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立花先生

沈黙の響き (その128)

「沈黙の響き(その128)」

魂を磨かずして歴史の開拓者になることはできない!

神渡良平

 

 私は毎週グループLINEに「沈黙の響き」をアップしており、もう2年が経ちました。その間、投稿してくださる方々やお電話に励まされ、続けることができました。投稿されたメッセージを読んだり、電話の声をお聞きして、「ああ、この連載はこれらの方々との共同で執筆できているんだな」と思っています。

 

 先日、かねがね尊敬している立花之則(ゆきのり)先生からお電話を頂戴し、「沈黙の響き」(その127)に書いた沖永良部島(おきのえらぶじま)に島流しされ、幽閉されていた西郷隆盛の話を読んだ感想をうかがいました。幽閉されていた西郷さんが置かれた状況は、脳出血で倒れて右半身が麻痺し、しかも言語中枢がやられて、アーアー・ウーウーとしか言えない状態に陥った立花先生自身の状況に極めて似通っているというのです。

 

立花先生の声は話ができない苦境があったとは思えないほど明瞭でした。

「私は4年前、脳出血で倒れました。運悪く発見が遅れたため致命傷となり、3か月ほど絶望状態が続きました。4か月経ってやっと蘇生し、リハビリが始まりましたが、やれどもやれども麻痺した手足は一向に回復の兆しは見えませんでした。

 

でもこのままでは終われないと、歯を食いしばってリハビリに努めました。通常の言語リハビリだけでは効果があがらないので、カラオケで歌を歌うことを始め、来る日も来る日も大声で好きな歌を歌い続けました。これが功を奏してろれつが回るようになり、とうとう退院に漕ぎつけました。その成果が医師や他の患者をビックリさせ、症例として学会でも発表されました。

 

私自身、そういう辛い経験をしたので、西郷さんは幽閉されたからこそ、内なる声に耳を澄まし、天に導かれて大きく脱皮して新境地をつかんだということがよくわかります。西郷さんがもしあのまま権謀術数の多い諸藩との折衝に明け暮れていたら、裏表のある政治的人間にはなったとしても、真に人々を糾合させる明治維新という青写真は描けなかったはずです」

なるほど、立花先生の指摘は事の本質を衝いていました。

 

◇日本の復興を目指して、まだま村を立ち上げる

 立花先生は北大阪の茨木市の郊外の山里で、葦葺(あしぶ)き屋根の縄文竪穴式の家「まだま村」を営み、そこで研修会を催して多くの人を啓発してこられました。まだま村は交通の不便な山里にありますが、ここは師と仰ぐ松井浄蓮(まつい・じょうれん)に啓発されて開村したところです。

 

松井先生とは終戦後、滋賀の比叡山麓に田畑を開墾され、終生一百姓として自給自足を貫き、生命を大切にする生き方と農の営みを実践された人です。下坐行の実践者である一燈園の西田天香さんとも親交があり、90歳を過ぎてもなお矍鑠(かくしゃく)として農業に精出しておられ、多く人々が集って学んでいました。その一人が青年のころの立花先生でした。

「まだま村開村の立役者はなんといっても松井先生です。陶芸家の河井寛次郎先生は松井先生を“大地を造形する人”として尊敬されていました」

 

ひょっとすると松井先生が率先して立花先生たちと切り拓かれたという竹林は、現在まだま村が建っている場所ですかと問うと、その通りですとの返事。

「今では想像もつきませんが、元々は昼でもなお暗い鬱蒼と茂った竹林でした。長年放置してあったので、数千本の竹が手の付けられないほどビッシリと生えていたのです。

 

日本人の心を喚起するような縄文竪穴式の葦葺きの家を建てたいという私の、まだ海のものとも山のものとも解らない雲をつかむような話を聞いて、松井先生は今すぐやろうと行動を起こし、先頭に立って竹切りをされました。10人ばかりの友人知人とともに数千本の竹を切って整地しました。こうして竹林がパーっと明るくなり、まだま村の計画は一気に加速して具体化していきました」

 

まだま村とは不思議な名称ですねと問うと、その由来を説明されました。

「バブルが頂点に達した平成元年(1989)ごろのことです。松井先生や坂村真民先生など、私の3人の師が異口同音にこのままだと、モノだけ栄えて、心が滅びる時代がきっと来ると嘆いておられました。私はそれに触発され、“美しい日本の心”を失ってはならないという意気込みで、全財産を投じて山の中に縄文竪穴式のまだま精舎(しょうじゃ)を建てました。心を取り戻す勉強会の根拠地にしようと思ったのです。

開村に当たって、救世教の紛争を調停された松本明重(あけしげ)先生が、

 

濁りたる世人浄めて花咲かす真魂(まだま)の人は敷島の花

 

という激励の歌をくださいました。自分のことを“真魂”と言うのはおこがましかったので、真を磨に変え、“磨魂(まだま)”魂を磨く、つまり汚れた魂を磨いて、真魂に近づく場所にしようと、人生の宿願としました」

 

 葦葺きのまだま精舎は長年茶房としてもみなさんに親しまれました。ハイキングに来た人たちが店に立ち寄り、縦横に組まれた太い梁を見上げ、囲炉裏の火にあたって、心が癒されて帰っていかれました。しかし残念ながら、茶房はコロナ禍のため閉店しなければならなくなりました。

 

 立花先生はいま空円光と名乗っておられます。その由来を聞くと、やはり天からの指し図でした。

45歳ごろ犬を散歩させていると、天から『空ハ円ナリ光ナリ』という言霊が降りてきました。私はそれが自分の目指すべき理想だと思い、80歳になったら生前戒名として空円光を名乗ろうと思いました。しかしその歳まで待てず、100回連続講演を達成したのを期に空円光と名乗るようになりました」

 

◇魂磨きこそが人生の原点

「さまざまな活動をして30年が経ち、初心に帰ろうと思っていた矢先、予想もしなかった出来事が襲いました」

 先に述べたように脳出血で倒れ、重篤な状態に陥ったのです。

「幸いに命は助かったものの、右半身麻痺という大きなハンディを背負うことになりました。右手はブラブラの状態で物がつかめません。すっかり落ち込んでしまいました。

 

 ところが辛くて悲しくて先が見えない時期を過ごして、ようやく物が見えるようになりました。私はつくづく傲慢だったと気づきました。人の痛みがまるでわかっていませんでした。至らなかったのは自分でした。一番反省しなければいけないのは私なのに、人に向かって魂を磨こうなどと説いていたのです。

 

右半身不随になったのは“意味”があったのです。天の恩寵以外の何物でもありません。懺悔することの多い日々ですが、それとともに極めて愉快で、何でも感謝して受けられるようになりました。小林秀雄は『空は実は満ち足りているのだ』と言いましたが、まったくそのとおり、満たされているのです。この闘病生活でようやく空円光という名にふさわしい心境が開けてきました」

 

立花先生の話を聞きながら、私は立花先生の恩師松井浄蓮先生の不思議な書名がついている『終わりより始まる』(法蔵館)を連想していました。立花先生は脳出血で倒れ、言語能力も失い、もう駄目だ、俺の人生は終わったと悲嘆に暮れました。しかし闘病生活を経て復活してみると、新たな心境が開けていました。松井先生がおっしゃるとおり、「終わりは終わりではなく、新たな始まりなんだ」でした。

これはもう歓喜以外のなにものでもありません。失われたものはあったけれども、それに倍するものが与えられたのです。これからは霊命を拝し、ご恩に感し、報徳に努めるばかりだと思いました。

 

 立花先生が闘病生活は天からいただいた恩寵で、“意味”があったと気づいたそうです。だから西郷さんが幽閉されていたときの苦衷がびんびん響くのです。

「西郷さんはすべての自由を剝奪されて獄中で呻吟しましたが、それが佐藤一斎の『言志四録』などに導かれて、コペルニクス的転換が起きました。もはや薩摩藩だとか倒幕勢力だとかという狭い意識を超えて、侵略の意図が濃厚な欧米列強を抑えて日本を真に独立国家として新生させなければならないという意識に変わっていかれました。

 

 もし西郷さんが旧態然として薩摩藩代表の意識のままだったら、江戸城無血開城はできなかったし、江戸は戦火に包まれて100万の市民が焼け出されたに違いありません。獄中で西郷さんが新生したから、あの危機を乗り越えて大同団結することができ、新生日本が生まれたのでした。

 

今まさに第三次世界大戦が噂されていますが、現代文明が終焉しつつあると言えます。文明の発展神話にしがみつくことなく、原点に返っていのちをおろがみ、自然に額づかねばならないのではないでしょうか。自然に帰れ、人間に帰れと魂から叫びたくなります」

 

立花先生は「逆境は人間の魂を磨いてくれる。逆境を経てこそ、歴史を切り拓いていける人格は形成されていくのだ」と、“魂を磨くこと”を人生の中核に置いたことは間違っていなかったと確信した次第でした。

立花先生

まだま村全景

まだま村の集まり

写真=➀まだま村での集いを再開した空円光立花之則先生 ②縄文の昔を髣髴させる葦葺きのまだま村 ③まだま村でのある日の集まり


西郷隆盛2

沈黙の響き (その127)

「沈黙の響き(その127)」

西郷隆盛の揺籃となった沖永良部島の牢獄

神渡良平

 

 

 1029日、岐阜県恵那市で、徳川幕府最高の教育機関「昌平坂学問所」で教鞭を執っていた儒学者佐藤一斎の生誕250年を記念して、第26回言志祭が催されました。その席上、「日本の文化と佐藤一斎」と題して講演しました。会場には湯島の昌平坂学問所から移し植えられた櫂(かい)の木が真っ赤に色づき、花を添えていました。

 

