月刊 「関西師友」 5月号

「良知経営」を掲げる - 濵田総一郎パスポート社長②

月刊 「関西師友」 5月号

破竹の勢いの酒ディスカウント店
折から焼酎ブームという追い風もあって、家業の浜田酒造の経営は再び軌道に乗った。そこで濵田総一郎さんは平成3年(1991)12月に独立し、かねて目論んでいたウイスキーやブランディなどの海外ブランド品を、免税店よりさらに安く販売する酒のディスカウント店「パスポート」を川崎市にオープンした。
当時、男性の海外旅行者の土産は決まってジョニー・ウォーカーやレミーマルタン、シーバス・リーガルなどだったので、この企画は大当たりし、パスポートは破竹の勢いで伸び、店舗数は8店舗に増えた。濵田さんは快進撃に気を良くし、株式上場を考えるようになった。
ところが平成5年(1993)9月、酒類販売免許制度緩和の第2次通達が出され、酒がスーパーマーケットやコンビニ、ホームセンター、ドラッグストアなどどこでも販売できるようになると、状況は一変した。先行して上場していた酒DS(ディスカウンド・ストア)の業界最大手組も経営に行き詰まって淘汰再編され、大手流通業者の傘下に入るなどして、独立経営の会社は一社もなくなった。

倒産の危機の中での模索
酒小売りの市場規模はこの20年間で6兆5千億円から4兆円を割り込むまでになり、酒販業は長期的構造不況業種となっていた。濵田さんは上場シナリオを撤回せざるを得なくなったどころか、自社の売り上げも年々下がり、このままでは倒産という危機に瀕した。濵田さんはうめいた。
「私がこれまで経営していた酒DSは、酒類販売免許制度という規制の上に咲いたうたかたのあだ花でしかなかったのだ。それを錯覚して、私は先見の明があるとか、経営能力があるとか、うぬぼれていた。
 ああ、私はどういう会社を作ろうとしているのか。どういうふうに生まれ変わったら、パスポートはお客様にとって無くてはならないお店になるのだろうか………。
 社員にも、パスポートに勤めたので人間としても成長でき、社会にも貢献でき、幸せな人生を送ることができた、わが人生は有意義で、誇り高かった! と言ってもらえるような会社にしたい」
 と、根本的問い直しを始めると、かつて平泉澄先生が歴史について語っておられたことが思い出された。平泉先生は、
「歴史は単なる時間的経過をいうのではない。歴史は真の意味において、志があって初めて存在し、志を立てたとき、その人、その会社の真の歴史がスタートするのだ」
 と言われる。経営理念はパスポートにもあることはある。でもそれはただの飾り物でしかなく、空念仏に過ぎなかったのでは………。今こそパスポートの存在理由を明らかにして、永続的発展の基礎を作らなければいけない………。
 濵田さんの自問自答が続き、会社経営に向かう志が徐々に固まっていくにつれて、お客様が今求めている店がおぼろげに見えてきた。
「生鮮食料品と酒DSと業務スーパーを合体したような新業態! これが回答だ」
そこで濵田さんはパスポートを「生鮮&酒&業務スーパー」という新業態に脱皮させ、新生パスポートとしてスタートさせた。酒類販売免許制度が完全緩和された平成15年(2003)9月にギリギリ間に合った。
この新業態は顧客に支持されて繁盛し、神奈川県の経営革新モデルにも承認され、200億円を売り上げるまでになった。

