中村天風「幸せを呼び込む」思考 神渡 良平著 講談社+α新書 - 十 私の使命は教育だ

桑原健輔さんの抜粋の第13回目です。 

中村天風『幸せを呼び込む」思考       
神渡 良平著  講談社+α新書

聖なる時間 
聖なる時間

 

十 私の使命は教育だ

 

「私は、力だ。

力の結晶だ。

何ものにも打ち克つ力の結晶だ。

だから何ものにも負けないのだ。

病にも、運命にも、

否、あらゆるすべてのものに打ち克つ力だ。

そうだ!

強い、強い、力の結晶だ」(『運命を拓く』中村天風著 講談社)

  

 天風の日常的習慣

 ヒマラヤの東端に位置するカンチェンジュンガの山懐――。

 ごうごうと耳が割れんばかりの音を立てて、滝が流れている。

 その傍らで、一人の丸刈りの男が瞑想にふけっている。

 時折、山の奥から野獣が吠える声が聞こえてくる。

 しかし、もはや何ものにも心は動かされない。

 その心眼には紺碧の空に白雲が一つ流れているのが見えている。

 何ものにもこだわっていない無心の自分がいる。

 調和――すべてが所を得て、自得している。そこには平安以外の何ものもない。

 大自然と一つになっている自分を感じたとき、めくるめく感激が突き上げてきた。自分は大自然の力そのものだと思った。

 そのほとばしるような心の雄叫びを表したものが、冒頭に掲げた「力の誦句」で、数ある誦句の中でももっとも親しまれているものである。天風会員や天風に感化を受けた人々が自己暗示するため、朝に夕に唱えている。

 天風は自分の信念を強化する方法として、自己暗示はきわめて効果があるとして、これを日常的に用いていた。

 PHP研究所から出されている天風語録『ほんとうの心の力』に、天風の習慣が紹介されているので引用しよう。

「私は毎晩の寝がけに、

『今日一日、本当にありがとうございました。本当に嬉しく、ありがたく、これからやすませていただきます』、鏡を前に置いて、顔を映して、じいっと顔を見て、『お前は信念が強くなる!』と一言いって、床の中に入る。

 そして、『今日一日、”怒らず、怖れず、悲しまず”を実行したかどうか』『”正直、親切、愉快”に人生の責務を果たしたかどうか』、少しでも自ら省みるところがあったら、『明日は、今日よりも、もっと立派な人間として生きるぞ』ということを心に描く。

 そして、いかなることがあっても、喜びを感じ、感謝を感じ、笑いを感じ、雀躍りして喜ぶ気持ちになって、その一刻を過ごすということが、何十年来の私の習慣である。

 そして、朝起きると、まず第一に、ニッコリと笑う。もう、くせがついているから、眼が覚めるとニッコリと笑う。わざわざニッコリと笑わなくても、ひとりでにニッコリと笑う。そして、『今日一日、この笑顔を壊すまいぞ!』と自分自身に約束する」

 知識があればあるほど、自己暗示ということを馬鹿にして等閑視するものだが、「自分とは何か」という自己像が確立したら、それを自分に刷り込む必要がある。刷り込むのに、自己暗示ほど効果があるものはない。

 天風は各地で開く講習会で、よく鶏をもって壇上に上がり、実地に見せた。百聞は一見にしかず、だからである。

 鶏は壇上に置かれるまではじたばたしているが、天風が気合いをかけた瞬間きょとんとして、まるで木彫りの鶏のように静かにしている。

 これも暗示の一種で、鶏は金縛りにあったように動かない。心が縛られると、体も動かなくなる。天風はこれを人間にも適用し、自己暗示法を信念の強化に用いた。天風が重要視していた「真理瞑想行」も真理を瞑想する一種の自己暗示法である。

 天風は夜休む前、気持ちを清浄にすることの大切さをこう表現している。

「寝ている間、あなた方の命を守ってくれている大宇宙は、ただ守ってくれているばかりではなく、疲れた体に、蘇る力を与えてくれている。昔から言うだろう。『寝る子は育つ。よく寝る病人は治る』。その力をうけようとする前に、眉に皺をよせて恨んだり、嫉んだり、泣いたりするなんて、罰当たりなことはしないようにするんだ、今夜から」(前掲書)