 講演では数年前読者40数名で、西郷隆盛が薩摩藩の国主島津久光にうとんぜられて、島流しされていた南溟の孤島・沖永良部島(おきのえらぶじま)を訪ね、西郷が幽閉されていた牢獄の周りに座って、瞑想したことを話しました。

すると講演を聴いてくださったグループが講演に触発されて、来年の研修はぜひ沖永良部島に行きたいとおっしゃるので、主催者に詳細を書いた次のような手紙を書きました。

 

〈薩摩藩は島津斉彬(なりあきら)死去後、忠義が藩主となりました。しかし久光が藩主の実父であることから国父と称して実権を握りました。久光は、実力は比べるもなかった異母兄斉彬に代わって、明治維新の旗頭になれる番が回ってきたと喜びました。でも久光の力量を知っている西郷は久光を、

「自分の力量をわきまえない、まったくの田舎侍」

と揶揄していました。

 

西郷が久光を評価しないので、久光は当然西郷を嫌い、左遷して島流しにしました。西郷は、日本を虎視眈々と狙っていた欧米列強を抑えて、維新政府を樹立しなければならない大詰めを迎えていたので、怒り心頭に達しました。

 

 鹿児島から島流しされるとき、獄中で読書しようと、柳ごおり四つ分の書物を持っていきましたが、とてもとても読書できる心境ではありませんでした。書物を開いて読んでいるようでも、心は上の空でした。そんなときだったから『言志耋録』(げんしてつろく)133条は身に沁みたはずです。一斎は、

「順境、逆境は他者に起因するのではなく、お前自身の心境から来るんだ」

と叱りました。これにはおそらく最初は反発したでしょう。しかし、考えれば考えるほど、西郷の心の嵐は久光のせいではなく、自分自身に原因があると思わざるを得ませんでした。そうなると一斎が『言志耋録』3条で強調したように、

「経書を読むは即ち我が心を読むなり。認めて外物となすことなかれ。我が心を読むは即ち天を読むなり。認めて人心と做すことなかれ」

が身に沁みたに違いありません。天という概念は単なる観念的な絵空事ではなく、初めて対話すべき相手として浮かび上がってきたのです。これは大きな覚醒でした。

 

 私は西郷が沖永良部島の牢獄で過ごした日々、彼は久光憎しの感情から解放され、薩摩藩という意識からも脱却し、真に新生日本という意識に高まっていったように思います。薩摩藩だ、維新勢力だ、倒幕勢力だという意識を超えて、維新政府を確立しなければならないという思いに至ったのです。

 

 そのことは江戸幕府を代表して、江戸城無血開城について西郷と折衝した勝海舟が、西郷は敵だ、味方だという意識を超えていたので、西郷と一緒になって新生日本を作り上げようという気になったと『氷川清話』(講談社学術文庫)で述べています。

「西郷に及ぶことができないのは、その大胆識と大誠意にあるのだ。俺の一言を信じて、たった一人で、江戸城に乗り込む。俺だって事に処して、多少の策謀を用いないこともないが、ただこの西郷の至誠は、俺をして相欺くことができなかった」

 

「このときに際して、小籌浅略(しょうちゅうせんりゃく))を事とするのは、かえってこの人のためにはらわたを見透かされるばかりだと思って、俺も至誠をもってこれに応じたから、江戸城受け渡しも、あのとおり、立ち話の間にすんだのさ。西郷は今言うたとおりに実に漠然たる男だったが、大久保はこれに反して実に截然(せつぜん)としていたよ」(※截然=物の区別がはっきりしていること。明瞭や明確に近い)

 

「官軍が江戸城に入ってから、市中の取り締まりがはなはだ面倒になってきた。幕府は倒れたが、新政府はまだ敷かれていないから、ちょうど無政府の姿になっていたのさ。しかるに大量の西郷は、意外にも、意外にも、この難局を俺の肩に投げかけておいて、行ってしまった。

『どうかよろしくお頼み申します。後の処置は、勝さんが何とかなさるだろう』

と言って江戸を去ってしまった。この漠然たる『だろう』には俺も閉口したよ。

 これがもし大久保なら、これはかく、あれはかく、とそれぞれ談判しておくだろうに、さりとてあまりにも漠然ではないか。しかし考えてみると、西郷の天分の極めて高い理由は、実はここにあるのだよ」

 

 あの時期、誰かが敵だ、味方だという意識を超えていなければ、新生日本など生まれようがなかったのです。それだけに、西郷の成長が日本を窮地で救ったと言えます。

 私はあの沖永良部島の牢獄で西郷が、

「内なる耳を澄まし、天の声に耳を傾けたからこそ、藩の意識を脱却ができた」

と思っております。狭い牢獄ですが、母親の胎内のような役割を果たしたのです。

 