チャイナショック、そしてリーマンショック
ところがそこに予期しない出来事が起きた。平成19年(2007)6月、中国製肉まん事件が起こり、翌平成20年(2008)年1月には中国製メタミドホス餃子事件が起きて、中国製食品を多く扱っていた業務スーパーの客離れが起きたのだ。このチャイナショックをもろに受け、業界大手3社が立て続けに、民事再生法を申請したり、身売りする事態となった。
さらにこの直後の9月にはリーマンショックが起き、金融機関が貸し渋りに走ったので、濵田さんも資金が回らず苦慮した。低収益のまま業容を拡大しただけでなく、倒産した酒DS企業を頼まれるまま引き受けたので財務体質が悪化していたのだ。
にもかかわらず濵田さんは自分に都合のいい言い訳をしていた。パスポートは雇用拡大によって社会貢献しているではないか、この業界は低粗利益体質なので、経常利益率が低くても仕方がないのだ、リースや割賦が終了し、償却が低減する5年後からは一気に利益が出始めるから、それまでの間は低利益でもやむを得ない、などと。
濵田さんは当時を振り返って言う。
「古来から窮すれば通ずるといいますが、逆に窮しなければ通じない、自分の甘さかげんを痛感しました。そして改めて、松下幸之助氏や稲盛和夫京セラ名誉会長がダム式経営の重要さを説いておられることの意味がわかりました。それなしには永続的に発展できる事業は築けないのだと心に刻みました」
ダム式経営とは松下氏が言い出した経営で、経営をダムになぞらえている。ダムが無かったころは、雨がたくさん降ると川が氾濫して困った。一方、雨が降らないと農地が干上がって途方に暮れた。ところがダムを造ることによって、雨がたくさん降っても溜めておき、雨が降らなくても、溜めておいた水を放流することによって、農業用水を確保できるようになった。つまり農業がかなりの部分で天候に左右されなくなった。
「経営のコツはこれだ」と思った松下氏は、以後豊富な資金を持つ経営を心掛けるようになったという。
 稲盛名誉会長はかつて松下電器産業(現パナソニック)と取り引きして「ダム式経営」が何たるかを学び、超優良な財務体質を作り上げるに至った。
 濵田さんは稲盛名誉会長が主宰する若手経営者の集まり・盛和塾には平成6年(1994)1月に入塾していたが、それほど熱心ではなかった。しかし自分の会社の経営危機に直面してみて、稲盛塾長がかねがね説いておられことをもう一度ひも解いてみた。すると塾長例会で、京セラがダム式経営を目指すきっかけになった出来事をこう語っておられたことに気づいた。

すべては念願することから始まる
「あるとき、松下幸之助さんの講演を聴きに行きました。ダムは水をいっぱい溜めて必要に応じて放出するが、企業も資金を蓄えていざというときのために備えておかなければいけないと、いわゆるダム式経営の必要性を説かれました。
すると誰かが手を挙げて質問しました。
『それはわかりますが、ではダムのようにどのようにして潤沢に資金を貯めたらいいのか、教えていただけませんか』
幸之助さんはしばらく考えておられ、やおらこう言われました。
『そやなあ………まず、思わないけませんなあ』
会場に失笑が起こりました。それでは答えになっていないと言っているかのようでした。ところが私は電気が走ったようにショックを受けたのです。
『そうか! まず心に強く思い描けば、ダム式経営は実現できるのだな』
それから私はダム式経営の実現に向けて、誰にも負けないほどの努力をしていきました。そしてついに経常利益37パーセントに達するまでになりました」
普通は経常利益を10パーセント出すと優良企業とみなされるが、稲盛塾長は37パーセントを達成していたというから驚きだ。
「念願しなければ、何事も始まらない!」
 濵田さんは改めて原点を教えられた思いがし、財務改善の努力が始まった。

