教えるもの

 天風の文章の中で、安徳さんが好きな一節は、冒頭に掲げた一節である。これは天風がヒマラヤの山中で悟りをつかんだときの描写だが、安徳さんが阿弥陀仏の信心によって得ているものと酷似しているのだ。

「天風先生が悟りを開いてみると、あたりの風景がまるで違って見えたことがこの文章でわかります。森羅万象が他者として存在するのではなく、自者も他者も渾然一体となって溶け合っている。天地自然の運行がそのまま素直に受け取れると書かれています。この文章には、次の一節が続いています。これは悟りとはどういう心境なのか、見事に描かれています。

〈幽玄微妙というか、神韻縹渺というか、現象界の一切を見れば見るほどなんとも形容の言葉がない。生きとし生ける生物にしても、小さな虫に至るまで、生きるに必要な器官、機構が完全な組織のもとに存在している。そして、

『何とありがたいかな、山の中に今座っている自分は、この霊智の力、いわゆる全智全能の働きを持つ気とともにいるではないか。いや気に包まれているではないか。そしてここに座っている。だから自分は生きているのだ』

ここまで思いついたとき、誰もいないヒマラヤの山奥にただひとり座っていながら、何の淋しさも感じない。何とも形容のできない心強さを感じたのである。同時にその霊妙な万物創造の力ある気と、その気の持つ幽玄微妙な霊智とは、なんと、

『人間の心の態度で、これを受け入れる分量が、非常に相違してくる』

ということを私の心が考えてくれたのである〉(『運命を拓く』中村天風著 講談社)

 宇宙森羅万象の根源者との一体感からくる深い安堵感ーー。

 それがあるとき、もう迷わなくなります。

 だからこそ、その後日本に帰ったとき、天風先生は原敬首相や東郷平八郎元帥、山本五十六元帥、横綱双葉山など、日本をリードしていた人々に影響を与えました。

 天風先生のこの文章を読んで、私の脳裏に浮かんだのは、『歎異抄』第一条にある次のくだりでした。

〈弥陀の誓願不思議にたすけまゐらせて、往生をば遂ぐるなりと信じて念仏申さんとおもひたつ心のおこるとき、即ち摂取不捨の利益にあづけしめたまふなり。弥陀の本願には老少、善悪のひとをえらばれず、ただ信心を要とすとしるべし〉

 私は,天風先生の表現では『宇宙根源の力』に当たる阿弥陀さまと共に、この人生を生きていこうと思い定めたとき、『人はどんな境遇にあろうとも自分は決して一人ではなく、いつも見守られている』という実感を持つことができました。以来、私が得ている心境は、天風先生が悟りを開いて以来持っておられるものと酷似しています」

 私たちの日常の生活で、少々のことではもはや動じなくなるとすれば、これほどの朗報はない。経営者が動ずることなく取り組んでいる姿をみれば、従業員は限りなく安堵する。安徳さんはそれを経営者たちと語っているのだ。

「この心境を得るにはこれといった条件はありませんが、ただ一つ阿弥陀さまが請願されていると信じる心(信心)は必要であるように思います。実は宇宙からの呼びかけは誰にでも届いているのですが、聴く気にならないと聴こえてきません。最初は聴こえないかもしれませんが、心耳を澄ましていると、かすかに聴こえ始め、やがて大きくなり、確固

たるものに変わっていきます。するといついかなるときでも、阿弥陀さまに抱かれ、生かされていると実感できるようになります。

 そこから来るものは大きい。天風先生はそんなことをおっしゃりたかったのではと、私なりに思わせていただいております」

 安徳さんは平成二十〈二〇〇八)年還暦を迎えた。でも髪は黒々として元気溌剌、第一線で陣頭指揮を執っている。

 私は安徳さんと知り合ってもう十七年になるが,彼を見ていてつくづく思うのは、『書経』にある「自靖自献」という言葉だ。学問し、書を読む目的は、安心立命の境地を得,自分を捧げる対象を見出すことにあるというのだ。

 安徳さんの場合、『歎異抄』によって安心立命の境地を得たのみでなく、経営者たちによきアドバイスを与えることができるようになった。だから安徳さんはますますこの仕事をやってよかったと思っている。