それに『言志晩録』38条の「宇宙内のことは自分の分内のこと」と受け止めたという記述は西郷には極めて啓発的だったと思われます。

「象山の『宇宙内の事は、皆己れ分内の事』とは、これは男子担当の志かくの如きをいう」

(陸象山は「天地間の事は皆自分の中の事、自分の中の事は皆天地間の事」といったが、これは大丈夫たる者はいかなることもこの心的態度で臨むべきだと思う)

 

 西郷は獄中で一斎の個人指導を受けていたとすら言えます。この条は『西郷南洲手抄言志録』にも収録され、私学校の生徒たちに講義するとき使っているから、西郷は余程感銘を受けた一節だと思います。

 あれこれ考えると、明治維新という革命の揺籃は沖永良部島の牢獄だったということができるのではないでしょうか〉

 佐藤一斎は遠い過去の偉人ではありません。彼の透徹した思想が現代のリーダーを導いているのです。

西郷隆盛2

写真=『言志四録』から101条を抜き書きして『手抄言志録』を編んだ西郷隆盛


瀬戸山雅代さんと大貴ちゃん

沈黙の響き (その126)

「沈黙の響き(その126)」

人生は生きるに値する! と訴えかける絵を描きたい

神渡良平

 

 いま私はこの「沈黙の響き」の連載で、エリザベス・サンダース・ホームで戦争孤児たちを育てた澤田美喜さんのことを書いています。母と子の物語は人間の永遠のテーマですが、それについて考えさせられるメールを拝見しました。今週はそれをみなさんに公開して、課題を深めていこうと思います。

 

◇瀬戸山家の納骨式

1024日、東京都世田谷区奥沢にある浄土宗の名刹淨真寺で、横浜()(すい)会の会長をされている瀬戸山秀樹さんの奥さま雅代さんの13回忌を記念して、新しく建てられたお墓の納骨式が行われました。

 

30年前、私が横浜志帥会という勉強会を始めたとき、最初のころから熱心に参加されていたのが瀬戸山秀樹、雅代さん夫妻でした。毎月の例会に雅代さんは息子の(だい)()君を連れて参加され、私たちが勉強している間、大貴君は部屋の隅でお絵かきなどをしていました。その後、雅代さんは癌を患い、7年間の闘病の末に亡くなりました。納骨式には従弟の濵田総一郎ご夫妻や親戚一同が集まり、私も参席しました。

 

お墓に奥さまの遺骨を納める前、大貴君が母上の骨壺から、一つひとつの遺骨を手のひらに乗せて語りかけ、泣いていた姿がとても印象的でした。そばで見ていて、息子にとって母親の存在はかくも大きいのかと、胸が締めつけられる思いでした。

 

その夜、西八王子の自宅に帰った大貴君から、父親の秀樹さんにメールが届きました。それを読ませていただいたのですが、前日の納骨式で母親を偲んで涙を流す大貴君を見ていただけに、そのメールは心を打ちました。秀樹さんと大貴君の許可を得て、みなさんとシェアしたいと思います。

 

◇大貴君から父親へのメール

〈父さんも納骨式でお疲れ様でした。とてもいい納骨式でしたね。ぼくは西八王子に越してきてから高尾山が近くなったため、天気がよいときは高尾山に登ります。そこには人の手が加えられていない美しい自然があり、どうしてこんなに美しいのだろうと味わいながら登っていると、白い大きな鳥の死骸を見つけました。

 

その死骸を見詰めていると不思議なことに気がつきました。木は朽ち死骸は腐るものですが、そこには生の営みがあったから美しいのではないかと思ったのです。

 

ぼくは母さんの7年にも及ぶ長い闘病生活に付き合い、ゆっくりと朽ちて行くさまを見たからなのか、多くのことを引きずるようになりました。朝起きるとき溜め息を吐くように、「今日もどうせ生きるのだ……」とつぶやくようになっていたのです。

 

ところが宇宙が営んでいる美しさに気がついたとき、母さんはその美しさに吸収されただけなのだと思いました。するとぼくも美しい朝に目覚めたことに気がつき、感謝して起きることができるようになったのです。

 

昨日、瀬戸山家のお墓に母さんの骨を納骨する前、骨壺からいくつかの骨を取り出しました。そのとき骨がすれ合う音が海の砂や貝の音に似ているなと感じ、改めて母さんは宇宙の営みに(かえ)っていっただけなのだと思いました。

 

父さんが母さんの骨を分骨して持ち帰るといいよと言ってくれましたが、持ち帰るのはやめました。というのは持ち帰って何をすべきなのかよくわからなかったのと、母さんがよく言っていたヘルマン・ヘッセの次の言葉がよぎったからです。

ぼくはなぜだか友人から悩みを相談されることがよくあります。ある友人が泣きながら、「なぜこんなにも生き辛いのだろう……」と訴えたことがありました。そのときどんな言葉をかけようかなと迷いました。今の時代は若者が大切なことを忘れてしまう時代です。次の文章は母さんが残してくれたヘルマン・ヘッセのもので、ぼくが一番好きなもので、そこに回答がひそんでいるように思います。

 

