沈黙の響き (その23)

2020.12.5 ウイークリーメッセージ(その23)⑫

(仮)『いのちの響き合い――徳永康起先生と子どもたち』の序文

                            神渡良平

(仮)『いのちの響き合い――徳永康起先生と子どもたち』を脱稿しました。今、ある出版社で検討していただいています。その序文をお送りします。

 

 人はそれぞれ天から授かっている封書があるといいます。私たちは天から〝いのち〟を賜(たまわ)っており、それぞれの〝いのち〟に使命が書き記されている封書が添えられているというのです。この人生をどうまとめ上げて天にお返しするか、誰しもが感じていることであり、生きている限り、このことをくり返し問うているともいえます。

 熊本の一教師徳永康(やす)起(き)先生もこの問題を終生自分に問いかけました。

 徳永先生は出会った教え子たちの心の支えとなる教師でありたいと自分に誓いました。例えば、八代市立太田郷(おおたごう)小学校5、6年生のとき、わずか2か年担任した生徒たちが、中学、高校と進み、社会人になっても交流が続きました。そして小学校卒業後の3年目、10年目と先生の手で文集が作成され、さらに15年目、今度は教え子たちが自分たちの手で、お礼の意味を込めて文集を刊行したのです。

 わずか5百部ほどの文集でしたが、それを読んだ人々、中でも教職にある人々はショックを受けました。教師が教え子たちの魂の成長に傾注したとき、ここまで感化できるのかと、とても考えさせられたのです。

 この文集が出版社の目に留まり、『教え子みな吾が師なり』(徳永康起編 浪速社)として出版されました。これを「国民教育の友」であり、教職者たちに支持者が多い森信三元神戸大学教授が激賞されたことから一気に火がつき、ブームになりました。

 昭和五十四年(一九七九)六月、徳永先生がこの世でのいのちを終え、葬式が営まれたとき、教え子を初め、同志同行の三百名を超す人々が詰めかけ、地元の熊本日日新聞もその逝去を悼(いた)んで報道しました。

 そういう事実を見るにつけ、一人の人間が自分の使命に目覚め、その実現に向けてひたむきに努力をすればどういうことが起きるのか、本書はその忠実な記録です。

 改めて、私たちはそれぞれ偉大な使命をいただいて、地上に送られているのだと痛感します。ここでいう偉大な使命とは、世間的に評価される使命という意味ではなく、その人にしか成就できない使命という意味です。

 この本があなたの人生に少しでも寄与できれば、幸せに存じます。

 令和2年11月吉日


超凡破格の教師といわれ、「康起菩薩」とも称えられた徳永先生