愛媛県大洲市のパン屋まことやさんから届いたメール
ご連絡、ありがとうございました。神渡先生のお心遣いに心から御礼申しあげます。両親が守ってきた小さなパン屋まことやと「念ずれば花ひらく碑」の守役を受け継ぎ、ありがたいことに、ひとつ苦しみを越えるたびに、人生を支えていただけるご縁が生まれました。与えていただいた人生に感謝しております。
ところで父が重度の頸椎損傷で寝たきりになり、病院で伏していた時、坂村真民先生夫妻がお見舞いに来られ、「大宇宙大和楽」「活力」と書かれた2枚の色紙を父の枕元に置いて行かれました。そこには、神渡先生が紹介されていた天風先生の魂の言葉そのものが書かれていました。
私の父は現状や残された命、あるいは体の機能について、決して満足する人ではありません。仕事や病を含め、今よりも良くなるためにどうしたらよいか、そのために何が必要かと、いつも考え、努力していました。父は格言や四字熟語よりも、具体的な回復へ向かう教科書が必要だったのです。
そのために長男の私は、父が必要としている本を探し、あらゆる本を読みました。そして書店でたまたま手にとった本が神渡先生の本でした。先生の本を読んだとき、人間と宇宙の原理や摂理について書かれているこんな本があるのかと、槍で身体の髄を貫かれたような、あるいは鉄槌で脳天を打たれたような衝撃を受けました。これは決して誇大な表現で言っているわけではありません。
真民先生は詩人ですから多くを語られません。父は真民先生の詩から、高い極みに上っていける目標をいただいていました。しかしさらに具体的な方法論が欲しかったのだと思います。だから神渡先生の言葉が真民先生の詩に加わったとき、魂の目覚めがやってきたのだと思います。
父は真民先生にお見舞いしていただいた日から、不遇なわが身を恨みに思うのではなく、“大いなる存在“に感謝する気持ちに変わっていきました。その“志の教科書”になったのが、神渡先生の『中村天風の言葉』や『宇宙の響き 中村天風の世界』(共に致知出版社)でした。
わずかに動きだした指でページをめくり、毎日神渡先生の本を読みふけりました。第1章「思考が人生を創る」は圧巻でした。その中に書かれていた天風先生の言葉、
「『怒らず、恐れず、悲しまず』を実行に移さないと、自分を宇宙本体から遠ざけることになるよ。宇宙本体のなかに生きていながら、宇宙本体から受ける力を十分に働かさないとことになる」
は身に染みたようでした。また同じ章の、
「心をしっかり持って、宇宙の本質と自分との関係を確固不動のものにすると、宇宙エネルギーの受入量が多くなり、運勢が好転していくのだ」
という天風先生の指摘も納得することしきりでした。
父は天風さんの「力の誦句」をいつも愛誦していました。
「私は力だ。力の結晶だ。何ものにも打ち克つ力の結晶だ。だから何ものにも負けないのだ。病にも、運命にも、否、あらゆるすべてのものに打ち克つ力だ。
そうだ! 強い、強い、力の結晶だ」
まったくその通りです。要は自分の信念が道を開いていくんですから。
リハビリを続けて2年――歩行器にすがり、病院の廊下の端から端まで歩行ができるようになっていました。父の驚くべき回復を見て、お世話になっていた大洲市立病院の整形外科の先生が、
「ここまで回復するとは! 何がどうなっているのか、医学的にはまったく説明がつかない」
と驚かれ、他の患者さんに父のケースを話して励ましておられました。それを聞いて、父と母の顔は涙でくしゃくしゃになっていました。
私は父の励ましになるような本を探して、随分本を読みました。お陰で私もいつしか同じような宇宙観を持つようになり、大宇宙のお力にお任せすれば必ずいいようになると思えるようになり、いつのまにか腹がどっしりすわっていました。今は不思議と迷いません。
私たちはこれまでつらいことがたくさんあり、家内といっしょに涙が涸れるほど泣きました。いろいろありましたが、今から思うと私たちを育てていただいていたんだと思います。あのこともこのことも、私や家内にとって必要なことだったんだと、わが身に言い聞かせております。
私に宇宙信仰を授けてくれた親の足跡に感謝し、これからも神渡先生の本は大切に読ませていただきます。神渡先生ありがとうございました。
「まことや」二代目 次家誠一 拝
(平成30年3月25日)