人間の文化は動物的な本能を精神的なものに純化することによって、また恥を知ることによって、あるいは想像力によって、より高いものになっていく。

すべての生の讃美者たちも、やはり死なざるを得ないのだが、人生は生きるに値するというのが、あらゆる芸術の最終的な内容であり、慰めである。

愛は憎しみより高く、理解は怒りより高く、平和は戦争より気高いのだ。

 

ヘルマン・ヘッセは高らかに「人生は生きるに値するというのが、あらゆる芸術の最終的な内容であり、慰めである」と歌っていますが、ぼくも友達に同じ言葉を言ってやりたいと思いました。ぼくの作品がどれだけ人の目に止まり、評価されるか、わかりませんが、ぼくはこの世界の美しさと、その中で生きる喜びを伝えるために描いていこうと思っています〉

 

大貴君は京都芸術大学を卒業し、いま絵を描いていますが、絵に「人生は生きるに値する」という思いを表現しようとしていたのです。絵描きは自分の絵が評価され、売れるとは限らないので、“清貧に甘んじる覚悟”をしなければ、なかなかできることではありません。秀樹さんは大貴君からのメールにその覚悟を読み取り、いたく感じ入りました。

 

◇父親からの返事

 秀樹さんは大貴君が、雅代さんが聞いていた録音テープや読書内容を聞いたりしているので、母親の価値観が明らかに息子の感性を育んでいると感じ、うれしく思いました。そこで感じたままを返信しました。

 

〈メールをありがとう。君には教えられることばかりだ。深く考えていることにとても感動した。君の目を見ていると、白隠禅師のこんな詩を思い出すよ。

 

君、看よ、双眼の色

語らざれば

憂いなきに似たり

 

白隠禅師は、「見てごらん、あの澄んだ眼の色を。何も語らなければわからないが、深い苦悩や苦しみを超えると、人はあんなに澄んだ美しい目の色になるのだ。苦悩が人間を立派に美しくする」と言おうとしているのだと思う。

 

大貴はその若さゆえに、また志があるがゆえに、自己実現に苦しんでいる。今まさにその道中にあると思う。私や母さんは今の君と同じように、いかに生きるか、何を成すかで苦しみ悩んだ時期があった。君はその上を行っており、既に親父を超えている。

大丈夫。必ず道は開ける。頑張れ〉

 

人生は父と子、母と子の伴奏によって形成されるものです。形ができ上るまでの奮闘が続きます。それが成功するよう、ただただ祈るばかりです。

 

瀬戸山雅代さんと大貴ちゃん

瀬戸山大貴さん

瀬戸山さんのご家族

草花の絵

写真=➀雅代さんと大貴ちゃん ②大貴君 ③瀬戸山家の3人 ④大貴君が新しいお墓のために描いた草花の絵 

 


ローソク

沈黙の響き (その125)

「沈黙の響き(125)」

キリスト教に惹かれていく澤田美喜さん

神渡良平

 

◇隣の部屋が漏れてきた声

今回はエリザベス・サンダース・ホームの澤田美喜園長がキリスト教の信仰を持つに至った経緯を見てみましょう。美喜さんは御茶ノ水にある女子師範附属幼稚園(現在のお茶の水女子大学を構成した学校)から小学校に進んだとき、兄妹が次々にハシカにかかり、寝込んでしまいました。ハシカにかかるとみんな大磯の別荘に隔離され、治るまで1、2週間静養しなければなりません。3番目の兄がハシカにかかったあと美喜さんもかかってしまい、別荘に隔離されました。

 

美喜さんが寝ていると、美喜さんに付き添って別荘に来ている、赤十字出身の看護婦の川手さんが隣の部屋で、小さな声で何か朗読しているのが聞こえてきました。

「敵を愛し……憎む者に親切にせよ。のろう者を祝福し、はずかしめる者のために祈れ」

 

(えっ、憎む者に親切にし、のろう者を祝福する?)

聞いたこともない考えです。そんなことが現実問題としてできるわけがありません。でも、天使のようにやさしい川手さんが、ひとこと、ひとこと確かめるように朗読しています。美喜さんは思わず耳をそばだてて聞き入りました。

「あなたの頬を打つ者には他の頬をも向けてやり、あなたの上着を奪い取る者には下着をも拒むな……。あなたに求める者には与えてやり、あなたの持ち物を奪おうとする者からは取り戻そうとするな……」

 まだ小学生の美喜さんには川手さんの声が天国から聞こえてくるような感じがしました。川手さんの朗読は静かに続いています。

「自分を愛するものを愛したからとて、どれほどの手柄になろうか……。罪人でさえ、自分を愛してくれる者を愛している……」

 

(それは確かにそうだわ……)

美喜さんはその教えに不思議な力でぐいぐいと惹かれました。あのやさしいお姉さんがさとしていると思うと、とても素直にうなずけます。

 

