パウロ

沈黙の響き (その7)

2020.8.15 ウィークリーメッセージ「沈黙の響き」(その7)

 

ダマスコに行く途上、パウロに起きた異変

神渡良平

 

わたしはこのウィークリーメッセージで、名曲「ユー・レイズ・ミー・アップ」がさまざまなシ-ンで人々を助け起こし、励ましてきたと語りました。初代教会の最大の立役者パウロもこの言葉と切り離すことはできません。パウロもイエスに「ユー・レイズ・ミー・アップ!」と涙を流して感謝した人の一人です。

 

パウロは「人は行いによるのではなく、神の恩恵により、信仰のみによって義とされる」と説いて、ユダヤ教とキリスト教の違いを鮮明にし、キリスト教が成立するのに大きな貢献をしました。アウグスティヌスはこの「信仰義認論」を高く評価し、さらにルターなどの宗教改革者たちが(とな)える「信仰義認論」の核心となりました。パウロはキリスト教が世界宗教として飛躍するうえで決定的な役割を果たしたといえます。

 

パウロがユダヤ教からキリスト教に回心するに至ったダマスコ(現シリアの首都ダマスカス)に行く途上での出来事を、『新約聖書』「使徒行伝」はこのように書いています。

ユダヤ教の正統派ともいうべきパリサイ派の熱心な信徒だったサウロ(パウロのへブル名)は、ユダヤ人でありながら律法を軽視すると見られるキリスト教徒を許しておけず、先頭に立って彼らを責め立てていました。モーセの律法を遵守してユダヤの伝統を守ろうと思ったら、イエスはその伝統を破壊する者にしか見えなかったのです。サウロは大祭司から、ダマスコに居住するユダヤ人の中で、イエスに従う不届きなユダヤ人を拘束して、エルサレムに連行する権限を与えられてダマスコに向かいました。

 

ところがその旅の途上、突然天から強い光が射してサウロを照らし、憂いに満ちた声が臨みました。

「サウロよ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか……」

 普通、敵対する者を詰問するときは難詰調になるものですが、その声にはそんな調子は全然なく、むしろ悲しい響きすらありました。

〈えっ……なぜ、どうして……〉

 サウロはそれが意外でした。その声はあまりに神々しい光から発していたので、サウロは目が(くら)んで昏倒(こんとう)してしまいました。そして倒れたまま、悲しみの声の主に問い返しました。

「あなたは……一体どなた……なんですか?」

「……わたしはお前が迫害しているイエスだ。お前は間違ったことをしている。わたしに反対するなど、そんな無意味なことにお前の貴重な人生を費やしている暇はないんだよ」

 イエスの声色(こわいろ)にはサウロを責める響きは全然ありません。それよりもこの歴史の大きな転換点で、リード役としての役割を失敗してはならないという配慮が感じられました。

 

「さあ、立ち上がりなさい。ダマスコに行けば、そこでお前がこれから何をしなければならないか告げられるだろう」

イエスの声に助け起こされ、立ち上がろうとしましたが、サウロはうろたえました。目が見えなくなっていたのです。まわりの人々に何か声を聴かなかったかと(たず)ねましたが、みんなは口々に何も聴かなかったと答えます。

〈では、あれは幻聴だったのか。そんなはずはない。わたしは確かに聞いた。それに目が見えなくなっている。何かが起こったに違いない〉

 

サウロはとりあえず、他の人々に手を引かれてダマスコ市内に入り、ユダの家に泊まりました。その日起きたことがあまりにもショックで、一体どう解釈したらいいのか、ひたすら祈り求めました。

〈あのまばゆいほどの光に包まれ、絶大な威厳を持ったイエスというお方は一体何者ですか……。これまでわたしは、イエスはモーセの律法を軽んじる者だと思い、それを阻止しようと、急先鋒に立っていましたが、とんでもない思い違いをしていたのではないかと迷っています。どうぞ答えてください〉

両の頬を涙が伝い、床を叩いて祈り求めました。しかし、静寂な空間は何も答えません。小机の上に置かれたランプの炎が揺らいでいます。

 

真実を明かしてくださいと祈り求める声は来る日も来る日も続き、食べることも飲むこともできません。その間、イエスは信徒のアナニヤに現れて、サウロの目を癒してくれるよう頼みました。

「アナニヤよ、ユダの家にサウロというタルソ(びと)が泊っている。わたしはサウロに、お前が訪ねてきて目に手を当てて祈り、再び見えるようにしてくれると伝えている。訪ねていって介抱してあげなさい」

でも、アナニヤはその要請に素直に従うことができません。

「主よ、あの人はエルサレムで信徒たちにどんなにひどいことをしたか、わたしは多くの仲間から聞いています。彼がダマスクにやって来たのも、祭司長からキリストに従うユダヤ人を捕縛して、エルサレムに移送する権限を与えられたからです。そんな(やつ)の手当なんかできません」

 

ところが主はアナニヤの抗議には意に留めず、サウロは自分が選んだ者だと言われました。

「あの人は異邦人、王たち、そしてイスラエルの子たちにも、わたしの名前を伝える者としてわたしが選んだ者です。わたしの名前を伝え広めるために、これからサウロは大変苦しむことになります……」

アナニヤはようやく納得し、サウロの目を癒して元通り見えるようにしました。

目が見えるようになったサウロは、アナニヤのようなキリスト教徒に与えられている不思議な霊力に心を動かされ、洗礼(バブテスマ)を受けて回心しました。

 

この劇的な回心以後、サウロはキリストの熱心な(あか)(びと)となり、特に異邦人への布教を使命として、小アジア、マケドニアなど、エーゲ海沿岸一帯に前後三回にわたって福音を伝えました。しかもパウロが小アジアの信徒たちに書き送り、心の持ち方について説いた深遠な手紙が新約聖書の中核部分となり、キリスト教の根幹を形成しました。

 

パウロもまたイエスに「ユー・レイズ・ミー・アップ!(あなたがわたしを助け起こしてくださいました)」と告白し、その後の人生すべてをかけて恩返ししました。「つまづき倒れているわたしを抱き起し、励まし、肩を押してくださったのは、あなたでした」――わたしたちも友人にそう言われるように、誠心誠意を尽くしたいものです。

 

名曲「ユー・レイズ・ミー・アップ」にまつわる話はこれで終わり、次回から別なテーマに移ります。