月の光

沈黙の響き (その147)

「沈黙の響き(その147)

天地を飛び跳ねて遊んだ日々

神渡良平

 

◇ホタルが乱舞する夜ごとの楽しみ

 

 昨年の612日、産経新聞の「朝晴れエッセー」に静岡の安藤勝志さんの「光る虫の乱舞」が掲載されました。光る虫が乱舞する幻想的なシーンの記述は私の子どものころの遠い記憶を呼び覚まし、なつかしくてたまりませんでした。

 

「ある夏の夕暮れだった。私は捕虫網を持って小川のほとりに出かけた。その日はおもしろいほどにたくさんのホタルを捕まえることができた。私はそれを虫かごに入れ、家に持ち帰った。

 両親は水田の除草作業のため、夕闇が濃くなっても帰らない。私は4畳半の寝室に蚊帳(かや)を吊った。部屋は暗かったが、電灯は点けなかった。そして蚊帳の中にホタルを放った。仰向きに寝て仰ぐ私の目に、無数の光の点滅が見えた。それは私だけの小宇宙だった――」

 

 投稿者の安藤さんは80歳、私と5歳しか違いません。安藤さんは豊橋市の郊外の田園地帯で育ち、私は鹿児島の草深い田舎で育ちましたが、同じような情景を味わっていたようです。あのころは夕方になると、小川や池のほとりには光るホタルが乱舞し、私や1歳下の妹や5歳下の弟を幻想の世界に誘ってくれました。

 

♫ ほう ほう ホタル来い 

あっちの水は苦いぞ

こっちの水は甘いぞ

 

私は団扇(うちわ)を持ってホタルを追い、ホタルはそれをするりと抜けて乱舞します。まるで私とたわむれ、遊ばせてくれているようでした。 

 

追い疲れて息をハアハア弾ませていると、その向こうに星ぼしがきらめいていて、私をさらなる天空に遊泳させてくれました。大自然はそのまま私のゆりかごで、神さまがそれをゆすって子守唄を歌ってくださっていました。

 

 安藤さんはホタルを蚊帳の中に放って、自分一人の小宇宙を楽しんだそうですが、私も同じことをして遊んでいました。蚊帳にとまったホタルがポーッポーッと発するやさしい光はとても幻想的です。私も一緒になって光っているような気がして、蚊帳にとまっているホタルを見上げて楽しんでいました。

 

 ホタルの光はとても幻想的で温かく、飛び方もふわふわっとしていて曲線的で、とてもやわらかいです。だからすぐ仲良しになれました。手を差し出すとすぐとまってくれ、お尻をポーッポーッと光らせます。ホタルは光で答えてくれているようです。私は蚊帳の中でホタルと何時間も語り合って遊びました。蚊帳の中が私の小宇宙でした。

 

◇母と歌って歩いた畑中の小径(こみち)

 

 夏というと、もう一つ楽しい思い出がありました。お盆には母と妹と弟と3人手をつないで、畑中の小径を歌いながらおばあちゃんの家に帰るのです。母は若いころ小学校の先生だったのでとても歌がうまく、私は母の歌声を聞くのが好きでした。

 

 ♫ お手手つないで 野道を行けば

 みんなかわいい 小鳥になって 

唄を歌えば 靴が鳴る

晴れたみ空に
靴が鳴る

 

もちろん私たちも一緒になって歌いました。野面(のづら)を軟かい風が吹いてきて、私たちの汗ばんだ頬をなでてくれます。唄を歌うと靴が鳴り、晴れたみ空に靴が鳴ります。それが楽しくうれしくて、母と競うように歌いました。

 

 私は名だたるボーイソプラノ歌手、妹はかわいいソプラノ歌手(のつもり)! 広い畑をステージに見立てて、飛んだり跳ねたりして歌いました。濃い緑の畑の向こうにおばあちゃんの麦わら家が見えてくると、私たちは絶唱をやめて走り出しました。

 

「おお、みんな来たの! 元気だったかい」

 おばあちゃんがそう言って抱きしめてくれるので、われ先にと走るのです。あたたかいふるさとに帰る本家があるのが幸せでした。

 楽しかった! うれしかった! 毎日が笑いに満ちていた! それが人生の原風景でした。だから長じても、人生に肯定的に、積極的に挑戦し続けることができました。

 

 発達心理学では、子どもは問答無用で受け入れてもらえると、心の深いところで充足し、自分と周囲への信頼関係がいや増すと説いています。ホタルのやわらかな光に満足し、野中の小径を母と一緒に歌いながら、世界への信頼感を育てていただきました。私は改めて父母に大変な恩義をいただいていると感じずにはおれません。

 

 安藤さんのエッセーを読んで、子どものころを思い出し、自分の子どもや孫たちに豊かな自然環境を残してやるのは私の努めだと強く思いました。

月の光

蛍の光2

蛍の光3

写真=幻想的なホタルの乱舞