大空に舞う鳥

沈黙の響き (その104)

「沈黙の響き(その104)」

ジョンソン父子の橋渡し役を果たした澤田さん

神渡良平

 

昭和6023日、日本テレビがエリザベス・サンダース・ホームで育った混血遺児たちのその後を追跡取材し、『子供達は7つの海を越えた』と題した番組で放送しました。その中で、前週、採り上げた米軍のクレモント・ジョンソンさんとその子マイクさんのことも取り上げました。図らずも24年後の2人の様子を知ることができました。

 

 ジョンソンさんは刑務所から釈放されたあと、隣のアーカンソー州リトルロック市に移り住み、建設会社で働いていました。日本テレビはジョンソン父子と澤田さんの再会を収録しようと、リトルロック市の中心部にある、緑の芝生が広がっているマッカーサー広場で取材をセットしました。

 

ジョンソンさんはインタビューの前、黒人特有の陽気さとサービス精神から陽気に、

「福は内」

「私はあなたを愛します」

「気をつけて」

 など、片言の日本語を連発して、場を盛り立てていました。

 

23年振りの再会

 そこに澤田さんが公園の向こうから緑の広い芝生を横切ってやってきました。23年振りの再会です。ジョンソンさんは澤田さんに乳児のマイクちゃんを預けたとき、

「息子は必ず自分が引き取るから、見知らぬ人に養子に出さないでほしい」

とお願いし、それを澤田さんきちっと守ってくれたのです。

「いや、それだけではありません。澤田さんは息子を姉の子として養子縁組してアメリカ国籍を取得させ、米国に移住させてくれました。しかも終身刑を言い渡されている私の減刑のために奔走し、早期釈放を実現してくれたのです。だからミセス・サワダは私にとって、実の母以上の存在です」

 

 ジョンソンさんが澤田さんとの再会を喜び、息子の養育のことでお礼を申し上げているとき、ベンチの隣に座って黙って聞いていた、今はたくましい青年に成長したマイクさんは必至に涙をこらえていました。マイクさんは澤田さんが自分をアメリカに連れてきて、父親に引き合わせてくれた7歳のときのことをはっきり覚えています。養子縁組を成立させると、翌年、日本から送り出してくれたのでした。

 

 父が澤田さんに感謝の言葉を述べてしる間、マイクさんが膝の上で握りしめている拳(こぶし)がぶるぶる震えていて、噴き出そうとする感情を押さえているのが使わってきます。

 

マイクさんは自分と父親が再会できたのは澤田さんのお陰だったと再度感じ取ったのか、とうとうこらえきれなくなって、嗚咽しはじめました。

「ママ、ありがとう」

と言おうとしているのが伝わってきます。マイクさんにとって澤田さんは生みの母以上に育ての母です。積もる話が山のようにありました。澤田さんはマイクさんの手を握りしめて、彼の高ぶる気持ちをなだめていました。マイクさんがその手を強く握り返しています。

 

3人の再会のあと、マイクさんは澤田さんと手をつないで公園を散策しながら、その間起きた事柄をずっと話していました。その後、2人は長イスのブランコに乗り、ブランコを揺らしながら、さらに話し続けました。父親はベンチに座って黙って見守っていました。

 

 マイクさんは学校を出て社会人になると、非行少年たちの更生施設の教師になって充実した毎日を送っていました。でもいつか日本に帰りたいと念願しているようです。

 

◇私のアイデンティティは何か? と苦しむマイクさん

 テレビのインタビューに答えて、マイクさんは、「自分は何者なのか?」というアイデンティティの問題で苦しんでいると語りました。マイクさんが言外に言おうとしていることを補足して表現します。

 

「ぼくはアメリカ社会、というよりも黒人社会にどうしても溶け込めず、自分の中に母の日本人の血が流れていることを強く感じます。黒人たちはどんな環境でも屈託がなく、陽気だというのは素晴らしい資質ですが、一面では真剣さがなく、イージーな生活に流れやすい傾向もはらんでいると思うのです」

 

 マイクさんは父親といっしょに黒人社会で暮らしてみて、改めて日本人が大切にしている自己修養、厳格さ、目標、自律といった徳目の重要さに目覚めたのです。

「ぼくの部屋の壁には三島由紀夫が鉢巻を締め、相手を正視しているポスターを飾っています。凛としたサムライ精神を感じさせるからです。日の丸の旗も掲げて自分を鼓舞しています」

 望郷の念もだしがたしと言うのです。

 

「こちらで親族の墓参りに行きますが、どうしてもその墓が、自分が永眠する場所とは思えないのです。ぼくはいずれ日本に帰りたいと思っており、もし米国で死んだとしても、遺体は日本に送って埋葬してもらいたいと思っています」

 父親に感謝はしているものの、満足できないものもあるようです。

 

 ものごころついてからずっと、自分とは何者なのかと苦しんできたマイクさんは、日本にいたときは「ガイジン」とか「クロンボ」と言って仲間外れにされていました。ところがアメリカに来たら、今度は逆に「ジャップ」とさげすまれ、どこにいても中途半端で宙ぶらりんでした。だから自分のアイデンティティは何かと考えざるを得なかったのです。マイクさんはいま自分とは何かを確立する瀬戸際に立たされているようです。

大空に舞う鳥