 考えてみると、これは何も天風独自の方法ではない。勝れた先人たちはこのことに気づいており、さまざまな工夫を凝らしていた。

 私たちが朝晩、仏前で唱えているお経も、み仏の心に思いを寄せ、本来の自分を想起することで自己を確立しようとする、いわば自己暗示の一種だといえる。朝晩、清浄な気持ちになることは、自分を失わないためにも重要なことである。 

 

 

 野口理事長が教育へ懸けた思い

 この天風の思想に非常に共鳴し、自分を作って行く上でとても参考にしている人がいる。

群馬県桐生市に在る浄土宗門の源光山大善寺の住職で、学校法人明照学園の野口秀樹理事長(兼中学校長)だ。

 樹徳高校はじめ、樹徳中学校や樹徳幼稚園を営む明照学園は、大正3(1914)年、創立され、90年以上がたっている。僧侶であると同時に、多くの子供たちを預かる教育者でもあるので、野口理事長は自己研鑽に余念がない。

 もちろん法然上人にも深く帰依しており、仏教の名僧も大切なことを数々気づかせてくれる。

しかし、天風の教えには共鳴することが多く、

「なるほど、そうすればいいのか!」

 と、膝を叩くことが多々あるという。

 そこで今回は野口理事長にスポットを当ててみよう。

「人間は身につまされることがなければ、なかなか本気にはなれないものです。そのことを仏様はちゃんとわかっていて、私を目覚めるように、そして本気で教育に取り組むよう導いてくださっているようにしか思えません」

と、のっけから野口理事長は語り出した。

「私は長らく子供を授からなかったのです。欲しい欲しいと思って、人知れず枕を濡らしたときもありました。でも、あるとき悟ったんです。

『お前の子供はお前の学校に来ている生徒たちだよ。あの子たちを立派に育ててくれ』

 阿弥陀如来様がそうおっしゃっているような気がしたんです。それでふっ切れました。途端に子供たちがかわいくなってきました。一生懸命生きている大人たちを見せて、誰かの何かのお役に立てる生き生きした青少年を真剣に育てようと思うようになりました」

 野口理事長はかねがね志が人生を決めると思っていた。

 どういう人間になりたいのか、どういう人生を送りたいのか、思い描いたとき、その実現に向けて真剣な努力がはじまっていく。教育はその志を培うことを根幹にしたとき、知育も体育も伸びていく。

「そうだ、立志式をやろう!樹徳中学の生徒たちもそれぞれの抱負を語り、立志式をやって、決意を固めさせよう」

 折しも平成13(2001)年から樹徳中学が開校し、中高一貫教育が始まる。しかし立志式を唐突に行ったら、生徒たちは意味がわからないまま、ただの儀式になってしまうので、1年生の時から偉人伝を読むように指導した。2年生になるとそれぞれの抱負を書かせ、印刷製本して生徒たちに配った。

 また社会的な偉業を達成した人々を招いて講演会も開催した。たとえば、自動車用品の販売会社イエロ-ハットの創始者鍵山秀三郎さんや、障害に負けずパラリンピック競泳部門で金メダルを取った成田真由美選手などである。

 日常生活では車イスで移動している身体障害者ながら、頑張って金メダルを獲得した成田さんの話は、「やればできるんだ!ぼくもめげずに頑張ろう」と、生徒たちの心に火をつけた。それこそは野口理事長が願っていたことだった。

 平成21(2009)年2月5日、7回目の立志式の挨拶に立った野口理事長は志について説き、生徒たちを鼓舞した。

「武家社会では15歳を迎える立春の日に元服式を行い、志を固めていました。武士の子はこの日を境に一人前の大人として認められ、社会的責任を負う立場になりました。

 徳川幕府唯一の大学だった昌平坂学問所(昌平黌 後の東京大学)の儒官だった佐藤一斎が書いた『言志四録』も志を持つことの重要さを説き、人それぞれに使命が与えられていると説きました。皆さんも夢の実現に向けて発憤しましょう」

 こうして立志式は樹徳教育のシンボルとなっていった。

 樹徳中学・高校は群馬県下で唯一の仏教系の学校である。そんなこともあって、しつけ教育は徹底しており、「樹徳生は学校を休まない」という評判の元になっている。ちなみに樹徳高校の平成20(2008)年度の卒業式では皆勤賞124名、精勤賞(3年間で欠席が3日以内)74名が表彰されたが、これは卒業生の54.1%にあたる。学校がいきいきしている証拠だ。これも立志式の効果の一つといえるかもしれない。