 経営者を取るか、修行僧を取るか
「私は金儲けだけの経営は体質的に合いませんし、興味がありませんでした。だからずっと私は経営者に一番不向きな人間だと思っていました」
 と修行僧のような濵田さんは言う。短い頭髪の丸顔に、鋭い眼光が光っている。
濵田さんの本棚には道元の『正法眼蔵』(大蔵出版)や山本玄峰老師の『無門関提唱』(大法輪閣)などが並んでおり、そのどれにも傍線が引かれ、書き込まれている。単なる教養書として読んだのではなく、読みながら思索した証拠だ。
「会社は誰かに譲ってしまい、禅寺か象牙の塔(大学)に籠ってしまいたいと思ったことも一度ならずありました。しかし稲盛塾長に出会って、経営は金儲けだけを目的とするものではなく、高邁な企業を創出するための修行なのだということがわかりました。
高邁な企業を維持するためにはそれを支える高い哲学、思想が必要であり、そういう経営を目指すならば、会社経営は男が一生を懸けるに値するだけの尊いものだと思えるようになりました。経営はそのまま心磨きであるような経営があると確信したのです。以来、経営に打ち込めるようになりました」
稲盛塾長は『生き方』(サンマーク出版)にこう書いていた。
「『この世へ何をしにきたのか』と問われたら、私は迷いもてらいもなく、生まれたときより少しでもましな人間になる、すなわちわずかなりとも美しく崇高な魂をもって死んでいくためだと答えます。
 俗世間に生き、さまざまな苦楽を味わい、幸不幸の波に洗われながらも、やがて息絶えるその日まで、倦まず弛まず一生懸命生きていく。そのプロセスそのものを磨き砂として、おのれの人間性を高め、精神を修養し、この世にやってきたときよりも高い次元の魂を持ってこの世を去っていく。私はこのことより他に、人間が生きる目的はないと思うのです」
 読みながら濵田さんは自問した。
………とすると、今生の人生で縁を得た者たちが会社を作り、切磋琢磨しあう。私には最善の職場を準備する役割があるのではないか。
濵田さんはそういう職場づくりに使命感すら覚えるようになった。

王陽明がいう良知とは何か
あるべきパスポートの姿を模索しているうち、濵田さんは安岡先生が『王陽明』(黙出版)で、陽明学の核心である「良知」について解説されているページにくぎ付けになった。
「『良知』という言葉は人間の優れた知能知覚のことと考えられやすいのですが、そうではなく、『良』はアプリオリ、つまり先天的に備わっているという意味であります。先天的に備わっておるところの実に意義深い知能、それを『良知良能』という。
 良という字に騙されてはいけない。騙すといったらおかしいが、拘ってはいけない。『良知』というものは天然自然に備わっている働きという意味で、それ故に根源的・本能的・究竟的であります」
 良知は天然自然に誰にでも備わっている働きだというのだ。安岡先生はさらにこうも述べていた。
「われわれの意識の深層は無限の過去に連なり、未来に通ずるものである。それは祖宗以来の経験・記憶・思考・知恵・創造の不思議な倉庫・宝蔵・無尽蔵であり、肉体の感覚器官に制約されず、原体験の送信に応じて、神秘的な解答や指令を発信するものであることが、今日の科学によってもすでに相当に解明されている。陽明先生はその真剣な思索と体験を究めることによって、『良知』をこの意味において徹悟したのであります」
 濵田さんはかねてから王陽明の一途さに惹かれていた。たとえばその思想を表す言葉に「一?一掌血」「一棒一条痕」がある。一度?んだら、手形の血の跡がつくくらいにしっかりつかめ、木刀をビシッと打ち込んだら、その痕が後々まで消えないほどに打ちこめという。稲盛塾長の「ど真剣に生きる」に通じる生き方である。
 誰しもに内在しているという叡智を顕現させられるような会社! 濵田さんの中で何かが閃いた。
 濵田さんはパスポートの経営理念を迷わず「良知経営の実現」と名づけることにした。心を澄ませることによって、仕事が真の意味で人々への奉仕となり、それぞれの良さが発現できるような会社を作り上げようというのだ。
平成22年(2010)4月、パスポートの経営理念を打ち出すと、濵田さんはようやくスタート台に立ったような気がした。そして社内では機会あるごとに王陽明の言わんとした「良知」を学ぶ勉強会を持ち、パスポートが目指すものを明らかにしていった。
(続)