それが美喜さんの耳に入った仏教以外の宗教の初めての教えでした。実は美喜さんは母親が送ってくれた仇討ちの絵本を読み終えたばかりだったので、余計心に響いたのです。

その本では、親の仇を何年もつけ狙い、とうとう積年の恨みを果たしたということが、天晴れでいさぎよいと称賛されていました。でも、仇討ちという美名のもと恨みを抱き続けるというのは、おどろおどろ過ぎるなと思いました。

 

◇ヤソを毛嫌いした祖母

隣の部屋から漏れてくる川手さんの声が、

「悪しき者に手向かうな。あなたの頬を打つ者には他の頬をも向けてやり、あなたの上着を奪い取る者には下着をも拒むな」

と告げているのを聞くと、そちらのほうがはるかにすばらしいなと思いました。美喜さんはベッドの中で、川手さんは何の本を読んでいるのだろうと考え、もっと知りたいと思いました。

 

翌朝、美喜さんは川手さんに訊いてみると、川手さんはびっくりして思わず両手で口を覆い、言を左右にして話してくれません。川手さんは岩崎家が土佐以来、熱心な真言宗の門徒で、キリスト教はヤソと呼んで毛嫌いしていると知っていたので、何の本だったか、口をつぐんで言いませんでした。明治30年代後半の話です。

でも、川手さんはクリスチャンだったので、うすうすキリスト教の本らしいと推察しました。

 

美喜さんはハシカが治って東京に戻ると、日曜学校に通っている友達から新約聖書を手に入れました。英国公使をしていた伯父の加藤高明さん(後の総理大臣)からイギリス土産にいただいたきれいなハンドバックと取り換えてもらったのです。

むさぼるように読んでみると、川手さんが読んでいたのは「ルカによる福音書」だとわかりました。イエスは実に平明な言葉で語りかけておられました。

 

「何を食べようか、何を飲もうかと、自分の命のことで思いわずらい、何を着ようかと自分のからだのことで思いわずらうな。命は食物にまさり、からだは着物にまさるではないか。

 空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取り入れることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていてくださる……」

 

「山上の垂訓」と呼ばれる一節です。身に沁みるように、イエスの教えが入ってきます。小躍りしていると、キリスト教を毛嫌いしている祖母の喜勢(きせ)に聖書を発見されてしまいました。

 

「何です、美喜。ヤソの本など読んでいて。一つなぐられたら、ふたつなぐり返してやるんです。三つなぐられたら、六つなぐり返すんです。相手にあなどられてはいけません。ヤソは軟弱過ぎます」

 と、取り上げられてしまいました。おばあさんは絶対です。従わざるを得ません。それでも美喜さんは聖書を読みたくてたまりません。そこで今度は別な友達に、京都の舞妓さんからもらった半襟(はんえり)を聖書と取り換えてもらって、隠れて読みふけりました。

 

◇現世を積極的に変えていこうとする姿勢

 そこにはさらに衝撃的なイエスの言葉が記されていました。

「みこころが天に行われるように、地にも行われますように……」

イエスは現世を天国に変えようという積極的な姿勢を持ち、「御国を来たらせたまえ」と祈り、行動していたのです。それに比べたら仏教は現世を苦海だといって諦め、来世に希望を託しているだけのように見えました。

 

ところがまた祖母の喜勢に気づかれてしまい、今度はさめざめと泣いて折檻されました。

「お前がヤソになると、ご先祖様のお墓はいったいどうなるの。私の墓もおじいさんの墓も草ぼうぼうになってしまいます。ヤソになることは断じて許しません」

 

喜勢は孫がお茶の水の女学校に通っていたのではヤソの悪影響は排除できないと中退させ、一流の学者を家庭教師にして教育しました。国語・漢文は関根正直博士、日本画は野口小恵先生、習字は代々加賀藩の祐筆だった西田単山先生、油絵は石川寅次先生といった具合です。それはそれで素晴らしかったものの、一度感じたキリスト教への関心は消えません。よく「三つ子の魂、百まで」と言われますが、美喜さんはキリストの教えに惹かれ、とうとう洗礼を受け、よって立つ巌(いわお)としました。

ローソク

写真=世の光


沈黙の響き (その124)

「沈黙の響き(その124)」

臓器を提供して人の悲しみを救った父親からの手紙

神渡良平

 

 日本臓器移植ネットワークは脳死と判定された6歳未満の女児の両親が、臓器提供を受けなければ生きていけない人たちがいることを知って、女児の臓器提供し、同じような立場で苦しんでいる人たちを救った父親の手紙を公開しました。

 そこには「Aちゃん、ありったけの愛を天国から注いでくれるとうれしいな」という気持ちが書かれていました。子を持つ親の気持ちを吐露したこの手紙は、多くの人の心を打ち、どんどん拡散しているようです。

この手紙はエリザベス・サンダース・ホームの澤田美喜園長が戦争孤児を育てるホームを開設した気持ちを伝えてくれると思ったので、今回はその手紙を紹介します。

 

