廣済堂出版からのメール

今日、『アメイジング・グレイス――魂の夜明け』を出版してくださった廣済堂出版からメールが届きました。刑務所に服役されている方が、『アメイジング・グレイス――魂の夜明け』を読まれたそうで、身につまされたうです。それで面会に来られた方を通して出版社に伝言を託されました。「いい本を出版してくださり、ありがとうございました。心から感謝します」
自暴自棄にならず、落ち込むことなく、がんばってほしいですね。

廣済堂出版からのメール」への8件のフィードバック

  1. 今こそ 意識革命 による本来の日本と日本人としての《 精神文化 》の高揚に努めなくては成りません!!!

     神渡良平様の普段からの大きな功績に、心からの感謝と御礼を申し上げさせて頂きます。本当に有難うございます。

     益々のご活躍と共に御健勝とご多幸を心から御祈念申し上げます。今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。本当に
    有難うございます。

    1. 河原さん、激励をありがとうございます。これからも思索を深め、心願としている「天と地を結ぶ作家」たらんとしてがんばります。これからもよろしくお導きください。神渡良平

  2. 久しぶりにメールします。講演された内容を、インターネットで読みました。
    特に、『下座に生きる』の紹介で、柔道の山下選手のことが書かれていて、山下選手のお子さんが障害を持っておられ、家の外では、世界一の柔道家と称えられていても、家に帰ると奥さんが、障害を持っているお子さんとどのようにコミュニケーションをとっていいのかわからず泣いていた、家庭崩壊寸前だった。というところで涙が出ました。真民さんの「尊いのは足の裏である」というような人にならなければと山下選手が反省するところが心に残りました。久留米素行会・福田洋一。7月27日。

  3. 久しぶりにメールします。講演された内容を、インターネットで読みました。
    特に、『下座に生きる』の紹介で、柔道の山下選手のことが書かれていて、山下選手のお子さんが障害を持っておられ、家の外では、世界一の柔道家と称えられていても、家に帰ると奥さんが、障害を持っているお子さんとどのようにコミュニケーションをとっていいのかわからず泣いていた、家庭崩壊寸前だった。というところで涙が出ました。真民さんの「尊いのは足の裏である」というような人にならなければと山下選手が反省するところが心に残りました。久留米素行会・福田洋一。7月27日。

    1. 福田先生、「沈黙の響き」の感想を聞かせていただき、ありがとうございました。先生も教職におられたから、多感な子どもたちを扱うことがいかに難しいか、ご存知だと思います。徳田先生の実践は教師道の鏡ですね。森信三先生が驚嘆され、「超凡破格の教師」と最大級の評価をされたのがよくわかります。これからの展開を楽しみにしてください。神渡良平

  4. 初めまして。猶野と申します。
    講演予定に明日嵐山で講演とあったので楽しみにしており、詳細を確認しようと会館に問い合わせたらその予定は入っていないとのことでした。中止になったのでしょうか?

    1. 武蔵嵐山志帥塾が中止になったのは、返すがえすも残念です。去年も中止、今年も中止ですから、来年こそはと思っています。その代わり、当日は主催者の素行会の仲間たちの間で、Zoomで交流会をやりました。でも、やっぱりリアルがいいですね。どうぞ来年を期待していてください。神渡良平

  5.  神渡先生、久しぶりにメールをお送りします。沈黙の響きNo136~No142を読ませていただきました。三浦綾子先生の『道ありき』についての解説だったので驚きました。『道ありき』は私が20歳ごろに何度も読んだ作品で、大きな影響を受けた本です。三浦先生の作品との最初の出会いは、西南大学のランキンチャペルで上映された『塩狩峠』を観た時でした。列車の連結器が外れ、脱線転覆しようとするのを防ぐために、わが身を車輪の下に敷いて事故を防いだ、長野政雄さんという実在の人物のお話でした。その感動が同じ三浦先生の『道ありき』へと導いてくれ、この作品が、当時神経症(ノイローゼ)で苦しんでいた私を、慰め励まし、神への信仰へと導いてくれました。前川正さんが石を拾って自分の足に打ち付け、「自分には綾子さんを救う力がない」と責める場面や、西村久蔵先生が綾子さんを温かく見舞う場面が心に残っています。またその後、夫君の三浦光世先生が、福岡女学院開校100周年記念で公演されたときは、花束をもって楽屋にお邪魔したこともありました。そして、10年ほど前に旭川に用事があっていったときは、御自宅の前まで行き、「ここが、御自宅か」としばし感慨にふけっていましたが、通りがかりの見知らぬ御婦人が、「偉大な方でしたね・・・。」と言われていたのが印象的でした。これからも、先生の記事は読ませていただきます。ご活躍をお祈りします。久留米素行会、福田洋一。令和5年3月1日。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

CAPTCHA


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください