戦場のピアニスト

沈黙の響き (その96)

「沈黙の響き(96)」

ウクライナ危機と「戦場のピアニスト」

神渡良平

 

 

 この現代に、軍事大国ロシアが意に従わない弱小国ウクライナに有無を言わせず攻め込み、国土を蹂躙するというという信じられない蛮行が行われています。テレビでもSNSでも連日悲惨な状況が報道されており、怒りを覚えています。

プーチン大統領は核戦争も辞さないと脅しをし、「反抗できるものならやってみろ!」と言わんばかりです。私はロシアの強権的主張が世界の現行慣習を蹂躙するのを見て、

「これが、力が支配している国際政治の現実なのか!」

 と唖然とし、改めて毅然たる態度を貫かなければならないと覚悟を決めました。

 

 そんな中、2002年のカンヌ映画祭でパルムドール賞(最優秀作品賞)を受賞し、一躍世界の注目を浴びた『戦場のピアニスト』(ロマン・ポランスキー監督)を観ました。この映画は実在したユダヤ系ポーランド人の著名ピアニスト、ウワディスワフ・シュピルマンの体験記を映像化したものです。『戦場のピアニスト』はアメリカのアカデミー賞では7部門にノミネートされ、うち監督賞、脚色賞、主演男優賞の3部門で受賞しました。

 

 この映画を観て、ロシアに蹂躙されて廃墟と化したウクライナが、77年前、ナチス・ドイツに侵略されたポーランドとまるで同じだったと知りました。

 

映画はポーランドのワルシャワで生れ育ったユダヤ人のピアニスト、ウワディスワフ・シュピルマンが首都ワルシャワにあるラジオ局のスタジオで、ショパンのノクターン第20番 嬰ハ短調(遺作)を弾いているところから始まります。楽想指示に「レント・コン・グラン・エクプレシオーネ」(遅く、とても情感豊かに)と書かれているように、静謐(せいひつ)な主旋律を抒情的な雰囲気をかもし出すアルペジオ(分散和音)が飾って、静かな夜のもの思いにいざなっていきます。

 

ところが突然ラジオ局がドイツ空軍によって爆撃され、録音が中断されました。19399月、ナチス・ドイツがポーランドに侵攻し、第2次世界大戦が勃発したのです。ワルシャワはドイツ軍に占領され、ユダヤ人はダビデの星が印刷された腕章をつけることが義務付けられ、喫茶店や公園への立ち入りも制限され、ナチス親衛隊の暴力にさらされました。

 

1940年後半には、ナチス・ドイツはユダヤ人問題の「最終的解決」のためと称して、ヨーロッパ各地から列車でポーランドにあるアウシュビッツやトレブリンカ、マイダネクの絶滅収容所に運び、ガス室で殺戮し始めたのです。シュピルマンも絶滅収容所行きの家畜用列車に乗せられるところでしたが、友人の機転で救われました。

 

家族から引き離され、一人とり残されたシュピルマンは、労働力として残された成人男性たちに混じり、強制労働を課せられました。慣れない肉体労働耐え切れず倒れましたが、仲間の配慮で倉庫番や食料調達の仕事に回され、またしても過労死をまぬがれました。シュピルマンは監視の目の盲点を突いて、ドイツ当局が利用する病院や警察署の向かいにある隠れ家にひそみました。

 

ある日、廃墟の中に立つ一軒家で食べ物をあさっていると、ドイツ軍将校と鉢合わせしてしまいました。将校は彼の素性を尋問し、彼がユダヤ人でピアニストであることがわかりました。

 

そこで1階の居間に残されていたピアノを弾いてみるよう強要しました。シュピルマンは躊躇しながらピアノの前に座り、ショパンのバラード第1番ト短調を弾き始めました。瞑想するような静かな旋律が流れ出しました。演奏が終われば、射殺されることは明白です。シュピルマンは演奏するに連れて我れを忘れ、夢中になって鍵盤を叩きました。ピアノ曲は窓から廃墟と化した街に流れていきました。

 

その演奏に心を動かされたドイツ人将校は、非凡な才能を持ったピアニストを助けたいと思いました。ショパンの名曲がシュピルマンの命を救ったのです。将校が部屋を去ったあと、シュピルマンはピアノに倒れ伏して泣き崩れました。

 

件のドイツ人将校は周囲の目を盗んで屋根裏部屋に食料を差し入れたとき、そっと耳打ちしました。「ソ連軍の砲撃が迫っている。ドイツ軍が撤退し始めた。あと10日もすればワルシャワは解放されるはずだ」。

 

しばらくすると1台のトラックが拡声器でポーランド国歌を放送し、ついにポーランドは解放されました。6年間に及んだ逃亡生活がようやく終わったのです。ワルシャワ・ゲットーに押し込められたユダヤ人は36万人でしたが、解放されたときはわずかに20人たらずになっていました。

 

 戦後、シュピルマンはピアニストとして活動を再開し、国際的バイオリン奏者ブロニスワフ・ギンペルとのヂュオで、世界各地で2500回を超えるコンサートを開催しました。数多く作曲も手がけ、彼が書いた多くの歌は人気スタンダード・ナンバーになりました。1964年にはポーランド作曲家アカデミーの会員に選出され、名声の内に20007月、88歳で亡くなりました。

 

 ロシアのウクライナ侵攻は私たちを暗澹(あんたん)たる気持ちにします。しかし、『戦場のピアニスト』の随所に流れるショパンの静謐なノクターン第20番嬰ハ短調や、ベートーヴェンのピアノソナタ第14番嬰ハ短調「月光」などは私たちの心を深いところで癒してくれました。ポランスキー監督はおぞましい現実の中になお“救い”があることを示し、高らかな人間讃歌を歌いあげました。

戦場のピアニスト

ウクライナの惨劇

写真=『戦場のピアニスト』の主人公シュピルマン。ウクライナの惨劇。