沈黙の響き (その37)

 「沈黙の響き」(その37)

≪父母の恩愛に包まれて≫ 

 

私たちの魂の成長には父母を初めとして、多くの人々が関わってくださっています。

次の、小学校三年生の康子ちゃん(仮名)のチョコレート万引き事件の指導には、担任の灰谷健次郎先生が深く関わってくださり、危うく脱線しそうになった康子ちゃんを助けてくださいました。

灰谷先生とはミリオンセラーとなって映画化された『兎の眼』(角川文庫)、あるいは50万部も売れて映画化された『太陽の子』(角川文庫)など、出色の作品を世に送り出した児童文学の作家で、作家になる前は小学校の先生でした。

 

ある日、母親に連れられて、ちっちゃな女の子がしぶしぶ灰谷先生のところにやってきました。あるお店でチューインガムを一箇盗んだので、叱ってくださいというのです。見ると、お母さんに書かされたのでしょうか、反省の気持ちを書いた小さな紙きれを持っています。

「わたしはお店にはいって、チューインガムをとりました。もうしません。せんせい、ゆるしてください」

 と書いてありました。灰谷先生はお母さんに帰ってもらい、康子ちゃんに話しかけました。

「どういういきさつからそういうことをしでかしたのか、本当のことを話してごらん」

康子ちゃんは少し話しては泣き、また話しては泣きして、一部始終を話しました。

そして先生に進められるままに、詩を書きました。

 

   チューインガム一つ

 

 せんせい おこらんとって

 せんせい おこらんとってね

 わたし ものすごくわるいことをした

 

 わたし おみせやさんのチューインガム とってん

 一年生の子とふたりで チューインガム とってしもてん

 すぐ みつかってしもた

 きっと かみさんがおばさんにしらせたんや

 わたし ものもいわれへん

 からだが おもちゃみたいに カタカタふるえるねん

 わたしが一年生の子に「とり」いうてん

 一年生の子が「あんたもとり」いうたけど

 わたしはみつかったらいややから いややいうた

 一年生の子が とったんや

 

 でも わたしは その子の百ばいも 千ばいもわるい

 わるい わるい わるい わたしがわるい

 おかあちゃんにみつからへんと おもとったのに

 やっぱりすぐみつかった

 

 あんなおかあちゃんのこわいかお 見たことない

 あんなおかあちゃんのかなしそうなかお 見たことない

 しぬくらいたたかれて

 「こんな子 うちの子とちがう 出ていき!」

 おかあちゃんはなきながら そないいうねん

 わたし ひとりで出ていってん

 いつでもいくこうえんにいったら

 よその国へいったみたいな気がしたよ

 せんせい どこかへいってしまおとおもた

 でも なんぼあるいても

 どこへもいくところあらへん

 なんぼ かんがえても あしばっかりふるえて

 なんにも かんがえられへん

 

 おそうに うちへかえって

 さかなみたいに おかあちゃんにあやまってん

 けど おかあちゃんは わたしのかおを見て ないてばかりいる

 わたし どうして あんなわるいこと してんやろ

 もう二日もたっているのに

 おかあちゃんは まだ さみしそうにないている

 せんせい どないしよう

 

ここには康子ちゃんの痛切な反省の気持ちがほとばしり出ています。この詩にいたく感じ入った灰谷先生は、康子ちゃんに手紙を書きました。

「ほんとうにきびしい人間は、いつだってじぶんをごまかしたりしません。康子ちゃんがこの詩をかいたことは、うそのない人間になろうとしているあかしだと思います。だからこそ先生は、康子ちゃんの詩をよんで、なみだがでたのです。先生はあなたをしんらいしています」

 康子ちゃんは詩にお母さんが泣いていると書きました。

「あんなおかあちゃんのこわいかお 見たことない

 あんなおかあちゃんのかなしそうなかお 見たことない

 こんな子 うちの子とちがう 出ていき!

 おかあちゃんはなきながら そないいうねん」

お母さんが自分のこととして恥じ入っている様子が伝わってきて、康子ちゃんは真剣に反省しました。お母さんの涙を見たからこそ、万引きなど二度としないと反省したのです。

 

≪新生の喜びに満たされる≫

 

これに対して、「子どもが出来心からやったことじゃないか。そんなにきつく反省させなくてもいいのではないか」と寛容な意見を示す人もいます。それは一見寛容に見えますが、決して寛容ではありません。

 

康子ちゃんは「おかあちゃんにとんでもない迷惑をかけてしもうた。申し訳ない」と、平謝りに謝まりました。そこでいっそうはっきりと見えてきたのは、泣いているお母さんの顔でした。「もう2日も経っているのに、まだ泣いていて、さみしそうだ。せんせい、どないしよう」と途方に暮れました。そして何よりもお母さんが康子ちゃんをどれほどいとおしく思い、大切にしてくれていたのか気づいたのです。

 

灰谷先生も康子ちゃんを責めるどころか、「うそのない人間になろうとしている」と受け止め、康子ちゃんへの手紙に、「康子ちゃんの真剣さに涙が出た」と書かれました。「先生も信頼している!」という言葉に、康子ちゃんはどれほど励まされたことでしょうか。

 

だから康子ちゃんは真剣な反省を通して、お母さんや灰谷先生が康子ちゃんに投げかけていた愛を発見したのです。愛は強ければ強いほど、裏切ることはできません。愛されている、期待されていると感じれば感じるほど嬉しくなり、よーし、頑張るぞと、再出発の力が湧いてきます。

 

≪内観は自分を包んでいる愛に気づく方法≫

 

ところで、この康子ちゃんの立ち直りの事例は、内観という精神修養法を想起させるものがあります。内観はもともと浄土真宗の僧侶の修行方法でしたが、昭和に入って吉本伊信さんが宗教色を抜いて、精神修養法として確立したものです。

一週間の集中内観では外部と遮断して、父母や祖父母、兄弟や親しい人に対して、①お世話になったこと、②それに対してご恩返ししたこと、③迷惑をかけたことを、2年おきぐらいに細かく調べます。

その結果、自分は何と一人よがりだったかに気づいて非を詫びます。人によっては号泣するほどです。心の底からの悔い改めにいたると、不思議な感覚が訪れます。体が軽くなって温かくなったように感じるのです。そして自分はいかに愛されていたのか発見し、ただただありがたくて、嬉しくて、涙が込み上げてきます。

 

いや涙がこみ上げるという程度ではなく、嗚咽するほどです。泣き終ったとき平安な静寂に包まれ、こんな自分でも生かされている! とやすらぎが訪れてくるのです。細胞の一つひとつが感謝の念で満たされ、転げまわって喜びたいほどです。すると上から目線の態度が消え、人間関係がよくなり、家庭も円満になります。もちろん取り引き先も、あなたは変わったねえ、とても柔らかになったよと驚き、仕事もスムーズにいくようになります。

 

私はこれまで4度ほど集中内観をやり、そんな満ち足りたやすらぎを味わいました。その後、内観の面接者を4年ほど務め、内観の効果を目の当たりにしました。

おそらく康子ちゃんも深い悔い改めの末、晴ればれとした気持ちになり、以前よりもっと明るくなったのではないでしょうか。お母さんや灰谷先生が康子ちゃんの万引きをお座なりにせず、そこまで導いてくださったのだろうと想像します。

康子ちゃんが曲がることなく、無事再出発できたのは、そんなお二人のお陰です。ただただ感謝です。(続く)

写真=樹間に射してくる神々しい光、光、あふれる光