無心にたわむれているイルカたち

沈黙の響き (その42)

「沈黙の響き(その42)」

オーストラリアからの投稿

 

私は昨年の71日、LINEでグループライン「沈黙の響き」を立ち上げ、ささやかなメッセージを連載してきました。おかげさまで、これがいたるところで波紋を巻き起こし、さまざまな方が投稿して盛り上がってきました。

その中にオーストラリアのブリスベンに住んでおられる西澤利之さんがありました。西澤さんは「沈黙の響き」というタイトルに惹かれ、「声なき声に心の耳を澄まして聴き入る」ことに共鳴して、ご自分の意見を述べられました。

 

その投稿を118日付けの「その30」にアップしたところ、多くの方々が共感し、反響を寄せられました。その後、何号かにわたって他の方々の感想がアップされ、「沈黙の響き」の内容がとても充実しました。

 

私と西澤さんとは長い付き合いで、私が若いころ、サンゴ礁で有名なオーストラリアのゴールドコーストにシュノーケリングに行ったとき、当時JTBのゴールドコースト支店長だった西澤さんに随分お世話になりました。大変優秀だった西澤さんはその後、オーストラレア・クイーズランド州政府からヘッドハンティングされ、政府観光局日本部長として、オーストラリアと日本を行き来して仕事をされるようになりました。

 

西澤さんが日本に来られると、私は有楽町のオフィスを訪ねていろいろと歓談しました。日本を外側から観察しておられる視点が私にはとても斬新で、啓発されることが多かったのです。奥さまがオーストラリア人で、キリスト教文化の中に住んでいらっしゃることもあって、西澤さんの視点に啓発されることが多かったのです。

だから西澤さんが「沈黙の響き」のサークルに加わり、いろいろと発言してくださることが、とてもありがたくてなりませんでした。西澤さんの視点をみなさんに紹介できることが誇りでした。今回もまた西澤さんから投稿があったのでアップし、みなさんとシェアしたいと思います。

 

≪映画『素晴らしき哉、人生!』を思い出させた徳永先生の話≫

 

 神渡さん、オーストラリアは連日大雨が続き、首都シドニーでは洪水警報が出ています。私が住んでいるブリスベンも横殴りの風雨が叩きつけ、さながらミニ台風に襲われているようです。でも、恐らく水曜日辺りには雨も収まるようなので、今日と明日を乗り切れば何とか大丈夫です。自然災害ばかりはどうすることもできませんので、準備だけは怠らないようにしています。

 

さて前回の「光のしずくオンライン講演会」の第2回目、内観の講話を聴き、思わず往年の名作映画『素晴らしき哉、人生!』を思い出してしまいました。そこで講話の感想を兼ねて、拙文をお送りさせていただきます。

 

この映画は1946年に制作された古いアメリカ映画で、アメリカ映画協会が選んだ「感動の映画ベスト100」で1位を取り、黒澤明監督が推奨した100選名画の中にも取り上げられています。名作なのできっと鑑賞されたことがあると思いますが、下記に簡単なあらすじを紹介します。

 

舞台は1945年、第二次世界大戦が終わった年のクリスマスイブです。ニューヨーク州のとある町で、大金を紛失してしまった主人公のジョージが絶望的になり、「自分など生まれてこなければよかった」と自殺を図ろうとしました。そこに天使が現れて、「では望み通りにしてあげよう」と、彼が生まれていなかった頃の世界を見せてくれたのです。

 

ジョージがいない世界はなぜかとても荒んでいました。それにジョージの弟は幼少期に亡くなっていました。またお世話になったアルバイト先の店主は、子供を毒殺した罪で刑務所に入っていました。加えてジョージの母親はまだジョージを産む前なので、ジョージのことを知らないのです。ジョージが住んでいた家に行ってみると、そこは空き家でガラーンとしていて、誰も住んでいませんでした。

 

 ひるがえってジョージが生きている現実の世界では、弟は戦争の英雄として帰国し、勲章をもらうほどの人間になっていました。幼い時河に落ちそうになった弟をジョージが必死になって助けたから、今の彼があったのです。

またジョージがアルバイト先の薬局で手伝いをしていたとき、店主は自分の子供を失った悲しみから気が動転して、薬と毒の処方箋を間違えてしまいました。

でも配達する寸前、ジョージが処方箋の間違いに気が付いて子供に渡さなかったので、事なきを得ました。このように現実の世界では、ジョージがいろいろと気が付くことによって、店主の店は繁盛し、死んでしまったはずの子供も元気に育っていたのです。

 

 自分など何の価値もないと、自分を卑下していたジョージは、自分のいない世界のさま変わりした人間模様を見ることによって、自分は力も才能もないと思っていた自分でも、周りの人たちの人生にかけがえのない影響を与えていたことに気が付くのです。

 

誰も住んでいない空き家は、他でもない彼の心の姿だったのです。ジョージがいなかったら彼の4人の子供たちも生まれることもなく、世界は全く別の世界になっていたはずです。

 

 自分が愛した人や子供、周りの人たちに対する思いやり、こうした愛の連鎖が社会をつくっていることに気が付けば、人を驚かせるような偉大なことをしなくても、ありきたりの日常生活における小さな心掛けが、人の運命に大きな影響を与えるのだということを、この映画は私たちに目覚めさせてくれました。

 

≪自分の持ち場で「一隅を照らす」人生の素晴らしさ≫

 

 いまコロナ・ウイルス禍の中で、医療関係者が自分の生死をかけて仕事に専念してくだっており、トラック運転手は物流を維持するために昼夜を問わず懸命に働いてくださっており、殺菌のためにビルの清掃をしている人たちも、その人たちがいなかったら救われないかもしれない命をみんなで守っています。

 

神渡さんが講話で採り上げた徳永先生と言う稀有な教師がいたからこそ、多くの若者が落ちこぼれることなく、希望を抱いて巣立っていきました。

 

 仏教の中に「縁覚」という思想があります。全ての存在は孤立した存在ではなく、あらゆる存在は他との関係の中にあって互いに係わり、働き合っているという考えです。

 

 一滴の露の中にも宇宙が宿り、一瞬の光の中に永遠が凝縮されているといいます。一杯の水が渇いた体の生命力を蘇らせるように、私たちの一つひとつの行動や考え方は、無数の他との関連の中にあるということなのだと思います。

 オンライン講演会での講話や皆さんの意見を拝聴しながら、改めて無価値な人はいないことを感じることができました。まさに素晴らしき哉、人生です! 次回を楽しみにしています。(続く)

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写真=無心にたわむれているイルカたち