「ときめきの富士」を撮り続け、その神秘を表現しているロッキー田中さん

月刊 「百歳万歳」 5月号

 見たこともない富士!
「来るぞ! 突然、全ての雲に色が入った。光は下から放射状に伸びていく。これから主役が登場する予告のように雲が躍動を始めた。残照を受けながら急速に紅や紫の色が天空に満ちていく。その流れの瞬間に垣間見える富士を撮りまくった。山頂の雪も見える。私の体は紅に染まった」
 これは大雨の後、荘厳な金色に燃え上がった雲を背景に、シルエットとなっている富士山を撮った見事な作品「燃ゆる想い」に添えられたロッキー田中さんの文章だ。(『ときめきの富士』飛鳥新社)
 新幹線の窓からも見え、いろいろな雑誌のグラビアにも登場し、そこかしこに 氾濫している富士山の写真だが、彼が世に出す作品は一目でその違いが分かる。夜明け前の山の息づかい、光と陰が織りなす幻想の一瞬等、富士山の神秘的な姿を見事に捉えている。だから彼の写真に見入る人は口々に、「これまで見たことのない富士だ! 心がときめいた」と感嘆する。もしかしたらロッキーさんは富士山の女神とされている此花咲耶姫から愛されているのかも知れない。

 神秘の山、富士山
 ページをめくると、大地はまだまどろみの底にあり、ようやく東の地平線が白々と明けていくころ、眠りから覚めていく富士山のシルエットの写真がある。耳を澄ますと宇宙のかなたから光の音が聴こえてくるようだ。作品には「宇宙光韻」と名づけられていた。
(………ああ、確かにこんな時間があった。ぼくもかつては人知れず宇宙と交信していたなあ。それは朝まだき、夜が白々と明けはじめる前の曉暗のひと時だった)
 ロッキーさんの写真を鑑賞する者の魂は、さらなる天空の高みに飛翔していく。
 もう一枚紹介しよう。富士山の頂上遥かな天空に、鳳凰が大きく翼を広げて舞っている姿を捉えた作品「天空に舞う」。作品の大部分に天空に舞う雲が写し取られ、富士山は左下に小さく写っているに過ぎない。しかしこれほど富士山の神秘性を表現している写真はない。この作品は平成16年(2004)、第35回新院展で文部科学大臣賞を授与されている。

 現代の北斎を目指して
ロッキーさんの富士山の写真はなぜこれほどまでに人の心を打つのか。彼自身の言葉で語ってもらおう。
「日本人の心にあるのは、葛飾北斎の『富岳三十六景』であり、歌川広重の『東海道五十三次』に見られる富士山の錦絵です。そこでは前景に人々の生活が描かれ、遠景に富士山の点景が添えられ、結果として雄大な富士山を描き出すのに成功しています。北斎は錦絵で究極の36景を描きましたが、私は生涯かけて写真で99景の富士を世に出したいと思っています。優しさ、大きさ、励まし、勇気、志が日本文化のシンボルとなっている富士山、まさに『ときめきの富士』です」
 そうして一途に富士山だけを撮り続け、「ときめきの富士」を撮る写真家として知られるようになっていった。
 平成17年(2005)12月、日本政府は一千万人来日促進キャンペーン「YOKOSO JAPAN」を始めた。そのキャンペーン誌でロッキーさんの「ときめきの富士」を紹介し、14国か語に翻訳されて、在外公館に配布された。文字通り、「日本観光の顔」として活用されたのだ。
 また翌年11月号では健康雑誌「壮快」で「ツキを呼ぶ富士山の写真」として富士山が特集され、ロッキーさんの写真が使われた。この号は大変な評判を呼び、新たに特別号としてムックが出版された。ロッキーさんの写真を切り取って部屋に飾れるようにしたところ、「ツキを呼んだ」とか、「部屋の雰囲気が変わった」と好評を博したのだ。
 さらに平成20年(2008)7月、北海道・洞爺湖で第34回主要国首脳会議(G8洞爺湖サミット)が開かれた際、日本政府は日本紹介のパンフレットにロッキー田中さんの「ときめきの富士」を紹介し、日本の魅力を世界じゅうにアッピールした。
平成17年(2005)3月、富士山を世界遺産にする国民会議(会長・中曽根康弘元内閣総理大臣)が発足し、国際会議の場でロッキーさんの「ときめきの富士」が使われた。山岳美としてなら富士山のようなコニーデ型の火山は世界にたくさんあるので、世界遺産に登録されるだけの価値はないかもしれないが、日本文化のシンボルとなると話は違ってくる。そこでロッキーさんの写真がアピールした。さまざまな過程を経て今年1月、遂に文化庁は芸術の源泉として、更には信仰の対象として「ユネスコ世界文化遺産」の申請書を提出した。
 ユネスコの世界遺産委員会は今年夏から秋にかけて現地調査を終え、来年夏には決定する。今度は結果が期待されそうで、ロッキーさんの写真がものを言いそうである。

