中川千都子さん

沈黙の響き (その8)

2020.8.22 ウィークリーメッセージ「沈黙の響き」(その8)

「言葉こそは人間形成の中核だと気づきました」①

神渡良平

 人生は予想もしなかったようなさまざまなことが起きるものです。世の中には「ショック療法」という言葉がありますが、そういうことを経験してみると、実に言い得て妙な言葉だなあと思います。

わたしたち人間は否応もなくショッキングなことに遭遇すると、それを乗り越えようとして必死になります。そのお陰で何とか窮地を脱することができ、以来、以前の生き方とはすっかり変わってしまうことが多々あります。

一方で、その危難を乗り越えられなくて死を迎える人があるのも厳然たる事実です。そこには容易には乗り越えられない厳しい分岐点があります。だから安易には「人生の大道」などということは言うことができません。背水の陣を敷いて本気で取り組まないと乗り越えられませんし、死ぬ覚悟で取り組まないと、道は拓(ひら)けないように思います。

わたしたちは試行錯誤をしながら、人生の理(ことわり)を一つひとつ身に着けて、成長しているように思えます。そこで今回から三週にわたって、一人の女性がどうやって新しい生き方を身に着けるようになったかを紹介したいと思います。

突然ガンに襲われた中川千都子さん

 大阪で心理カウンセラー、産業カウンセラーとして活躍し、ラジオ番組も持っている中川千都子(ちづこ)さんもそういう苦渋の期間を経て、新しい生き方をつかんだ人です。中川さんは十年前まで、ある企業で管理職としてバリバリ働き、海外出張にも派遣され、全身をブランド物で身を固めたカッコいいキャリアウーマンでした。

中川さんは小さい時からがんばり屋さんで負けず嫌いでした。お母さんが「あんたはやれないことはない。何やっても成功する」と言って育ててくれたため、がんばったら大概のものは手に入れることができたし、いつもがんばって頂点を極めていました。

仕事でも、女性で初めて管理職として登用され、成功しました。本人はそれでも満足することなく、上を上をと目指していました。

 ところが平成十八年(二〇〇六)九月のある日、乳房のしこりに気づきました。ひょっとすると思いつつ、病院で検診してもらうと、

「乳がんです。即刻手術が必要で、五年は持ちません」

と告げられました。

「えっ、五年ですか! そんな、どうしてなの?」

これまで営々と築き上げてきた人生のすべてが、がらがらと音を立てて崩れていくようでした。

即刻乳房を切除する手術を受けたものの、精神的なショックはとても大きく、手術後も放射線治療と抗ガン剤の治療が続きました。自分の人生はこの先どうなるのか、とても不安でなりませんでした。

 壊れていく自分がどうにもならなかった!

 会社から長期の休みをもらって静養したものの、病院の外には新たな悲しみがありました。

「街を歩いていると、道行く人がみんな幸せそうに見えるんです。特に女性を見ると、この人たちはみなさんきれいなおっぱいをされているんだと思ってしまいます」

そう思うと、辛くて悲しくて、幸せそうな人がやたらまぶしく、サングラスなしでは街を歩けないほどでした。そんな状態ですから、家事などできるはずもありません。会社員のご主人や、当時中学一年生だった息子さんは気を遣って優しく接してくれたものの、心が折れている中川さんはその気遣いさえわずらわしく感じました。

そんなある日、息子さんが体操服を忘れて学校へ行きました。息子さんは普段から忘れ物が多かったので、珍しいことではなかったのですが、なぜかその日は猛烈な怒りが込み上げてきました。その怒りは息子さんが学校から帰ってくるまで止まりませんでした。

夕方、息子さんが「ただいま」と明るく帰ってくるやいなや、中川さんは体操服を入れた袋で息子を叩きまくり、「なんで体操服を忘れるんや!」とわめきました。それ以前は息子さんに手をあげることなどなかったのに、です。

息子さんはとてもびっくりしました。

「お母さんは病気だからこんなふうになってしまった……

と口をぎゅっと結び、「ぼくが我慢したらいいんだ」と叩かれるままにしていました。中川さんは感情が爆発して、自分を止めることができませんでした。(続き)