 

 

 相田みつをさんを支えて

 樹徳高校の体育館には「観自在」「合掌」と書いた大きな額が掲げてある。詩人かつ書家でもあった相田みつをさんの書だ。その他にも校内各所に相田さんの直筆の色紙が掲げられているが、この書にもエピソ-ドがある。

 相田さんが今ほど有名になる前、まだ食べていくこともままならない昭和30年代の頃、野口理事長が生まれてまもなくのことである。野口理事長の母堂の古麻さんが事務室で仕事をしていると、自転車に大きな風呂敷包みを積んだ男がやってきた。

「私の書を買っていただけませんか」

という。聞くと隣町の足利市に住んでいる書家だという。自転車でも1時間半はかかるような遠い所から行商に来たなんて、かわいそうだ。でも田舎の私立高校のこと、経済的に余裕があるわけではなかった。

「うちも苦しくってね、そんなもん買えるような状態じゃない。でもね、上がってお茶でも飲んでいきなさい」

 と勧めた。相田さんも、どう見ても裕福そうでない高校だし、ここでも売れないかなあと思っていたので、やっぱり駄目かとがっかりした。

 古麻さんは相田さんにお茶を飲んでもらい、作品を見ながら話してみると、何か惹かれるものがある。そこに相田さんはポツリともらした。

「これを売らない帰れないんです。赤ん坊のミルク代も払えなくて……」

 相当困窮している様子だ。それを聞いたらお寺の庫裏を預かる者としても何とかしてあげたい。そこで何点か買い上げ、さらに大きな書を注文した。

「うちは仏教系の高校だから、何か仏教的な字を書いてくれませんか」

 それで相田さんは窮地を救われた。地獄に仏とはこのことだ。

「どんな字がよろしいですか」

「そうですね、佛とか合掌とかがいいですね」

 相田さんはこのときのことがよほど嬉しかったとみえて、講演でもしばしば触れている。こうして古麻さんは折りに触れて相田さんの書を買い、経済的に支えた。それが20数枚になっている。野口理事長の弁。

「母が相田さんの書を前にして、よく当時のことを語ってくれ、『助け合うのはお互いさまだよ』と言っていました。売れないころの相田さんは地元の商店の暖簾のろうけつ染めの文字を書いたり、包装紙やお菓子の包み紙の文字を書いたりしていました。樹徳高校のポスタ-『夢は大きく根は深く』にも相田さんの文字を使わせていただいています」

 そうした陰徳を積むことが行われていることもあって、樹徳高校・中学は隆盛の一途をたどり、群馬県でも優秀な学校に成長した。毎年、東北大学、筑波大学、早稲田大学、慶應義塾大学などに現役合格するようになり、スポ-ツでも、野球部、柔道部、卓球部、陸上競技部、少林寺拳法部が毎年全国大会に出場するまでになっている。

 

 

 毎朝の読経にはげまされて

 教育は教育する側の問題である。教える側に熱気があれば、それは生徒たちに伝わっていく。教える側の問題とは、とどのつまり理事長の問題だ。だから野口理事長は言う。

「結局、教育は自分のあり方以上のものではありません。どう転んでも、無い袖はふれませんから。だから自分を高める以外にありません」                                 
 野口理事長は住職として毎朝大善寺本堂で勤行したあと、ご本尊の前で唱えていることがある。

「私の使命は樹徳高校・中学・幼稚園の職員・生徒・園児・保護者を輝かせることです。そのためにも、阿弥陀如来様、私を導いてください。私の体を構成している60兆の細胞一つひとつが、よみがえり、いま生きる力、やる気でいっぱいです。何も恐れるものはありません。今日も積極的な言葉、建設的な思いで一日を務めてまいります」

 この文章にも天風の自己暗示法の影響が色濃く表れている。ああしてください、こうしてくださいとみ仏にお願いするのではなく、なりたい状態を心に思い描いて、自分に宣言するのだ。こうして自分の気持ちを刷新して、毎朝出勤している。

 そんなこともあって、み仏や、法然上人が導いてくださっているという確信は揺るがない。明照学園がますます輝きを増しているのもその確信があるからだといえよう。