◇辛くて、寂しくて、最後は落ちている石ころにもお願いしたんだよ

〈Aちゃんが体調を崩してから、お父さん、お母さんは辛くて、辛くて、毎日毎日神さまに無事回復させてくださいとお願いしていました。神社に行ってお願いし、山に行けば山に、川に行けば川に、海に行けば海にというふうに、目に見えるものすべてにお願いしました。最後には落ちている石ころにもお願いしたんだよ。

 

 でもね、どうしても、Aちゃんとお父さんを入れ替えることはできないんだって。もうAちゃんは長くは生きられず、もう目を覚ますことはないんだって……。

 お父さんとお母さんは辛くて辛くて、寂しくて寂しくて、泣いてばかりいたんだよ。

 

 そんなときお医者さんから、Aちゃんが臓器を提供すれば、健康な臓器なしには生きていけない人たちの希望になれることを聞いたよ。今のお父さんやお母さんみたいに、涙にくれて生きる希望を失っている人たちを助けることができるんだって。

 

 どうだろう? Aちゃんは臓器提供をすることをどう思う? いやかな?

 お父さん、お母さんは悩んだ末、Aちゃんの臓器を困っている人に提供することに決めました。もしいやだったらゴメンね。

 

 お父さんもお母さんも、臓器を必要としている患者さんがたくさんいて、その患者さんを見守る人たちがどんなにか辛く苦しい思いをされているか知っています。もしその人たちにAちゃんが役に立てるなら、それは素晴らしいことだと思ったんだよ。

 

 人の命を救う、そして心を救うってすごく難しいことで、お父さんもできるかどうか、わからない。だけど、それはとても素晴らしく、尊いことだよ。

 もしAちゃんが人を救うことができ、その周りの皆さんの希望になれるとしたら、そんなに素晴らしいことはないと思ったの。こんなに誇らしいことはない、Aちゃんが生きた証じゃないかって思ったの。

 

◇ありったけの愛を天国から注いでね

 今のお父さんやお母さんみたいに苦しんでいる人が、一人でも笑顔になってくれれば、どんなに素晴らしいだろう。そしてその笑顔はお父さんやお母さんの生きる勇気になるんだよ。

いつも周りのみんなを笑顔にしてくれたAちゃんだから、きっとまた世界の笑顔を増やしてくれるよね。

 

 命はつなぐものだよ。お父さんやお母さんが命をAちゃんにつないだように、Aちゃんも困っている人に命をつないでくれるかな? お父さんやお母さんがAちゃんにそうしたように、Aちゃんも、Aちゃんがつないだその命に、ありったけの愛を天国から注いでくれるとうれしいな。

お父さんより〉

 

 そしてお母さんからの詩が添えられていました。

 

〈お母さんを

 もう一度

 抱きしめて

 そして

 笑顔を見せて

                                 お母さんより〉

 Aちゃん、天国からみなさんにありったけの愛を注いでくださいね。

写真=いたいけな子どもの笑顔


2022年11月の予定

日時 演題 会場 主催団体 連絡先担当者

11月5日(土)
20:00~21:30

 

Zoom対談:
木南一志新宮運送社長

   

岡村ひとみ
TEL 080-9343-1188

11月13日(日)
14:00~

 

愛の祈りの文学――三浦綾子の世界

佐倉市うすい公民館 佐倉素行会

TEL 043-460-1833

11月14日(月)
20:00~21:30

 

光の雫Zoom講演「愛の祈りの文学――三浦綾子の世界」

   

岡村ひとみ
TEL 080-9343-1188


ワンドロップ・プロジェクトの12月22日のイベント『新・地球にそっくりな不思議な地球』のご案内

2022年12月22日に開催されます、ワンドロップ・プロジェクト主催の12月22日のイベント、音楽活劇『新・地球にそっくりな不思議な地球』のご案内です。

※ 神渡先生は、ベストセラーとなった『宇宙の響き ー 中村天風の世界』他にも、中村天風先生のことを書かれたご著書がいくつもあり、ワンドロップ・プロジェクトも中村天風先生と大変縁が深いことなどから、この度、神渡先生のご厚意により、特別に、ワンドロップ・プロジェクトのイベントの紹介を掲載させていただいております。

ワンドロップ・プロジェクトでは、毎年、冬至に合わせてイベントが開催されていますが、今年は、音楽活劇『新・地球にそっくりな不思議な地球』となります。

昨年も大好評を博した演劇天風朗誦劇場も手掛けたプロの脚本・演出による本格的な、歌や演奏などの音楽満載の舞台を楽しむことで、地球環境のことを本気で考えたり、他人に対し尊厳をもって向き合えるようになれたり、これからの人生において何かが変わるかもしれません・・・