 富士が呼んでいる!
「やみくもに富士山の麓に行ったからといって、気に入った写真は撮れるものではありません」とロッキーさんは言う。
「明朝、あの場所でとインスピレーションが湧くときは、確実に富士が呼んでいるときです。呼ばれていくときは、ときめきの富士に逢えるときです。ワクワクしながら夜中に東京を発ち、夜明けの一時間前、イメージした地点にピンポイントで立ちます。しばらく待っていると闇の中に光が現われ始め、いのちが踊り出し、ものすごい朝焼けが出現します。私は宇宙大自然の息吹を受けてシャッターを押すだけです。
情景はその目を持つ者の前にのみ現われるんです。直感と行動が一致すれば、シーンの方からやってきます。心が純粋になれば、大自然のいのちと対話できるようになるものです。世の中には一芸を究めた人がいますね。その人々は勘所を知っています。私は一途に富士山を撮りづづけたことで、その勘所が少しわかってきたように思います。
なぜ99景なのかとよく訊かれます。自然の中の最高の存在の一つである富士山、私も宇宙自然の営みの一員です。完成したなんて言えません。あと1枚は永久に未完成です」
 私は過ぎゆく時間を忘れて、聴き入っていた。

空間には想念という波動が満ちている!
「私たちが生きているこの空間には空気だけが存在しているのではないと思いますよ」
 とロッキーさんは訴えかけた。
「この空間には人々の思いや波動が行きかい、充満しています。『最近あの人に会っていないなあ。どうしているかな』と思っていると、街で偶然出会ったり、電話が来たりしますよね。みなさんもそういう経験があるでしょう。
 このように頭の中で思い描いた想念は瞬間的に相手の許に飛んで行き、相手はその想念によって無意識に動かされます。
 これは人間だけに起こることではなく、物や現象についても起こることです。だから叶えたい夢や実現したい思いは思い続けることが大切です。言葉にして発すれば、もっと実現のスピードが早まります」
 ロッキー田中さんがこう語るのにはわけがある。ロッキーさんが富士ゼロックスの営業マンだったころ、目標は日本一の営業マンになることだった。夢を思い描き、体に染み込ませて動いていた。当然、夢を実現するために工夫する。「じゃあ、どう動けば、ものごとがうまくいくかな」とか、「どう話を持ちかければ商品を買ってくれるかな」と考え、工夫し、イメージを明確にして「出来た、実った、輝いた」と言葉で固め続けた。それを具体的な行動に移していくと、だんだん結果が出るようになり、ついに日本一の営業マンになることができた。

私にとっての魔法の言葉をプレゼント
 49歳で写真家に転身した後も、ロッキーさんの頭にあったのは、「この空間は想念で満ちているから、いい想念を持とう」という思いだった。もちろん独立した動機の中には、「有名になりたい」とか「もっとお金を稼ぎたい」というものもあったが、それは自分のひとりよがりに過ぎないものであって、みんなが共感し、共鳴するものではないと自覚していた。
 そこで自分の動機を浄化し、「私が撮った富士山の写真を見て、みんなもっと幸せになってほしい」と思い描くようにした。善い思いがこもっていないと、繁殖していかないと思うからだ。さらに思い描くだけでなく、収益金の一部をたとえば阪神淡路大震災の復興基金に送ったりしてきた。
「するとその思いは空気を伝わって届くのでしょうか。画家や写真家の大御所しか借りられないような有名なサロンから展示のお誘いを受けたり、私の作品を見て感動してファンになり、購入してくださったりするようになりました」
 ロッキーさんが撮った富士山のカレンダーはいま最も部数がさばけるカレンダーだという。最初1部買った人が、翌年は3部、5部と買われるという。「ときめきの富士カレンダー」を贈ることで、幸せを贈るのだという。人に幸せをさし上げれば、それが回り回って自分に還って来ることを知っておられるからだ。
 ロッキーさんは私たちが発する言葉ほど私たちの人生に影響を及ぼしているものはないという。
「人生は思いと言葉でできているから、私はいつも使っているいい言葉を作品の後ろに書いています。例えば『いのちさんありがとう』『心が世界を創る』『輝く心で』『さあ今から』『その先の世界へ』『花咲き、実る志』などです。ときめきの富士の写真家という天職ともいえる仕事ができるのもみなさんのお陰、富士山のお陰です。だから私にとっての魔法の言葉をあなたにも送ります。感謝無限大!」
 ロッキーさんはどこまでも感謝を口にする人だった。