沈黙の響き (その34)

 みなさんから「超凡破格の教師」だとか「百年に一人現れる教師」と呼ばれ慕われた徳永康起先生は、授業でしばしば坂村真民さんの詩を採り上げて鑑賞されました。そんなことから、徳永学級の子どもたちはよく真民さんに手紙を出し、生きる力を得ていました。

 これは徳永先生が八代市立氷川中学校で国語の担当をされていたとき、一女生徒が真民さんに手紙を出し、それに丁寧な返事をくださいました。その心の交流の記録です。

 

中学校の一女生徒からの手紙

 

「私は氷川中学二年生の西田園子です。徳永先生からいつも坂村先生の詩や、手紙などを見せてもらっています。坂村先生のことは国語の授業や、徳永先生が毎月出しておられる個人雑誌『氷川』でいろいろと知りました。徳永先生から一か月ほど前、坂村先生の『リンリン』という詩をもらいました。

詩を配られた翌日、徳永先生は私に『リンリン』は何を言おうとしていると思うか? と訊かれました。私は何と答えようかととまどい、返事できませんでした。でも、どういうふうに感じたかと訊かれたら、少しは自分の意見を言えたかも知れません。

坂村先生の詩はみんな私の心を動かし、私を苦しめます。私はこの詩から何かピンと張りつめたものを感じ、詩の中にとけこみ、リンリンを味わいたいのです。坂村先生の詩をくり返しくり返し読んで、その詩の中にとけこんで、自分をなぐさめています。そしてもっと強く、根強く生きなければと思っています。

 

それから私のことについて坂村先生に聞いてもらいたいことがあります。私は今、人生について真剣に考えています。私は今、幸福です。しかし何かが足りないように思います。そして急激に寂しさが私の心をかきたてて、どうしてよいのかわからなくなるのです。涙が出てしかたありません。

 

私は人生や人間性についていろいろと深く考えています。現在の自分に期待をかけ、常に希望を持ち、前進しなくてはならないのだと思います。それに決して人に頼らず、自分だけの歴史をつくりたいと思います。もちろん人の意見は尊重し、人と人との和は守るつもりです。しかし相手に頼るようではいけないと思います。人間は孤独です。ですから寂しさを感じ、友を持ちたいと誰もが望みます。でも結局自分は自分一人です。そういうことを考えると、根本は自分で自分をしっかりさせてゆかなくてはならないのです。

 

坂村先生の詩を読んでわからないところもあるんですが、でもやはりこの詩全体から、何かを分けてもらったように思います。坂村先生や徳永先生を私は心から尊敬し、私の身辺がみんなこういう先生だったらと思い、私も先生方のような立派な人間になりたいと思っています。私は地位とか名誉とかがある人にあえてなろうとは思いません。ただ自分は人間でよかった、人生を無事に、自分なりに送ることができたと、自分で自分をほめることができるのを夢みて、前進したいのです。どうか先生、私の気持をわかってください」

 

そう訴える西田園子さんへ、審問さんはこう返事しました。

「お手紙ありがとうございました。今の私を勇気づけ、今の私に生きる希望を与えてくれるのは、私の詩を読んで下さった人からの、心からなる声援と激励のことばです。

徳永先生がご自分の便箋の上段に記しておられる”生命の呼応”こそ、私が願っている根源的なものです。

現代西洋文明は日一日と、この呼応の心を破壊していますが、東洋独自の美しい心は対立でなく呼び合う調和なのです。あなたが未知の私にくださった心も、この呼応の心のあらわれなのです。

 

呼応は純粋さから生れてきます。しかしこの純粋さも、今の世にはむしろ珍しがられるほど、次第に消え去ってゆきつつあります。どう生きたらよいか。それはちょっと今すぐは決められません。なぜなら人間一生の問題だからです。

 

これは一人ひとりに与えられた一番大きな試験問題です。私たちは与えられた白い紙に何と解答すべきか、長い間かかって考えてゆかねばなりませんが、多くの人はそんな根本問題など忘れてしまって、いや進んで捨ててしまって、世俗的なことばかり求めて、二度とないこの尊い人生を終ってしまいがちです。

どうかあなたはあなたで考えてください。今は幼稚な結論でもいいのです。自分で考え、自分で出した結論なら、それはあなたにとって尊いものです。

 

私の『リンリン』の詩も、そうした問題究明の苦しさから、火花のように生れてきた叫びと思っていただいたらいいと考えます。徳永先生が『リンリン』の詩をとりあげてくださったのは、徳永先生は普通の教師とちがった道の実践者だからです。その点徳永先生に心からお礼を申上げます。徳永先生がおられなかったら、あなたたちと親しくなることもできなかったし、こうした呼応の喜びも生れてこなかった。私が良く言う輪廻(りんね)の不思議です。どうかこれからもあなたの純粋な心で、私を励ましてください。

 

打ち明けて言うと、あなたの手紙を読んで、私の方が受太刀となりました。元来私は手紙の下書などしたことはめったにありませんが、あなたへの手紙は一度ノートに書きしるしました。それほどあなたの手紙は人生の根本に触れ、人間の本質に迫っていました。あなたの見つめる眼の深さに本当に感嘆してしまいました。

 

別便で住井すゑさんのすぐれた作品(毎日出版文化賞受賞)『夜あけ朝あけ』を送ります。有名な本だから、あるいは読まれたかも知れませんが。これは著者から頂いた本です。”永遠に新しきもの 大地”とあるのは住井さんのサインです。この本にはタンポポのことが各所に出てきます。

タンポポは八代の路傍にも咲いているでしょう。その花をじっと見つめていると、人生の問題、人間の生き方の問題など、いろいろと教えてくれます。一木一草といえども私たちの教師です。読んでしまったらお友達にも貸してあげて、一人でも多くの人に読んでもらってください。

『人生は一度きりだが、物は必ず二度生かせ』

これは私のモットーです。いつか縁があったらお会いできるでしょう。”念ずれば花ひらく”です。しっかり勉強してください。三月六日 夜明け」

 中学二年生への手紙に、下書きをしたという真民さ。まさに“いのちの呼応”がなされました。詩「リンリン」をご存知でない方もあるかと思うので、ご参考までに書き添えておきます。

 

燐(りん)火(び)のように/リンリンと/燃えていなければならない

鈴虫のように/リンリンと/訴えていなければならない

禅僧のように/リンリンと/鍛えていなければならない

梅花のように/リンリンと/冴えていなければならない

写真=ありし日の坂村真民さん