舞台内容は、ワンドロップ・プロジェクトの発起人、清水浦安さんが、友人と二人で銀座のカフェにいた時に、突然、セント・ジャーメインという男性が現れて、意識レベルで、地球にそっくりな不思議な地球に連れていかれて見てきた時のことを描いた、2014年に『あなたはどちらを選びますか 地球にそっくりな不思議な地球』として書籍にもなった実話を、昨今の情勢を加味し、今回は新たに大天使ミカエル様も登場するようになったりと、今だからこそ改めて観て感じていただきたい内容になっております。

然環境の悪化や犯罪、戦争などが起こるこの地球に暮らす主人公が、ある日ひょんなことから「地球にそっくりな不思議な地球」に旅することになる。

 その地球は「お金」が存在しない地球だった。その地球の人々は、自分のできることで自然や人に喜ばれることを一生懸命考え、それを仕事としていた。食べ物は、自然の植物が分けてくれ、それをレストランで調理してもらってもお金がかからない。住む家は、みんなで協力して建てる・・・ 人々はお互いに思いやりをもって、心豊かに、幸せを感じ、暮らしていた。

 主人公は、自分の住む地球では欠かせないお金のことや、絶えることのない人々の争いなどについて話すが、その地球の人々は、初めて聞くことばかりで驚いてしまう・・・」

以下、清水浦安著『LILA’S Gospel 太陽の福音書』より

私は、東京銀座のとあるレストランで友人とコーヒーを飲みながら、一なる作業をしていた。
私は、友人の額に、白いまばゆい光を観た。
その刹那、私を呼ぶ男性の声が聞こえた。
その男性の声は、私の内なる声として私に語りかけてきた。

 「良きものを見せてあげよう! 私に付いて来なさい。」

私に語りかけてきたこの男性は、ジャーメインと名乗る方で、ヨーロッパを担当している光の大使との事だった・・・

イベントの詳細ページ

2022年12月22日(木)
新宿文化センター 大ホール

 A.昼公演 13:00~(12:00開場) 約2時間

昼公演終演後 プレミアム アフター トークショー 大天使長ミカエルからの問いかけ
 天使談義テーマ 「今まであなたは何を一番大切に考えてきましたか?」

B.夜公演 18:00~(17:00開場) 約2時間

劇場チケット 各回5,000円 全席自由
*未就学児はご入場いただけません。

 お正月もゆっくり見られます!ライブ配信
12/22の夜公演を18:00からライブ配信 3,000円
2023年1月10日までご視聴いただけます


ワンドロップ・プロジェクト

ワンドロップ・プロジェクトは、地球環境が悪くなってきている今、本気でこの状況を変えるべく、人々の心を人間本来の神性な尊い心に戻そう、思い出そう、といった活動をしているNPO団体です。

◎ 清水浦安

清水浦安写真

NPO法人ワンドロップ・プロジェクト発起人。Alpha Omega生命科学総合研究所 所長。1991年、自己の内より導きの霊人の声が聞こえるようになる。この頃より内なる神を通し、宇宙万物の理、神人としての人間の在り方などの教えや様々な叡智を霊人中村天風先生や天照太御神御杖代倭姫命等、多くの神霊や霊人より得るようになる。2014年ワンドロップ・プロジェクトを立ち上げる。作曲家宮川昭夫氏に「生命交響曲 霊魂の歓びの歌」の作曲を依頼し、愛宕なみと共に第四楽章の歌詞を作詞。その歌を歌うワンドロップ聖歌隊を結成。その歌は、日本各地で十カ所、アメリカ、トルコでも聖歌隊が結成され歌われている。「自神(ワンドロップ)に目覚め、自神(ワンドロップ)を心の中心に定め、自神(ワンドロップ)を持って生きていくこと、生ける神は我が内に在り」とする「内なる神と共に生きる―神性復古運動」を提唱している。著書に『LILA’S Gospel―太陽の福音書』、『この日が来るのを待っていた―初めて地球人になる日』、『人類への警告 一二三神示 火の簡・水の簡』、『真説般若波羅蜜多心経 一切衆生悉有内在仏』などがある。

ワンドロップ・プロジェクトの公式サイト

One Drop Land のサイト (ワンドロップ・プロジェクトのオンラインサロン 詳細はこちら

今回の舞台では、劇中、地球にそっくりな不思議な地球で、中村天風先生の講演会もあります!
どうぞふるってご参加ください!


令和4年度第26回言志祭チラシ

「第26回言志祭~佐藤一斎まつり~」のご案内

10月29日に「第26回言志祭~佐藤一斎まつり~」が開催されます。

佐藤一斎生誕250年を記念して、第26回の「言志祭」が故郷の岐阜県岩村町で開かれます。佐藤一斎は幕末最大の儒学者で、江戸幕府唯一の大学、昌平坂学問所の儒官をやっていました。現在の大学総長に当たります。

彼が書き残した4冊の言志四録がベストセラーになり、日本文化の根幹を示しました。講演では、佐藤一斎が言志四録で指摘したことを意味するようなエピソードを紹介し、改めて日本文化の淵源を明らかにします。

令和4年度第26回言志祭チラシ