2020.10.3 ウィークリーメッセージ「沈黙の響き」(その14)
「教育はいのちといのちの呼応です!」③
超凡破格の教育者・徳永康起先生
神渡良平
≪切り出しナイフが無くなった!≫
話は前後しますが、戦前のことです。徳永先生は一人ひとりの生徒が傷つかないようにとても心を配りました。そのことを示す好例のエピソードがあります。
あるとき、学校で工作用に切り出しナイフが必要になりました。みんな親にお願いして買ってもらいました。ところがA君はそれを親に頼むことができませんでした。決して貧しい家庭ではなかったのですが、頭のできがよかった兄さんと比べられて、A君は「何とお前はぼんくらなんだ」と叱られてばかりいました。
学校でお金が要るとき、長男が頼むと快く出してくれるのに、A君が頼むと渋い顔をされます。だから言いだすことができず、おとなしい同級生のナイフを盗みました。
その子が「ナイフが無くなった」と騒ぎだし、当然クラスの誰かに嫌疑がかかりました。これはまずいと思った徳永先生は昼休みになると、「みんな外で遊んできなさい」と教室の外に出し、疑わしい生徒の机に行き、「彼でなければいいが……」と願いながら、机のフタを開けました。すると刃はキラキラ光って新品なのに、さやは削って墨を塗り、古く見せようとしたナイフが見つかりました。
徳永先生はA君の家庭の状況をよく知っていたので、親に頼めなかったA君の事情を思い、かわいそうになりました。そこですぐさま自転車で学校の近くの文具店に行き、同じ切り出しナイフを買って帰ると、無くなったと騒いでいた生徒の本の間に挟み、机の一番奥に入れました。
昼休みが終わってみんなが校庭から帰ると、徳永先生は、無くなったと騒いでいた生徒に言いました。
「君はあわて者だから、よく調べてみなさい。無くなったといわれたら、他の者は気持ちが悪いからね」
するとその子は机の奥まで探し、教科書の間に挟まっていたナイフを見つけ、
「あった!」
と大喜びし、みんなに「すまなかった」と詫びました。徳永先生が盗んだ生徒をちらっと見ると、涙をいっぱいためて徳永先生を見ていました。先生はひと言もその生徒を責めませんでした。
≪墓前に添えられた八重くちなしの花≫
昭和19年(1944)5月11日、ニューギニアに出撃したA君は、明日はいよいよ米軍と空中戦というとき、もはや生きて帰れないと思い、徳永先生に手紙を書きました。
「先生はあのとき、ぼくをかばって許してくださいました。本当にありがとうございました。死に臨むにあたって、先生にくり返し、ありがとうございましたとお礼を申し上げます」
そして最後に書き添えてありました。
「先生、ぼくのような子どもがいたら、どうぞ助けてやってください。先生、本当にありがとうございました。さようなら」
そしてホーランジャでの米軍との空中戦で散華したのです。
徳永先生は八重くちなしの苗を買い求めて、彼の墓前に植えました。
「八重くちなしの花は香りがよくて、土の中で眠っている君の魂まで届き、芳香で温かく包んでくれるだろうと思って……。この花が咲くころ、きっと君は生きていたころ、いろいろ苦しかったことを思いだすだろう。だから君のお墓は八重くちなしの匂いで包んでやりたいんです」
徳永先生の教え子の中からたくさんの戦死者が出ました。彼らの墓前にも植えました。(続く)
玄関前にたたずまれる徳永先生ご夫妻