「沈黙の響き(その81)」
素晴らしかった劉薇さんの「来日35周年ヴァイオリンリサイタル」
「今日の劉薇(リュウ・ウェイ)さんはとても美しかった!」
と書き出している澁谷美知子さんのFacebookへの投稿が私の目を惹きました。女性ならではの感性が劉さんのドレスアップを鮮やかに描写していました。
「第1部は燃えるような深紅のしなやかなドレス。第2部は淡い金茶に赤い花と雲をあしらったチャイニーズドレスにコバルトブルーのパンツがとても似合っていました」
その日の舞台衣装はとてもあでやかでしたが、ヴァイオリストとして世に認められるまでは、一般の人には考えられないような苦難の道がありました。
≪文化大革命のさなか、隠れてヴァイオリンを練習≫
「劉さんは自分のことを“鉄の女”と称しておられますが、私も“筋金入りの不屈の魂の持ち主”だと感じており、とても尊敬しています。劉さんは中国奥地の敦煌(とんこう)近くの蘭州で生まれ育ちました。狂気が荒れ狂った中国の文化大革命のさなか、西洋音楽であるヴァイオリンはブルジョワ音楽として迫害されましたが、劉さんは隠れて練習を続けました。
父は医師だったので、壁新聞でブルジョワ的だとして糾弾され、批判を受けました。ヴァイオリンが見つかれば敵性楽器として壊され、譜面も焼かれます。楽譜が手に入らないので、父は音楽をこっそり聴いて記譜して薇さんに与え、練習を支えました。
ヴァイオリンを練習していることが発覚すれば紅衛兵に吊し上げられ、農村送りになるのは必定です。そんな状況のなかで隠れて密かに練習が続けましたが、練習自体が命掛けだったのです」
劉さんが紅衛兵の目をかいくぐっておこなった練習は、澁谷さんの学生時代の思い出を想起させました。
「私が大学生のころ、大学は学生運動で荒れに荒れていました。私は政治闘争に関心を示す人はまずいない女子大で学んでおり、学内では社会の騒乱はまったくわかりませんでした。
しかしテレビニュースでは学生たちの投石や乱闘事件が毎日のように報道され、私も帰宅途中、新宿騒乱事件に遭遇し、電車が2時間も止まったことがありました。
私たちの日常すら異常事態でしたが、テレビニュースで毎日報じられる中国の文化大革命の様子はもっと恐ろしいものでした。私は震えあがってしまい、日本に生まれた幸せに、毎日胸を撫で下ろしたことでした。
友人の紹介で初めて劉さんのコンサートに行ったとき、劉さん父子は文化大革命中でもヴァイオリンの練習を続けたとお聞きし、何と勇気ある父子だろうと心から尊敬しました。
≪作曲家の馬先生も迫害される≫
劉さんは中国の西安音楽学院を卒業後日本に渡り、桐明学園を経て、東京芸術大学大学院で音楽博士号を取得しました。自分の音楽を伸ばすこともさることながら、文化大革命で中国を追われた大作曲家である馬思聰(マー・スツォン)先生の曲を世に広めたいという大きな志を抱いています。
共産党政権に必ずしも同調しなかった馬先生は迫害の末に出国し、アメリカに亡命しました。ところが追い打ちをかけるように売国奴として断罪され、フィラデルフィアで客死しました。当時は馬先生の名前は口にすることも許されなかっただけに、劉さんの馬先生に寄せる思いは並々ならぬものがあります。
≪腎不全を克服≫
その後、劉さんは腎不全を患い、人工透析を宣告され、悩みに悩んでどうしても受ける気にならなかったので、独自の食事療法や薬膳法、漢方薬で治そうと努めました。劉さんの闘病生活を支えたものに、こんな閃きもあったと澁谷さんは語ります。
「劉さんがさまざま困難な出来事に真正面から向かう立ち向かう精神力の強さは、お子さんを産むとき努力したこんな感動的なストーリーに現れています。
劉さんは妊娠後期、中毒症にかかって高血圧に苦しんだそうです。血圧を下げるため、大きいお腹を抱え、弁当と毛布を持って、遠い毎日公園まで1万5千歩あるいていき、日向ぼっこをして過ごしました。こうしてお日さまに当たっているうちになんと血圧がどんどん下がってきて奇跡的に助かりました。
そんな劉さんを見ていると、“天は自ら助くるものを助く”という言葉を思いだします。そこまで努力すると、最後は神風が吹き、天が救うのですね。
また2年前、ご主人から腎臓移植を受けました。現在では文字通り、一心同体の2人3脚で、完全に健康を回復されました。腎不全から19年、人工透析を拒(こば)んで独自の薬膳法や漢方薬で治療を始めてから10年が経ちました。医師たちはそんなに持たすことができた人はいないと驚いているそうですが、今では薬膳料理の本を出すまでになりました。こういうふうに立ちはだかる難関と闘い、異文化をも乗り越え、さらには難病を乗り越えて、独自の音楽世界をつくり上げました。
≪闘病生活が劉さんの音色を変えました!≫
澁谷さんは劉さんの演奏をとても称えます。
「劉さんの生き方は当然彼女の演奏にも反映し、迫力、たくましさ、不屈の精神に溢れています。劉さんのヴァイオリンの音色はしなやかで、どこまでも伸びやかで明るく、しかも清らかなのです。本当に違う次元に尽きぬけたような感じがします。
劉さんは6月の演奏会のとき、これからもっともっと進化していきますと語っておられましたが、その予告通り、さらに進化し、脱皮しておられました。
――それが今日の音楽だったのか!
劉さんの人生は重く、困難の連続でしたが、重荷を受けて立ち、その先に光があることを信じて1歩1歩前に向かって進み、とうとう結果を出しました。劉さんの人生に乾杯せずにはいられません」
リサイタルの会場だった六本木のサントリーホールはコロナ禍のため、演奏終了後の演奏者の挨拶やブラボー、アンコールは禁止され、写真撮影は着席したまま、5分だけ許されました。劉さんは撮影のため、ヴァイオリンを持ってポーズを取っていましたが、アンコールとしてハンガリー音楽であるチャルダッシュの演奏を始めました。
その演奏の素晴らしく、澁谷さんの隣に座っているご主人は禁止されているブラボー を声高らかに叫んだほどでした。
写真=幾多の困難を乗り越えて輝いている劉薇さん